2012/03/14

Royal Manuscripts展終了(展示後半の感想)



Royal Manuscripts展、3月13日に最終日を迎えました。結局私は昨日と一昨日続けて行って、計4回行ったことになりました。さすがに4回行けばすべての絵を割合時間をかけて見られたと思います。専門家でないので、鑑賞するといっても限界があるのですが、楽しい時間でした。ちょっと忘れた頃にまた見たいなんて思うんですが、もう終わってしまい残念。

展覧会後半の方にある絵での中で特に印象に残ったのは、Matthew Parisの書いたパレスチナ巡礼のルート・マップ。ロンドンからフランス、イタリアを通る道筋、そしてパレスチナの地図を文章と可愛らしい絵で解説してくれます。13世紀の実用的な観光ガイドとも受け取れます。フランス語の解説が読めればずいぶんのおしろいだろうな。読めなくて悔しいです。パレスチナ、そして十字軍の都市Acre(アッコ、アクレ)の地図にはふたこぶラクダの絵も入っていて、又ドーム状の形の屋根の建物がいくつも書かれています。面白いのは、パレスチナの教会の天井から出ている十字架が横棒がひとつでなく2つ。これはビザンチンで使われたPatriarchal Crossというものか、または東フランスのLorraine Crossというものらしいがどちらなんだろう?十字架の意匠も色々とあるんですねえ。

おそらく巡礼たちを収容したホスピタルがいくらか目につきました(la mansion del hospital seint johan、聖ヨハネのホスピタルの建物、という名前が読めました)。le templeとあったけれど、これは何だろう?la porte [.. .] seint nicholasという門。le chastel le roi de Acreは文字通り、アッコの王のお城かな。ヨルダン川とかベツレヘムなど、私でも何とか分かる名前も。名所絵図というところかな。昔の日本のそれを思わせます。海には船。沢山のオールを漕いで進む船やら、帆をかけて進む船やら。それら船の帆の模様も私には謎。ひとつの船の帆には十字らしきものと何か細かい印、もう一隻の帆にはお馴染みの三日月と星のマークがあります。この時代にはまだイスラムの印とは取られないようなんですが、何を表すんでしょう。全体に、パズルを見ているみたいでした。

Royal Manuscripts展では巡礼用の図とか本はこれ一点みたいでしたが(一点と言っても、たしか8ページでワンセットでした)、巡礼のガイドブック類は沢山書かれたようですね。しかし、作者のMatthew Paris自身は、聖地巡礼には行っていないそうです。大英博物館による写本全体のより詳しい記述と写真はこちらです。

聖書の解説書(グロス、コメンタリー)が何冊かあったのですが、こういう書物にははっきりした伝統的形式があったということを学びました。12世紀頃までは、まず聖書の文章が書かれ(見たテキストは赤字でした)、その後に、その聖書の文章の解説が続くという素直な形式。12世紀頃を境に、聖書本文とグロスを横に並べる形式になったとのこと。Peter Lombardによるパウロの手紙についてのグロスが2つ並んでいたのですが、ひとつは12世紀後半の写本で、前者の古い形式、後者は13世紀の写本で、新しい形式。新しい形式では、ページ全体が2つのコラムに分かれ、更に各コラムがかなりの部分左右に分かれて左に大きな字で聖書の文章、右にグロス。但し、グロスの文章量が圧倒的に多いので、聖書の文章は途中で終わり、後はグロスばかりになります。そのほかにもページの左右のマージンにところどころ細かい字で何か書いてあるけれど、これは見出しかなあ。うーむ、分からないことばかりだなあ。

11-13世紀ごろの百科全書的な写本が何冊かあり、記憶に残りました。この頃、中世のルネッサンスがあり、世界への視野が広がったのでしょう。セビリアのイジドールスのEtimologiae(『語源』)の11世紀末の写本がありました。解説によると、最初の百科事典とみなし得る書物だそうで、その後の多くの書物に影響を与えたとのこと。確か、アルファベット順に書かれているそうです(?)。いくらか挿絵もあり。おそらくカンタベリーで製作されたとのこと。こうした早い時代、カンタベリーの写本工房は大変多くの重要な文献を次々に筆写してたのですねえ。そのイジドールスから多大な影響を受けていると言われるラバーヌス・マウルス(Rabanus Maurus)のDe rerum naturis(『自然界の物事について』)という写本もそばに並んでいました。こちらは聖オールバンズ修道院の製作で12世紀半ばごろ。そうした自然界への関心とともに、地理的な、イングランドの外への関心も生まれたようです。そばには、Gerald of Walesの、Topographia Hibernica(『アイルランド地誌』)。12世紀終わりから13世紀はじめにかけての写本。おそらくリンカーン(都市の名前)での作成。そして地理的な関心はイングランドの周辺部方を超えて海のかなたへも。その次に並んでいたのは、Roman d'Alexandre en Prose and other texts(『アレクサンドロス物語』とその他のテキスト)。14世紀(1340年ごろ)のパリの写本です。こうして並べられてみると、中世半ばのインテリたちの視野が広がっていくのが、写本という形で現れているようですね。そうしているうちに14世紀にはイタリア・ルネッサンスの始まりです。ルネッサンスはそう突然始まったわけでもなさそうです。

書いているときりがないので、今日はこのあたりで。

0 件のコメント:

コメントを投稿