2012/03/16

Eastbridge Hospital (Canterbury) へ行く

昨日15日は木曜で、大学のセミナーがある日。カンタベリーに行ってきました。さわやかな晴天で、体調がいささか芳しくないにもかかわらず、気分良く過ごせた一日でした。夜、帰宅したときは疲労困憊でしたが。

ということで、爽やかなウエストゲート・タワーの姿。最初は町の外側から、そして次は内側からの写真です。


そして、カンタベリーのメイン・ストリートのSt Peter's Street。この通りは途中からHigh Streetと名前が変わり、そしてその後すぐSt George's Streetという名前になって町の反対側の出口に至ります。

さて、昨日はまず中世のホスピタル、Eastbridge Hospitalに入ってみました。High Streetの真ん中、買い物客や観光客がごった返す通りにあり、私もカンタベリー滞在中はほとんど毎日のように前を通りましたが、十数年前に一度入った記憶があるだけ。今回じっくりと見てきました。12世紀の素晴らしい壁画があり、仰天!ということで、メモも取ってきたので、やや詳しく書いてみます。
Eastbridge Hospital正面

この建物の簡単な歴史

ホスピタルというと今は病院ですが、中世のホスピタルは今の英語の'host'とか'hospitality'の意味と関連していて、宿泊施設を指します。それも貧しい人のためのものを指すことが多いと思います。このEastbridge Hospitalは、カンタベリーにトマス・ベケットのお墓に参りにやってきた巡礼たちの中でも、一般の宿屋に泊まる余裕のない貧しい人たちを収容するために作られました。ベケットがなくなったのが1170年ですが1180年頃作られました(1176年にはすでに在ったと言う説も)。作ったのはカンタベリーの裕福な商人、Edward FitzOdbold。最初の院長(Master)はRalph Becketで、聖者となったトマスの甥だそうです。そばにはスタウワー川(The Stour)が流れ、橋(The King's Bridge)が架かっており、ここでは通行料の徴収が行われたとの事。川の水が度々ホスピタルの地下室(Undercroft)に浸水したようです。橋の向こうはKing's Mill(水車のついた建物)があり、羊毛製品の製造が行われていたようです。ホスピタルは12世紀の建物なので、基本的にロマネスク様式。この時期はロマネスクからゴシックへの過渡期ですが、一部ゴシック風の部分も見られるとの事(この点は私は良く分かりませんでした)。建物は下から次のような4つの部分から出来ています:
Entrance hall(玄関)
Undercroft(地下室)
Infirmary hall(病気の人などの部屋)
Chapel(礼拝堂)
カンタベリー巡礼は、カトリック信仰が弱まると共に、衰えて来て、巡礼者は少なくなります。16世紀前半には宗教改革で修道院など多くの宗教施設が破壊されましたが、Eastbrige Hospitalは大聖堂の一部などではなかったので生き残りましたが、現実には使われることは少なく、荒れていたことでしょう。1584年ごろには地下室は当初の目的では使われなくなり、その後最近まで石炭の倉庫(coal cellar)として使われました。一方、16世紀の国教会の大司教、マシュー・パーカーがホスピタルを慈善事業のために整備し、チャペルに20人の生徒を収容する学校を設立しました。この学校は1880年まで続き、多くの卒業生を出しています。歴史については、英語版Wikipediaに更に詳しい解説があります。

Entrance Hall(入り口)

ここは大変狭い、言わば玄関の間。天井が地下室などと少し違いました。

そして、地下のUndercroftへ降りていく入り口:

Undercroft(地下室)

ここは巡礼たちの寝所だったとのこと。踏み固めた土の床の上に漆喰を塗り、その上に藁を沢山敷いて寝たそうです。寒かっただろうなあ。何しろ暖房ないんですから。昨日もひんやりして、しばらく居たら、寒がりの私は、かなり体が冷えました。また地下室はほとんど採光もなく、それ以外の部屋も当時は基本的に窓ガラスは大変高価で、大聖堂や一部のお城、お屋敷の窓にしかなかったと思われるので、かなり吹きさらしです。木の、謂わば雨戸、あるいはよろい戸のようなものがあって、夜や雨の時は閉めたとは思いますが、そうなると昼間でも真っ暗でしょう。ただし、中世後半に、いったいどの位の建物、どの位の豊かさの人が、窓ガラスを使ったのか、それは私も知りません。ステンドグラスが残っている大聖堂などは昔からガラスがはめられていたのはもちろんですが、つつましい教区教会などは、当時からガラスがあったのかどうか。また農民や一般の庶民の家はガラスは使わなかったでしょうが、裕福な商人の家はどうでしょうか?ご存知の方がいらしたら是非コメント欄で教えてください。
さて、柱は重々しい造りで、いかにもノルマン風です:

Infirmary Hall(病人の部屋)

2階にあるかなり広々とした広間。この部屋の壁に大きなテンペラ画が描いてあり、吃驚しました。絵は、写真をクリックし、大きな画面でご覧ください。

中央にキリスト。かれを4角で4人の福音書作者が囲むという構図ですが、下の2人は消えており、右上ももう良く見えません。ただ、左上のマタイはまだはっきりしており、名前も書いてあります。

大きさは大体の見当で、上下が約3m、横幅は、上の部分が約4m、下が約2mくらいです。12世紀終わりから、13世紀はじめにかけての製作と考えられていて、ホスピタルが出来た頃の絵。おそらく大聖堂で壁画などを書いていた人の一人('one of the Cathedral school of painters')だろうとのこと。かなり劣化はしているのですが、中世前半の雰囲気を伝える、素朴だが堂々としたキリスト像です。西欧中世の絵でもこういう古いものをみると、キリストがお釈迦様と似ているような気がするのは私だけかしら。

Chapel

3階です。ここは天井の材木が素晴らしい。最初からあるものかどうか分からないですが、とにかく古いのがわかる、見ごたえある天井です。2枚目の写真の画面をクリックして、木の古さを見てください。


昨日は、Eastbridge Hospitalの後、Roman Museumを見学したのですが、その話はまた改めて書ければと思います。

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