録画しておいたETV特集「原爆と沈黙〜長崎浦上の受難〜」を見た。
長崎の浦上にはカトリック教徒のコミュニティーと被差別部落があった。彼らは長崎市民でありながら、原爆被害者として、そして部落の出身者は更に被差別部落民として二重の差別を受け、沈黙を強いられ、浦上を離れていった。原爆で家族を殺され、後遺症に苦しんだ者同士でありながら、他の市民は部落の人々を差別した。更に、散り散りになった人たちは、移住した先でまた原爆被害者として差別に合う。また、浦上のキリスト教徒と被差別部落は、江戸時代において、権力に利用されて対立を迫られた。幕末には被差別部落民の協力によって多数の隠れキリシタンが弾圧されるという事件もあった。元々あった差別や敵愾心が、原爆によって固定化された面もあったのかもしれない。原爆の恐ろしさが、広島の人々によってより強く伝えられ、原爆ドームが原爆の恐ろしさのシンボルになった陰に、長崎の多くの被爆者の長い間の沈黙があったのかもしれず、それには歴史的背景があったのだろう。
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