2013/08/31

"A Midsummer Night's Dream" (Shakespeare's Globe, 2013.08.30)


馬鹿笑いで夢から叩き起こされた。
"A Midsummer Night's Dream"

Shakespeare's Globe公演
観劇日:2013.8.30   19:30-22:40
劇場:Shakespeare's Globe

演出:Dominic Dromgoole
脚本:William Shakespeare
セット:Jonathan Fensom
音楽:Claire van Kampen
振付:Siân Williams


出演:
John Light (Oberon / Theseus)
Michelle Terry (Titania / Hippolyta)
Matthew Tennyson (Puck)
Pearce Quigley (Bottom)

☆☆ / 5

見る予定にはしてなかったのだが、昨日グローブ座のそばで、夕方、妻と知人夫婦と4人で食事したので、その後のこの演目を急遽見ることにした。

町の職人達のインタールードのシーンを中心に、駄洒落たっぷりのファースになってしまい、この劇のロマンチックで幻想的な面が台無し。HermiaとHelenaのストーリーを、Bottomとインタールードが飲み込んでしまった印象だ。特に最後のインタールード・シーンは、観客の笑いを取るために延々と続き、私は本当にうんざりした。アメリカ人などの観光客がとても多くて、何でも楽しんでやろうという姿勢が、公演の内容に関して大甘になってしまう。彼らにとっては演目は、シェイクスピアでなくても、寄席の芸でも良いんだろうか。特にBottomがロバになるところと、インタールード場面がしつこく笑いを取る演技となったので、前半に比べて後半が台無し。その結果、劇全体の印象がとても悪いまま終わってしまった。

しかし、公演の発想には注目すべき点もあった。劇はエリザベス朝の衣装に身を包んだ、Theseus率いる男達と、Hippolyta率いる女たちの、一種の仮面舞踏会で始まる。互いにとても攻撃的な身振りでこの両者を対峙させる振付で、男と女の対立をテキストにある以上に強調した出だしだ。この男女の争いの強調はその後も続くが、サブプロットのファルスにかき消されがち。

TitaniaとOberon、彼らの手下の妖精達の扮装や性格付けなどから見て、全体が伝統的な「ワイルドマン/グリーンマン」(森の野人)の味付けでまとめられていた。妖精達も、角を生やし、ある者は獣の仮面をかぶり、バックスキンの衣装等をまとって、半獣半人のようだ。Puckは、凄く細い、遠くから見るとまるで十代半ばみたいな容姿の俳優で、森の妖精にぴったり。エリザベス朝のピーターパン。ちょっと風変わりな歩き方やジェスチャーで大変個性豊かで、この公演で一番印象的な造形だった。Oberonは赤銅色に日焼けした上半身をいつも見せ、とても頑丈で逞しいワイルド・マン。それに合わせるようにTitaniaとHippolytaも、無愛想で、夫に対してアグレッシブに作ってあった。そういう荒削りの野性味豊かな登場人物の造形が公演の大きな特徴だろう。

インタールードのシーンも基本は悪くはないのだが、こういう劇場とか、ウエストエンドの商業劇場でやると、観客の反応に引きずられて延々と駄洒落を引き延ばし、シェイクスピアの喜劇が、お笑いの劇になってしまいがち。それで良いなら高い切符を買って劇場に来る必要はない。監督や役者は悪のりせず、馬鹿笑いを押さえるように、さらっとした演出・演技をやって欲しいと思う。個人的には、グローブ座では喜劇は見ない方が良いと思った。

(追記)この公演、批評は概して良いようだ。こういう上演を良いと思う人がイギリスでもマジョリティーなんだろう。私は陰気な人間なもので(苦笑)。もしこれからご覧になる方がおられれば、私の感想を気にせず、素直に楽しんで下さい。

2013/08/30

"Edward II" (National Theatre, 2013.8.29)


久々に見たマーロー作品。楽しめた。
"Edward II"

National Theatre公演
観劇日:2013.08.29  19:30-22:15 (with a 25 min. interval)
劇場: Olivier, National Theatre

演出:Joe Hill-Gibbins
脚本:Christopher Marlowe
セット:Lizzie Clachan
照明:James Farncombe
ヴィデオ・デザイン:Chris Konkek
音響:Paul Ardetti
音楽:Gary Yershon
ムーブメント:Imogen Knight
衣装:Alex Lowde

出演:
John Heffernan (King Edward II)
Vanessa Kirby (Queen Isabella)
Kirsty Bushell (Kent, King's sister)
Bettrys Jones (Prince Edward, later Edward III)
Kyle Soller (Piers Gaveston / Lightborn, the executioner)
Nathaniel Martello-While (Hugh Spencer, the king's favourite)
Ben Addis (Baldock, a scholar and clerk)
Kobna Holdbrook-Smith (Mortimer Jr.)
Paul Bentall (Mortimer Sr., the uncle of Mrtimer Jr.)
Alex Beckett (The Earl of Lancaster)
Matthew Pidgeon (Guy, the Earl of Warwick)
Penny Layden (The Earl of Penbroke)
Stephen Wilson (The Bishop of Coventry)
David Sibley (The Archbishop of Canterbury)

☆☆☆☆/ 5

Christopher Marlowe作の古典戯曲の上演。とは言ってもMarlowe作品が上演されることはイギリスでもそう多くは無く、私ははじめて舞台で見た。その意味で大変貴重な経験だったし、そもそも私はMarloweの戯曲が大好きで、今回見られて大変幸運だった。古典ではあるが一般の演劇愛好者にはあまり染みのない戯曲と思うので、私自身の復習も兼ねて、長くなるが以下に粗筋を整理しておく。

(粗筋) この劇は、特にこの公演では、Edward IIの戴冠から死、そしてプリンス、つまりEdward IIIの戴冠までを、Edwardと二人の"favourites"(寵臣)、 GavestonとSpencer (Junior)との関係、そしてそれに反発する大貴族や妃Isabella of Franceとの関係を中心に描く。

この公演では、まずEdwardの華々しい、きらびやかな戴冠の場面で始まる。しかし、これはMarloweの脚本にはなく、劇の最後にあるEdward IIIの戴冠と対称を成し、政権が一周したことをくっきりと示すためだろう。そして脚本の本編に入ると、追放されていた寵臣Gavestonが帰国を許されて、華々しく登場。そして彼とEdwardの関係が念入りに描かれる。王は、卑しい生まれであるが溺愛するGavestonに振り回され、彼に様々の高貴な身分と領地を与えるが、国政はおろそかにして国家の安寧を危うくしている。怒った大貴族たち、特にMortimerやLancasterはGavestonを再度追放するように王に迫る。カンタベリー大司教の介入により、王はやむを得ずGavestonを再度追放することに同意する。

しかし、妃Isabellaは王の愛情を取り戻すためにGavestonを呼び戻すことを許可するよう貴族達に懇願し、貴族達もこれに耳を傾け、Gavestonは又々呼び戻される。しかし、Gavestonは戻るやいなや貴族達と対立。これまで王を支持していた彼の妹のKentもGavestonへの王の肩入れに反発し、貴族達に加わる(原作では、Kentは王の弟Edmund, Earl of Kentである)。GavestonはHugh SpencerとBaldockを王の取り巻きに加える。

内乱となり、貴族達はGavestonを逮捕。王は、Gavestonの処刑前に一目会いたいという願いをBaldockに託し、貴族達もそれに同意するが、Warwickの企みにより、Gavestonはすぐに処刑される。妃もついに王を見捨て、息子のプリンスを伴ってフランスに戻る。内乱は続き、王の軍はついに貴族達の連合軍を破り、LancasterとWarwickを処刑。Mortimer Jr.、Kent、そして王妃は、Prince Edwardを押し立ててフランスで軍を起こし、イングランドを攻撃。王は、Hugh SpencerをGavestonの後釜に据える。王の軍は反乱軍に敗戦。王は逮捕され投獄、Spencerなどの取り巻きは処刑される。

Isabellaは今や彼女の愛人となったMortimer Jr.とイングランドを支配。Pembrokeとカンタベリー大司教は王に王位を息子に譲るよう説得する。一方、Kentは再度王を支持し、彼の命を助けようとするが失敗。彼女はMortimerの前に引き出され、プリンスの反対にも関わらず、処刑を宣告される。王は牢獄で拷問され、ついに退位。プリンスはEdward IIIとして戴冠。その一方、Edward IIは刺客のLightborn (=the devil, Lucifer) によって、殺害される(尻から長い鉄の棒を突きさした)。新国王は父親の殺害を知り、Mortimerの処刑と母Isabellaの投獄を命じる。

私が見たのはプリビューの2日目。従って、多少未完成なところがあった気がする。英語が良く聞き取れない私にも、台詞の間違いらしきところも気がついたし、インターバルでは大規模な舞台セットを組み替えるために、約25分を要した。

公演は現代的な味付け。最初の戴冠式と、途中貴族や家来が付けていた甲冑だけは疑似中世風だったが、あとは現代服。現代的、不協和音の混じる音楽・音響。台詞の美しさを強調するところもない。内乱のシーンでも、戦うような仕草をするだけで、剣をふるっての殺陣もなく、かなり迫力に欠けた。本当に現代的にするんだったら、銃で撃ち合ったりさせてはどうかと思う。先日見たHytner演出の"Othello"と比べると、現在の戦争とか内乱を連想させるような公演では無い。このあたり、私には、何故、今風にしなければいけないのか、良く分からないまま。

この公演の最も目だった特徴は、ステージの左右上方に2つの大きなスクリーンを作り、そこにステージでは見えない、ないしはよく見えない、舞台裏のシーンを、ウェッブカムでの中継映像として流すという試みだ。例えば、最初の方で、ステージ上に王やGavestonがいて、舞台裏の小部屋では貴族達がひそひそとGaveston追放の相談をしている時、その舞台裏の映像を、カメラを持ち仮面を被った黒子のような出で立ちの家来が手持ちカメラで撮影して、舞台上のモニターに映し出す。表舞台とは別に背後で色々な策謀がなされているという、宮廷政治の複雑さを示し、臨場感を増そうという工夫だろうか。映像と舞台を組み合わせ、シェイクスピアなど古典も演出するのは、例えば、Robert LepageやRupert Gooldの作品で、しばしばやられてきたし、これらの監督の作品では大変上手く行った場合もある。しかし、今回は画面が揺れる手持ちカメラで見づらいし(人によっては船酔いに似た気分になるだろう)、画面を見たり舞台を見たりと注意が散漫になる。特に上記の貴族達の相談の場面では、2つのスクリーンに別の映像が映り、しかも舞台上にも注目しなければならず、どのシーンにも中途半端にしか観客は注意できなくて、全く機能していなかった。公演の前半が後半に比べて良くないと感じた理由のひとつは、このウェッブカムの映像のためだろう。

前半のセットは、きらびやかな宮廷では無く、楽屋裏みたいな、ベニヤ張りのみすぼらしい背景。楽屋落ちの劇ですよ、と示す意図だろうかとも思ったり、でも私には意図が飲み込めないままだった。前半の終わりの内乱のシーンでは、このセットを倒して国家(王室)が崩壊するのを示す。後半では、この倒れたパネルなどを組み替えて、オリヴィエのステージの上に約3メートルの高さがある土台を組み上げ、その上に椅子や小道具を置いて、IsabellaとMortimerが陣取る。貴族達の会話や、王の牢獄場面などは下のステージで行われる。この、上方のみすぼらしい小宮廷は、仮の政権であることを示すため、そしてMortimerが偽りの為政者であることを示すために建てられたのであろう。彼がこの上で大声を上げると、如何にもmock-kingという感じだった。それは良いのだが、この山に載せられた為に、IsabellaとMortimerの位置が結果的にステージのかなり後方になり観客から遠く感じられ、見づらくなった。

Edward IIを演じたJohn Heffernan、大貴族達に押しまくられて、味方は少なく如何にも自信なさそうな表情を見せる一方、それと裏腹に、Gavestonへの執着だけはなかなか譲らない粘着質の頑固さも、印象に残る。そのGavestonを演じたKyle Sollerは、街のチンピラのような浅薄さを強調。もの凄い身の軽さでステージや観客の間をバッタか何かのように飛び回り度肝を抜く。最初に登場したときは、観客席上段から突如現れ、通路の手すりの上を台詞を言いながら歩きつつステージへと向かった。ただし、後半のSpencerもそうだが、王とそのfavouritesの退廃的なホモセクシュアリティが、何だか、街の娼夫とそのパトロンの安っぽい関係のようにも見えてしまい、耽美的な面が出ないのが残念。私の好みとしては、美しくてほれぼれするような優美なカップルであって欲しかったが・・・。しかし、そもそもプロダクションの意図がそうでは無いからなあ。吸い付き腰も合わせていつまでも離れないキスは、日本の舞台では男女の俳優でも見られないような迫力で圧巻。こういう大胆な身体性は日本人の観客には新鮮だ。この役のSollerはGavestonが殺された後、Edwardの殺害者として登場するのは皮肉。しかも殺し方も、尻から鉄の棒を突きさすという強烈さ!面白い工夫としては、KentとPenbrokeを女性にしたこと。先日の"Othello"で兵士に女性を混ぜたり、Emiliaを兵士にしたのと同様、配役のジェンダーで常識を覆してみるのは面白い試みだと思った。特に、黒いスーツと高いハイヒールを履き、細いが筋肉質のKent (Kirsty Bushell)が激しく他の貴族と言い争うシーンは、男同士よりも迫力があった。また、彼女が処刑される前に地面に這いつくばり、下着姿でMortimerと言い合うところも、女性の身体に込められた意思の強さが力強く表現されていた。しばしば王と他の貴族の仲介役として両者をとりなすPenbroke (Penny Layden)を女優にして、柔らかい印象にしたのも、上手く役柄とはまっていたと思う。私から見ると、配役の中で際立つ存在感を放っていたのは、Isabellaを演じたVanessa Kirby。私は彼女をナショナルの"Women Beware Women"で見ていた。1988年生まれで、まだ若いが多くの賞を取ったり、ノミネートされたりしている才能ある俳優で、凄いステージ・プレゼンスがあるな、と今回再認識した。Isabellaは、王に見捨てられ、不幸な女性だが、やがて愛人を使って王を死に追いやり実権を握る。哀れで弱々しくも、逞しくも、狡くもあり、どういう面を強調するか、俳優の腕が振るえる面白い役だと思うが、原作を呼んだ印象よりも、今回のIsabellaは遙かに強力な、勇ましい、意思の強い女に見えた。KentとIsabellaがこの劇の代表的戦士、と感じるふたりの名演。

公演全体の意図がイマイチ良く分からなかったが、俳優の演技には満足したし、久々にMarlowe作品をステージで見ることが出来、楽しい時間を過ごせたので、主観的な評価は☆4つ。シェイクスピアを見る機会が圧倒的に多いから、彼の様な善悪の判断とか予定調和の無いMarloweの世界が実に新鮮で面白い。随分長くなったがまだ書き足りないこともある。Marlowe自身の事や、書かれた時代、そしてEdwardの時代のことなど、プログラムを読んだり、少し調べたりし、多分この戯曲についてもう1回ブログに書きたいと思っている。

日本では今年10月、新国立劇場でこの劇をやるそうだ。森新太郎演出、河合祥一郎訳、榎本佑主演。私も見るつもりであり、楽しみだ。ナショナルの公演ではどうだった、とか野暮なことを言わずに、素直に楽しみたい。

2013/08/27

Luigi Pirandello, "Liolà" (National Theatre, 2013.8.26)


シチリアとアイルランドの田舎の物語
"Liolà"

National Theatre公演
観劇日:2013.8.26   19:30-21:00 (no interval)
劇場:Lyttelton, National Theatre

演出:Richard Eyre
脚本:Luigi Pirandello
翻案:Tanya Ronder
デザイン:Anthony Ward
照明:Neil Austin
音響:Rich Walsh
音楽:Orlando Gough
振付:Scarlett Mackmin

出演:
James Hayes (Simone Palumbo, a landowner)
Lisa Dwyer Hogg (Mita Palumbo, Simone's wife)
Rosaleen Linehan (Gesa, Mita's aunt)
Rory Keenan (Liolà)
Charlotte Bradley (Ninfa, Liolà's mother)
Eileen Walsh (Càrmina)
Aisling O'Sullivan (Croce Azzara)
Jessica Regan (Tuzza Azzara, Croce's daughter)

☆☆☆ / 5

私は何も知らないが、ルイジ・ピランデルロは20世紀前半のイタリアの生んだ世界的作家。この作品はこれまであまり上演されてこなかった作品のようである。今回のTanya Ronderのバージョンがどのくらい原作に忠実かどうかは分からない。イギリスで外国の劇を取り上げるときには、かなり大幅な改作がなされ、翻訳と言うより、翻案と呼ぶべき台本が多いので、相当に変えられているのかも知れない。脚本の改変ではないが、特に大きな違いを生んだのは、場面設定をアイルランドとだぶらせたこと。俳優をアイルランド人にするか、ないしはアイルランド訛りを話させて、半ばアイルランドの田舎の物語にしている。その結果、イギリス人の観客にはより身近に感じられるかも知れないが、私にとっての実際上の問題点として、台詞が非常に分かりにくくて、筋を追えないところが多く、あまり楽しめなかった。

場面設定は1916年の夏、シチリアの田舎の村。移民、あるいは出稼ぎのためだろうか、男達がほとんどいない。残っている男は、60歳代の大地主、Simoneと、若いプレイボーイのLiolà。Simoneは若い妻MItaはいるが子供が出来ず、跡継ぎがいなくて焦っている。一方、能天気なLiolàは村の多くの娘と関係を持ち、3人の息子を作り、その息子達は彼の母親Ninfaが育てている。更に彼はTuzzaという娘を妊娠させてしまうが、この娘はSimoneの若いいとこだった。そこでSimoneはTuzzaの赤ん坊を自分とMitaの子供として貰い受けるというアイデアを思いつく。しかし、この、夫に都合の良いプランに簡単に同意できないのが妻のMitaである。妊娠が出来ないのは彼女のせいでは無く、夫のSimoneが歳を取りすぎているからだが、まるで自分に責任があるかのように見えるのも腹立たしい。そこで、彼女は、元々彼を慕っていたLiolàと関係を持って自分の子を作ることにする。SimoneとLiolàは2人の妊婦に挟まれて困った立場に追い込まれる。

と言うような筋書きだそうだが、見ている間、特に中盤はあまり分かってなくて、うとうと。帰宅後ネットで調べて、なるほど、と思ったりしている体たらく。アイリッシュ・アクセントにやられた。それに時代背景や作家のことが全く分かってないのも良くなかった。プログラムも買ってなかったが、買って少しでも読んでおけば良かったと思う。

登場人物の置かれた立場、特に、貧しくて男達が村を出ており(アイルランドと同じ)、封建的・家父長的な社会の中、女性達は気の毒であり、悲しいお話である。しかし、Pillandello、そして特にRichard Eyreの演出意図は、そうした状況の中でも逞しく生きる女性達のエネルギーを讃えることだろう。全体に明るく、コメディータッチで、歌やライブ・ミュージックがふんだんに使われいて、半ばミュージカルみたいな時もあった。作品の内容、演出家の意図や場面設定、笑いと悲しみが入り交じった雰囲気等々、フリールの"Dancing at the Lughnasa"を彷彿とさせた。但、この劇はあくまで明るく、あれほど繊細でも、感動的でも無かったが。

Anthony Wardのデザイン、Orlando Goughの音楽、そして常にステージの一角を占めていたミュージシャン達が、シチリアの明るい風土を上手くかもし出していた。

時間が1時間半という小品で、食い足りない感じがした。オフウエストエンドのアルメイダとか、フリンジなどだったら、かなり満足できただろうが、National TheatreのLytteltonでの演目として選ばれるのに適切かどうか、やや疑問を感じる。但、スポンサーのTravelexの補助のおかげで、私の席はとても見やすかったが、たったの12ポンド(約1500円)!リビューはかなり良く、「思いがけない傑作」などの評価もあった。私ももう少し台詞の英語が分かればずっと面白かっただろうに、と悔しい。

2013/08/26

ITVのドラマ、"Vera"の第3シリーズ開始


今日は8月26日、バンク・ホリデーの月曜日。ノッティングヒル・カーニヴァルの日です。良い天気で、行楽にはぴったり。この週末がイギリスでの夏の終わり、と言う感じで、この後は秋の気配がしてきます。私は先週の水曜夜あたりから風邪気味で、折角ロンドンに来ていながら寝たり起きたり、部屋で少し勉強したりと、冴えない毎日です。でも無理しても気分が悪くなるので、大人しくしています。

というわけで、テレビを見て過ごすことも多いので、最近見たテレビから "Vera"の第3シリーズ第1話について。昨日25日の夜に放映されたばかりです。"Vera"は私がイギリスにずっと住んでいた2011年に第1シリーズが始まり、ブログにも書きました。日本でも有料チャンネルで放送されているようです。北イングランドのそのまた一番北に位置するノーサンバーランド地方を舞台にしたクライム・ドラマ。原作者は、私は読んだことないのですが、大変人気のあるクライム・ノベリストのアン・クリーブス。ストーリーは、伝統的な、アガサ・クリスティーみたいな感じです。私にとっては、そして多くの視聴者にとってもそうだと思うのですが、このドラマの魅力は、美しいノーサンバーランドの風景!そしてそれを十二分に意識したカメラワーク。ひとつひとつのショットが絵になっています。主役のBrenda Blethyn(ブレンダ・ブレジン)と共に、最大の魅力です。また、聞き取りは難しいですが、きれいな方言も耳に快いです。私はずっと字幕を出して見ています。でないと筋がちっとも分からないでしょう。放送時間は大体2時間ですが、民放でコマーシャルが入るので、90分程度でしょうか。1時間枠のドラマよりはゆったりしたペースで、事件の背後にある謎がゆっくりと解明されていくところが良いですね。

主人公はVera Stanhope主任警部(Detective Chief Inspector)。ひとり暮らしの仕事中毒。捜査に夢中になると、もの凄いエネルギーで、他の事が目に入らなくなり、部下の若い二枚目刑事Joe Ashworth (演じるのはDavid Leon、下の写真) を困らせます。Joeはとても素敵な奥さんがいるのですが、不規則な仕事と仕事中毒の上司のために、仕事と家庭の両立に苦労しているのが分かります。Vera自身はお酒好きで、伴侶もおらず、田舎の一軒家にひとり暮らしで、心の中も孤独そう。伝統的なハードボイルドの探偵の女性版かな。但、猛烈な仕事ぶりの一方で、たまに男性刑事と違う繊細な心配りを見せたりするところが魅力。Veraを演じる俳優Brenda Brethynは、演劇、映画、テレビドラマで長く活躍してきた著名な女優ですが、映画では、マイク・リーの『秘密と嘘』(1996) の主な出演者のひとり、そして、キーラ・ナイトリーが主演した『高慢と偏見』(2005) でミセス・ベネットを演じたので、思い当たる方も多いかと思います。

昨日見た第1話では、別荘地でウィークエンドを楽しみにやって来た若い女性の3人組のひとりが、突然遠くからショットガンで射殺されます。彼女のバックグラウンドを調べても殺される理由が見当たりません。そのうち、どうも彼女は人違いで撃たれたらしいという疑いが生まれます。別荘には他の人が滞在しているはずだったので、その人を誰かが狙っていたわけです・・・。

来週の夜、宿舎に居ればもう一話見られると思うので楽しみです。第2シリーズは見てないと思うので、DVD買おうかなあ。なお、安定した人気があるらしく、既に第4シリーズが撮影中とのこと。Brenda Blethynは67歳を過ぎているそうなのですが、元気ですねえ。



2013/08/22

National Theatreと周辺の風景

昨日ナショナル・シアターに行ったついでに写真を撮ったので、載せておきます。まずは川向こうから見た外観。



そして入り口の当たりを川側から見たところ。打ちっ放しのコンクリートの殺風景な建物で、建物が出来た当初(1976年)はかなり批判もあったらしいです。でも当時の流行りだったんでしょうね。なお、その前の組織としてのナショナル・シアターは、多くの方がご存じの通り、Waterloo駅そばの美しいOld Vic Theatreで上演を行っていました。当時の芸術監督はローレンス・オリヴィエ (1963-73)、今の建物に移る前後は ピーター・ホール (1973-88) でした。





次はロビーです。まだこの時は空いているけど、開演近くなると人がぎっしり。音楽の演奏なども良く行われ、劇を見ない人も楽しめます。この日はやってなかったな。奥にカフェがあり、飲み物やサンドイッチ、サラダなどの他、いくらか温かい料理もありますが、開演近くなると込んできて、座るテーブルがなくなります。食事する時はやや早めに。その他にも上階にカフェテリアや結構立派なレストランなども(行ったこと無し)あります。まあこのあたりはレストランやカフェは他にもたくさんありますから、ここで食べる必要はなし。私は大抵サンドイッチを持っていって、ロビーで食べたりしています。エントランスの直ぐそばにはブック・ショップが有り、演劇関連の書籍やDVD、劇のテキストなどが豊富。絵はがき、マグカップ、Tシャツなどのロンドン土産みたいな品物も少しあります。





 これは帰りにWaterloo Bridgeの上から撮ったナショナル・シアター。遠く向こうにぼんやり白く見えるのはセント・ポール寺院。手前の赤い建物は"Shed"(小屋)という簡易劇場。ナショナル・シアターは大きい順にOlivier、Littelton、Cottesloeという3つの劇場で出来ているのですが、そのうちの小さなスタジオ・シアターのCottesloeが今改築中。その間にCottesloeの代わりとして今年、Shedが建てられたらしいです。今回私は行く予定はありません。Cottesloeが改築なった後は、Dorfman Theatreと呼ばれることになっています。Dorfmanという名前は、ナショナルにいつも多額の寄付をし、その恩恵により安い切符を売ることを可能にしてくれているTravelexという会社の経営者Lloyd Dorfmanの名前から取ったようです。Travelexは外貨両替を主な仕事とする会社です。Dorfmanさんはナショナルのディレクター以外にも色々なチャリティーの仕事もやっていて、その方面でも大変社会に貢献している方です。事業家の鏡ですね。


ついでに、同じ頃ナショナル・シアターの周辺で撮った写真も追加します。最初は、お馴染みセント・ポール寺院です。

次は新しいロンドン名物の高層ビル、The Shard。"shard"という単語はガラスの破片などを示す語。尖ったガラス片みたいですからね。
この民間ビルは昨年11月完成。設計したのはイタリア人建築家、レンゾ・ピアノ(関西国際空港ターミナルの設計者)。72階、306メートルあり、EU域内で一番高いビルだそうです。72階には展望デッキがあり、観光客を集めていて、スカイツリーみたいにかなり待たないと登れないとか。Shard London Bridgeとも呼ばれます。34〜52階はシャングリラ・ホテル、その他は色々なテナントのオフィスが入るそうです。その中には、カタールのテレビ局、アルジャジーラのスタジオも含まれます。ビルは民間企業とカタール政府が主な出資者とのこと。計画が発表された頃、ロンドンの景観を壊すとして、English Heritageなどから批判されたそうですが、出来てしまいました。"Shard"という名前は、English Heritageが批判した際に使った言葉(「ロンドンの歴史的心臓部に突き刺さるガラス片」)から取られたようです。(Wikipedia日本語&英語版より)写真は撮りましたけれど、個人的にはEnglish Heritageの反対に共感。The Shardのあるサザークは多くの古い建物が残る地区であり、周辺のLondon Bridge等の歴史的景観の調和を壊すことになっているのではないかと思えます。作るなら既に高層ビルが建ち並ぶDockland地区などがふさわしいかったとは思います。

最後はナショナル・シアターの近くから、テムズにまたがり、チャリング・クロス駅方面に通じる歩道橋、The Golden Jubilee Bridges。
右側に見える鉄橋がThe Hungerford Bridgeで、これは鉄道のための橋で、1845年建設。The Golden Jubilee Bridgesはこの古い橋の両側に2002年に作られた2本の歩道橋で、The Hungerford Bridgeの土台に支えられています。名前の通り、女王の戴冠50周年を記念して作られました。天気の良い夏の日は最高ですが、冬渡るのはさむ〜い。


2013/08/21

"Strange Interlude" (National Theatre, 2013.8.20)


文字通り「奇妙なインタールード」
"Strange Interlude"

National Theatre 公演
観劇日:2013.8.20  19:00-22:15 
劇場:Lyttelton, National Theatre

演出:Simon Godwin
脚本:Eugene O'Neill
セット:Soutra Gilmour
照明:Guy Hoare
音響:Christopher Shutt
音楽:Michael Bruce

出演:
Anne-Marie Duff (Nina Leeds)
Darren Pettie (Edmund Darrell)
Jason Watkins (Sam Evans, Nina's husband)
Charles Edwards (Charles Marsden)
Patrick Drury (Professor Henry Leeds, Nina's father)
Geraldine Alexander (Mrs Amos Evans, Sam's father)
Wilf Scorlding (Gordon Evans, Nina and Sam's son)
Emily Plumtree (Madeline Arnold)

☆☆☆ / 5

人生は「奇妙なインタールード」だと、主人公のNina Leedsが言う事が2度あったと思うが、この劇自体も、"a strange interlude" と言えるだろうか。同じような台詞で、『マクベス』の終わりの「人生は歩く影法師」を追い出す:

Life's but a walking shadow, a poor player,
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more. 

「奇妙な劇」のようなNina達の人生、そしてそれを描いた「奇妙な劇」、2重に「奇妙」。オニールの発想の原点はどこにあったのか知らないが、実際、私にはこの劇はシェイクスピアなどのルネサンス劇を思い出させた。少なくとも、20世紀のリアリズム劇とはかなり違う。

劇は、大学教授の娘で主人公のNinaが、第一次大戦でフィアンセのGordonを失った時から始まる。この後の彼女の一生は、成就しなかったGordonとの愛の残像を追い求めることに費やされたとも言える。すさんだ気持ちに安らぎを与え、安定した家庭を持って人生を立て直すために、彼女は平凡だが自分に夢中の勤め人、Sam Evansと結婚する。一方、Ninaの父親を慕っていたマザコンの作家、Charles Marsdenも彼女に想いを寄せているが、Ninaは全く相手にしない。その後彼は、一生Ninaの傍観者であり併走者として、彼女とSamの回りをうろうろしつつ、劇全体の語り手(an expositor)、兼、フールの役を演じ続ける。

Samは退屈な男ながらも愛情溢れ、Ninaは彼の子を宿し、ふたりは幸福をつかんだように思えた。しかし、NinaはSamの母から、夫の一家には狂人が続出し、Samの父を始め、ほとんどがその為に亡くなったか、精神病院で一生を終えたことを知らされる。これを聞いてNinaは夫との幸せな家庭を維持する為に、大胆な試みを思いつく。つまり、妊娠した子を堕胎し、その後、別の男性の子を宿そうと決心する。その相手として選んだのが、医者のNed Darrellである。医者として、科学的にこの「実験」に協力をしてくれる人物とにらんでNinaが選んだNedであったが、ふたりの関係は本人達の当初の意図に反して肉体だけに終わらず、2人は深く愛し合うようになり、その後の人生設計を大きく揺るがす。NinaはNedの子を産み、最初の恋人の名を取ってGordonと名づけるが、Samは自分の息子と思い込み夫婦はそれまで同様に生きていく。一方傷心のNedはその後の人生の多くを海外でNinaから遠く離れて過ごすことになる・・・。

といったプロットで、簡単に言うと、Ned、Sam、そしてCharlesの3人の男が、魅力的なNinaに振り回されるというお話。劇としてstrangeなのは、台詞の多くがモノローグで、しかも、そのかなりの部分が観客にしか聞こえない"aside"(わき台詞)だということ。これはたびたび観客に直接語りかけるルネサンス劇ではお馴染みの手法だが、20世紀のリアリズム劇では禁じ手ではなかろうか。現代の物語をシェイクスピアみたいな調子でやったらどうなるか、という実験とも言えるだろう。わき台詞が入る度にメインの台詞のトーンを掘り崩すような働きをする。それが一種の異化効果を生み、悲劇的な背景や出来事が多いにも関わらず全く悲劇にはならず、喜劇になっていく。最初の1時間弱は、私はこのペースに慣れず退屈に感じたが、インターバルが近づく頃には、段々と、不思議なくらい面白くなっていたし、観客からも度々笑い声が上がった。Samは妻の堕胎とか子供の出自を知らない哀れな天然のフール、Charlesは頭は良いが救いようがないくらい気弱なフール、そしてNedは色男のフール、に見えた。Ninaは、不運にも見舞われたし、悪気もなかったのだが、結果的に3人の真面目な男達をきりきり舞いさせて、彼らの人生を狂わせた、謂わば、ファム・ファタールだし、伝統的反女性主義の悪女像そのものではないとしてもそれに接している。そういう意味では、19世紀的な女性観というか、古めかしい劇である。Samが自分の息子が実子ではないことに気づかない(?)とか、血筋に精神病患者が沢山出ているからといって堕胎をするとか、現代の観客には信じがたかったり、受け入れられない点もあり、1928年というこの劇の古さを感じる。その一方で、出生前診断により、異常が発見された胎児の堕胎などが行われるようになった今、笑い事で済まされない問題も含まれている。また、Tennessee Williamsと同様、O'Neillにとっても狂気が重いテーマだったんだろうと認識させられた。

Anne-Marie Duff、上手い! 無邪気さと打算が奇妙に入り交じった魅力的女性像を上手く作り上げた。彼女は、テクニックを超えて、何だか俳優になるために生まれてきたような天然の巧さというかな、そういう才能を感じさせる女優だ。他の俳優も好演していたが、特にCharles Marsdenを演じたCharles Edwardsの絶妙なわき台詞が印象に残る。演じる役者としては、手腕の発揮出来る面白い役柄だろう。一方、Samを演じたJason Watkinsは、馬鹿なお人好しぶりをやや強調しすぎでは、と感じた。

この劇はカットしないと5時間かかるそうで、2日に分けて上演されたこともあったらしいが、今回はインターバルを除くと約3時間に収めてあった。長いらしい、と覚悟して行ったが、そうでも無かったし、特に中盤は時間を忘れる面白さだった。但、私には、1回見れば充分、という劇ではある。リビューをパラパラ見ると、Financial TimesのIan Shuttleworthは2つ星を付けている一方、TelegraphのCharles Spencerは5つ! この実験を上手く行っていると見るかどうかで、好き嫌いが分かれそうだ。リビューがこういう風に大きく別れたことは、かなり変わったコンセプトで書かれているか、演出されている証拠だろう。今回の上演チームは、スタッフも俳優も上演が大変難しい劇と上手く取り組んだと思う。National Theatreでなければ出来ない冒険だ。なお、Robert Z. Leonardが監督、Norma Shearer、Clark Gableなどが出ているハリウッド映画もある。109分という短さだから、原作戯曲の3分の1以下にカットされている。

(蛇足)少し前の席にレイフ・ファインズが座っていて、回りの人は皆きょろきょろ。意外と小柄に見え、目立たない人だったなあ。昔、『コリオレーナス』の舞台で見た時は大きく見えた。

2013/08/20

グローブ座の様子

これまでにもこのブログに載せたとは思いますが、『テンペスト』の感想を書いたついでに、観劇した時に撮った写真を載せておきます(またか、と言われそう)。グローブ座内部は他の劇場同様もちろん写真撮影禁止ですが、多分始まる前は自由のようで(あるいは大目に見られていて?)、注意されることはないようです。でも役者が出て来たら、どんなに誘惑に駆られても、絶対写真を撮らないようにしましょう。

最初は直ぐそばのThe Southwark Bridgeから撮った遠景。グローブ座のすぐ後ろに、TATE.ORG.UKと書いてあるビル、テイト・モダンですね。


そして内部。ステージの背後の建物を当時の表現で"tiring house"と言います。「楽屋」といったところですね。この"tire"は「疲れる」という意味の動詞から来たのではなく、衣服を意味する語"attire"の語幹部分と共通の語で、「衣類をまとう」という意味です。従って役者が扮装を付ける場所ですね。椅子席のあるところは"gallery"と呼ばれています。今回のステージは、下の写真で分かるように、いつもよりも広くしてあり、丸くなっていますが、普通は長方形です。あまり大きくすると脇に座ったり立ったりしている観客には見えにくくなって不親切なんですけどね。見えづらい椅子席はいくらかお安くなっています。正面の1階と2階の一番前あたりが一番見えやすいかな。でも、一番前は日射しが強い日は直射日光がまともに当たって、暑いしまぶしくもありますね。立ち見席や前の方の列の席の方は、帽子を持って行くことをお勧めします。
"tiring house"の3階部分は閉められていますが、ここに楽士が陣取っていたらしいとも言われます。今回は楽士は2階にいました。 


土間の立ち見部分は"pit"と呼ばれます。そこで見る人は当時の言葉で"groundling"。椅子はありませんし、地面に座ることも許されていません。この部分のチケットは5ポンドで、毎回700枚が売りに出されるとのことです。ちなみに、gallery席は857席だそうですので、合わせて1557席。エリザベス朝のオープン・エアー劇場の収容人数は、1500から最大3000人程度までと言われています。結構良い商売していましたね。

私も十数年前、立ってみたことがありますが、今はとてもそんな体力ありません。膝も痛くなるだろうなあ。暑い日には結構倒れる観客が出ます。飲料水は必需品です。逆に雨が降ればずぶ濡れになる可能性もあります。ロンドンでは激しい雨は珍しいですが、立ち見の方は天気予報のチェックと、濡れるのが嫌な方は携帯用カッパの用意をしたほうが良いでしょう。gallery席の上は屋根がありますが、風が吹けば前の列は少しは濡れます。雨が降らなくても、夏の天気の良い夜でも終演頃は結構肌寒くなることが多いので、最後まで半袖のTシャツではしんどいかも知れません。私のようなひ弱な方はお気をつけ下さい(^_^)。

しかし、毎年イギリス来ても、見物しないから、写真と言えばNational TheatreとShakespeare's Globeがあるサウス・バンクあたりばっかり(苦笑)。

2013/08/19

"The Tempest" (Shakespeare's Globe, 2013.8.18)


オーソドックスな公演、但、エアリアルはお休み・・・
"The Tempest"

Shakespeare's Globe 公演
観劇日:2013.8.18 18:30-21:30
劇場:Shakespeare's Globe, Bankside

演出:Jeremy Herrin
脚本:William Shakespeare
セット:Max Jones
音楽:Stephen Warbeck
振付:Siân Williams
衣装:Nichola Fitchett
テキスト指導:Giles Block

出演:
Roger Allam (Prospero)
Jessie Buckley (Miranda)
William Mannering (Sebastian)
James Garnon (Caliban)
Matthew Raymond (Ariel)
Jason Baughan (Antonio)
Pip Donaghy (Gonzalo)
Peter Hamilton Dyer (Alonso)
Joshua Jones (Ferdinando)
Sam Cox (Stephano)
Trevor Fox (Trinculo)
Amanda Wilkin (Ceres / Spirit)
Sarah Sweeney (Iris / Spirit)

☆☆☆ / 5

グローブ座らしい、観客とのやり取りに溢れた楽しい公演。特に奇をてらうところなく、グローブの特性と俳優達の演技を生かしていた。特にRoger AllamのProsperoは観客の注目を一身に集める迫力があり、私には、彼だけでもこの公演を見る価値があった。残念ながら、この日18日で公演は終わり、これから渡英という方には間に合わない。私にとって、特に不運だったのは、この公演のもうひとりの看板役者で、テレビドラマ"Merlin"の主役Colin Morganが病気で休演したこと。私はMorganのファンじゃないので、彼が出ていなくても良いのだが、アンダー・スタディも置いていないらしい。したがって、船員などをやる端役の俳優、Matthew Raymondが突然Arielの台詞を台本片手に読むことになったそうだ。劇の終わり近くでは、Arielの台詞をProsperoが読んだ部分さえあった。ブレヒトじゃないけど、冗談みたいな異化効果! 最初に説明に出て来た人が、「当劇場は公的資金の援助を受けていないのでアンダー・スタディを置く余裕がないことをご理解ください」、と弁解していた。でも端役の人はいるわけだから、そういう人に主な役者の代役を出来るだけ当てておくことは出来ないのかなあ。Arielは雰囲気作りの上でとても大事なので、その部分が白けることで、全体の印象がガタ落ちした。

とは言え、それ以外の部分は大いに楽しい、エンターテイメント性溢れる公演だった。 Prosperoと台本を持ったAriel役の役者のぎこちないやり取りも含め、Globeにやってくる観客は観光客も多くて大甘だから、何でも楽しんで、失敗にも笑いが起こる。これで良いのか、と思う時もあり、役者が笑いを取ろうという姿勢があざとく見えるときもある。しかし、概して、そういう観客の笑いを起点として舞台作りをする姿勢が上手く機能していると思った。こういう双方向性の共感に満ちたシェイクスピアは、ナショナル・シアターでは無理だし、RSCでもかなり難しいだろう。このオープン・エアーの円形劇場ならではの雰囲気が作り出す不思議な化学反応がある。劇が始まる前は、試合直前のスポーツ・スタジアムみたいな雰囲気だろうか。Globeは商業劇場なんだから、頭でっかちの試みをするよりも、とにかくシェイクスピア作品で演劇鑑賞に慣れていない観客を楽しませることが大事だ。若い観客もとても多いし、立ち見の安い料金も含めて、Globeが演劇のすそ野を広げている功績を賞賛したい。

Globeは、昔同様、大規模な舞台装置は使わないが、オーセンティックな衣装が光った。特にミラノ大公一行のエリザベス朝の服は良く出来ていて印象的。また、小道具も良い。London Townというサイトからコピーさせていただいたが、嵐のシーンでの小さな船、終わり近くでCalivan達を撃退する妖精が持っていた骸骨のモンスターなど、見て楽しかった:



Roger AllamのProspero以外の役柄では、James Garnonの、日本の赤鬼みたいなCalibanが可愛く、ちょっと哀れで良かった。飄々とした台詞回しのTrinculo、伝統的なフールの衣装をまとったStephanoも楽しい。その他、個人的には、上の写真に写っている妖精のひとりを演じたSarah Sweeneyがあやしげな雰囲気で凄みある存在感が印象に残った。

最後に観客の手拍子に合わせて俳優がみんなで踊るのもGlobeらしい。シェイクスピアをほとんど知らなくても、(私もそうだが)英語があまり聞き取れなくても楽しめる。だから一層、Colin Morganが病気だったのは仕方ないとして、Arielのアンダー・スタディがいなかったのが惜しまれた。

2013/08/18

"Othello" (Olivier, National Theatre, 2013.8.17)


現代的なアイデアに溢れた
"Othello"

National Theatre公演
観劇日:2013.8.17  19:15-22:30
劇場: Olivier, National Theatre

演出:Nicholas Hytner
脚本:William Shakespeare
デザイン:Vicki Mortimer
照明:Jon Clark
音響:Gareth Fry
音楽:Nick Powell
音響:Gareth Fry

出演:
Adrian Lester (Othello)
Rory Kinnear (Iago)
Jonathan Bailey (Cassio, Othello's lieutenant)
Tom Robertson (Roderigo)
Olivia Vinall (Desdemona)
William Chubb (Desdemona's father)
Lyndsey Marshal (Emilia, Iago's wife)
Rokhsaneh Ghawam-Shahidi (Bianca)

☆☆☆☆☆ / 5

Hytner演出作品らしい、政治的で現代的な"Othello"。私はとても楽しめた。しかし、シェイクスピアの台詞の美しさとか、リリカルなシーンを味わいたいという観客は失望するだろう。

Vicki Mortimerのデザインでは、この公演の舞台を、建前は地中海のキプロスでも、おそらくイラクかアフガニスタンに派兵した英軍の陣地とだぶらせつつ設定している。Desdemonaとベニスのセネター、Biancaなどを除き、Othelloを始めとするほぼ全員が迷彩色の軍服やカーキ色のTシャツを身につけている。異色だったのはEmiliaも軍服を身にまとい、そうした兵士の1人として位置づけられていることだ。更に現代の英国軍であるから、人種も性も多様である。兵士の中には数名の黒人や中東系の外見の男も、Emiliaを含め、約3名の女性兵士も混じる。これにより、Othelloが差別に苦しむ黒人将軍という視点は明らかに薄くなった。彼は確かにムーア人ではあるが、その事で際立つのは肌の色ではなく、彼がアウトサイダーの成り上がり者であるという点だ。この方がむしろシェイクスピアの同時代の視点に近いのではないかと思った。20世紀後半の"Othello"はあの時代の雰囲気を映し、白人の中のただひとりの黒人将軍という点を際立たせ、人種差別の問題に焦点を当ててきたが、今回の公演を見て、そうした解釈が決して普遍的なものではないと分かった。

多くの公演では、舞台はキプロスらしく地中海的な明るさで始まると思うが、この舞台の場面設定は、土気色のモノトーンの乾燥地帯だ。外の世界から遮断され、分厚いコンクリートの壁で囲まれ、ゲート付近は金網と鉄条網が張り巡らされ、衛兵によって厳重に警備されている。現在のイラクやアフガニスタンにおいても、西側政府や国際機関関係者は、セキュリティーのために、外部の者が入れない特殊な地域で閉鎖的生活を送る人が多いと思うが、Othello将軍率いる軍隊も同様の環境に置かれている。しかし、その中で、ナイーブで、異民族、アウトサイダーの成り上がり者で、しかも貴族の娘を妻にしたばかりの将軍の孤立は際立つ。彼の精神状態は、若く美しい妻を手に入れたことの喜びと、昇進や戦勝とで、極度の高揚感に包まれているが、それが他の兵士の面前で、妻を抱擁したりするときに特に目立つ。しかし、妻とのそうしたプライベートな生活を軍の規律の中に持ち込むことに対する部下の兵士達が感じる違和感、不快感と自身の孤立を彼は理解していない。彼のナイーブさは、それに輪をかけて子供っぽいDesdemonaのナイーブさによって増幅される。しかし妻の浮気の疑いというひび割れを通じて、自分の孤独が明らかになると、仕事上の副官Iago以外に悩みを打ち明ける者も、頼る者もいないOthelloの内面の崩壊は一気に進む。

Rory KinnearのIagoは、やはり彼がナショナルでHytner演出の下で演じたHamletを大いに思い出させた。劇の始まるベニスでの場面、美しい新妻を得、また軍の会議を主宰する将軍の傍らで、Iagoは、結婚の祝宴で浮かれるClaudiusとGertrudeのそばで鬱屈するHamletのように、憂鬱な、不満一杯の面持ちで立ちつくす。こういうシーンのKinnearは実に絵になり、私は大好きだ。自分が軍内の昇進において、Cassioに先を越されたことで、Othelloを酷く恨み、Cassioを妬んでいる。Iagoが後にOthelloに警告する有名な台詞、「ああ閣下、緑の目をした嫉妬心にご警戒を。あれは人の心を食い散らし、あざ笑うのです・・・」 (O, beware, my lord, of jealousy; / It is the green-eyed monster which doth mock / The meat it feeds on . . . .) 、あれは若いCassioに役職を奪われたことに憤る彼自身の嫉妬心を注ぎ込んだ言葉のような気がした。彼は最終的には悪魔の化身であり、同情すべきところのほとんど無い人物であるが、しかし、Kinnear演じるIagoはHamletのような懊悩するアンチ・ヒーローの一面も見せ、『失楽園』のサタンを連想させる。

乾燥した占領地の、牢獄のような塀と金網の中、潤いのかけらもないプレハブの宿舎や娯楽室、そして男性用トイレなどで、Othello、Iago、Desdemonaの一種の三角関係が煮つまっていく。階級による上下関係が圧倒的に重要な軍人の世界と、繊細な機微が必要な男女の愛が、色々なシーンで不協和音を立てる。カジュアルな大学生のような格好で跳ね回るDesdemonaと、回りの人々の軍服、敬礼、直立不動が対照的。Othello自身、妻と話す時も軍服で、ずっと拳銃をベルトに下げ、更に、しばしば腕を後ろで組んで軍人の姿勢でDesdemonaに命令するように話す。一旦戦争が始まれば、武器をふるい敵を殺すことを仕事とする軍人が、精神のバランスを壊した時の難しさは、ベトナム、イラク、アフガニスタン戦争などでの兵士の暴発行為や帰還兵のトラウマなどで良く知られている。実際、Desdemona殺害のシーンは、ドメスティック・バイオレンスの暴走とも映った。しかし、その為に、最後のシーンのリリカルな悲劇性がガクッと失われてしまい、残念でもあった。そういう意図のプロダクションだから仕方ないが。

この劇、シェイクスピア作品の中でもシンプルで、とても道徳劇的だ。エブリマンとしてのOthello、ヴァイスとしてのIago、道化的なRoderigo。最後にOthelloがDesdemonaを殺害するベッドは、道徳劇の代表作『堅忍の城』("The Castle of Perseverance") のベッドを連想させる。そもそも、このOthelloの陣地自体が、「城」と言えぬ事も無い。しかし、Othelloにとって不運なことは、種々の試練を経て魂の救済へと導く道徳劇と大きく違い、徳目 (Virtues) を示し主人公の誤りを正すキャラクターが見当たらない。ひとり孤立したOthelloはヴァイスの言いなりになるばかりで、焦燥感にかられ悲劇的な自己破壊へと一直線に突き進む。

Adrian Lesterは悩める普通の夫で、かつ現代の軍人を巧みに演じ、身近に感じるOthelloだった。Rory Kinnearと共に、このプロダクションの意図を良く伝えていた。Olivia Vinallは普通すぎるくらいの若妻。いつもロンドンの街角で見かける奥さん、という感じ。プロダクションの性格故か、EmiliaやCassioなどの影は薄かった。

2013/08/16

大英図書館にて


以前にも載せたことがあるかとは思うのですが、大英図書館(The British Library)の写真です。キングス・クロス=セント・パンクラスの駅のそばにあります。今週は月曜から今日木曜まで4日間ここに通いました。2枚目の写真の上にちょっと見えている古い建物は、隣接するセント・パンクラス駅の駅舎の一部です。




入るとロビーです。

日本の国会図書館と同様、リファレンス書籍を除き、本はほとんど閉架です。リーダーの登録をし、閲覧室に入って本を注文します。あるいは、あらかじめオンラインで注文しておくことも出来ます。多くの本は1時間強くらいで出て来ます。リーダーになるには英語の住所証明などが必要ですが、外国人でも、研究者でなく一般の旅行者でもリーダーの登録が可能です。また使用料は不要です。但、日本にいる間に準備をしておく必要はあるでしょう。書類を揃える上でやや面倒なのは、英語のIDです。ひとつは自筆サインを証明するもので、パスポートが一番ですが、もう一つは英語の住所が書かれた公的書類です。英語圏在住の方は銀行、クレジットカード会社や公共料金の3ヶ月以内の領収書や請求書などが便利ですが、日本に住んでおられる方でも英語である必要があるので、銀行や役所などに英語の住所を書いた書類を発行できるか問い合わせる必要があります。大学生は、おそらく大学で発行してくれるでしょう。そういう手段がない方の場合、ネットで検索すれば、公的書類を英語に翻訳する専門業者もあります。閲覧者カード(リーダーズ・パス)には写真が付きますが、それは登録の時にその場で撮ってくれます。

日本の国会図書館同様、単に閲覧室に入ってみたい、英語の本を読みたいというだけでリーダー登録をするのは面倒すぎるし、この図書館の趣旨にも合わないでしょう。何か特に調べたいテーマがある方には大変便利な施設です。研究者の方で、研究に貴重書の閲覧をしたい場合は、あらかじめ申し込む必要があるそうです。ペンは使えず、ノートは鉛筆で取るか、ノート・パソコンを持ち込みます。従って、鉛筆の用意が必要です(忘れた時は一階のギフトショップでも買えます。他の荷物やコートは地下のクロークかコインロッカーに預けます。ほとんどの人はパソコンを持ち込んでノートを取っています。

閉架書庫のほとんどは地下にあるんだろうと思いますが、ロビーからも一部がガラス張りになっていて、見ることが出来ます。


建物の前の広場と中二階にカフェ、更に一階にカフェテリアもあり、閲覧者だけでなく、旅行者も利用できます。カフェは写っていませんが、中二階部分:

また常設展 (Sir John Ritblat Gallery)、及び有料の特別展を常時やっていて、登録したリーダーだけではなく、本好きの観光客も色々楽しめます。無料の常設展では、中世の美しい彩色写本、近代小説の手稿、ビートルズの原稿、その他、多くの古典的文学作品の作者による原稿、古地図等々、色々な珍しい本や原稿が見られます。また、今は「プロパガンダ」という特別展をやっています。写真の左奥にあるのが、その大きなポスター:

勿論ギフトショップもありますよ!本も色々売っていますが、絵はがきやカード、その他、お土産になりそうな小物もたくさんあります。イギリスに行けない方でも、このギフトショップのオンラインショッピングも出来ます。大英図書館は出版もしていて、本に関する本を沢山出しており、また専門書ばかりでなく、一般向け書籍も多いです。ショップと言えば、お隣のセント・パンクラス・インターナショナルの駅もお店レストラン、カフェなどかなりあって、お買い物の好きな人、お土産を買いたい人、余り高くない手軽な食事を取りたい人には便利です。

日本にいると遠く離れていてまず会わないような人に、ここに来ると偶然ばったり会ったりします。今週は同じ閲覧室で、日本の高専に勤めておられる友人を何度か見かけました。

閲覧室の机や椅子は、こちらの大柄の人達に合わせて作られていることもあって、とても大きくて快適です。パソコン利用の為のコンセントもあります。また、登録すれば無料で無線LANが使え、勉強しながらオンライン辞書などを使いたい時は便利です。但、利用者が多いためか、スピードがとてもゆっくりで、良く接続が切れる時もあります。従って、閉架の本の閲覧をリクエストするには、あらかじめ宿舎で大英図書館のホームページをから予約して出かけるか、着いてからなら閲覧室に備え付けのコンピュータ端末を使う方が手っ取り早いかもしれません。私の場合、利用の手順は次のようになります:
1 出かける前に図書館のホームページから目的とする本を検索し予約する。その際、利用する閲覧室を指定する。
2 図書館に着いたら、まずクロークかコインロッカーに荷物を預ける。備え付けの透明のビニール袋にノートや筆記用具など閲覧時に必要な私物を入れる。
3 リーダーズ・パスを示して、本の予約の際に指定していた閲覧室に入室。閲覧室は複数あり、どの部屋でも使えるようだ。但、開架のリファレンス書籍などの関係から自分の専門分野の閲覧室が良いかもしれない。慣れてくると、部屋の雰囲気とか友だちと打ち合わせて一緒の部屋とか(勿論おしゃべりは厳禁)、色々と好みで選ぶようだ。
4 適当な席を選び、席の番号をメモ(私はすぐ忘れるので)。
5 カウンターに行って、リーダーズ・パスを示す(つまり、名前を知らせる)と、予約していた本を持ってきてくれる。その際、席番号を言う。
途中、手洗いとか食事で退室する時は、ほとんどの人はパソコンなどを席に置いたままです。リーダーのみしか入れないのでかなり安全性は高いと思います(但、保証の限りではありません)。帰宅する際は、入り口の職員に持ち物を見せます。自分で持ち込んだ本だけは、図書館の蔵書でないか念入りに調べられます。翌日も読みたい本は、3日間まで自分用にリザーブしておくことが出来ますので、返却の際に"I want to hold this book for tomorrow"などと言うと閉架書架に戻さないで、カウンターの裏の書架に取っておいてくれます。

最後の写真は、建物の前の広場にある大きな像。Eduardo Paolozzi作で下につけてある銅板に ' "Newton" after William Blake' (1995)と銘打たれています:

この像を作ったサー・エドゥアルド・パオロッツィ (1924-2005) はスコットランド人の著名な彫刻家。この作品は1795のウィリアム・ブレイクによる版画を基に作られていて、描かれている人物は万有引力の法則で有名なサー・アイザック・ニュートンだそうです。彫刻家の意図は、科学と芸術の融合を示したいとのことのようです。ここで手にコンパスを持って何かをデザインしているニュートンの姿勢は、世界を創造している神の姿を暗示しているとのこと。詳しくはこちら

2013/08/12

ロンドン滞在中

ちょっと近況報告。8月9日土曜日にロンドンにやって来ました。今日は12日ですが、まだひどい時差ボケで、今朝も5時に目がバッチリ覚めました。それで、夕方くらいからボーッとして怠くなってきて、9時頃には猛烈に眠くて、10時頃寝てしまいます。でも気温と湿度は天国ですね。疲れ方が全然違います。

今回は1ヶ月の滞在。彼がバカンスで海外に行ってなければ大学の指導教授に会い、大英図書館で日本では読みにくい文献を読み、その他は無為にのんびり避暑をするつもりです。ここに来る前は夏バテでかなりお腹が悪く、体もだるかったので、こちらに来て少しは健康を回復したいと思います。観劇も今のところ3本予定しています。これから演目を調べて、値段も考えつつ、もう少し見るでしょう。美術館や博物館などにも行きたいし、落ち着いて小説なども読みたいですね。ブログもぼちぼち更新していこうと思いますので、常連の方(がいたとして?)、コメントなどよろしくお願いします。ただし、商用コメントはお断り!

ボーッとしている時はBBCニュースチャンネルをだらだら見ていますが、こちらも景気悪いみたいですね。政府の財政カットも引き続き厳しく行われているし、庶民は大変でしょう。でも、ロンドンにいると、街を歩く人に観光客が多く混じっているためか、人々の表情は明るいです。日本より、子供や乳母車を押しているお父さん、お母さんが多いのも、街を明るくにぎやかにしています。

2013/08/11

Ian Rankin, "The Complaints" (2009; Orion Books, 2010)


刑事Malcom Foxシリーズの第一作
Ian Rankin, "The Complaints"

(2009; Orion Books, 2010) 452  pages.

☆☆☆☆★ / 5

Ian Rankinと言えば、現役で活躍中のUKのクライム・ノベリストの中で、一二の人気を争う作家だが、彼の主なシリーズ、Inspector Rebusシリーズは、Rebusの警察の定年と共に一応"Exit Music"というタイトルで終わりを告げた(その後、何かの作品で復活させたらしいが)。私はこの"Exit Music"は読んでいて、ブログでも感想を書いている。しかし、作家としてのRankinはまだまだ油ののりきった歳であり、創作意欲は旺盛だ。その彼が始めたのが、このInspector Malcom Foxを主人公とした新シリーズ。この主人公とセッティングがいささか風変わり。Foxはエジンバラ警察の"Complaints and Conduct"という部門のチーフで、二人の部下を率いている。この部門は、警察官の汚職とか、その他の不適切な行動を捜査する部門のようだ。前のシリーズのRebusは一匹狼で、非常に個性の強い、謂わばはぐれ者の刑事だったが、Foxは概して穏やかでバランスの取れた人格を備えている。介護施設に入っている父に対しては模範的なやさしい息子。家庭で問題を抱える妹のJudeにもとても親切な兄。上司やチームの同僚との関係も良いようだ。捜査手法も丁寧で、事件の詳細を細かく解きほぐしていく。但、RebusとFoxに共通しているのは、全てが明るみに出るまで妥協せず、権力にも屈せず、徹底的に捜査を進める執拗さだ。

このシリーズ第一作は、まずFoxのチームによるGlen Heatonというベテラン刑事の汚職に関する捜査が終わろうとしているところで始まる。関係者の聞き取りも終わり、まもなくHeatonの告発書類を提出しようという時になって一連の無関係のように見える事件がFoxの回りで起こる。職場では、Jamie Breckという新進気鋭の優秀な若手刑事が児童ポルノのシンジケートに関わっているという疑いをかけられていて、Foxのチームは、児童ポルノ捜査チームと協力してBreckを取り調べるようにと命じられる。ところがBreckに近づいたFoxは彼が思っていたような人物とは全く違い、優秀なだけでなく、真っ当な正義感を備えた刑事に見えることに当惑させられる。BreckはFoxが自分のことを捜査中とは知らず、Foxに親愛の情を見せ始め、二人の関係は複雑化する。もし仮にBreckが無実だとすると、彼は何故捜査の対象になっているのか、そこに警察内部の何らかの作為が働いているのだろうか・・・。

一方、Foxの妹Judeのパートナーであり、前科もあるやくざっぽい男でFoxとは常々仲の悪かったVince Faulknerが死体となって発見される。FoxはVinceが嫌いではあったが、嘆く妹の気持ちを少しでも慰めたいと、自分の担当ではないVince殺害の捜査に口を突っ込むが、その捜査を担っているのが、ちょうど彼が告発しようとしているGlen Heatonの同僚達であり、大変気まずいことになる。Heaton自身は謹慎中であるが、特にHeatonと仲の良い刑事のGilesは、ことごとくFoxと妹のJudeに嫌がらせをして苦しめる。更に状況を複雑にするのは、Jamie Breckもこのチームのひとりであるという事実だ。FoxはBreckと仲が良くなったので、彼を利用してVince殺害の捜査に関わろうとし、Breckは警察の規則に反してFoxを助けるが、やがて彼らはこうした越権行為をとがめられ、ふたりとも謹慎を命じられる。しかし、それにも関わらず、ふたりは個人的に捜査を続ける。そうしているうちに、エジンバラの事業家Charles Broganが行く方不明になるが、彼はリーマンショック以降の金融危機による不況のため、不動産取引で大失敗をして破産状態にあったらしく、自殺したのではないかと疑われる。しかし、このBroganと殺されたVince Faulknerは関係があったらしい・・・。Broganの事業への投資者には、大物ギャングの影も垣間見え、事件は大きく広がっていく。

Rankinは、かなり込み入った事件と人間関係を複雑な織物のように実に巧みにより合わせていき、終盤を除いては特に息をつかせないドラマが展開するわけでもないのに、私みたいなスロー・リーダーでも、飽きずに読み終えることが出来た。Rebusシリーズは一匹狼の刑事を主人公にした、スコットランド版ハードボイルドとでも言えるだろうが、Malcom Foxはタフガイ・タイプではなく、それどころか部署は殺人課でもなく、極めて地味な、サラリーマン的な部署に所属する。同僚の汚職を調べるので他の刑事からは白い目で見られ、日頃から組織内では村八分状態という、孤独な仕事だ。様々の警察小説が試みられてきたが、こういう刑事を取り上げたシリーズはこれが初めてではないだろうか。変人の一匹狼ではなく、地味だが優秀な刑事が、大きな組織の中で孤独な戦いを強いられるという設定は、企業で働く会社員などにも共感しやすい主人公ではなかろうか。彼の老いた父親や出来の悪い妹に対する優しさも、小説に暖かみを沿えている。

何故私はRankinが好きなのか考えてみると、どうも登場人物の会話を特に面白く感じているようだ。とても間が良い。比較的短い会話が淡々と続くが、その行間の雰囲気が豊かだ。そういう意味で、演劇的な魅力のある作家だと思う。

Rebusシリーズもかなり好きだが、この新シリーズもRankinが書き続ける限り読んでいきたいと思わせる第一作だった。既にシリーズ第二作も出版されている。

2013/08/05

吉田鋼太郎さん、凄い!




吉田鋼太郎さんの出たドラマが終わったので、ひと言書いておきたい。

昨日、NHKのドラマ、「七つの会議」最終回を録画で見終えた。吉田鋼太郎さん、いぶし銀の良い役柄を貰ったなあ。舞台と違い、抑制の効いた演技で説得力あった。嬉しい。これでも舞台でも一層良い役が回ってくると良いな。


上智大学の演劇サークル「シェイクスピア研究会」で英語原文でシェイクスピアを演じて以来、出口典雄さんのシェイクスピア・シアター、ご自分と栗田芳宏さんが主宰した劇団AUNなどでキャリアを積みつつ、シェイクスピア一筋!日本で彼ほど沢山シェイクスピアを演じてきた役者があるだろうか。けっして美声でも響きの良い声でもないが、彼がシェイクスピアの台詞を言っているのを聞くと、台詞が体にしみ込んでいると感じる。日頃シェイクスピアをやらない役者は、ちゃんと台詞が入っていても苦労して言っていると感じることが多いが、彼は自由自在、朝飯前、と言う感じだ。今では彼の実力を認めない演出家はいないだろう。蜷川作品には欠かせない存在になっているし、他の大きなプロダクションにも次々出るようになった。もっと器用にテレビや映画の世界に入って、楽な生活を手に入れる機会もあっただろうけど、日本語でのシェイクスピアにひたすらこだわり続けてここまでやって来た。尊敬するなあ。私は彼より年上で、彼みたいに格好良くもないが、いつも共感しつつ見ている。近い世代の私にとっては、大スター。


2013/08/02

『私立探偵ヴァルグ』('Varg Veum') (WOWOW)



先日たまたま新聞のテレビ欄を見ていて気づき、これは何だろう、と思って、2つのエピソードを録画して見た。近年イギリスで大変人気が出て、その後日本やアメリカでもファンが増えているように見える北欧のクライム・ドラマのひとつ。北欧発クライム・ドラマのブームはスウェーデンのWallanderシリーズで始まって、BBCでケネス・ブラナー主演のイギリス版が出来たが、直接北欧のドラマを字幕付きで見て、主演俳優が人気を集めるようになったのはソフィー・グローベール主演のデンマークのドラマ'The Killing'からだろう。その後、日本でも、'The Killing'に続いて、スウェーデン・デンマーク共同制作の'The Bridge'などが、海外ドラマ専門の有料チャンネルで放送されたらしい。'The Killing'の第一シリーズは間もなく日本語字幕版DVDが発売されるようだ。

さて、この北欧クライム・ドラマから日本への新しい輸入品が、この『私立探偵ヴァルグ』('Varg Veum')。私は今回第一シリーズと第二シリーズの4つのエピソードから2つを見たが、大変楽しめた。もともと劇場用に作られた映画のようで、それだけ念入りに出来ている。他の北欧ドラマと同様、このドラマもセンチメンタルな甘ったるいところがないのが魅力。現代の探偵ドラマであるから、誘拐や暴力、レイプなどが描かれるが、アメリカのドラマにしばしばみられるような暴力や性を殊更に売りものにすることはなく、主人公ヴァルグの事件の執拗な追及、彼の一匹狼としての、社会的な常識とか権威にたじろがないエネルギーが魅力であり、扱う題材は現代的でも、シャーロック・ホームズのような伝統的私立探偵ドラマと言えるだろう。あるいは、主人公の雰囲気からすれば、ハメット、スピレーン、チャンドラー等々のアメリカの古典的なハードボイルド小説や、暗く冷たい背景はフランス映画のフィルム・ノワールとも共通する雰囲気があり、懐かしく感じた。'The Killing'、'The Bridge'、あるいはBBCで放送されたフランスのドラマ『スパイラル』(原題 'Engrenages')などは、1つの事件を延々と描き、込み入ったプロットや複雑な人間模様を作り上げるところが魅力だが、このシリーズは元は劇場用だから2時間弱で完結するので、見るには便利。犯罪小説とかドラマが好きな方には勧めたい。WOWOWで8月13日に2つのエピソードが再放送される英語字幕付きDVDも発売されていて、ちょっと誘惑されるな。写真は主人公の探偵ヴァルグ。非常に大柄な、如何にもゲルマン人という体格の男性。ワイルドな雰囲気で、(このタイプのたくましい男性の好きな)女性(あるいは同性)にはたまらない魅力を持つかも。私の見た2つのエピソードだけでは良く分からないが、複雑な過去を持った人物であることがほのめかされており、ハードな外面とは対称的に繊細な内面を伺わせるところが魅力でもある。嫌々ながら彼と協力して事件を捜査するハムレ警部との、友人、師弟、競争相手などの意識の入り交じった、ちょっとねじれた関係も楽しめる。ポワロとジャップ刑事みたいに、私立探偵と刑事のつかず離れずのコンビも、ホームズとワトソンのような探偵とその助手のコンビとは又違った味わいがある。