2021/07/06

池上忠弘監修『カンタベリ物語 共同新訳版』(悠書館)を戴きました。

 学会や研究会でお世話になっている3人の先生方から連名で、池上忠弘監修『カンタベリ物語 共同新訳版』(悠書館、2021年7月刊)をお贈りいただきました。私にまでお心配りいただき深く感謝致しております。手に取ってみると、思った以上の美本です。出版社の紹介ページはこちら。

四六版で、1033頁。上質の紙が使ってあると思います。カバーの写真は『カンタベリ物語』の代表的写本、エルズミア写本の二葉、「メリベウスの話」と「女子修道院長の話」の冒頭が使われています。また本の最初にもカラー図版が4頁あり、エルズミア写本のから23人の巡礼の挿絵が取られています。それぞれのお話とその序は、まず最初に解題が付けられ、話の後には注が付けられるという順序で並んでいます。話の本文の字は割合大きくて、歳を取って目の弱い私にも読みやすいです。ほとんどの話とその解題、注はひとりの方が担当しているようですが、長い話などは数人で分担している場合もあります。i-xi頁は監修者の池上忠弘先生と瀬谷幸男先生による「『カンタベリ物語』の共同新訳によせて」という文章で、そこに詩人の略歴や『カンタベリ物語』全体の概説などが簡潔に記されています。また、最後に狩野晃一先生による「編訳者あとがき」がありこの大作の共同訳というプロジェクトのこれまでの経緯が書かれています。

あとがきによると既にこの構想は1990年代に始まり、その後休眠状態の時もありましたが、2005-09年頃には訳稿が揃いつつあったそうです。それから24人が訳したものを編集して行く作業が大変で、長い時間がかかったようです。訳文の正確さなどをめぐり、編集委員会を作って検討を重ねるうちに長い年月が流れたようです。編集委員会は池上先生を中心に毎月開かれ、まるで大学院の授業のようであったとか。これは24人の優秀な中世文学者の巡礼の旅であったわけです。そして完成、出版に至るまでに監修者の池上先生、河崎征俊先生、松田英先生の3人の碩学が彼岸に旅立たれました。しかし、こうして見事な美しい本として刊行されて、池上先生もあの世でさぞ喜んでおられることでしょう。この綿密な編集プロセスの中に、共同訳の意味があるのだろうと想います。恐らくその間に訳が一層正確で、また、こなれたものになり、ケアレスミスがなくなり、更にそれぞれの翻訳者のチョーサー理解も深化したのではないでしょうか。皆さんの長い年月にわたる努力を知ると、感嘆し、尊敬するしかありません。これから長く愛読させていただきたいと思います。本を贈って下さった3人だけでなく、ひとりのチョーサー愛読者として、翻訳者全員にお礼を申し上げたいと思います。

更に奥付の裏に嬉しいニュースが書いてありました。この書物には「解説編」が出ることになっており、タイトルは『チョーサー巡礼』(仮題)とのこと。オックスフォード大学やケンブリッジ大学の出版局から出されているような、日本語版のチョーサー・コンパニオン/ハンドブック、とでも言うべき本になりそうです。案内によると、目次には次のような項目が含まれるようです:

チョーサーの伝記、『カンタベリ物語』の写本、チョーサーの英語、中世ラテン文学とチョーサー、チョーサーとフランス文学の伝統、クリスチーヌ・ド・ピザン、シャルル・ドルレアン、アングロ・ノルマン文学、チョーサーと中世イタリア文学、耐える女の表象、チョーサー文学の時代背景、14世紀西ヨーロッパ美術の“近代性”、中世の音楽、チョーサー関連年表/文献表など。

凄い項目が並んでいますね。翻訳者の中にこれだけ広い事項について書く人材が揃っているということでしょう。中世後半のイギリス文学事典、といった感じです。出版されるのが楽しみです!

2021/07/03

学会役員・委員の苦境

 去年から学会の委員のお仕事で苦しんでいる方の声を学会のオンライン・ミーティングやニュースレター、あるいはSNSなど、あちこちで聞いたり読んだりする。私の所属学会でも、中堅の先生方に沢山の仕事が押し寄せて、大変気の毒なことになっている。委員長が、他の学会の委員長もやっていたり、委員の後任が見つからず、任期を延長して務めたりされている。こういうのを「やり甲斐詐欺」だという声も時々聞く。誰かがこうした役員の方々を「詐欺」、つまり意図的に欺しているというわけではないだろうけど、仕事を押しつけられた方々はそう思いたいのも良く分かる。苦しんでいるのに無理解、あるいは分かっていても見て見ぬ振り、と思われるかも知れない。

私の分野において、こうした苦境の主な原因は外国文学・語学系のポストの減少による学会員数の急速な減少。それに伴い、複数学会の役員の仕事を兼務したり、そうした多忙な仕事を次々と休む期間もなくやったりされている。もう一つの要因は、外国文学・語学の分野で、学会・研究会が増えたこと。会員数は急速に減っているのに、必要な役員数は、会員が一番多い時代と変わらないか、増えてしまっている。当然、兼務をされる方も増える。そうして、役員に推挙される方々は、能力や人望があり、研究面で原稿依頼や口頭発表依頼、講演依頼などの仕事も多く、また大学内の仕事も頼まれやすい。授業準備でも熱心な方がほとんどだろう。そうなると四面楚歌という感じになる。更に、この1年半は、オンライン授業による授業準備の急激な増加や、オンライン学会開催準備のための様々な苦労も重なったことと思う。

学会役員として苦しんでいる方々は、引退しているのに注文だけはつける老人達とか、様々な学会のサービスを享受しているが会費を払っているだけで仕事を分担していない一部の会員に対して腹立たしく思っている事だろう。私も会費を払っているだけで、引退した老人会員なので、大変申し訳ない気持ちでいっぱいだ。だが、私が何か実務作業が出来るわけでもないし、その能力も、またいつも半病人なので雑務をやる健康も持ち合わせない。

当面出来る事としては、アルバイトなどを活用するという手がある。しかし、これが意外と大変なのだ。信頼出来る学生を見つけるのは難しかったり、時給があまり出せなかったりするし、アルバイトを雇えばそれに伴って、会計処理も増え、書類も増加する。かっては多くの学会が学会事務を、事務請け負い会社に任せていたが、その会社が詐欺を働いて多額の損害が出たこともあった。大きな学会ではパートの職員を長年雇っているところもあるが、長年パート職員を雇うと、学会費収入が減少しつつある現在、こうした職員の継続雇用が難しくなり、非常に難しい雇用問題が発生しかねない。とにかく、会員数の減少に応じて、思い切って、学会もその数と事業を縮小しなければならないと思う。但、反対もあるだろうから、意見を取りまとめて撤退すべきところは撤退するという計画を立てて実行すること自体、大変な労力を要する。それで、ご自分の任期の間何とか無理を承知で頑張り、後任に後の事は任すということになりがち。ずっとそうしてきた結果、今、大変なことになっている。最終的には、役職の引き受け手がなくなれば、学会の事業の縮小や廃止、学会自体の解散などをやらざるを得ないから、これ以上無理と思われる先生方が、はっきりそう言って役員を断ることからしか、抜本的な変化は起こらないかも知れない。

学会は引退者の余生の生き甲斐に奉仕するためのものではない。今中堅で活躍している方々の研究・教育活動を助け、それに大きな支障のない程度の活動でないと意味がない。活動内容や存続自体を会員数に合わせて柔軟に変えていかないと、会員を不幸にするばかりだろう。