先日来、ETVのハートネットTVで「平成が残した宿題」というシリーズが放送され、セクシュアル・ハラスメント、ジェンダー格差、ひきこもり、などと共に、自殺が取り上げられた。平成の間に自殺で亡くなられた方は約80万人。少ない年でも2万1千人以上、多い年は3万4千人を超える人が自ら命を絶った。
自殺者の陰には、彼らの遺族がいる。亡くなった人と同じくらい苦しんでおられるご家族が80万人の何倍かいらして、一生そのトラウマ、そしておそらくは家族を死なせてしまったという罪悪感、を抱えて生きていかねばならない。
この30数年の間に私が知り合った人々の中にも、自殺した人が3人いる。3人とも、親しくつきあっていて個人的なことを話せるような関係ではなかったが、何か声をかけたり、メールを出したりして悩みをやわらげる機会は無かったものか、後悔が残る。
番組では色々な自治体やコミュニティー、NGOなどの取り組みが成果をあげて、近年自殺者数が目に見えて減りつつあることが紹介されていた。出演者が言われている事だが、自殺とか鬱病といった問題は、日本では「素人が関わることではなく、専門家に任せるべき」と考える人が多くて、結果的に苦しんでいる人々をほったらかしにしてきたそうだ。しかし、今成果を上げている方策は、一般の人達が地域で声かけをして、自殺予防に繋げているそうだ。
2018/12/19
2018/09/15
NHK ハートネットTV「歴史部のぼく」
9月12日のETV「ハートネットTV」は「歴史部のぼく」と題された一種のドキュメンタリーだった。ぱっとしない、地味で内向的な39才の中年男性の城秀樹さん(テレビ・ディレクター)が主人公。自分の孤独な高校生時代を振り返り、当時の3人の男子クラスメート(生徒会長、サッカー部のスター、やはり孤独で謎の行動を取る生徒)を訪ね歩くという番組。
ディレクターの男性は、人間関係の構築が苦手な、口下手な男性で、私も似ていて、共感できる面が大いにあった。私には彼だけでも充分に面白いのだが、彼のクラスメート達が度外れてユニークで、とっても楽しい。
まず会ったのは、当時生徒会長だった男性。どのグループ(スクール・カースト)にも入り込まず、誰とでも楽しく話が出来るスキルみたいなものを持っていたようだ。そういう人だから城さんとも仲良く話してくれた。でも昼休みは他の人とサッカーをしていて、城さんはひとりで、ちょっと寂しかった。城さん自身はそういう時はひとりで本を読んでいた。この人、今は大学の英語講師になっている。スマートで長めの髪でカジュアルな雰囲気。いかにも大学の先生という印象を与える。でもその自由な感じから、多分非常勤講師じゃないかと思った(組織に属している専任の人達は、何となく堅苦しい雰囲気がある場合が多い)。城さんが、クラスに溶け込めなかった自分について語ると、彼は、「嫌なら行かなきゃ良いんだよ」みたいなことを言う。実際、彼自身も生徒会長なのに3分の1くらい欠席していたそうだ。何だ、それ、ほとんど不登校じゃん(^_^)。飄々としていて、39才の今も若々しく、魅力的な好男子。
次に城さんが会ったのは、格好良いサッカー部のスター。城さんにとっては最もまぶしい存在だった。会った場所はライブハウス。何と今はミュージシャンとしてバンドをやっている(そんなに売れてそうもないけれど)。サッカーの方はクラブ活動どまりでそれで生きていくほどには才能が開花せず、好きな音楽の世界に進んでいて、色々と苦労もしていそうだ。でも、若々しく、楽しそうに生きていて、迷わず自分の好きな道に進んだ人のすがすがしさが漂う。高校時代は部活、部活で一日中忙しくて余裕のない毎日だったらしい。
3人目は、クラスで城さん以上にひとりで悠々と我が道を行っていた正体不明の男の子。現れたのはカフェやゲストハウスを経営する実業家。でも見た目はヒッピー風(^_^)。高校時代は突然黒板に詩を書いてみたり、他の生徒に手紙を出したり(恋文ではなく、単なる手紙だそう)。昼休みはひとりで校内の散歩。孤独感は全くなくて、不幸ではなかったみたい。当時もユニーク、今もユニーク。
これはスクール・カーストを大人になった男性の視点から考える番組だったけど、中年になった個性的な男性達の生き方を見せてくれて、とっても楽しいドキュメンタリーだった。4人の中では、城さんが未だに青春の迷いをひきずっているみたいだけど、迷いながら生きるのも良いし、そんな彼はテレビのディレクターに向いていそうだ。
ディレクターの男性は、人間関係の構築が苦手な、口下手な男性で、私も似ていて、共感できる面が大いにあった。私には彼だけでも充分に面白いのだが、彼のクラスメート達が度外れてユニークで、とっても楽しい。
まず会ったのは、当時生徒会長だった男性。どのグループ(スクール・カースト)にも入り込まず、誰とでも楽しく話が出来るスキルみたいなものを持っていたようだ。そういう人だから城さんとも仲良く話してくれた。でも昼休みは他の人とサッカーをしていて、城さんはひとりで、ちょっと寂しかった。城さん自身はそういう時はひとりで本を読んでいた。この人、今は大学の英語講師になっている。スマートで長めの髪でカジュアルな雰囲気。いかにも大学の先生という印象を与える。でもその自由な感じから、多分非常勤講師じゃないかと思った(組織に属している専任の人達は、何となく堅苦しい雰囲気がある場合が多い)。城さんが、クラスに溶け込めなかった自分について語ると、彼は、「嫌なら行かなきゃ良いんだよ」みたいなことを言う。実際、彼自身も生徒会長なのに3分の1くらい欠席していたそうだ。何だ、それ、ほとんど不登校じゃん(^_^)。飄々としていて、39才の今も若々しく、魅力的な好男子。
次に城さんが会ったのは、格好良いサッカー部のスター。城さんにとっては最もまぶしい存在だった。会った場所はライブハウス。何と今はミュージシャンとしてバンドをやっている(そんなに売れてそうもないけれど)。サッカーの方はクラブ活動どまりでそれで生きていくほどには才能が開花せず、好きな音楽の世界に進んでいて、色々と苦労もしていそうだ。でも、若々しく、楽しそうに生きていて、迷わず自分の好きな道に進んだ人のすがすがしさが漂う。高校時代は部活、部活で一日中忙しくて余裕のない毎日だったらしい。
3人目は、クラスで城さん以上にひとりで悠々と我が道を行っていた正体不明の男の子。現れたのはカフェやゲストハウスを経営する実業家。でも見た目はヒッピー風(^_^)。高校時代は突然黒板に詩を書いてみたり、他の生徒に手紙を出したり(恋文ではなく、単なる手紙だそう)。昼休みはひとりで校内の散歩。孤独感は全くなくて、不幸ではなかったみたい。当時もユニーク、今もユニーク。
これはスクール・カーストを大人になった男性の視点から考える番組だったけど、中年になった個性的な男性達の生き方を見せてくれて、とっても楽しいドキュメンタリーだった。4人の中では、城さんが未だに青春の迷いをひきずっているみたいだけど、迷いながら生きるのも良いし、そんな彼はテレビのディレクターに向いていそうだ。
2018/09/13
NHK ETV特集「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~」
8月18日に放送され、録画しておいたこの番組をやっと見た。小林多喜二の拷問による獄中死とか、共産党員の弾圧はよく知られているが、治安維持法が如何に拡大解釈されたかは私はよく理解していなかった。治安維持法が、共産党対策から、共産主義には関心も知識も無い一般大衆を統制するのに使われるようになった経緯は、天皇の緊急勅令による拡大解釈があった。特に、この法律の下、日本人以上に植民地の人々が苦しめられたことが明らかにされている。日本本土では、拷問による死はあったが、この法律の下での正規の死刑は科せられなかった。しかし、朝鮮では59人が死刑になった。共産党弾圧に始まった取り締まりは、やがて、労働組合員や組合関連の会合や読書会に出た人、新築地劇団などの劇団員等の文化人、燈台社など平和主義のキリスト教の信者、なども含まれるようになる。共産党員の家族も取り調べを受け、番組に登場した女性は14才で勾留され、手の爪を痛めつけられるなどの拷問で取り調べを受けた。その時の恐怖は100才近い今もトラウマとして残る。共産主義者を法廷で弁護した弁護士もまたこの悪法により検挙され、共産主義者を裁く法廷には弁護士がつきたくてもつけない、という法治国家と言えない状況が生まれる。更には、検挙者には単に庶民の人物画を描いていた高校生もいた。特高は共産主義が何かも知らない学生に「自白しろ」と迫り、無理矢理無知な若者に共産主義者であるとの嘘の自白をさせた。特高のこうした自白偏重はその後、日本の刑事司法の伝統になり、今の警察や司法に受け継がれたと、番組に登場した刑法学者は言う。この点は本当に重要だ。
特高に取り調べられた人は、20年間で10万1654人。第2次大戦後、特高警察にいた人々は罷免されたそうだが、罪を問われてはいないだろう。45年前から、治安維持法の被害者や支援者が、国に対して謝罪や実態調査をして欲しいという請願運動を続けているが、国はまったく応じていない。国の姿勢は、「治安維持法は当時適切に制定されたものであり、この法律による勾留・拘禁については謝罪や調査の必要はない」というものである(金田勝年元法務大臣の弁)。この非人道的答弁を見ても現政府が戦前の全体主義国家の要素を引きずっていることが分かり戦慄する。
治安維持法が作った悪しき伝統は今も脈々と引き継がれ、司法における自白偏重、警察と検察の無謬の原則、検察に刑事告訴された人の100パーセント近くが有罪になるという異様な現在の日本の司法を生んでいると言えるのではないか。日本では戦後が終わっていないどころか、これらの被害者やその家族にとっては、戦前も終わっていない。
特高に取り調べられた人は、20年間で10万1654人。第2次大戦後、特高警察にいた人々は罷免されたそうだが、罪を問われてはいないだろう。45年前から、治安維持法の被害者や支援者が、国に対して謝罪や実態調査をして欲しいという請願運動を続けているが、国はまったく応じていない。国の姿勢は、「治安維持法は当時適切に制定されたものであり、この法律による勾留・拘禁については謝罪や調査の必要はない」というものである(金田勝年元法務大臣の弁)。この非人道的答弁を見ても現政府が戦前の全体主義国家の要素を引きずっていることが分かり戦慄する。
治安維持法が作った悪しき伝統は今も脈々と引き継がれ、司法における自白偏重、警察と検察の無謬の原則、検察に刑事告訴された人の100パーセント近くが有罪になるという異様な現在の日本の司法を生んでいると言えるのではないか。日本では戦後が終わっていないどころか、これらの被害者やその家族にとっては、戦前も終わっていない。
2018/04/18
NHK BS 1 スペシャル「ブレイブ 勇敢なる者 『えん罪弁護士』完全版」
4月15日の夜放送されたNHKのドキュメンタリー、BS 1 スペシャル「ブレイブ 勇敢なる者『えん罪弁護士』完全版」を見ました。冤罪事件の弁護に生涯をかけて取り組んできた今村核弁護士を追った番組です。
日本の刑事司法では、有罪率が99.9パーセントだそうです(下に書いているようにシステム自体が違うのですが、西欧や米では70〜80パーセントだそうです)。日本には裁判所は要らない、裁判官は検察と一体、という状況が日本の刑事司法です。被告は国際的にも非難され続けている長期拘留制度(所謂「代用監獄」)で精神的に追い詰められ、やってもない犯罪をやったと自白をします。精神的拷問です。司法がまともに機能していない国には、本当の民主主義はありません。その意味で、日本はまだ形だけの民主国家だと思います。
刑事司法では、リーズナブルな疑いが残るときには有罪判決は出せない、というのが国際的な原則です。ところが日本の裁判では、犯人であるとの疑いが濃いと警察や検察が考える時は、裁判所も有罪判決を出すので、弁護側は、被告が絶対に無罪であることを証明しないといけません。これは本末転倒です。お金も人も専門家もいない被告側弁護士が、そんな証明は出来ません。精々出来るのは情状酌量を求めるくらいです。ですので、日本の刑事裁判は皆有罪判決となり、被告はまずは言われた罪をそのまま認めた上で、お上の情けを歎願するのです。江戸時代と変わりません。
今村弁護士は元々この番組が作られた2016年までで、14件の無罪判決を勝ち取っています。普通の弁護士だと、刑事裁判で無罪を勝ち取るのは、一生涯で1件あるかないかだということで、14件の無罪というのはもの凄い数だそうです。彼がどうやるかというと、現場を再検証し、警察により提出された証拠や証人を再度見直し、新しい専門家を捜し、時には実証試験をして、事件を一から洗い直すのです。ほとんど収入にはなりません。それどころか、カンパを募って何とか賄うわけです。弁護士事務所の同僚からは変人、偏屈と見られ、事務所に収入をもたらさないので困った人と考える同僚もおり、あれでは家族は養えない、という貧乏暮らしなので独身です。でも、本当に正義感と他者への思いやりをそのまま真っ直ぐに実践して生きてきた方です。
映画館で何千円も出して見ても良い程の番組でした。テレビ番組でこれほど考えさせられ、また感銘を受けたことは滅多にありません。私も、博論のための研究で裁判や法のテーマをかじったから尚更でした。
今村さんの仕事への情熱にも胸を打たれましたが、それ以上に、日本の司法の救いようもない闇を見せられて暗澹たる気持ちになりました。日本の場合、有罪か無罪かの実質的な判断を下すのは検察です。検察は各事件を慎重に吟味して、無罪判決になりそうなケースは起訴猶予にします。その慎重さは良いとも言えるのですが、しかし、その陰では無罪判決の可能性が高いと言うことで沢山の犯罪被害者が検察に起訴して貰えずに泣き寝入りしているのではないでしょうか。更に検察は有罪に絶対に自信のあるケースだけを裁判にかけるので、今度は何が何でも有罪判決を勝ち取ることに必死になり、負けると大失態と考えるでしょう。刑事裁判とは、有罪となる証拠証人を検察が提出し、弁護側はそれらの問題を指摘し、裁判官(場合により陪審員も加わり)が公正中立な立場で判断を下す場所でしょう。でも日本では、裁判官よりも検察官が実際上、裁判以前に「判決」を下していると言えるでしょう。つまり国民は「お上」の判断の丸呑みをしているわけです。陪審員制度が出来たときに、普通の国民が司法の判断に加わるなんて難しすぎて出来ない、という人が沢山いましたが、そういう日本国民の考え方、司法は専門家に任せておけば良い、という考えが、いびつな司法を野放しにしていると感じます。
この番組を見て、改めて怖いと思いました。
日本の刑事司法では、有罪率が99.9パーセントだそうです(下に書いているようにシステム自体が違うのですが、西欧や米では70〜80パーセントだそうです)。日本には裁判所は要らない、裁判官は検察と一体、という状況が日本の刑事司法です。被告は国際的にも非難され続けている長期拘留制度(所謂「代用監獄」)で精神的に追い詰められ、やってもない犯罪をやったと自白をします。精神的拷問です。司法がまともに機能していない国には、本当の民主主義はありません。その意味で、日本はまだ形だけの民主国家だと思います。
刑事司法では、リーズナブルな疑いが残るときには有罪判決は出せない、というのが国際的な原則です。ところが日本の裁判では、犯人であるとの疑いが濃いと警察や検察が考える時は、裁判所も有罪判決を出すので、弁護側は、被告が絶対に無罪であることを証明しないといけません。これは本末転倒です。お金も人も専門家もいない被告側弁護士が、そんな証明は出来ません。精々出来るのは情状酌量を求めるくらいです。ですので、日本の刑事裁判は皆有罪判決となり、被告はまずは言われた罪をそのまま認めた上で、お上の情けを歎願するのです。江戸時代と変わりません。
今村弁護士は元々この番組が作られた2016年までで、14件の無罪判決を勝ち取っています。普通の弁護士だと、刑事裁判で無罪を勝ち取るのは、一生涯で1件あるかないかだということで、14件の無罪というのはもの凄い数だそうです。彼がどうやるかというと、現場を再検証し、警察により提出された証拠や証人を再度見直し、新しい専門家を捜し、時には実証試験をして、事件を一から洗い直すのです。ほとんど収入にはなりません。それどころか、カンパを募って何とか賄うわけです。弁護士事務所の同僚からは変人、偏屈と見られ、事務所に収入をもたらさないので困った人と考える同僚もおり、あれでは家族は養えない、という貧乏暮らしなので独身です。でも、本当に正義感と他者への思いやりをそのまま真っ直ぐに実践して生きてきた方です。
映画館で何千円も出して見ても良い程の番組でした。テレビ番組でこれほど考えさせられ、また感銘を受けたことは滅多にありません。私も、博論のための研究で裁判や法のテーマをかじったから尚更でした。
今村さんの仕事への情熱にも胸を打たれましたが、それ以上に、日本の司法の救いようもない闇を見せられて暗澹たる気持ちになりました。日本の場合、有罪か無罪かの実質的な判断を下すのは検察です。検察は各事件を慎重に吟味して、無罪判決になりそうなケースは起訴猶予にします。その慎重さは良いとも言えるのですが、しかし、その陰では無罪判決の可能性が高いと言うことで沢山の犯罪被害者が検察に起訴して貰えずに泣き寝入りしているのではないでしょうか。更に検察は有罪に絶対に自信のあるケースだけを裁判にかけるので、今度は何が何でも有罪判決を勝ち取ることに必死になり、負けると大失態と考えるでしょう。刑事裁判とは、有罪となる証拠証人を検察が提出し、弁護側はそれらの問題を指摘し、裁判官(場合により陪審員も加わり)が公正中立な立場で判断を下す場所でしょう。でも日本では、裁判官よりも検察官が実際上、裁判以前に「判決」を下していると言えるでしょう。つまり国民は「お上」の判断の丸呑みをしているわけです。陪審員制度が出来たときに、普通の国民が司法の判断に加わるなんて難しすぎて出来ない、という人が沢山いましたが、そういう日本国民の考え方、司法は専門家に任せておけば良い、という考えが、いびつな司法を野放しにしていると感じます。
この番組を見て、改めて怖いと思いました。
2018/02/07
NHK ETV特集「長すぎた入院:精神医療・知られざる実態」
2月5日、月曜に放送されたNHK ETV特集「長すぎた入院:精神医療・知られざる実態」を見た。
福島第一の原発事故の為に周辺にあった5つの病院から多数の患者が他の病院に移された。その結果、それらの患者の多く、いや大多数が最早入院の必要のない人だと分かった。そうした患者を一時的に受け入れて診断し、入院の必要のない人は社会に戻す手助けをしている矢吹病院の医師によると、受け入れた40人のうち、入院治療の必要な患者はたったの2人、つまり5パーセントに過ぎないという。多くの患者は数十年入院を強いられたまま、つまり社会的入院という監獄に入れられた状態で人生を終えつつある中高年の収容者である。番組が追う元患者「時男」さんも、青年期に統合失調症で入院し、その後症状は改善し、今は普通の人以上に普通の健康な精神を持つ大変真面目な性格の人のようだが、根強い差別の中で、家族からも見放され、受け入れる人も場所もないまま、原発事故で退院のきっかけをつかむまで、39年間もの間放っておかれた。「自分にとっては、原発事故があって本当に良かった」、と彼は言う。出たい、自由になりたい、と思い続けてきた彼は、まさに袴田さんのようなえん罪被害者と同じ。矢吹病院にやってきた長期入院者の中には、夫が酒乱で入院し、それと一緒に何の精神病も患ってない妻まで入院させられ、そのまま無実の囚人のように閉じ込められた女性も含まれていた(彼女には軽い知的障害があり、自分を守ることが出来なかったのである)。日本は、北朝鮮を笑えない収容所列島である。これらの患者を収容していた病院は、事実上、患者を食いものにして経営されていたわけだし、こういう状態を日本の精神医療の関係者や厚労省は放置してきたわけだ。「時男」さんが若い頃彼を診察していた一人の医師が言うには、当時時男さんが居た病院は、患者200人に対し、医師は一人だけという状態だったそうである。また、地域の差別の中で家族も退院を望むのをためらう。長期入院者の家族にとっては、精神病院は謂わば大昔の座敷牢と化していた。
福島第一の原発事故の為に周辺にあった5つの病院から多数の患者が他の病院に移された。その結果、それらの患者の多く、いや大多数が最早入院の必要のない人だと分かった。そうした患者を一時的に受け入れて診断し、入院の必要のない人は社会に戻す手助けをしている矢吹病院の医師によると、受け入れた40人のうち、入院治療の必要な患者はたったの2人、つまり5パーセントに過ぎないという。多くの患者は数十年入院を強いられたまま、つまり社会的入院という監獄に入れられた状態で人生を終えつつある中高年の収容者である。番組が追う元患者「時男」さんも、青年期に統合失調症で入院し、その後症状は改善し、今は普通の人以上に普通の健康な精神を持つ大変真面目な性格の人のようだが、根強い差別の中で、家族からも見放され、受け入れる人も場所もないまま、原発事故で退院のきっかけをつかむまで、39年間もの間放っておかれた。「自分にとっては、原発事故があって本当に良かった」、と彼は言う。出たい、自由になりたい、と思い続けてきた彼は、まさに袴田さんのようなえん罪被害者と同じ。矢吹病院にやってきた長期入院者の中には、夫が酒乱で入院し、それと一緒に何の精神病も患ってない妻まで入院させられ、そのまま無実の囚人のように閉じ込められた女性も含まれていた(彼女には軽い知的障害があり、自分を守ることが出来なかったのである)。日本は、北朝鮮を笑えない収容所列島である。これらの患者を収容していた病院は、事実上、患者を食いものにして経営されていたわけだし、こういう状態を日本の精神医療の関係者や厚労省は放置してきたわけだ。「時男」さんが若い頃彼を診察していた一人の医師が言うには、当時時男さんが居た病院は、患者200人に対し、医師は一人だけという状態だったそうである。また、地域の差別の中で家族も退院を望むのをためらう。長期入院者の家族にとっては、精神病院は謂わば大昔の座敷牢と化していた。
「普通」から外れ、少数者になると、どこまでも差別され、人間扱いされなくなるのが日本の社会。この国は本当に恐ろしいと、道行く「普通の」人々を見て思う。
原発事故で幸いにも外に出られた時男さんのような人の背後には、日本中で数万人、十数万人の長期入院者がいる。その人達の多くは、おそらく入院の必要のない、謂わば囚人なのだろう。番組で紹介されたデータでは、日本には世界の精神科病床のおよそ2割が集中、平均の入院日数は、他の先進国の精神病院では28日、日本ではその約10倍の270日。日本の精神病院に1年以上入院している人18万人、5年以上の人も1万人いるそうだ。
何故我々日本人はこれほどまでに冷たくなれるんだろう。親切な人も沢山いるのに・・・。私にはよく分からない。背筋が冷たくなる番組だった。
原発事故で幸いにも外に出られた時男さんのような人の背後には、日本中で数万人、十数万人の長期入院者がいる。その人達の多くは、おそらく入院の必要のない、謂わば囚人なのだろう。番組で紹介されたデータでは、日本には世界の精神科病床のおよそ2割が集中、平均の入院日数は、他の先進国の精神病院では28日、日本ではその約10倍の270日。日本の精神病院に1年以上入院している人18万人、5年以上の人も1万人いるそうだ。
何故我々日本人はこれほどまでに冷たくなれるんだろう。親切な人も沢山いるのに・・・。私にはよく分からない。背筋が冷たくなる番組だった。
2017/12/13
NHK BSスペシャル「戦争を知らない子供達へ」
NHK BS1で「戦争を知らない子供達へ」の再放送を視聴した。沖縄戦でゲリラ兵としてかり出された14~16歳の10代の少年達からなる「御郷隊」という少年ゲリラ部隊。1780名が招集され、約半数が死亡したそうだ(ウィキペディアによる)。軍部の違法な招集方法、同じ村で育った仲間の死を身近に見続けるという悲惨な体験、そして精神をむしばまれ、精神病院に監禁された人もいた。アメリカ軍が占領した自分の村に、上官の命令で火を放った少年もいた。少年達が立てこもった恩納岳の野戦病院では、歩けず足手まといになる(少年も含めての)負傷兵を軍医が撃ち殺した。ある少年兵は、共に戦った友人が歩けなくなった途端に撃ち殺された。彼はこのことを遺族に伝えられず今に至り、この番組の撮影を契機に始めて友人の兄弟に会って、死の経緯を伝えることとなった。苦しみ続けた戦後の現実を本人達の証言と、一部はアニメによる再現で構成している。
これは、イスラム国やアルカイダが今やっていることと同じ。国ごと日本はアルカイダだった。
その沖縄で、今日も軍事ヘリコプターの部品(窓)が小学校の校庭に落下し、一部は児童の体にも当たった。日本では沖縄だけが敵の上陸を経験し、その地では基地が集中して、戦争は完全に終わってない。
御郷隊(鉄血勤皇隊)についてのウィキペディアの解説
これは、イスラム国やアルカイダが今やっていることと同じ。国ごと日本はアルカイダだった。
その沖縄で、今日も軍事ヘリコプターの部品(窓)が小学校の校庭に落下し、一部は児童の体にも当たった。日本では沖縄だけが敵の上陸を経験し、その地では基地が集中して、戦争は完全に終わってない。
御郷隊(鉄血勤皇隊)についてのウィキペディアの解説
2017/08/20
NHK ETV特集「原爆と沈黙〜長崎浦上の受難〜」
録画しておいたETV特集「原爆と沈黙〜長崎浦上の受難〜」を見た。
長崎の浦上にはカトリック教徒のコミュニティーと被差別部落があった。彼らは長崎市民でありながら、原爆被害者として、そして部落の出身者は更に被差別部落民として二重の差別を受け、沈黙を強いられ、浦上を離れていった。原爆で家族を殺され、後遺症に苦しんだ者同士でありながら、他の市民は部落の人々を差別した。更に、散り散りになった人たちは、移住した先でまた原爆被害者として差別に合う。また、浦上のキリスト教徒と被差別部落は、江戸時代において、権力に利用されて対立を迫られた。幕末には被差別部落民の協力によって多数の隠れキリシタンが弾圧されるという事件もあった。元々あった差別や敵愾心が、原爆によって固定化された面もあったのかもしれない。原爆の恐ろしさが、広島の人々によってより強く伝えられ、原爆ドームが原爆の恐ろしさのシンボルになった陰に、長崎の多くの被爆者の長い間の沈黙があったのかもしれず、それには歴史的背景があったのだろう。
長崎の浦上にはカトリック教徒のコミュニティーと被差別部落があった。彼らは長崎市民でありながら、原爆被害者として、そして部落の出身者は更に被差別部落民として二重の差別を受け、沈黙を強いられ、浦上を離れていった。原爆で家族を殺され、後遺症に苦しんだ者同士でありながら、他の市民は部落の人々を差別した。更に、散り散りになった人たちは、移住した先でまた原爆被害者として差別に合う。また、浦上のキリスト教徒と被差別部落は、江戸時代において、権力に利用されて対立を迫られた。幕末には被差別部落民の協力によって多数の隠れキリシタンが弾圧されるという事件もあった。元々あった差別や敵愾心が、原爆によって固定化された面もあったのかもしれない。原爆の恐ろしさが、広島の人々によってより強く伝えられ、原爆ドームが原爆の恐ろしさのシンボルになった陰に、長崎の多くの被爆者の長い間の沈黙があったのかもしれず、それには歴史的背景があったのだろう。
NHK BS1スペシャル「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」
お盆前後の時期、実家に帰省したり、海外にいたりで、自宅でじっくり戦争に関するテレビ番組を見ることが少なかったが、今年は色々見ている。録画しておいたNHK BS1 のドキュメンタリー「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」で、浦上天主堂廃墟の破壊について見た。
当時の市長とカトリック教会長崎大司教が、多くの市民や議会の反対を押し切って破壊を決断したこと以外、はっきりしたことは分からないという結論。番組は、遺族や教会関係者などの証言を中心に、過去の痕跡を消して復興を進めようとした二人に同情的な終わり方となっている。
西洋文明の象徴であるカテドラルを、これまた西洋文明が生んだ究極の凶器、原爆が破壊したのであるから、この廃墟が残っていたら、広島の原爆ドームを超える痛みを与えるシンボルとなっただろう。それ故にまた、もう見たくないという人も多かっただろうと推測する。東北大震災の震災遺構にも似た事情は色々とあっただろう。しかし、今となってみれば、破壊されたのは、歴史の教訓の継承にとっては大きな損失と思えた。
当時の市長とカトリック教会長崎大司教が、多くの市民や議会の反対を押し切って破壊を決断したこと以外、はっきりしたことは分からないという結論。番組は、遺族や教会関係者などの証言を中心に、過去の痕跡を消して復興を進めようとした二人に同情的な終わり方となっている。
西洋文明の象徴であるカテドラルを、これまた西洋文明が生んだ究極の凶器、原爆が破壊したのであるから、この廃墟が残っていたら、広島の原爆ドームを超える痛みを与えるシンボルとなっただろう。それ故にまた、もう見たくないという人も多かっただろうと推測する。東北大震災の震災遺構にも似た事情は色々とあっただろう。しかし、今となってみれば、破壊されたのは、歴史の教訓の継承にとっては大きな損失と思えた。
2016/02/10
【テレビ番組】NHK ETV、ハートネットTV 「待ちわびて—袴田巌死刑囚 姉と生きる今—」
ハートネットTV「待ちわびて—袴田巌死刑囚 姉と生きる今—」 2016年2月9日午後8時放送
最近もETVの福祉番組「ハートネットTV」で、良い企画が続いている。2月9日は、死刑囚だが、2014年3月に刑の執行と拘禁が停止されて、釈放された袴田巌(はかまだ いわお)さんのドキュメントだった。30分の番組だし、福祉の番組であるから、冤罪が生まれた経緯などは触れられず、袴田さんが50年近い死刑囚としての拘禁生活の中で、如何に精神をむしばまれてしまったか、今、どうされているか、を淡々と映していた。
番組ホームページ
彼は、いつやって来るともしれぬ死刑におののきながら生きていたが、拘禁生活が20年以上経った頃から、妄想に襲われるようになり、現在に至るまで、支離滅裂な、常識では判断できない言葉を放ちつつ生きておられる。釈放の後、3ヶ月ほど精神病院に入院されたが、その後は自宅で暮らしている。穏やかな人で、お姉さんの暖かい愛情に包まれた、静かな毎日を過ごされているようだ。時々、勝手に出かけて、いつ帰ってくるか分からないところは認知症の人みたいでもあるが、必ず、お姉さんの待つ家に帰ってくる。饅頭や菓子パンが好きらしく、一万円札出して、菓子パンを一度に20個くらい買っているシーンが出てきて、微笑ましかった。そういうことなど、お姉さんは刑務所に入っていた間に出来なかったことを、なるべく彼の思うようにやらせたいと言われている。
このお姉さんが凄い。彼の事を思いつつ亡くなられた母親に代わって、自分が弟の母となって、独身を貫きつつ、彼の冤罪を晴らすために一生を費やし、今は、彼の病んだ心が徐々に快復していくのを待ち続けている。実の母親でもなかなか持てない深い愛情と、強い精神の持ち主である。
それにしても、袴田さんは釈放後も依然として死刑囚である。それは、検察が静岡地裁の判断に不服を唱えて、すぐに即時抗告を行ったからだ。つまり、袴田さんは、理論的には、再度収監され、死刑が執行される可能性させ残されているわけだ。但し、あの高齢で、しかも検察側の論拠は今やずたずたの有様らしいから、まずそういうことは起こらないだろうけれど。検察官達は本当に今でも袴田巌さんが有罪と思っているのだろうか?裁判とは真実を明るみに出して、罪を犯したことが疑いようのない人には罪を償わせ、そうでない人は釈放するべき仕組みであるはず。英語で言うと、"beyond reasonable doubt" ということになるはずだ。ところが、日本の司法では、一旦判断が下されると、検察も裁判所も決して過ちを認めないことが多いように見える。真実が問題ではなく、組織の権威の維持や裁判の勝ち負けを優先しているように見える。その発想は、今になっても、封建時代の「お上」による評定所のようだ。むしろ、捜査や起訴段階での間違いや不十分さを良く検証し、その結果を公開して、今後このようなことが起こらないよう社会の一員として考え努力することこそ、すぐれた組織のすべきことではないだろうか。自浄作用のある組織であると証明することが、市民の尊敬と信頼を生むと思うのだが。
私は近年、中世イングランドの裁判を勉強していて、それが、欠点だらけではあるが、如何に長い歴史と人々の経験の積み重ねから出来た制度か段々分かってきた。イングランドの裁判制度は、基本的に、市民が集まり知恵を出し合って判断するという民主主義の制度の一環として存在し、そのため、陪審員が最も重要な役割を担う。裁判長は法的にわかりにくい点を説明することはあっても、基本的な役割は裁判の司会役にしか過ぎない(その点で、日本の裁判員制度とは大きく異なる)。有罪、無罪を決めるのは別室で相談する市民達である。一方、日本では、長らく市民から遠いところで、職業裁判官、検察官、警察官などの専門家のみによって、犯罪者がベルトコンベヤー式に処理されてきたと言える。日本もやっと裁判員制度が出来て、少しは風通しが良くなることを願いたい。
この番組は、2月16日午後1時5分より再放送があります。
最近もETVの福祉番組「ハートネットTV」で、良い企画が続いている。2月9日は、死刑囚だが、2014年3月に刑の執行と拘禁が停止されて、釈放された袴田巌(はかまだ いわお)さんのドキュメントだった。30分の番組だし、福祉の番組であるから、冤罪が生まれた経緯などは触れられず、袴田さんが50年近い死刑囚としての拘禁生活の中で、如何に精神をむしばまれてしまったか、今、どうされているか、を淡々と映していた。
番組ホームページ
彼は、いつやって来るともしれぬ死刑におののきながら生きていたが、拘禁生活が20年以上経った頃から、妄想に襲われるようになり、現在に至るまで、支離滅裂な、常識では判断できない言葉を放ちつつ生きておられる。釈放の後、3ヶ月ほど精神病院に入院されたが、その後は自宅で暮らしている。穏やかな人で、お姉さんの暖かい愛情に包まれた、静かな毎日を過ごされているようだ。時々、勝手に出かけて、いつ帰ってくるか分からないところは認知症の人みたいでもあるが、必ず、お姉さんの待つ家に帰ってくる。饅頭や菓子パンが好きらしく、一万円札出して、菓子パンを一度に20個くらい買っているシーンが出てきて、微笑ましかった。そういうことなど、お姉さんは刑務所に入っていた間に出来なかったことを、なるべく彼の思うようにやらせたいと言われている。
このお姉さんが凄い。彼の事を思いつつ亡くなられた母親に代わって、自分が弟の母となって、独身を貫きつつ、彼の冤罪を晴らすために一生を費やし、今は、彼の病んだ心が徐々に快復していくのを待ち続けている。実の母親でもなかなか持てない深い愛情と、強い精神の持ち主である。
それにしても、袴田さんは釈放後も依然として死刑囚である。それは、検察が静岡地裁の判断に不服を唱えて、すぐに即時抗告を行ったからだ。つまり、袴田さんは、理論的には、再度収監され、死刑が執行される可能性させ残されているわけだ。但し、あの高齢で、しかも検察側の論拠は今やずたずたの有様らしいから、まずそういうことは起こらないだろうけれど。検察官達は本当に今でも袴田巌さんが有罪と思っているのだろうか?裁判とは真実を明るみに出して、罪を犯したことが疑いようのない人には罪を償わせ、そうでない人は釈放するべき仕組みであるはず。英語で言うと、"beyond reasonable doubt" ということになるはずだ。ところが、日本の司法では、一旦判断が下されると、検察も裁判所も決して過ちを認めないことが多いように見える。真実が問題ではなく、組織の権威の維持や裁判の勝ち負けを優先しているように見える。その発想は、今になっても、封建時代の「お上」による評定所のようだ。むしろ、捜査や起訴段階での間違いや不十分さを良く検証し、その結果を公開して、今後このようなことが起こらないよう社会の一員として考え努力することこそ、すぐれた組織のすべきことではないだろうか。自浄作用のある組織であると証明することが、市民の尊敬と信頼を生むと思うのだが。
私は近年、中世イングランドの裁判を勉強していて、それが、欠点だらけではあるが、如何に長い歴史と人々の経験の積み重ねから出来た制度か段々分かってきた。イングランドの裁判制度は、基本的に、市民が集まり知恵を出し合って判断するという民主主義の制度の一環として存在し、そのため、陪審員が最も重要な役割を担う。裁判長は法的にわかりにくい点を説明することはあっても、基本的な役割は裁判の司会役にしか過ぎない(その点で、日本の裁判員制度とは大きく異なる)。有罪、無罪を決めるのは別室で相談する市民達である。一方、日本では、長らく市民から遠いところで、職業裁判官、検察官、警察官などの専門家のみによって、犯罪者がベルトコンベヤー式に処理されてきたと言える。日本もやっと裁判員制度が出来て、少しは風通しが良くなることを願いたい。
この番組は、2月16日午後1時5分より再放送があります。
2015/12/14
NHK ETV特集 「“医師の罪”を背負いて~九大生体解剖事件~」
NHK ETV特集 「“医師の罪”を背負いて~九大生体解剖事件~」(2015/12/12、23時)
先日、再放送だったが、戦争中に九州帝国大学医学部で、軍の指導により医学部の外科医師達によって行われた米軍捕虜の生体解剖事件についての番組が、ETV特集で放送され、 録画しておいて見た。私はこの事件について全く知らず、この番組を見られて本当に良かった。
NHKのホームページにある番組の概要を引用する:
終戦間際の1945年5月から6月、九州帝国大学医学部で米兵の捕虜を使った生体実験がひそかに行われた。墜落したB29の搭乗員8人が、海水を使った代用血液を注入されたり、片方の肺を切除されたりして死亡した、いわゆる「九大生体解剖事件」。医学生として生体実験の現場に立ち会った東野利夫さん(89)は、戦後、福岡市内で産婦人科医院を営みながら、国内外で事件関係者に取材を重ねながら事件と向き合い続けてきた。
事件についてより詳しくはウィキペディアに説明がある。
この番組で取り上げられている東野医師は、医学生だったと言うことで戦後も駐留軍による起訴や投獄は免れた。しかし、事件について苦しみ続け、ついには心療内科に入院するが、医者が匙を投げるほど、病状が悪化した時もあったとこのことだ。その後、産婦人科医として働きながら、一生をかけて事件の証言を集め、資料を探し、更にアメリカに渡って、そのB29の乗組員の中で、ただ一人生き残った捕虜の方にも面会して話し合われた。彼が経営していた病院では資料展示会をやり、また、講演活動もなさっているようだ。それが彼の贖罪であり、自分の正気を保つ手段なのかもしれない。
今年、九州大学医学部は、学部の歴史を後世に残すための立派な資料館を作った。東野さんは彼の持つ資料を提供し、展示に協力しようと申し出て、担当者と話し合いを重ねたようだ。しかし、九大は東野さんの資料も証言も全く展示せず、部屋の片隅に事件の概略を記したパネル一枚と、終戦直後に大学が出した反省文が載っている『九州大学五十年史』の書物を1冊置いただけに過ぎない。こうした展示となったことについて、九大の医学部長のインタビューが映されたが、彼は言う:
この番組で取り上げられている東野医師は、医学生だったと言うことで戦後も駐留軍による起訴や投獄は免れた。しかし、事件について苦しみ続け、ついには心療内科に入院するが、医者が匙を投げるほど、病状が悪化した時もあったとこのことだ。その後、産婦人科医として働きながら、一生をかけて事件の証言を集め、資料を探し、更にアメリカに渡って、そのB29の乗組員の中で、ただ一人生き残った捕虜の方にも面会して話し合われた。彼が経営していた病院では資料展示会をやり、また、講演活動もなさっているようだ。それが彼の贖罪であり、自分の正気を保つ手段なのかもしれない。
今年、九州大学医学部は、学部の歴史を後世に残すための立派な資料館を作った。東野さんは彼の持つ資料を提供し、展示に協力しようと申し出て、担当者と話し合いを重ねたようだ。しかし、九大は東野さんの資料も証言も全く展示せず、部屋の片隅に事件の概略を記したパネル一枚と、終戦直後に大学が出した反省文が載っている『九州大学五十年史』の書物を1冊置いただけに過ぎない。こうした展示となったことについて、九大の医学部長のインタビューが映されたが、彼は言う:
医師の立場で言うと、カルテとか、診療記録とか言う形での[この事件の]一次資料は実は残っていない。私たちの感覚では、一次資料があればそれは文句なく展示すべきだが、残るのは二次資料、三次資料、あるいは全くの小説というようなものだから、そう言うようなものをここにあえて展示する必要はないと判断した。
東野さんをはじめ、そこに立ち会った関係者の証言は、例えば裁判でも重要な決め手になるような種類のものである。医学上のカルテがない、つまり文書化された記録でなければ振り返って噛みしめるに値しない、あるいは信用できない、というのだろうか。これは、日本軍がアジア諸国で行った残虐行為を、証言が信用できない、歴史上異論もある、と言って、忘れ去ろうとし、自虐史観として片付けてきた人々と同じ発想に聞こえた。
私にとっては、戦時中に今は想像も出来ないような残虐行為がなされてきたことは他にも、そして他国においても色々とあってそれほど驚かない。しかし、戦後70年の今、日本を代表する医学部の大御所達に、戦時中の大きな問題をしっかりと噛みしめて後の教訓とする姿勢が乏しいと見える事にはショックを受けた。こうした日本の医学界の土壌から、未だに無理な手術をまるで実験のような感覚で行って患者を次々と死なせてしまうような例が、大きな病院でしばしば出てくるのではなかろうか。また、そういう人命をモルモットのように扱った医師の背後には、倫理に反することが行われているのをはっきり、あるいはうすうす知っていながら、見て見ぬ振りをしていた上司、同僚、部下、看護師、事務職員がいるのだろう。おそらく、当時の九大でそうであったように。
この番組は、まだNHKオンディマンドで見ることが出来ます。
(追記)ウィキペディアの記事を読んでいて、これが遠藤周作の『海と毒薬』の題材となった事件だと教えられた。私もこの小説は多分高校生の時くらいに読んだと思う。それで、何となくどこかで読んだ事件のような気がしていたが、すっかり忘れていた。小説は好きで次から次に読んでいたけれど、折角読んでも、ろくに何も考えない馬鹿な高校生だった。
先日再放送があったETVの「ナチスから迫害された障害者たち、(1)20万人の大虐殺は何故起きたのか」でも、障害者を国家に役に立たない不要な人間と考えたナチスの手足となって、障害者をガス室で殺したのは、医療者たちであったことが紹介されていた。
(追記)ウィキペディアの記事を読んでいて、これが遠藤周作の『海と毒薬』の題材となった事件だと教えられた。私もこの小説は多分高校生の時くらいに読んだと思う。それで、何となくどこかで読んだ事件のような気がしていたが、すっかり忘れていた。小説は好きで次から次に読んでいたけれど、折角読んでも、ろくに何も考えない馬鹿な高校生だった。
先日再放送があったETVの「ナチスから迫害された障害者たち、(1)20万人の大虐殺は何故起きたのか」でも、障害者を国家に役に立たない不要な人間と考えたナチスの手足となって、障害者をガス室で殺したのは、医療者たちであったことが紹介されていた。
2015/03/27
NHK「こころの時代〜宗教・人生〜『この軒の下で』」:東八幡教会牧師 奥田知志さん
奥田先生はNHKの「プロフェッショナル」などでも取り上げられた、カリスマのある、行動力に溢れた社会運動家でもあり、今は随分有名な方。北九州市を日本でホームレス支援では最も進んだ自治体のひとつにした功労者。しかし、ここまで来るには、市当局の無理解、いや市との争い、教会をおろそかにしているという信徒からの非難、助けられず死んで行ったホームレスの人への罪の意識、等々、様々な公的、私的葛藤を乗り越えてこられた。地べたを這うような活動の中で宗教者としての理想を追い続け、しかも街の一教会の牧師としての義務も果たされてきた方。昔からの信者の中には、とてもついて行けないと教会に来なくなった方もおられるそうだが、そういうことも悩みつつ、何とか色んな人を弱者を助ける運動に巻き込んで、その活動を通してキリスト教徒としての生き方を信徒と共に求めようとしておられる。ホームレス支援の話をしつつ、自然と聖書の言葉、キリストの行いへの言及を口にされるという、信仰と行動がひとつになった人。
彼が言っていることや書いたものを読むと、相当にリベラルな人で、今の政府の政策もはっきり批判している。というか、彼の様な弱者の立場に立ったら、格差を拡大している今の政治には批判的にならざるを得ないだろう。でも日本中から講演の依頼があり、自治体からも研修の講師として招かれ、NHKでもこのように取り上げられる。福祉への取り組み方において考えの違う人でも、彼の信仰に基づいた無私の活動には人間として尊敬せざるを得ないからだろう。
奥田先生が始めたNPO法人、「抱撲」(ほうぼく)のホームページはこちら。
NHK ハートネットTV、シリーズ「20代の自殺」 「生きるためのテレビ2」(全2夜)
NHK ETV、3月24日、25日の午後8時から放送された標記の番組を見た。
日本では、若者の死因の第一位は自殺だそうである。去年からETVの福祉番組、ハートネットTVでは何度か若者の自殺の問題を取り上げている。番組には1000通も反響のメールが寄せられているそうで、その中には、自分も自殺をしようとしたという人からのものも多いようだ。今回は2夜にわたり、自殺を考えたり、自傷行為を繰り返したりした若者自身が登場して、自分の経験を語った。日本の社会の息苦しさが良く分かる番組だった。番組での証言や紹介された例から、同性愛や性同一性障害、学習障害などを持つ子供・若者への差別が特に若者を苦しめていると感じられた。
自殺を考える多くの人が、自分は社会にとって「迷惑」なんだ、と思い込んでいた。つまり、話し相手や相談できる人がいない、共感を寄せてくれる人がいないのである。迷惑をかけてもいないのに、自分は社会に要らない人間と思い込み、自傷行為や自殺に至る。集団生活になじめず、暗い子だったりすると、子供の時は酷くいじめられる。大人になると、まったく友人、知人がいなくて孤立する。就職も難しく、就職してもまわりに溶け込めないうちに、つまはじきにされ、鬱病になったり、仕事に出られなくなったりする。それで思ったのだが、この国は、若者に「若者」らしさを期待しすぎるのではないか。明るさ、ポジティブ、生命力、若々しさ、等々を持った若者でないと、「若者」と認めてくれない。農業や職人の仕事、単純労働などが大変少なくなり、大多数が高学歴にもなって、オフィスで事務職をしたり、色々な営業活動に従事したりする今、ほとんどの人に、現在の高度企業社会に適した積極性、明るさ、自己表現能力、知的な器用さや俊敏さなどが求められる。これが内向的だったり、不器用だったり、多少の学習障害を背負い、急速な環境の変化についていけない人達を追い詰めている。逆に、不器用で地味な人柄だが、真面目にコツコツ努力するような人は評価されづらい世の中になってきたと思う。自殺や若者の悩みを越えて、今の日本の姿を考えさせる番組だった。
最近私はNHKのニュースがとても信用できず、ほとんど見なくなった。しかし、ウィークディ午後8時のこの福祉の時間だけは、ある意味、ニュース番組としても関心を持って視聴できる。貧困の問題、ジェンダーや性的少数者の差別の問題、孤独死など東北の被災地の問題、ギャンブル依存の問題など、日本社会の色々な問題が政治性を越えて、人間的な視点で取り上げられているから。
番組のウェッブ・ページ。
2013年のものだが、ハートネットTVプロデューサーが語る番組の意義と気をつけていること。
日本では、若者の死因の第一位は自殺だそうである。去年からETVの福祉番組、ハートネットTVでは何度か若者の自殺の問題を取り上げている。番組には1000通も反響のメールが寄せられているそうで、その中には、自分も自殺をしようとしたという人からのものも多いようだ。今回は2夜にわたり、自殺を考えたり、自傷行為を繰り返したりした若者自身が登場して、自分の経験を語った。日本の社会の息苦しさが良く分かる番組だった。番組での証言や紹介された例から、同性愛や性同一性障害、学習障害などを持つ子供・若者への差別が特に若者を苦しめていると感じられた。
自殺を考える多くの人が、自分は社会にとって「迷惑」なんだ、と思い込んでいた。つまり、話し相手や相談できる人がいない、共感を寄せてくれる人がいないのである。迷惑をかけてもいないのに、自分は社会に要らない人間と思い込み、自傷行為や自殺に至る。集団生活になじめず、暗い子だったりすると、子供の時は酷くいじめられる。大人になると、まったく友人、知人がいなくて孤立する。就職も難しく、就職してもまわりに溶け込めないうちに、つまはじきにされ、鬱病になったり、仕事に出られなくなったりする。それで思ったのだが、この国は、若者に「若者」らしさを期待しすぎるのではないか。明るさ、ポジティブ、生命力、若々しさ、等々を持った若者でないと、「若者」と認めてくれない。農業や職人の仕事、単純労働などが大変少なくなり、大多数が高学歴にもなって、オフィスで事務職をしたり、色々な営業活動に従事したりする今、ほとんどの人に、現在の高度企業社会に適した積極性、明るさ、自己表現能力、知的な器用さや俊敏さなどが求められる。これが内向的だったり、不器用だったり、多少の学習障害を背負い、急速な環境の変化についていけない人達を追い詰めている。逆に、不器用で地味な人柄だが、真面目にコツコツ努力するような人は評価されづらい世の中になってきたと思う。自殺や若者の悩みを越えて、今の日本の姿を考えさせる番組だった。
最近私はNHKのニュースがとても信用できず、ほとんど見なくなった。しかし、ウィークディ午後8時のこの福祉の時間だけは、ある意味、ニュース番組としても関心を持って視聴できる。貧困の問題、ジェンダーや性的少数者の差別の問題、孤独死など東北の被災地の問題、ギャンブル依存の問題など、日本社会の色々な問題が政治性を越えて、人間的な視点で取り上げられているから。
番組のウェッブ・ページ。
2013年のものだが、ハートネットTVプロデューサーが語る番組の意義と気をつけていること。
2015/01/04
NHKアーカイブ「戦後70年 吉永小百合の祈り」
正月4日の日曜の午後、NHKアーカイブ「戦後70年 吉永小百合の祈り」を2時間弱見入ってしまった。 彼女がライフワークとして各地で、そして長崎や広島でも続けてきた老若男女の被爆者の詩の朗読を伝える番組。朗読する吉永さんのことより、彼女の読む詩の重さ、それらの詩の意味するものに打ちのめされる。特に、被爆した子供たちの詩、親や兄弟姉妹を目前で失っていった小さな小学生などの詩には、計り知れない重さがあり、涙が自然とこぼれる。
後半で紹介された詩では、被爆のすぐ後、重傷者のうめき声も響く焼け跡のビルの一室で出産した女性のことがうたわれている。赤ん坊を取り上げた助産婦は、その直前まで痛みでうめいていた重症の女性だった。彼女は新しい命の誕生を見届けたのち、亡くなられたそうだ。
更に2011年の震災以降、吉永さんは、原爆の詩と一緒に福島の被災者の詩も朗読している。平和利用という名のもとに日本人が長崎・広島の惨事とは関係のないものとして受け入れた原子力が、多くの人の故郷を破壊し、彼らを漂浪の民にしてしまった事を忘れてはならない、と彼女は言う。
彼女は団塊の世代の、最も知的なアイドル。街をデモで埋めた同世代の男女が、やがて高度成長の波に飲み込まれ、経済第一のエコノミック・アニマルに甘んじて若い日の理想を失っていく中、「これからもずっと『戦後』であり続けてほしい」、「戦争を忘れないように次世代に粘り強く継承したい」と努力を続ける彼女に敬意を表したい。
彼女の今年の大きな仕事は、山田洋二監督の「母と暮らせば」(松竹映画、2015年12月公開)。原爆投下後3年を経た長崎を舞台に、原爆の残した深い傷を描く作品のようだ。
私も含め、組織の一兵卒になりきり、もみくちゃにされ、景気に一喜一憂し、我を失ってきた戦後の日本人も、少しでも吉永さんを手本にしたい。歳を重ねて人はその人の元の姿に戻るようでもあり、またその人の人生で得てきたものを、良くも悪しくも表に出すようでもある。吉永さんは、姿かたちだけでなく、年輪を経て一層美しい。団塊の世代にとって、今後も素晴らしいアイドルでありつづけるだろうな。
これからもずっと「戦後」であることを意識して生きようと呼びかける吉永さん。一方、「戦後レジームからの脱却」を呼びかける日本の首相、原発とその輸出、武器輸出、ギャンブル振興を国策として推し進めようとする政府・・・。吉永さんはどう思っておられるだろうか。
後半で紹介された詩では、被爆のすぐ後、重傷者のうめき声も響く焼け跡のビルの一室で出産した女性のことがうたわれている。赤ん坊を取り上げた助産婦は、その直前まで痛みでうめいていた重症の女性だった。彼女は新しい命の誕生を見届けたのち、亡くなられたそうだ。
更に2011年の震災以降、吉永さんは、原爆の詩と一緒に福島の被災者の詩も朗読している。平和利用という名のもとに日本人が長崎・広島の惨事とは関係のないものとして受け入れた原子力が、多くの人の故郷を破壊し、彼らを漂浪の民にしてしまった事を忘れてはならない、と彼女は言う。
彼女は団塊の世代の、最も知的なアイドル。街をデモで埋めた同世代の男女が、やがて高度成長の波に飲み込まれ、経済第一のエコノミック・アニマルに甘んじて若い日の理想を失っていく中、「これからもずっと『戦後』であり続けてほしい」、「戦争を忘れないように次世代に粘り強く継承したい」と努力を続ける彼女に敬意を表したい。
彼女の今年の大きな仕事は、山田洋二監督の「母と暮らせば」(松竹映画、2015年12月公開)。原爆投下後3年を経た長崎を舞台に、原爆の残した深い傷を描く作品のようだ。
私も含め、組織の一兵卒になりきり、もみくちゃにされ、景気に一喜一憂し、我を失ってきた戦後の日本人も、少しでも吉永さんを手本にしたい。歳を重ねて人はその人の元の姿に戻るようでもあり、またその人の人生で得てきたものを、良くも悪しくも表に出すようでもある。吉永さんは、姿かたちだけでなく、年輪を経て一層美しい。団塊の世代にとって、今後も素晴らしいアイドルでありつづけるだろうな。
これからもずっと「戦後」であることを意識して生きようと呼びかける吉永さん。一方、「戦後レジームからの脱却」を呼びかける日本の首相、原発とその輸出、武器輸出、ギャンブル振興を国策として推し進めようとする政府・・・。吉永さんはどう思っておられるだろうか。
2014/07/10
NHKハートネットTV「曖昧な喪失の中で ―福島 増える震災関連自殺―」
7月7日火曜日に放送されたNHKハートネットTV「曖昧な喪失の中で ―福島 増える震災関連自殺―」を録画しておいて、今日10日に見た。タイトル通り、福島県で震災関連自殺が増え続けているが、その背景や、具体的に亡くなられたある男性のケースを報告している。今回はスタジオ・ゲストの話などはなく、一種のドキュメンタリー番組となっている。
番組ホームページから引用すると:
「内閣府自殺対策推進室による統計『東日本大震災に関連する自殺者数』によれば、福島県の自殺者数は、2011年が10人、12年が13人、13年が23人。同じ被災県、岩手、宮城と比較しても、福島県の増加傾向は顕著です。」
今年もこの放送までの震災関連自殺者は、岩手、宮城での各1人に対し、福島では6人。岩手、宮城では、11、12、13年と後になるにつれて自殺者数は顕著に減少しているのに、福島は上記の様に増え続けている。明らかに、原発事故による放射能汚染、失われ帰還することの出来ない故郷、そしていつ終わるとも知れない避難生活、全く見えない将来、等々の要因が、福島だけ自殺者が増え続けている理由だろう。更に、地域で治療にあたる精神科医の先生によると、放射能汚染の避難に伴って、時間が経つにつれて問題が複合化し多岐にわたるようになり、一層避難者を苦しめているようだ。例えば、避難者の子供が新しい環境になじめずいじめにあったり、経済的な問題、職の問題、親の介護なども生じる。今回番組が取り上げられた自殺者、五十崎喜一さんのケースでも、彼の母親が避難生活の中で認知症になり、徘徊が始まったことで、息子さんを追い詰めた面もあるらしい。また、彼は原発事故前は、その福島原発で働いていたそうだ。だからこそ、奥様によると、一旦事故が起きたら収束は極めて難しいことを自分自身良く分かっていたので、一層絶望されたのかも知れない。
番組の紹介ページ
再放送は15日火曜日午後1時5分。
国民の注意を故意にこの不都合な現実から逸らすかのような自民・公明政権の集団的自衛権への深入り。新聞やテレビを埋め尽くす安全保障問題や中韓との対立、オリンピック招致やワールドカップの狂騒・・・故郷から遠く離れてひっそりと暮らす避難民や、雨漏りしカビだらけの狭くて不健康な仮設住宅で、進む老いと向き合う老人達は、どう感じておられるだろうか。
番組ホームページから引用すると:
「内閣府自殺対策推進室による統計『東日本大震災に関連する自殺者数』によれば、福島県の自殺者数は、2011年が10人、12年が13人、13年が23人。同じ被災県、岩手、宮城と比較しても、福島県の増加傾向は顕著です。」
今年もこの放送までの震災関連自殺者は、岩手、宮城での各1人に対し、福島では6人。岩手、宮城では、11、12、13年と後になるにつれて自殺者数は顕著に減少しているのに、福島は上記の様に増え続けている。明らかに、原発事故による放射能汚染、失われ帰還することの出来ない故郷、そしていつ終わるとも知れない避難生活、全く見えない将来、等々の要因が、福島だけ自殺者が増え続けている理由だろう。更に、地域で治療にあたる精神科医の先生によると、放射能汚染の避難に伴って、時間が経つにつれて問題が複合化し多岐にわたるようになり、一層避難者を苦しめているようだ。例えば、避難者の子供が新しい環境になじめずいじめにあったり、経済的な問題、職の問題、親の介護なども生じる。今回番組が取り上げられた自殺者、五十崎喜一さんのケースでも、彼の母親が避難生活の中で認知症になり、徘徊が始まったことで、息子さんを追い詰めた面もあるらしい。また、彼は原発事故前は、その福島原発で働いていたそうだ。だからこそ、奥様によると、一旦事故が起きたら収束は極めて難しいことを自分自身良く分かっていたので、一層絶望されたのかも知れない。
番組の紹介ページ
再放送は15日火曜日午後1時5分。
国民の注意を故意にこの不都合な現実から逸らすかのような自民・公明政権の集団的自衛権への深入り。新聞やテレビを埋め尽くす安全保障問題や中韓との対立、オリンピック招致やワールドカップの狂騒・・・故郷から遠く離れてひっそりと暮らす避難民や、雨漏りしカビだらけの狭くて不健康な仮設住宅で、進む老いと向き合う老人達は、どう感じておられるだろうか。
2014/07/08
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀:地域の絆で、“無縁”を包む」
7月7日(月)のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」は「地域の絆で、“無縁”を包む」と題して、豊中市社会福祉協議会のコミュニティ・ソーシャルワーカー・勝部麗子さんを取り上げた。その仕事ぶりがドラマ『サイレント・プア』の主人公のモデルとなった方である。ひとりひとりの困窮者、ひきこもりの方などに細かく暖かい目を注ぎつつ、各種行政サービス・NGO・近隣住民との橋渡しをする。同僚を指導し、公務員とてきぱきと交渉する実務家の顔と、困窮者と共に涙を流す人情家の顔を併せ持つ人。ドラマ『サイレント・プア』が単なる作り話でなく、本当にこの人の日々の活動を元に作られていると感じられた。所謂「ゴミ屋敷」を、孤立していた本人を説得し、近所の住民も動かして一緒に手を携えて片付けるのは、『サイレント・プア』の第1回と同じだった。
21世紀に最も必要とされている日本人の姿だと思う。再放送は10日木曜深夜(日付が変わって金曜早朝)。
21世紀に最も必要とされている日本人の姿だと思う。再放送は10日木曜深夜(日付が変わって金曜早朝)。
2014/07/04
NHK ハートネットTV「シリーズ 施設で育った私」
NHK Eテレ、「ハートネットTV」、今週火〜木曜日(7月1〜3日)は「シリーズ、施設で育った私」だった(再放送は8〜10日午後1:05より)。
最近、テレビの定時ニュース番組をあまり見なくなった。首相と副首相、官房長官の顔を見たり声を聞いたりすると気が滅入るから(固有名詞を自分のブログに書きたくないほど)。と言うわけで、その代わりに必ず見るのが(というか、以前から良く見てはいたが)、Eテレの「ハートネットTV」。食事を食べたり作ったりする時間に重なるので、録画して見る時も多いし、再放送で繰り返し見ることも時々ある。福祉の番組だが、しばしば他のドキュメンタリーではかなわない現場密着のミクロの視点で、貧困や差別、障害者やマイノリティー、外国人などに関する諸問題を取り上げる。今日本のテレビで私が最も良い印象を持っている番組。又、老人になりつつある私自身にとっては、介護のテーマが取り上げられる時も大いに参考になる。司会の山田賢治キャスターの語り口も暖かく、また、ゲストの人選も、学問的な専門家、現場で仕事をしている施設職員やNGO管理者、そして関心を持っているタレントなどを上手く組み合わせて、親しみやすく、かつ実際的にする工夫が見える。
さて今回は、虐待や貧困、育児放棄などで、施設で成長することを強いられた若者の自立の難しさを追ったシリーズ。いつもながら、福祉や教育の谷間を照射する大変良いシリーズだった。親に捨てられたり死に別れたりして精神的にトラウマを抱える難しい子供達。しかし、法令上は18歳で大人と見なされ、児童養護施設などから放り出される。外の世界に出された彼らを待っているのは、ホームレス、空腹からの窃盗と刑務所行き、女性の場合の売春や風俗産業、といった救いようのない状態(もちろん、そうならない人も沢山いるだろうけど)。大学進学も難しく、また社会人になっても貧困にあえぐ。そもそも、ちゃんとした家庭の子でも、ほとんどは、18歳ですぐに国民健康保険に入るとか、光熱費を手配するとか、部屋を借りるとか、収支を考えて支出し、健康な食生活をするなど出来ないだろう。ましてこの子達は破壊的な家庭環境を経ているわけだから。
希望を持てる事例を中心に紹介しつつ、懸命に努力する現場の職員、NGO、地域の篤志家などの奮闘を追っている。こういう番組を見ると、地域の中小企業の良心的な経営者が、施設出身の子とか、精神障害者、犯罪歴のある人など、他で嫌がるような若者の雇用に大きな役割を果たしてくれているのをつくづく感じる。地方自治体も場所や問題によって、色々と施策を試みている。しかし、国をあげての取り組みのあまりに薄いことには愕然とする。今日も今日とて、首相肝いりの教育再生会議とかいうところで学校教育の枠組みを変える事を発表していたが、そんなことより、こういう風に社会の片隅で親に捨てられたりして苦しむ若者の為に、国家全体で一定のサービスを提供できるようにお金を使って欲しいと切に思った。軍備にお金をかけている余裕はない。
私は歳を取れば取るほど、保守もリベラルも天下国家を論じるエリート政治家・学者・財界人が信用出来なくなってきた。国の進む方向を考える人達は、勿論マクロの視点で社会を考えることが必要だが、その際まずは社会の底辺(他の適当な言葉が見つからず恐縮です)で日々の生活に格闘している人々、そういう人達を支えようとしている末端のNGOや公務員、施設の職員などの目線を併せ持って、政策と税金の使い道を考えて欲しいものだ。
最近、テレビの定時ニュース番組をあまり見なくなった。首相と副首相、官房長官の顔を見たり声を聞いたりすると気が滅入るから(固有名詞を自分のブログに書きたくないほど)。と言うわけで、その代わりに必ず見るのが(というか、以前から良く見てはいたが)、Eテレの「ハートネットTV」。食事を食べたり作ったりする時間に重なるので、録画して見る時も多いし、再放送で繰り返し見ることも時々ある。福祉の番組だが、しばしば他のドキュメンタリーではかなわない現場密着のミクロの視点で、貧困や差別、障害者やマイノリティー、外国人などに関する諸問題を取り上げる。今日本のテレビで私が最も良い印象を持っている番組。又、老人になりつつある私自身にとっては、介護のテーマが取り上げられる時も大いに参考になる。司会の山田賢治キャスターの語り口も暖かく、また、ゲストの人選も、学問的な専門家、現場で仕事をしている施設職員やNGO管理者、そして関心を持っているタレントなどを上手く組み合わせて、親しみやすく、かつ実際的にする工夫が見える。
さて今回は、虐待や貧困、育児放棄などで、施設で成長することを強いられた若者の自立の難しさを追ったシリーズ。いつもながら、福祉や教育の谷間を照射する大変良いシリーズだった。親に捨てられたり死に別れたりして精神的にトラウマを抱える難しい子供達。しかし、法令上は18歳で大人と見なされ、児童養護施設などから放り出される。外の世界に出された彼らを待っているのは、ホームレス、空腹からの窃盗と刑務所行き、女性の場合の売春や風俗産業、といった救いようのない状態(もちろん、そうならない人も沢山いるだろうけど)。大学進学も難しく、また社会人になっても貧困にあえぐ。そもそも、ちゃんとした家庭の子でも、ほとんどは、18歳ですぐに国民健康保険に入るとか、光熱費を手配するとか、部屋を借りるとか、収支を考えて支出し、健康な食生活をするなど出来ないだろう。ましてこの子達は破壊的な家庭環境を経ているわけだから。
希望を持てる事例を中心に紹介しつつ、懸命に努力する現場の職員、NGO、地域の篤志家などの奮闘を追っている。こういう番組を見ると、地域の中小企業の良心的な経営者が、施設出身の子とか、精神障害者、犯罪歴のある人など、他で嫌がるような若者の雇用に大きな役割を果たしてくれているのをつくづく感じる。地方自治体も場所や問題によって、色々と施策を試みている。しかし、国をあげての取り組みのあまりに薄いことには愕然とする。今日も今日とて、首相肝いりの教育再生会議とかいうところで学校教育の枠組みを変える事を発表していたが、そんなことより、こういう風に社会の片隅で親に捨てられたりして苦しむ若者の為に、国家全体で一定のサービスを提供できるようにお金を使って欲しいと切に思った。軍備にお金をかけている余裕はない。
私は歳を取れば取るほど、保守もリベラルも天下国家を論じるエリート政治家・学者・財界人が信用出来なくなってきた。国の進む方向を考える人達は、勿論マクロの視点で社会を考えることが必要だが、その際まずは社会の底辺(他の適当な言葉が見つからず恐縮です)で日々の生活に格闘している人々、そういう人達を支えようとしている末端のNGOや公務員、施設の職員などの目線を併せ持って、政策と税金の使い道を考えて欲しいものだ。
2014/05/07
NHK ETV特集「辞書を編む人たち」 2014年5月2日放送
録画をしていて、5月5日に見た。期待以上に面白かった。同じ番組を見た友人も、とても楽しんだようだ。人文科学系の勉強や仕事をしている学生、社会人、教員には特に面白い番組だろう。まずは、番組のホームページから、案内の一部を引用する:
記録されているのは、国語辞典『大辞林』第4版の編集を行っている三省堂の辞書部。と言ってもこの国語事典に携わっているのは、編集長、ベテラン編集部員の男性1名、2年くらい前に定年退職し今は嘱託勤務の第3版編集長のたった3人のおじさん方。更に、撮影の間、インターンとして来ていた筑波大の博士課程の院生、石塚直子さん。番組は、主に、編集部で働き始めて好奇心と興奮に満たされている石塚さんの視点で編集作業を追いながら、辞書作りの難しさ、楽しさを伝え、更にデジタル出版へと移行しつつある時代における「辞書」を作ることの意味を考える。新しい言葉を貪欲に追い続けなければならない国語辞典の編集部には、女性や若者も必要だと思うが、費用の関係でそう沢山は人員を配置できないんだろうなあ。
『大辞林』は1959年に最初に計画されたが、実際に第1版が出版されたのは1988年!辞書の制作が如何に手間がかかる仕事かしのばれる。また、その間、三省堂は倒産し再建されるなど、会社としても大変困難な時代を経ている。それでもこの大事業を諦めなかった編集者や経営者に感銘を受けた。
編集長は、片時も言葉の採集に余念がない。通勤時に道を歩いていても、看板や広告などから気になった言葉を携帯で撮り、後で調べたり、語釈を考えたりする。インターンの石塚さんには、若い女性向けの雑誌に載っている新語を採集させ、その語釈を考えさせる。例として出て来たのは、「エッジの効いた」とか、「頭を盛る」(髪を盛り上げるようにしたヘアスタイル)など。更に「足を盛る」なんてのもあった。そうすると、「盛る」というのは、「飾り立てる」ということになるようだ。
辞書制作の面白さに加え、この番組の魅力は、インターンの院生、石塚さんの素直な学究心だ。彼女は幼稚園の卒園式でもらった子供用絵本辞書で辞書を読む魅力に取りつかれ、それ以来辞書への熱意を保ち続けて今に至った。博士課程の院生だが、学問的な野心なんか感じさせず、ひたすら学ぶ事の楽しさに突き動かされて言葉を探求している姿は、理想的な研究者に見えた。彼女は、出版社で実際に辞書の編纂をすることを希望していて、最後は就職活動のシーンが映っていた。希望の職に就けることを切に願ってやまない。
その他に出てこられた編集部の方々も、過去の編集長も、なかなか魅力的な「知の職人」とでも言うべき人たちだった。こういう無名の民間の方々が日本の知の土台を支えているんだと思った。感謝したい。
番組のホームページ。NHKオンデマンドで視聴可能。辞書や言葉に関心のある方なら、216円払っても見る価値あり。
なお、小説や映画で大評判になった『舟を編む』はこの編集部を題材にして作られたようだ。私はまだだが、近いうちに見るつもりだ。
そう言えば、私の大学院時代の恩師のひとりはご自身、有名な英和辞典の編集をなさったが、全20巻、平凡社大百科事典くらいのボリュームがある『オックスフォード英語辞典』(Oxford English Dictionary、略称OED)を最初から順番に読んでいて、最後まで読み終わったらしい。もの凄く細かい方だった。あの頃、大学院の授業の予習というと、図書館や研究室の書庫でひたすらOEDを引きまくる、というのが多かったなあ。その他、Britannicaとか、Oxford Companionsなど各種のリファレンスには大いにお世話になった。今は大きな大学に籍のある学生や教員なら、それら全てがオンラインで検索でき、とても手軽に下調べが出来るようになった。言語学的な研究では、文章を一文一文読んで細かな手作りのカードを作らなくとも、各種のデータベースにより即座に例文や統計が得られる。但、デジタル化により、研究姿勢が安易になったとか、中世や近代初期など古い言語の場合、もとの作品などを正確に読解する能力がないのに、単語や例文だけデータベースで抽出して研究データにする、などの弊害が長らく指摘されている。
「無人島に一冊だけ本を持っていくとしたら?」この問いに多くの人がある本を選ぶ。辞書である。言葉だけでこの世界のすべてを表現する。自然も人の心も具体物も抽象物もあらゆる物事を言葉だけで表現する辞書は言わば小宇宙である。番組では、辞書専門の出版社の改訂作業に半年間にわたり密着した。新しい言葉を追加し、従来の項目を改め、不要となる言葉を削除する。日々新たな言葉が生まれては消えていく時代、改訂とは、言わば辞書に新たな命を吹き込む作業である。
記録されているのは、国語辞典『大辞林』第4版の編集を行っている三省堂の辞書部。と言ってもこの国語事典に携わっているのは、編集長、ベテラン編集部員の男性1名、2年くらい前に定年退職し今は嘱託勤務の第3版編集長のたった3人のおじさん方。更に、撮影の間、インターンとして来ていた筑波大の博士課程の院生、石塚直子さん。番組は、主に、編集部で働き始めて好奇心と興奮に満たされている石塚さんの視点で編集作業を追いながら、辞書作りの難しさ、楽しさを伝え、更にデジタル出版へと移行しつつある時代における「辞書」を作ることの意味を考える。新しい言葉を貪欲に追い続けなければならない国語辞典の編集部には、女性や若者も必要だと思うが、費用の関係でそう沢山は人員を配置できないんだろうなあ。
『大辞林』は1959年に最初に計画されたが、実際に第1版が出版されたのは1988年!辞書の制作が如何に手間がかかる仕事かしのばれる。また、その間、三省堂は倒産し再建されるなど、会社としても大変困難な時代を経ている。それでもこの大事業を諦めなかった編集者や経営者に感銘を受けた。
編集長は、片時も言葉の採集に余念がない。通勤時に道を歩いていても、看板や広告などから気になった言葉を携帯で撮り、後で調べたり、語釈を考えたりする。インターンの石塚さんには、若い女性向けの雑誌に載っている新語を採集させ、その語釈を考えさせる。例として出て来たのは、「エッジの効いた」とか、「頭を盛る」(髪を盛り上げるようにしたヘアスタイル)など。更に「足を盛る」なんてのもあった。そうすると、「盛る」というのは、「飾り立てる」ということになるようだ。
辞書制作の面白さに加え、この番組の魅力は、インターンの院生、石塚さんの素直な学究心だ。彼女は幼稚園の卒園式でもらった子供用絵本辞書で辞書を読む魅力に取りつかれ、それ以来辞書への熱意を保ち続けて今に至った。博士課程の院生だが、学問的な野心なんか感じさせず、ひたすら学ぶ事の楽しさに突き動かされて言葉を探求している姿は、理想的な研究者に見えた。彼女は、出版社で実際に辞書の編纂をすることを希望していて、最後は就職活動のシーンが映っていた。希望の職に就けることを切に願ってやまない。
その他に出てこられた編集部の方々も、過去の編集長も、なかなか魅力的な「知の職人」とでも言うべき人たちだった。こういう無名の民間の方々が日本の知の土台を支えているんだと思った。感謝したい。
番組のホームページ。NHKオンデマンドで視聴可能。辞書や言葉に関心のある方なら、216円払っても見る価値あり。
なお、小説や映画で大評判になった『舟を編む』はこの編集部を題材にして作られたようだ。私はまだだが、近いうちに見るつもりだ。
そう言えば、私の大学院時代の恩師のひとりはご自身、有名な英和辞典の編集をなさったが、全20巻、平凡社大百科事典くらいのボリュームがある『オックスフォード英語辞典』(Oxford English Dictionary、略称OED)を最初から順番に読んでいて、最後まで読み終わったらしい。もの凄く細かい方だった。あの頃、大学院の授業の予習というと、図書館や研究室の書庫でひたすらOEDを引きまくる、というのが多かったなあ。その他、Britannicaとか、Oxford Companionsなど各種のリファレンスには大いにお世話になった。今は大きな大学に籍のある学生や教員なら、それら全てがオンラインで検索でき、とても手軽に下調べが出来るようになった。言語学的な研究では、文章を一文一文読んで細かな手作りのカードを作らなくとも、各種のデータベースにより即座に例文や統計が得られる。但、デジタル化により、研究姿勢が安易になったとか、中世や近代初期など古い言語の場合、もとの作品などを正確に読解する能力がないのに、単語や例文だけデータベースで抽出して研究データにする、などの弊害が長らく指摘されている。
2014/04/28
NHKスペシャル「調査報告 女性たちの貧困ー新たな連鎖の衝撃ー」
現代日本の女性、特の若い女性の貧困を取り上げたNHKスペシャル。1月に放送され、私も見ましたが「クローズアップ現代」のほぼ同内容の番組を修正、かつ拡大したドキュメンタリーです。番組紹介ページから引用させていただきます:
「クローズアップ現代」では、貧困に苦しむ若い女性、特にシングルマザーが、他に仕事がなく風俗産業に流れ込む様子が取り上げられていたと思いますが、今回はその面はカットされていました。その分、何とか教育を受けて貧困から抜け出したいと努力する女性の奮闘ぶりが克明に取り上げられ、多少希望を抱かせる内容となっていたと思います。風俗業界やAV映画で働く女性と貧困の関係も重要な社会問題なので、改めてそれに特化して取り上げて欲しいと思いました。
イギリスではまだ伝統的な労働者階級の残滓があり、彼らのプライドも感じられますが、日本は総中流の幻想が醒めた後、貧しい女性が文字通り「サイレント・プア」になって孤立してしまい、行政にも充分見えていないのが一層問題を深刻にしています。家庭、地域、親戚、学校、地方行政、といった個人を幾重にも取り囲んでいるはずの大小のコミュニティーが希薄になり、あるいは崩壊し、ひとりとなった若い女性(老人もそうですが)が、どのレベルのセイフティー・ネットにも引っかからず、貧困の可視化さえもされず、食費を削ってまで必死でひとりでもがいている状況があります。
今の日本やアメリカ、中韓のように、貧富の差が極端になってくると、中上流の人達は、貧困でもがき苦しむ人達を横目で見ながら、物質的文化的豊かさを楽しむという社会になり、彼らの子供達は冷淡であることを学びつつ育ちます。社会全体が、一種の経済的アパルトヘイト化し、誰もが精神的に貧しい社会となっていきます。
ボランティアとして、あるいはNPOや行政機関の職員として、日々貧困の現場で格闘し、苦しんでいる人々と向き合っている人もおられます。ですが、私も含め、皆がそういう生き方を選ぶことは出来ません。しかし、自己実現や自分のまわりの人の豊かさを追いかけるだけで満足してしまっている人間ばかりでは、日本社会は物質的にも、そしてそれ以上に精神的にも貧しい社会になると思いつつ、見ました。もう高度成長経済は望めない今、社会の富の再分配をもっと計らないといけないと思うし、子供や若者の貧困を取り除くために、他の面で国民ひとりひとりが大きな犠牲を払わなければいけないでしょう。そういう政治を求めたいのですが、今の政権はどうなんでしょうか。経団連の代弁ばかりしているようにしか、見えません。
再放送は5月1日深夜午前0時40分から。ひとりでも多くの人に見て欲しい番組です。
10代20代の女性の間で深刻化する貧困の実態を描いた今年1月のクローズアップ現代「あしたが見えない」。放送後、番組サイトが異例のページビューを記録した。通常8千程度のページビューが、60万を超えたのである。そして、寄せられたのは「他人事では決してない」という切実な声だった。いま、若い女性たちの間で何が広がっているのか。取材を進め見えてきたのは、親の世代の貧困が、子の世代へと引き継がれ、特に若い女性たちに重くのしかかるという“現実”だった。
「クローズアップ現代」では、貧困に苦しむ若い女性、特にシングルマザーが、他に仕事がなく風俗産業に流れ込む様子が取り上げられていたと思いますが、今回はその面はカットされていました。その分、何とか教育を受けて貧困から抜け出したいと努力する女性の奮闘ぶりが克明に取り上げられ、多少希望を抱かせる内容となっていたと思います。風俗業界やAV映画で働く女性と貧困の関係も重要な社会問題なので、改めてそれに特化して取り上げて欲しいと思いました。
イギリスではまだ伝統的な労働者階級の残滓があり、彼らのプライドも感じられますが、日本は総中流の幻想が醒めた後、貧しい女性が文字通り「サイレント・プア」になって孤立してしまい、行政にも充分見えていないのが一層問題を深刻にしています。家庭、地域、親戚、学校、地方行政、といった個人を幾重にも取り囲んでいるはずの大小のコミュニティーが希薄になり、あるいは崩壊し、ひとりとなった若い女性(老人もそうですが)が、どのレベルのセイフティー・ネットにも引っかからず、貧困の可視化さえもされず、食費を削ってまで必死でひとりでもがいている状況があります。
今の日本やアメリカ、中韓のように、貧富の差が極端になってくると、中上流の人達は、貧困でもがき苦しむ人達を横目で見ながら、物質的文化的豊かさを楽しむという社会になり、彼らの子供達は冷淡であることを学びつつ育ちます。社会全体が、一種の経済的アパルトヘイト化し、誰もが精神的に貧しい社会となっていきます。
ボランティアとして、あるいはNPOや行政機関の職員として、日々貧困の現場で格闘し、苦しんでいる人々と向き合っている人もおられます。ですが、私も含め、皆がそういう生き方を選ぶことは出来ません。しかし、自己実現や自分のまわりの人の豊かさを追いかけるだけで満足してしまっている人間ばかりでは、日本社会は物質的にも、そしてそれ以上に精神的にも貧しい社会になると思いつつ、見ました。もう高度成長経済は望めない今、社会の富の再分配をもっと計らないといけないと思うし、子供や若者の貧困を取り除くために、他の面で国民ひとりひとりが大きな犠牲を払わなければいけないでしょう。そういう政治を求めたいのですが、今の政権はどうなんでしょうか。経団連の代弁ばかりしているようにしか、見えません。
再放送は5月1日深夜午前0時40分から。ひとりでも多くの人に見て欲しい番組です。
2014/04/21
NHKの新ドラマ・シリーズ、「サイレント・プア」
NHKの新ドラマシリーズ、「サイレント・プア」を2話まで見た。深田恭子を社会福祉協議会のコミュニティー・ソーシャル・ワーカーにしてアピールしているけれど、内容は実に重いドラマ。適度にセンチメンタリズムもあり、毎回救いのある終わり方をするが、現実にある福祉の谷間について取り上げている。
豊中市社会福祉協議会が協力しており、主人公もモデルとなる方があるそうだ。社会福祉専攻の大学教員などでも、Twitterで強く推薦されている方もいた。ドキュメンタリーでも、教育番組でもないが、公共放送でしかできない良いドラマだと思う。
第2回は、ひどい持病を持ち貧困に苦しむシングルマザーが、両親を介護し、しかも弟はひきこもりで部屋から出られないという、複合的な問題を抱えた家庭の話だった。確かに、一つ歯車が狂い始めると、次々におかしくなる家庭があっても不思議じゃない。
現実に福祉の現場の人が見ると、こんなもんじゃない、と言いたいこともあるだろうとは思うが、しかし、現場で地味な仕事に心血注いでいる方々に光が当たり、また、今の社会が抱えている困難な問題に、硬いドキュメンタリーではなくてフィクションとして考える機会ができるのはとても良いことと思う。
深田恭子演じる主人公がマリアさまに見えた。もちろん、この主人公みたいに献身的に仕事をしていたら、燃え尽きてしまうだろうけどね。
番組のサイト
豊中市社会福祉協議会が協力しており、主人公もモデルとなる方があるそうだ。社会福祉専攻の大学教員などでも、Twitterで強く推薦されている方もいた。ドキュメンタリーでも、教育番組でもないが、公共放送でしかできない良いドラマだと思う。
第2回は、ひどい持病を持ち貧困に苦しむシングルマザーが、両親を介護し、しかも弟はひきこもりで部屋から出られないという、複合的な問題を抱えた家庭の話だった。確かに、一つ歯車が狂い始めると、次々におかしくなる家庭があっても不思議じゃない。
現実に福祉の現場の人が見ると、こんなもんじゃない、と言いたいこともあるだろうとは思うが、しかし、現場で地味な仕事に心血注いでいる方々に光が当たり、また、今の社会が抱えている困難な問題に、硬いドキュメンタリーではなくてフィクションとして考える機会ができるのはとても良いことと思う。
深田恭子演じる主人公がマリアさまに見えた。もちろん、この主人公みたいに献身的に仕事をしていたら、燃え尽きてしまうだろうけどね。
番組のサイト
2011/11/10
マスコミによる福島の被災地取材(稲塚監督のブログから)
二重被爆者のドキュメンタリー映画、『二重被爆〜語り部 山口彊の遺言』を撮られた稲塚監督が、福島の被災地の撮影を続けておられ、その様子をブログに書いておられる。その中で11月6日の記事の一部を引用させていただきたい。これは彼が南相馬市の原町教会とそこの朴牧師を取材された時の様子である。朴牧師はマスコミの取材にかなりお怒りのようであったそうだ(以下引用):
これまでテレビと新聞、雑誌の取材に応じてきて、取材される側としての憤懣やるかたない様子だった。ドキュメンタリーの世界で辛苦をなめて生きてこられた稲塚監督の言葉は重い。NHKの人は彼のブログを読んだだろうか。BBCなどのイギリスの記者と比べつつ日本のテレビの記者のインタビューを見ていると、一般人にはずけずけとものを言うが、大物政治家や財界人にはとても低姿勢という印象を持つ。
まずお話を伺ったところ、最もだった。
私の取材方法が特別ではないが、最近のメディア取材は、あらかじめ決めた結論に導きたがり、その方向のコメントが取れないと、露骨に嫌な顔をするらしい。
また無理な質問を平気でする。
南相馬市で、一般の方に「今後の展望は?」と聞く。
何を取材に来ているのだろうか?展望がない日々をすごす辛さを分かち合わないといけない。今日で5月以降フクシマに来たのは23日目である。
えらそうなことはいえないが、取材する皆さんの言葉をきちんと聞き、向き合い、寄り添えないと思ったら、取材を止めて帰った方がましだと思う。
「クローズアップ現代」の取材班の皆さん、心当たりはありませんか?
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