2011/11/05

ノルマン方言とアングロ・ノルマン方言/中世イングランドの仏語使用

caminさんのブログに書いたコメント(前回のエントリー)に関して、早速返事をいただきました。caminさんは、「アングロ・ノルマン方言とは私の認識では・・・イングランド宮廷および大陸のノルマンディー地方で広く用いられた方言です」と書いておられます。また、こうもありました:

>アングロ・ノルマン方言とノルマンディ方言を区別する考え方は、
>少なくとも私がこれまで参照したことのあるフランス語史や
>古仏語文法の本ではあまり一般的ではないように思います。

そうならば私の認識不足でした。アングロ・ノルマンというからには、しっかりした方言特徴があり、やはり使用されたのはイングランド中心であろう、と思っていましたから。ということで、もう一回caminさんのブログにコメントを寄せました。それを、不要な挨拶などを除き、以下に転載しておきます。

(以下はcaminさんのブログへの私のコメントです。引用はcaminさんの文章から)

>もしかするとYoshiさんはアングロ・ノルマン方言をイングランド人、すなわち
>英語を母語とする話者が使っていたフランス語方言だと捉えておられるので
>しょうか? 

私も、アングロ・ノルマン使用者が必ずしも英語を第一言語としていたとは思っておりません。イングランドでも仏語環境で育ち、仏語を第一言語にした人がいたでしょう。また、方言特徴と書かれたり話されたりした土地が一致する、とも単純に思っていませんが、重要な指標ではあるとは思いました。ただ私自身が原語が読めないに等しいので、アングロ・ノルマンとノルマン方言が形態上ほとんど変わりなく、そして地理的にもノルマンディーからイングランドに至る広い地域で変わりなく使われていたとは、不勉強にてまったく知りませんでした。そうしますと、『アダム劇』の書かれた場所は、おそらく、そうした広い地域のどこかということになりますね。前のコメントで引用したAxtonとStevensの意見、つまりノルマンか、アングロ・ノルマンかを分ける議論をしても価値はないだろう、というのが正しいのでしょうね。

イングランドにおける仏語のひろがりについては、私は生半可な印象しか言えません。最近、英米では大きな研究テーマとして、多数の学者がイングランドの仏語使用について研究しているようで、York大学でも北米の大学と協力したプロジェクトが立ち上げられていました。今後私も少しは文献を読んでみたいテーマです。どういう視点から見るかにより仏語使用の広がりも大きく違うと思います。人口全体、ジェントリー、貴族、宮廷、等々。そして、宮廷だけをとっても、そこにいる人達は様々です。王侯貴族本人達は仏語が自由に出来る人がほとんどでしょうが、中世イングランドの貴族(aristocrats)は中世においては確か多い時で70家族くらいで、非常に数少ないとも言えます。彼らに仕えるまわりの人々についてはどうでしょうか・・・。前のコメントで書いたPaul Aebischerの序文からも分かるように、英米の学者や私達英文学をやっている者は、ついつい英語を優先して考えてしまい、イングランドにおけるフランス語の重要性を割り引いてしまう危険性があるかもしれません。

>英語がマジョリティであるならばわざわざアングロ・ノルマン方言の
>テクストを用意する意味が私にはよくわからない・・・

以前私のブログに書いたチョーサーの女子修道院長の例でも分かりますように、修道院でもかなり仏語が使われたようです。日常会話などで使われた言語がどうだったのか、これは私は寡聞にして知りません。イングランドで12、13世紀に書かれた文献は主にラテン語、そして一部フランス語と英語ですが、英語は特に12、13世紀にはめぼしいものは少なかったと思います。というのは、そもそも英語は書き言葉としては認められていなかったからです。「書く」という行為は、即ちラテン語で書くことを意味しました。当時のイングランド人にとっての識字能力は、ラテン語を読む能力です。これはフランスにおける仏語も同様ではありませんか。英語で書くのは、むしろ特殊な行為であったわけです。丁度、日本において、和語でちゃんとした文書や文学を書くことが考えられなかった時代があったようなものでしょう。チョーサーやガワーが英語で洗練された文学を書こうとしたのは、日本で言うと紀貫之が和語を使用したり、二葉亭四迷の言文一致のような、当時のイングランドの文人としては目新しい事だったと考えられています。ラテン語をそのまま朗読しても分からない人が多く、また英語で書くことは卑しいと考えられていたとすると、ある程度話し言葉としても使われていたフランス語で物語や説教文学を書き残すことがされたのではないかと思います。また英語に比べ、フランス語は上流階級の、より格式の高い言葉であるという認識は広くあったようです。

とは言え、イングランドの仏語使用について、こうして考えてみるとしっかりとした裏付けのない印象論しかなくて、私の知らないことばかりですし、具体的に専門家の意見を挙げることも出来ません。中世イングランドの識字について論じている学者の本を読んだことはありますが(Nicholas Orme, Michael Clanchyなど)、そうした著名な専門家も具体的な想定の数字を挙げられず、エピソード的な事例の積み重ねです。更に、議論はラテン語か英語かで、フランス語が視野に入ることは少ないです。もっと最近の、フランス語使用に絞った専門研究を捜してみないといけませんね。

(以上、コメント終わり)

ということで、私の知識不足のようですね。中世劇では英語にフランス語が混じる台詞もあるので、私にはとても興味を引かれる分野です。専門家のcaminさんに教えていただき、参考になりました。語学力の限界は超えようがないですが、これからも出来る範囲で勉強したいと思います。

方言特徴について考えると、『ベーオウルフ』のことが思い出されます。あの作品は、ほとんどがイングランド南部で使われ、残存する古英語作品の事実上の標準語であるウェセックス方言によって書かれています。しかし、その一部に中部で使われたアングリア方言が混じっているため、元来は中部以北で書かれ、その後ウェッセクス方言に書き直されて残ったということになっていたと思います。しかし、写本のわずかな方言特徴以外に中部であることを示す材料が他にあるのでしょうか。但、写本にアングリア方言が混じってくる為には、元来アングリアで書かれたという理由以外に説明がつきにくいのかも知れませんね。

なお、『アダム劇』に関しては、また別の文献も参照したので、改めてもう少し付け加えたいと思っています。

2 件のコメント:

  1. 中世フランス演劇のまとめブログに、いつも興味深いコメントを頂きありがとうございます。
    方言はかなり厄介な問題で、私の知識もかなりたよりないところがあります。アングロノルマン方言についての認識も間違っている点があるかもしれません。

    ただ書記方言については制作の過程などで複数の方言的特徴が混交されたり、あるいは北仏の広い地域で方言の枠組みを超えたscriptaという文学的共通語が形成されつつあったという考え方も提唱されていていて、言語的特徴だけでその作品が書かれた場所や時期を特定するのは実際的には、文献学の専門家であっても難しいようです。

    校訂者が作品の制作場所、時代について言及する場合には、言語的特徴だけでなく、作品のなかに出てくる地名、事件、あるいは作者がわかっている場合には、その作者に関わる情報など、言語的特徴以外の要素も利用していることが多いはずです。

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  2. caminさん、コメントありがとうございます。今回のやりとりで随分勉強になりました。

    書かれているような難しさは、国や言語に関わらず中世ヨーロッパ文学で共通することと思います。中世英文学でも同様です。本文で触れている『ベーオウルフ』の例も、写本は圧倒的にウエスト・サクソン方言(南西部)で記述されているんですが、南西部の作品とは見なされていません。ちなみに、このウエスト・サクソン方言は、caminさんが触れられているような、古英語末期に多くの写字生が使った共通語でした。そのため、ごく一部に混じっていたアングリア方言により、おそらく中部以北が起源の作品だろうと推定されたのであったと記憶しています。

    他に資料がないような場合、あくまで可能性の大小の問題として、方言特徴を元にしてこの地域だろう、というような見方が出てくるのでしょうね。私は、『アダム劇』の起源が、英米の学者とフランスの学者で随分見方が違うようなのが面白いと思いました。英米の学者の多くはおそらくイングランドだろう、と言っており、フランスの学者(ベディエなど)は、イングランドである根拠は薄い、ということのようでした。尖閣諸島問題ですかね(^_^)。

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