2012/10/31

日仏共同国際シンポジウム「演劇と演劇性」第一日を聞いて


日仏共同国際シンポジウム「演劇と演劇性」第一日を聞いて
(10月30日、早稲田大学、小野記念講堂)

早稲田大学の日仏共同国際シンポジウム「演劇と演劇性」の1日目の講演を聞きに行った。このシンポジウムは3日間行われるが、初日は日仏の中世、および近代初期の演劇と台本について4つの講演があった。私にとっては、後半のフランス中世劇に関する講演2つ(ダルウィン・スミス先生、黒岩卓先生)が特に勉強になった。フランス語の中世演劇では残っているテキストが英語に比べ非常に多いので、相当なバラエティーがあるようだ。これまでヨーロッパ中世劇全体の概論書などでおぼろげに記憶していた事を具体的に説明して貰った。

スミス先生によると、上演洋台本や読書用台本の他にも、特に個人の役者の台詞だけを抜いた巻物(書き抜き台本)も仏語ではある。更に、演出用に劇の概略を書いた省略台本というか、「要約書」があるのは始めて知った。フランスでは俗語の劇の歴史が長いので、時期によって台本の様相もかなり変わって来る。12世紀のアダム劇では、台詞は詩として行分けがされてなくて、紙の端から端までびっしり書かれているというのは、アングロ・サクソンの詩と同じだ。但、アダムとかイブという様な役の名称はちゃんと頭文字で分かるように書いてある。

個人的には、台本と役者の接点について、もっと知りたかった。16世紀のプロの役者は台本を多分読めただろうが、それ以前、特に信心会などの素人役者達は字が読める人ばかりではないだろう。台詞をどうやって記憶したのだろうか。読み聞かせか。書き抜き台本がどのくらい普通であったのか、なかったのかも気になる。

講演の質疑応答で、ダルウィン・スミス氏は、劇の海賊版脚本の刊行に触れ、複数の人が観客に混じって(?)台詞を記憶した、という可能性を示唆していたと思う。確かに、一人では覚えきれない量の台詞も手分けしたり、何回にも分けて覚えれば可能だろう。私は良く知らないが、16世紀のイギリスでも刊行すると他の劇団が勝手に上演するから、商業劇団は刊行を嫌うのが基本だったと思う。しかし、「定本化」という点では、ジョンソンなどは刊本にすることにより、自分の書いたテキストを改変から守ろうとしたのではなかったか、と記憶している。

今日の講演は、シンポジウムの直前に、ある研究者がTwitterで紹介しておられたシェイクスピアのクオート版の成立に関するティファニー・スターンの研究にも関係があって、私にとってタイムリーだった。口から口へ、文字よりも記憶中心の伝達の時代にあって、書き写しがどのくらい使われたのか、興味深い。中世の大学の絵などでは、石版にノートを取る学生が描かれているが。また、シェイクスピア等の台本の刊行が渋られたのに対し、マイナーなインタールードの台本はかなり刊本になっている。ああいった劇は劇の商業的価値が低いので、印刷されても大して損害こうむる人が少ないためだろうか。インタールードの刊行と流布については、商業劇場での大作とは別に考える必要がありそうだ。私の勉強する分野からははずれてくるが。

黒岩先生は、アルヌール・グレバン(15世紀フランスの聖史劇作者)の写本で、完成度が高く古くもある「オリジナル」と称せられるモデルとなる写本以外に、上演に直接使われた写本は、例え未完であったり、不完全な韻律や文章であったり、遅く書かれた写本であっても、上演そのものへ近づくための重要なテキストであり、完成度の高い写本と同様、価値あるテキストだと言われていた。

それにしても、フランスの中世劇は残存するテキストの本数が多くて、羨ましい。またフランスの中世劇で作者の名前が判っている作品が多いらしいのには驚く。イングランドの場合、中世劇プロパーで作者名が判っているのは、(道徳劇を6本程度で区切った場合)いまちょっと考えてもゼロではないか。この差はどこから来るんだろう。残存する作品数の違いが主たる理由だろうが、演劇文化の違いもあるのだろうか?

能や歌舞伎の台本に関する発表(竹本幹夫先生、児玉竜一先生)もあって、私はまったく無知な分野ながら、西欧演劇と比べ色々と通じるものがあると思った。児玉隆一先生によると、日本の演劇では、能と文楽は脚本を公刊し、定本化を進め、歌舞伎、狂言は公刊しないのが常とのこと。更にその他の口承性や即興性の強い芸能(落語、漫才、にわか、等々)の台本も公刊されることはまずないのだそうだ。

全体として、中世・近代初期演劇の批評をするにしても、上演された時代の写本や刊本を良く見る必要があると、改めて実感させられたシンポジウムだった。私の力がなかなかそこまで及ばないのが残念だ。