2011/11/20

「プロメテウスの罠」(11/20)を読んで

11月20日の朝日新聞朝刊連載記事、「プロメテウスの罠」を読んだ。気象庁気象研究所の有志が地震の後も放射線の測定を続けようとしたが、3月31日に上からストップがかり、予算が出なくなった。仕方なく、予算無しで観測を続けたが、消耗品は「他の大学や研究機関の研究者がこっそり分けてくれた」。これを、この連載で朝日新聞が書いたところ、文科省原子力安全課、防災環境対策室の役人が気象庁や朝日の記者に、どこの大学や研究機関が消耗品を分けたか問い合わせてきたそうだ。というのは、消耗品がよそに分けるほど余っているのなら、その予算は返して貰わなければならないから、だそうである。

記事の筆者、中山由美氏いわく、「半世紀以上も続いてきた観測が途絶えることには興味を示さず、継続のために研究者が融通し合った消耗品の行く方には敏感に反応する。気にかかるのは財務省の意向らしい。」 しかし、中山が問い合わせたところ、財務省の担当主査からは「予算執行はそれぞれ責任もってやることでしょ」という返事だったとのこと。

消耗品の金額、おそらく何千円の単位だろうか。

そもそも、福島原発の大事故で、周辺住民が命の危険があるかも知れないという時、そして、東北、関東の広域が深刻な汚染と健康被害、更にそれに伴う風評被害の危険にさらされたその大事な時に、気象庁はその時最も必要とされており、半世紀続けられてきた放射能の観測を突如ストップさせた。そして今、文科省の役人は、ボランティアで観測を続けようとした研究者やその協力者に対し、更にこうして嫌がらせとしか思えない行為をしている。科学的な知識を持たない私から見れば、狂気の沙汰としか思えない。

公務員が皆こうだとは言えない。しかし、知人から聞きかじったりすると、やはり公務員の世界では、もの凄い非常識がかなりまかり通っているとの疑いを持たざるを得ない。

この連載、毎朝楽しみだ。大震災の時に津波から隣人を助けるために自分も命を落とした人が沢山いた一方、原発事故のデータを握りつぶした役人や組織もあったのは、日本人の良い面、悪い面をあぶり出した。かなりの数の日本人にとっては、民間であろうと官であろうと、上の命令に逆らい、周囲の反発を覚悟しても大胆な行動や発言をするのは、命の危険を冒すより苦しいことなのかもしれない。

2011/11/10

マスコミによる福島の被災地取材(稲塚監督のブログから)

二重被爆者のドキュメンタリー映画、『二重被爆〜語り部 山口彊の遺言』を撮られた稲塚監督が、福島の被災地の撮影を続けておられ、その様子をブログに書いておられる。その中で11月6日の記事の一部を引用させていただきたい。これは彼が南相馬市の原町教会とそこの朴牧師を取材された時の様子である。朴牧師はマスコミの取材にかなりお怒りのようであったそうだ(以下引用):
これまでテレビと新聞、雑誌の取材に応じてきて、取材される側としての憤懣やるかたない様子だった。
まずお話を伺ったところ、最もだった。
私の取材方法が特別ではないが、最近のメディア取材は、あらかじめ決めた結論に導きたがり、その方向のコメントが取れないと、露骨に嫌な顔をするらしい。
また無理な質問を平気でする。
南相馬市で、一般の方に「今後の展望は?」と聞く。
何を取材に来ているのだろうか?展望がない日々をすごす辛さを分かち合わないといけない。今日で5月以降フクシマに来たのは23日目である。
えらそうなことはいえないが、取材する皆さんの言葉をきちんと聞き、向き合い、寄り添えないと思ったら、取材を止めて帰った方がましだと思う。
「クローズアップ現代」の取材班の皆さん、心当たりはありませんか?
ドキュメンタリーの世界で辛苦をなめて生きてこられた稲塚監督の言葉は重い。NHKの人は彼のブログを読んだだろうか。BBCなどのイギリスの記者と比べつつ日本のテレビの記者のインタビューを見ていると、一般人にはずけずけとものを言うが、大物政治家や財界人にはとても低姿勢という印象を持つ。

2011/11/05

ノルマン方言とアングロ・ノルマン方言/中世イングランドの仏語使用

caminさんのブログに書いたコメント(前回のエントリー)に関して、早速返事をいただきました。caminさんは、「アングロ・ノルマン方言とは私の認識では・・・イングランド宮廷および大陸のノルマンディー地方で広く用いられた方言です」と書いておられます。また、こうもありました:

>アングロ・ノルマン方言とノルマンディ方言を区別する考え方は、
>少なくとも私がこれまで参照したことのあるフランス語史や
>古仏語文法の本ではあまり一般的ではないように思います。

そうならば私の認識不足でした。アングロ・ノルマンというからには、しっかりした方言特徴があり、やはり使用されたのはイングランド中心であろう、と思っていましたから。ということで、もう一回caminさんのブログにコメントを寄せました。それを、不要な挨拶などを除き、以下に転載しておきます。

(以下はcaminさんのブログへの私のコメントです。引用はcaminさんの文章から)

>もしかするとYoshiさんはアングロ・ノルマン方言をイングランド人、すなわち
>英語を母語とする話者が使っていたフランス語方言だと捉えておられるので
>しょうか? 

私も、アングロ・ノルマン使用者が必ずしも英語を第一言語としていたとは思っておりません。イングランドでも仏語環境で育ち、仏語を第一言語にした人がいたでしょう。また、方言特徴と書かれたり話されたりした土地が一致する、とも単純に思っていませんが、重要な指標ではあるとは思いました。ただ私自身が原語が読めないに等しいので、アングロ・ノルマンとノルマン方言が形態上ほとんど変わりなく、そして地理的にもノルマンディーからイングランドに至る広い地域で変わりなく使われていたとは、不勉強にてまったく知りませんでした。そうしますと、『アダム劇』の書かれた場所は、おそらく、そうした広い地域のどこかということになりますね。前のコメントで引用したAxtonとStevensの意見、つまりノルマンか、アングロ・ノルマンかを分ける議論をしても価値はないだろう、というのが正しいのでしょうね。

イングランドにおける仏語のひろがりについては、私は生半可な印象しか言えません。最近、英米では大きな研究テーマとして、多数の学者がイングランドの仏語使用について研究しているようで、York大学でも北米の大学と協力したプロジェクトが立ち上げられていました。今後私も少しは文献を読んでみたいテーマです。どういう視点から見るかにより仏語使用の広がりも大きく違うと思います。人口全体、ジェントリー、貴族、宮廷、等々。そして、宮廷だけをとっても、そこにいる人達は様々です。王侯貴族本人達は仏語が自由に出来る人がほとんどでしょうが、中世イングランドの貴族(aristocrats)は中世においては確か多い時で70家族くらいで、非常に数少ないとも言えます。彼らに仕えるまわりの人々についてはどうでしょうか・・・。前のコメントで書いたPaul Aebischerの序文からも分かるように、英米の学者や私達英文学をやっている者は、ついつい英語を優先して考えてしまい、イングランドにおけるフランス語の重要性を割り引いてしまう危険性があるかもしれません。

>英語がマジョリティであるならばわざわざアングロ・ノルマン方言の
>テクストを用意する意味が私にはよくわからない・・・

以前私のブログに書いたチョーサーの女子修道院長の例でも分かりますように、修道院でもかなり仏語が使われたようです。日常会話などで使われた言語がどうだったのか、これは私は寡聞にして知りません。イングランドで12、13世紀に書かれた文献は主にラテン語、そして一部フランス語と英語ですが、英語は特に12、13世紀にはめぼしいものは少なかったと思います。というのは、そもそも英語は書き言葉としては認められていなかったからです。「書く」という行為は、即ちラテン語で書くことを意味しました。当時のイングランド人にとっての識字能力は、ラテン語を読む能力です。これはフランスにおける仏語も同様ではありませんか。英語で書くのは、むしろ特殊な行為であったわけです。丁度、日本において、和語でちゃんとした文書や文学を書くことが考えられなかった時代があったようなものでしょう。チョーサーやガワーが英語で洗練された文学を書こうとしたのは、日本で言うと紀貫之が和語を使用したり、二葉亭四迷の言文一致のような、当時のイングランドの文人としては目新しい事だったと考えられています。ラテン語をそのまま朗読しても分からない人が多く、また英語で書くことは卑しいと考えられていたとすると、ある程度話し言葉としても使われていたフランス語で物語や説教文学を書き残すことがされたのではないかと思います。また英語に比べ、フランス語は上流階級の、より格式の高い言葉であるという認識は広くあったようです。

とは言え、イングランドの仏語使用について、こうして考えてみるとしっかりとした裏付けのない印象論しかなくて、私の知らないことばかりですし、具体的に専門家の意見を挙げることも出来ません。中世イングランドの識字について論じている学者の本を読んだことはありますが(Nicholas Orme, Michael Clanchyなど)、そうした著名な専門家も具体的な想定の数字を挙げられず、エピソード的な事例の積み重ねです。更に、議論はラテン語か英語かで、フランス語が視野に入ることは少ないです。もっと最近の、フランス語使用に絞った専門研究を捜してみないといけませんね。

(以上、コメント終わり)

ということで、私の知識不足のようですね。中世劇では英語にフランス語が混じる台詞もあるので、私にはとても興味を引かれる分野です。専門家のcaminさんに教えていただき、参考になりました。語学力の限界は超えようがないですが、これからも出来る範囲で勉強したいと思います。

方言特徴について考えると、『ベーオウルフ』のことが思い出されます。あの作品は、ほとんどがイングランド南部で使われ、残存する古英語作品の事実上の標準語であるウェセックス方言によって書かれています。しかし、その一部に中部で使われたアングリア方言が混じっているため、元来は中部以北で書かれ、その後ウェッセクス方言に書き直されて残ったということになっていたと思います。しかし、写本のわずかな方言特徴以外に中部であることを示す材料が他にあるのでしょうか。但、写本にアングリア方言が混じってくる為には、元来アングリアで書かれたという理由以外に説明がつきにくいのかも知れませんね。

なお、『アダム劇』に関しては、また別の文献も参照したので、改めてもう少し付け加えたいと思っています。

2011/11/03

『アダム劇』の制作はどこか/中世イングランドの仏語

caminさんのブログ、「フランス中世演劇史のまとめ」に私が付けたコメントを多少修正した上で備忘録としてここにも残しておきます。今回もアングロ・ノルマン(中世フランス語の方言でイングランドで話されていたとされるもの)の劇、『アダム劇』について。

ノルマンディー等、大陸におけるアングロ・ノルマン方言の使用については、私は何も知りませんが、caminさんのおっしゃるとおり、イングランドから戻ってきた写字生がアングロ・ノルマンの方言特徴を持った写本を書いた可能性もあるのだろうと思いました。また写本が残っているのもフランスだそうです。例えばFrancian(パリ付近の方言)で書かれ演じられた劇でも写字生がアングロ・ノルマンの人なら写本はアングロ・ノルマンになることさえあるでしょうから。

ちなみに『アダム劇』がどこで書かれたかについては、どうもこの名作の取り合いの様相もあるようです。英語圏やドイツの学者はアングロ・ノルマンと言い、フランスの学者はノルマンと言っている、とPaul Aebischerは彼のテキスト("Le Mystère d'Adam", TLF, 1964)の序文で書いていました(pp. 18-19)。実際、彼によるとこのテキストでアングロ・ノルマンの方言特徴を示す語は非常に少ないようです。Grace Frank(1954)は、'the author, according to most authorities, was an Anglo-Norman'(p. 76)としています。英訳を出しているRichard AxtonとJohn Stevensによると、'Recent scholars have not yet decided whether the author of "Adam" was Norman or Anglo-Norman; the distinction is perhaps not a valid one to make.' ("Medieval French Plays" [1971], p. xii)。David Bevingtonは彼のアンソロジーの序文で、'quite possibly produced in England'と書いています("Medieval Drama" [1975] p. 78)。皆古い本ばかりなので、最近の見方は分かりませんが。

なお、同じく、ほぼ同時代のアングロ・ノルマン劇、"La Seinte Resureccion"の方は、方言特徴に加え、現存する2つの写本のうち1つはカンタベリーのChrist Church Monastery(カンタベリー大聖堂のこと)で制作されたようだとBevington (p. 122)は書いていて、その写本はイギリスに残っていたようです(今は大英図書館です)。

「アングロ・ノルマン方言の台詞は、アングロ・ノルマンを理解できる人のために書かれたものなので、上演者および聴衆にとって台詞が「外国語」であった、とは考えにくい・・・」(caminさんのブログからの引用)

この点は白か黒かをはっきり分けるのは大変難しいと思います。中世においてもイングランドの圧倒的多数の人々は、フランス語を外国語として学びました。それでも、プランタジネット家の宮廷であればフランス語が第一言語であった人もかなり混じっていたと思われますが、修道院などでは、フランス語は苦労して学ばれ、不完全に使われた「外国語」でしょう。フランス語の使用状況は、宮廷や修道院などでも、分かる人、分からない人、いくらか分かる人などが入り交じった状態であったと思います。勿論、ほとんどの平民はフランス語を使えませんし、フランスにも領地を持つことの多い大貴族とその家族は例外として、時期にもよりますが聖職者や騎士の大多数も仏語は使えなかったか、かなり不完全な使用であったと思います。貴族にしても、彼らが日常的に接する召使いや彼らを育てる乳母、その他の用人のほとんどは英語しかできなかったでしょうし、家族の間では英語を使う人が多かったでしょう。フランス語の訛りのこととか、フランス語でなかなか話が通じないことなどをしるした当時の文章も散見されます。

(私がcaminさんのブログにつけたコメントは以上)

中世イングランドの多言語状況は私にとっても大変興味あるトピックなので、今後も色々と勉強してみたいと思っています。関心のある方、コメントをいただけると幸いです。なお、『アダム劇』については、過去の投稿も見ていただけると幸いです。