2011/03/06

"Becky Shaw" (Almeida Theatre, 2011.3.5)

コメディーの難しさを感じさせた劇
"Becky Shaw"

Almeida Theatre公演
観劇日:2010.03.05  15:00-17:10
劇場:Almeida Theatre

演出:Peter DuBois
脚本:Gina Gionfriddo
セット:Jonathan Fensom
照明:Tim Mitchell
音響:John Leonard

出演:
David Wison Barnes (Max)
Haydn Gwynne (Susan)
Daisy Haggard (Becky)
Anna Madeley (Suzanna)
Vincent Montuel (Andrew)

☆☆ / 5

(以下、劇の筋書きやディテールを書いているので、これから公演を見たり、テキストを読んだりする方は、それをご了解の上、読み進んでください。 )

現代アメリカのコメディ。オフ・ブロードウェイで好評を博した作品だそうである。こちらの批評もブログの感想も絶賛。TelegraphもGuardianも4つ星をつけている。劇場での観客の反応も良く、笑いも頻繁にわき上がり、拍手も大きかった。しかし私には面白くない。やはりコメディーにおける言葉のハンディキャップを感じざるを得ないが、それだけでもない気がする。

MaxはSusanと兄妹として育ったが、血は繋がっていない。Maxの父親が亡くなった時に、Susanの父親がMaxを育てることにしたようである(その父親も最近亡くなった)。ふたりの間には、兄妹的な意識と共に、男女としての意識があるようで複雑だ。Susanの母親SuzannaはMD (Mascular Dystrophy)を患っていて、身体が段々不自由になっている。Maxはファイナンシャル・アドバイザーをして、大変成功している。また、少なくとも表面上は極めて冷酷で、愛想のない人物。

Susanは親切で好人物のAndrewと結婚している。この夫婦は、Andrewの勤務先にやってきた派遣社員のBecky(35歳)と、独身のMaxの間を取り持てないかと、2人を自宅に招く。ところが、善意で始めたこのキューピッド役により、MaxとSusanの関係、AndrewとSusanの夫婦関係をも大きく揺り動かし、またBeckyとMaxのふたりも、これまでの人生の澱を見つめさせる。

というような設定の話であり、特別な大事件は起こらない。舞台裏で、MaxとBeckyがデートをした後に強盗に脅かされて金を盗まれるという事件はあるが、それはステージでは演じられず、2人の性格を際立たせ、摩擦を起こさせるきっかけとして使われているのみである。劇の眼目は、Maxの極端に冷たい、切って捨てるような台詞とか、Beckyの子供っぽさや自己憐憫からくる可笑しさ、AndrewがBeckyに対してする行きすぎたお節介などから生まれるシチュエーション・コメディーである。Susanは割合常識的な感覚を示す人物として設定されていると思う。しかし、彼女があとの3人の極端さに振り回されるところもミソである。更に、歳も取っており、難病を抱えているSuzannaが、若い4人(皆、30歳代だろう)をやや距離を置いて見て、観客に覚めた視点を提供する。各キャラクターの性格付けがはっきりしており、morality play風の劇と見ることも出来る。

Beckyは、貧しい派遣社員で、健康保険にも入っておらず、肉親とは決定的に仲違いしてつき合いがなく、ボーイフレンドはおろか、親しい女友達もいない。社会から取り残された失敗者、アメリカ人が良く使う言葉で言うと、"loser"である。一方、Maxはその他の事はBeckyとは同じような状況なのだが、ただひとつ、彼は金持ちであり、従って、アメリカ社会における成功者なのである。従って、この劇のユーモアの背後にはかなり苦く、複雑な臭いもある。アメリカ社会では、経済的成功と失敗が、他の文化以上にその人の社会的価値を決める、大げさに言えば、ほとんど道徳的、宗教的な価値を付与される面があると思う(成功を与えるのは神の業、つまりプロテスタント的倫理観か?)。ただ、そういうアメリカ社会の、成功者を讃え、"loser"を置き去りにする面を、MaxとBeckyを通じてもっと突っ込んで描くことも出来たと思うが、そうはっきりと批判する訳でもなく、その点で、この劇は物足りない。

テレビ・ドラマのコメディーでもそうなのだが、私がこういう劇を「難しい」と感じる理由のひとつは、まず細部の言葉が理解しにくい事により笑いづらいためだろう。しかし、それでも可笑しい作品、見て楽しい作品がないでもない。どうも言葉の理解に加えて超えがたい要素がある気がする。それは、家族とか親しい友人の間で摩擦が起きた時の会話の激しさが、英米人の観客にとってはユーモアを感じさせるのに対し、私から見ると、極端に非現実的で、白けるのである。笑う時には、まずある程度の共感がないといけないと思うが、そもそも共感できないのだ。日本人だったら、どうやったってあんな口喧嘩にはならない、というレベルだから。

また、この劇の場合、Suzannaを除く人物の、感情的な自己中心さにも呆れる。「私は、僕は、こう感じる、こう思う」と言う台詞をひたすら互いにぶつけ合うのを聞いていると、これもまた、どこか別世界の出来事となり、共感できない。これは、現代アメリカのミドルクラスの人々が抱えるself-obsessionをベースにしたコメディーであり、そもそもアメリカ人ほどには"self-obsessed"していない(と願いたいね)平均的な日本人にとっては、「ふーん、そうなのねえ」という受け取り方になるのではないか。骨太な、社会や政治の問題を扱った劇と違い、大変良く出来てはいても、小粒で内向きの、culture-specificな作品と感じる。ちなみに、今回見た時には、白人の観客以外の人はほとんど見かけなかった。イギリス人でも、アフロ・カリビアンやインド系の観客には大してアピールしないのではないだろうか。

俳優はとても上手かったと思う。Beckyを演じたDaisy Haggardは、台詞を言うだけで何となく可笑しさがにじみ出る、所謂「天然」というタイプのとぼけた味がある。Max役のDavid Wilson Barnesは唯一のアメリカ人俳優だが、冷たい表面の裏に潜む複雑さを垣間見せる陰影ある演技。Rory Kinnearを思わせる俳優。

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