2010/11/28

"The Train Driver" (Hamstead Theatre, 2010.11.27)

鉄道線路で心中した母子を悼む運転士
"The Train Driver"



Fugard Theatre公演
観劇日:2010.11.27 15:00-16:20 (no interval)
劇場:Hamstead Theatre

脚本・演出:Athol Fugard
セット:Saul Rdomsky
照明:Mannie Manim
音響:John Leonard

出演:
Owen Sejake (Simon [Andie] Hanabe, a grave-keeper)
Sean Taylor (Roelf [Rudolf] Visagie, a train driver)

(体調が悪く、集中出来なかったので、☆はつけません)

南アフリカ共和国で実際に起こった母子心中事件に基づいて、Fugardが書き、自ら演出した作品。貧民街で暮らす母子が絶望して鉄道線路で自殺する(これは過去のことで、ステージは描かれない)。その電車を運転していたRoelfはこの事件がトラウマとなり、ノイローゼ状態で、仕事も手につかない。彼はこの気持ちを何とか整理したいと思い、無名の死者が葬られている粗末な墓地にやって来て、そこの墓守、Simon、に自分の不満や苦しみを打ち明ける。Simonは南アフリカの大地にしっかりと根付いた不思議な包容力を持つ人物で、Roelfの頑なな心を徐々にほぐしていき、Roelfにわずかな救いの気配が漂ってくるが・・・。

体調が悪く、また前夜よく眠れなくて、半分くらいうとうとしてしまったので、劇を十分味わえなかった。大変残念。Fugardは一体何を観客に訴えたいのか、どうもよく分からないまま終わってしまった。自殺した女性の事は、貧しく孤独な人生であったのだろうが、所謂無縁仏で、ほとんど何も分からないので、イメージの結びようがない。Roelfはおそらく、自分が運転していた列車がひいてしまった女性がどういう人だったかよく分からないから、尚更悩んでいるようだが。ほとんどアクションがなく、Roelfのモノローグが延々と続き、ドラマとしては単調。外国語で、100パーセント理解出来ない私としては、台詞の細かいニュアンスをかみしめることも難しいが、台本を熟読すれば面白いのかも知れない。

しかし、2人の俳優の演技はすぐれていた。特にSimonを演じた黒人俳優、キラキラ輝く目と堂々とした巨体のOwen Sejakeの存在感は素晴らしい。アフリカの俳優には、例えばJohn Kaniのように、こういうずば抜けた力強さを放つ人が時々いる。荒涼として、カラカラに乾いた荒野そのままの墓地のデザインも良く出来ていた(どこか荒野に赴いたキリストを連想)。Hamsteadの張り出し舞台のシンプルなステージに役者が2人だけ。亡くなった女性や赤子のこともよくは分からず、Simonはどこか寓意的なキャラクター。そう考えると、つかみどころが無いのは、ベケットの劇を思い起こさせる。ベケット劇のような気持ちで向き合うと良いのかも知れない。

長いモノローグの多い台詞も、なかなか難しかった。もうちょっと集中出来ていれば、と悔やまれる。

「日本ブログ村」のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。

にほんブログ村 演劇ブログ 演劇(観劇)へ
にほんブログ村

2010/11/27

"Men Should Cry" (National Theatre, 2010.11.23)

大恐慌期のグラスゴーの庶民の暮らしを描く傑作
"Men Should Weep"



National Theatre公演
観劇日:2010.11.23 14:15-17:00
劇場:Lyttelton, National Theatre

演出:Josie Rourke
脚本:Ena Lamont Stewart
セット:Bunny Christie
照明:James Farncombe
音響:Emma Laxton
音楽:Michael Bruce
方言指導:Carol Ann Crawford

出演:
Morrison family:
Sharon Small (Maggie Morrison)
Robert Cavanah (John Small, Sharon's husband)
Anne Downie (Granny Morrison, John's mother)
Pierce Reid (Alec Morrison, Sharon & John's son)
Sarah MacRae (Jenny Morrison, Sharon & John's daughter)
Morven Christie (Isa Morrison, Alec's wife)
Conor Mannion (Ernest Morrison,  Sharon & John's son)
Jayne McKenna (Lily Gibb, Maggie's siser)
Thérèse Bradley (Lizzie, John's sister)

Neighbours:
Karen Bunbar (Mrs Harris)
Lindy Whiteford (Mrs Wilson)
Isabelle Joss (Mrs Bone)

☆☆☆☆☆ / 5

1930年代のスコットランドの工業都市グラスゴーの労働者家庭の非常に貧しげな賃貸アパート(tenement)を舞台にしている。戦後すぐの日本で4畳半や6畳の下駄履きアパートに家族4人が住んでいた時代、小津の『東京物語』の世界を思い出させる。それでなくとも暗く寒いスコットランドの、多分レンガで作ったアパートであるから、寒く湿っていて、住環境として健康には大変悪い。隣の人のやっていることは筒抜け。上階に住む男性が酒を飲んで妻に暴力をふるう時の物音が聞こえたりする。しかし、もめ事もあるが、近所の人々と気取りのない暖かい助け合いもある。

Morrison家は大変貧しく、主人のJohnは失業状態で毎日職探しをし、日雇い仕事があれば出かける、という生活。やがて妻のMaggieが掃除婦(らしい?)などをし、わずかだが収入を得るようになる。子供は自宅に5人。更に独立し、結婚していた長男のAlecが、自分達が住む借家が壊れて行き場を失い、妻のIsaと共に転がり込んでくる。Isaは金持ちの男が見つかれば直ぐにでもAlecを捨てて乗り換えようとしており、Alecは嫉妬で半狂乱になり、度々暴力をふるいそうになるが、その一方で子供のように気が弱い。幼い息子のBertieは病で長く寝込んでいるが、病院に連れて行くと結核と診断されて入院。病状が持ち直しても、寒く湿った自宅に戻れば、また悪化するのは目に見えている。年頃の娘Jennyは華やかでお洒落なIsaに影響されて、惨めな両親との暮らしに我慢できなくなりつつある。Johnの母親は高齢で、身体が自由にならず、Johnのアパートと、彼の姉妹のLizzieの家をたらい回しされている。仕事が見つからず、一家の主人としての体面を保てずに自信喪失するJohn、家計の苦しさや子供の反抗、Bertieの病気に悩む妻のMaggie。更に、Maggieは仕事の見つからない夫に代わって外で働いても、家族は我が儘ばかり言って、彼女に頼りこそすれ、助けても同情してくれもしない。疲れ切って帰宅すれば、部屋は朝食を食べた後の汚れた食卓のまま片づいてもいない状態。都市の話ではあるが、アイルランドの寒村を舞台に貧困のどん底に沈む姉妹の家庭を描いたBrian Frielの"Dancing at the Lughnasa"を思い出した。しかし、Frielの作品同様、この劇はただ陰鬱な、資本主義社会の残酷さを告発する左翼的な劇ではない。庶民、特の女性達の生命力の強さ、家族や隣人が助けあい、共にしぶとく生き残って人生を楽しみたいという意欲を描き、観客に生きることの素晴らしさを生き生きと伝える。悲惨な生活の中に、ユーモアや人情の温かさが散りばめられて、スコットランドの暗い冬の暖かいかがり火のような輝きを放つ。女性作家が書いたためだろうか、とりわけ女性達の描き方が秀逸。小さな子供も、若い娘達も、Maggieをはじめ中年の「おばさん」も、口うるさくてお節介な「オールドミス」の叔母さんのLilyも、歳取ってボケかけたおばあちゃんも、皆血の通った魅力的なキャラクターだ。

ただし30年代のスコットランドで、しかもあまり教育を受けていないワーキング・クラスの人々の会話であるから、大変英語が難しい。私は、観劇前に脚本を半分程度読んでおいたが台詞は3割くらいしか聞き取れない。しかし込み入ったプロットの劇ではないので、何が起こっているかは大体分かった。

こういう劇は、貧しいアパートの雰囲気をセットで如何に出すかが大変重要だが、さすがにNational Theatreは費用もかなりかけられるだろうし、セット・デザインのBunny Christie (最近では"White Guard"や"Our Class"、"Women of Troy"など担当)はじめ、スタッフの技術も素晴らしい。俳優も皆文句なしだった。ただし、如何に上手に演じても、皆ドラマスクールなどで勉強したインテリだから、顔つきが上品でワーキング・クラスに見えないのは致し方ないか・・・。何人も出てくる子役達が実に可愛くて、劇に優しさを与え、その魅力を増していた。

現代のイギリス人劇作家が、カウンシル・ハウジング(低所得者向け公営住宅)に住む失業者家庭を描いたとしてもこれに似た劇になるかも知れないと思うほど、古さを感じさせない。しかし、よく考えてみると、この劇が書かれたのはJohn Osborneが"Look Back in Anger" (1956)を発表する10年近く前であり、ロンドンの演劇シーンでは、カワードなどのdrawing room comedyがまだ全盛の時代であるから、Stewartが如何に時代を先取りしていたかを感じる。しかも、"Look Back in Anger"は女性嫌悪の臭いを感じる人もあるが、この劇は、家族を、女性や子供を取り巻く状況から描いていて、大変人間味のある作品。そこかしこに見られるユーモアとともに、Brian Frielの傑作を想起させる。

作者のEna Lamont Stewart (1910-2006) はこの戯曲だけでしか知られてないらしいが、これ一本だけでも、スコットランド演劇史上、重要な傑作として残っていくのは間違いないと確信する。☆が5つというのは、私の好きなタイプの作品であることも影響しているが、誰が見ても素晴らしい傑作と思えるだろう。 もともと1947年にGlasgow Unity Theatreの為に書かれ、上演された。大変好評で、エジンバラ、そしてロンドンの劇場にトランスファーされる。しかし、その後、作者が女性であったために差別されたのか、スコットランドの演劇エスタブリッシュメントに完全に黙殺された。Stewartは作品の発表の道を閉ざされ、また、この劇も、イギリスの演劇シーンから35年間もの長い年月、完全に忘れ去られる。1982年、彼女が72歳の時になってグラスゴーで再演され、やっと彼女の真価が認められたようである。

脚本を読むだけでもかなり面白いので、演劇好きで、英語の読める方にはお勧めししたい。出版社はSamuel French。但、英語は、スコットランド英語のphonetic spellingであるので、かなり手こずる。例えばこういう感じ(以下は息子のEdieにシラミ(1行目のthem)がいるかどうかという話):

Edie: Mary Harris has got them, so she has. Teacher says so.

Maggie: Mary Harris! And her up this very close! Jist wait till I get the haud of that lazy mother o hers, I'll gie her a piece o my mind. Listen you tae me, Edie, there's tae be nae mair playin wi Mary Harris till she's got her heid cleaned. We've no very much this side o repectability, but there's aye soap and water.

Lily: Tae look at her, ye wouldna think it.

Edie: I wis playing in the back coort.

Maggie: Nae back-chat. Get oot the soap and flannel and dae yer neck in case the teacher taks it in tae her impident heid tae look the morn.

以上、綴りの打ち間違いをしないように気をつけました。写真はMaggie (Sharon Small)とJohn (Robert Cavanah)。


「日本ブログ村」のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。

にほんブログ村 演劇ブログ 演劇(観劇)へ
にほんブログ村

2010/11/22

チョーサーを学び始めた頃

(昨日のエントリーに続き、学会に行って感じたことをMixiに書いたので転載します。)

昨日の学会で発表をした人に、Queen Mary, University of LondonのPh.Dの院生がいたが、チョーサーのテキストの引用を音読する時、ちゃんとMiddle Englishの発音で読んでいた。当然のことなのに、これがイギリスでは意外とめずらしい。彼の指導教授は有名なProfessor Julia Boffey。テキストの編纂などもして語学にも詳しい人だと思うので、ちゃんと発音も教えるのでしょう。こちらの中世英文学の先生は、MEも現代英語みたいに読んでしまう人が結構多い。でも現代英語にない語彙もあるし、綴りや屈折が甚だしく違う言葉もあるので、何だかごちゃごちゃした音読になり、詩としては体をなさないし、専門家としてそれではよろしくないと思う。それなら最初から現代英語訳か、綴りをモダナイズしたテキストを使えば良い。15世紀の過渡期となると、現代英語読みで済ませるのが良いかどうか、意見は分かれるかも知れないが。

それで感じたのだが、英米では分かって当然と思われているので、チョーサーなど中英語文学をやるのに、ちゃんと発音や文法を教えないことが多い。私がアメリカでチョーサーを習った時もそうだった。John Fisherの'Complete Poetry and Prose'を教科書に使っていたが、教科書には文法説明は表紙の裏にちょっと書いてあるだけ。各ページに語注がついてはいるが、グロッサリーは貧弱で、丁寧に理解しようと思うと分からないところだらけ。1回目の講義で簡単に音読の練習をやったら、すぐに文学的説明に入ってしまい、その後語学の解説は一切なしだった。その後、中世演劇を履修した時は、Bevingtonのアンソロジーが教科書だったが、あの本は、語の意味が横にちょっとあるだけで、グロッサリーもなかったと思う。だから、文学的な事は理解出来ても、英文の意味が分からないところが実に多いままでコースが終わってしまった。劇は中部か北部方言だし、Towneley Cycleなんか、かなり難しいところもあるのに。まあ、授業ではそういう細かい意味や古い言葉のことなどには、拘泥しないんだが、中世文学を学ぶのにそれでいいのか、とずっと思っていた。しかも、そういう授業だったのに、卒業試験の時には、チョーサーのテキストが少し出て、現代英語訳を書け、という問題だった!

一方文学としての解釈も、当時のアメリカでは、D. W. Robertson Jr.などに代表されるキリスト教的解釈が圧倒的な勢いで、私が習った先生の解釈も極めてキリスト教的であり、チョーサーは神父様か神学者かと思えた程だった。私は初心者ながら、何かおかしいと感じていたようだが、あの手の解釈がはっきり変だと感じるのには、その後長い時間を要した。ただ、「学部の授業では批評は読まなくて良いから、とにかくテキストを繰り返し良く読みなさい」、と教えてくれたのは、良かったと思う(私は院生だったが、チョーサーは学部の授業を取っていたので)。結局、中世文学に大変関心を引かれたのにも関わらず、基本的に読みこなすことも出来ないままになってしまった。

日本に帰ってきて、日本の大学院に入り、Sisam ('Fourteenth Century Verse and Prose")やBennet and Smithers ('Early Middle English Verse And Prose') を教科書として、語学的に細かくテキストを勉強して、やっとMEを正確に読んで意味を取ることことが出来、少しは分かったという自信もついて、胸のつかえが取れた。正確に言うと、自分で分かるところ、分からないところ、難しいところが判断できるようになった、と言えるだろう。また、小野茂・中尾俊夫、Mosse、Wright、その他スタンダードな中英語の文法書を読んで、やっとMEの構造が素人なりにも理解出来るようになってきた。その一方で、言語としての分析ばかりで、文学作品としての解説はほとんど受けなかったので、philology(史的言語学)の先生に教わった文学志向の学生には不満が残るだろうと感じた。私は文学的な事はアメリカで一応基礎をやっていたので、あとは自分で勉強する事が出来たが。

一般的に言って、日本の大学でチョーサーを習っている人は、和訳しつつでゆっくりとしか進まず、説明は語学的なことばかりで退屈に感じるかも知れない。英語圏諸国の大学で学んでいる人は、ネイティブに合わせた授業なので、日本人には、中英語そのものがかなり分からないままなのに授業はどんどん進み、フラストレーションが溜まるだろうし、試験やレポートが書けるか、常に不安がある。細かい英語の理解と作家・作品を見渡しての文学的解釈の両方が必要なんだが、バランスを取るのは難しい。ただ、これはどの科目でも言えるのだが,大学の授業はイントロダクション。授業が終わってから、深く理解したい本は、自分の足取りに合わせて、もう一度読んだり、調べ直したり、自分でやるほかないと思う。

と言うようなことを、昨日の発表を聞きつつ感じたり思い出したりしたので、書いてみました。ちなみに、チョーサーの作品をたくさん読む時に良い本というと、私は、A. C. Baughの'Chaucer's Major Poetry'が好きだ。かなり親切なグロッサリーや文法説明があり、註は脚注で参照しやすい。やはりこういう本は、昔の、フィロロジーの訓練を受けた大学者のエディションが信頼が置ける。

日曜とは言え、こんな駄文を書いている閑があれば勉強すべきなんだけど、ついつい・・・。大いに反省中 (^_^;)

(追記)Mixiで私の記事にコメントを書いて下さったチョーサー研究者の先生によれば、日本では近年チョーサーの若手研究者が減っているとのこと。確かに、学会のプログラム等を見ると、そういう印象だ。若手の人を育ててきたチョーサーの大家が段々と現役を引退されたり亡くなったりして、後進の研究者が育たず、いつの間にか寂しい状態になってしまったのだろうか。著名な先生の退職と共に、中世文学の先生のポストが廃止された大学もあるし、そもそも英米文学科がなくなることも長らく続いているから当然か。残念。シェイクスピア研究者は沢山いるんだけどなあ。この先生によると、近年は割合マイナーな作品を取り上げる研究者が目立つとのこと。その方が国際的にも通用する論文を書けるためだろうか。"Piers Plowman"なんか、本格的に研究している人は、現役の先生では3人も居ないだろう(間違っていたらすいません!)。実は私は一人しか思い浮かばない。あれだけの傑作なのにね。一方で、初期印刷本や写本の研究は大変盛んになった。これは大事な事だと思うが、しかし、チョーサー、ラングランドというイギリス中世文学の大作家の作品を文学作品として研究する人が少なくなって良いわけがない(と思いたい)。しかし、古英語、中英語の語学研究では、日本の学会で養われてきた伝統は綿々と続いて、立派な研究者を輩出しているので、喜ぶべき事と思う。


「日本ブログ村」のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ 海外留学(ヨーロッパ)へ
にほんブログ村

2010/11/19

おめでとう!Takaoさんが博士論文を提出されました。

ブログで知り合った友人、ブラッドフォード大学博士課程のTakaoさんは、しばらく前に口頭試問も一発で合格して、11月17日にはめでたく博士論文を提出されました。私も同じく博士課程にいるので、大変嬉しいです。おめでとうございます!

彼のブログに提出された論文の写真が載っていたのですが、もの凄いボリューム。凄いなあ、と改めて感心! 劣等生の私は、つい「こんなの私が出せるかしら? 多分駄目だわ」、なんて、思ってしまいました。でも、大学からもう駄目って言われるまでは、だらだらやって、自分からは諦めませんけどね。

私は彼のブログを、留学について色々調べていた2年以上前から読み始めました。彼は毎日(!)日記形式で更新し、写真もたくさんあります。私にとってはそれを読むのが日課になり、勉強や雑事の合間にTakaoさんのブログを時折チェックする、ということが良い気分転換になっています。他の方のコメントを読むのも面白いですね。自然と彼の暖かい人柄が伝わり、こちらの気分もほぐれます。同様に、彼のブログを楽しみにして、毎日愛読している人は、沢山いるでしょう。Takaoさんのようにブログを頻繁に更新する筆者と、それをかならず読む読者とは、たとえ会ったことが無くても、そして一方通行の場合も多いですが、不思議な心の繋がりが出来る気がします。私も彼の努力を見て、勉強の動機づけにになる感じです。向こうは迷惑しているかも知れませんが (^_^;

Takaoさんの学位取得は大変お目出度いですが、日本に帰国されれば、今の形の留学生ブログが続けられないかも知れないのはちょっと寂しいです。しかしイギリス国内に就職される可能性もあるようなので、そうなるとこれからも楽しみに出来るかも知れませんね。その場合、私は嬉しいけれど、息子さんの帰国を楽しみにされているだろうご両親がちょっと可哀想ですが・・・。まあ、どこにおられても、大変忙しくなっても、週に一回程度でも何か書いていただければ愛読者としては嬉しいですね。


「日本ブログ村」のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ 海外留学(ヨーロッパ)へ
にほんブログ村

2010/11/15

"Piers Plowman"とイングランドの福祉改革:"the Undeserving Poor"の概念

自分の研究に関係があり、最近はずっと"Piers Plowman"(『農夫ピアズの夢』)をあちこちピックアップして読んでいる。14世紀のウィリアム・ラングランドによる英文学作品。チョーサーの"The Canterbury Tales"と並ぶ、中世英文学の後期を代表する傑作とされている作品だが、長いし、英語もチョーサーよりかなり難しく、遅々として進まない。しかし、面白い作品だし、私はチョーサーより好きかもしれない。でも長大な作品で、通してちゃんと読んでなくて、あちこち必要に応じて読むので、大きなことは言えません。

今面白く思っているのは、この作品には、the deserving poorとthe undeserving poorの概念がかなりはっきりと現れているように見えること。英文学では、この時代が始めてではなかろうか(ご意見のある方、コメント下さい)。the deserving poorとは、情けを与えられるに値する、つまり社会から保護されるべき貧乏人で、当時は身体に障害のある人とか、助ける人のいない未亡人などが典型的な例としてあげられている。その一方、the undeserving poorとは、働けるにも関わらず、楽して、怠けて働かない者、特にずるをして施しを受けたりしている者はラングランド作品でも特に厳しく非難される。五体満足なのに働いていない乞食や浮浪者を指すが、更に、施しで生計をたてる職業的巡礼者、あちこちで求められて儀式を執り行ったりして小銭を稼いで渡り歩く、所属する教会の無い乞食坊主、見習い僧侶や托鉢修道士、下世話な物語を語ったり曲芸などを見せて日銭を稼ぐ芸人(ミンストレル)なども含まれる。封建制度の騎士、聖職者、農民、という3つの大きな身分(the three estates)の中にしっかりとおさまりきらない連中は、働いていても、the undeserving poorにくくられることが多い。働かざる者、食うべからず。軽々に他人様の施しにすがってはならん、というわけ。でも、14世紀末でも、働きたくても仕事が無かった人は山ほどいた。チョーサーの描くオックスフォードの学僧も、今のポスドクみたいに、学問だけは積んではいるが、ちゃんとした仕事は見つかっていない。このthe undeserving poorの考え方は、チューダー朝時代になると一層強まり、浮浪者をかり集めて強制収容所に入れて、強制労働を課すという政策も試みられるようになる。ブライドウェル矯正院(ブライドウェル監獄、と呼ばれることもある)はその典型。産業革命の時代を経て、ビクトリア朝へと、この考えは綿々と受け継がれる。

さて、現在のイギリスの政権党、保守党では、前の党首であり、党の重鎮のジョージ・イアン・ダンカン・スミスの発案で、大幅な福祉制度の見直しが始まりつつある。その重要な柱は、失業者を大幅に減らすために、失業者のうち、職探しをしていない者や職業を斡旋されてもそれを受け入れようとしない者には、強制的に道路清掃などの仕事を週4日程度自治体がやらせる、そして、それをやろうとしない者は、失業手当の支給を最高で3ヶ月間カットする、という制度。実際は、かなり多岐にわたる改革であり、また、現場では、このような懲罰的な(?)労働を課せられる人や手当をカットされる人は大変少ないと思われる。細かくはBBCのこちらのページを参照して下さい

イアン・ダンカン・スミスがテレビなどで繰り返し主張しているのは、何年も十何年もに渡って,失業したままの人、親も兄弟も働いていない家庭など、働く文化や労働倫理の基本を見失っていた人には、まずは仕事を与え、働く習慣を植え付けることが大切だ、そして福祉行政に、経済的にだけではなく、精神的にも依存する人々を減らさなければならない、という基本的な考えだ。社会福祉が日本よりは手厚いイギリスでは、福祉依存の問題は広く国民に共有されており、今回の改革は、国民の7割以上の支持を集めていると見られ、労働党支持者も過半数が賛成しているという世論調査もある。

しかし問題は、現場での実施段階において、かって日本の自治体で生活保護受給希望者をできるだけ窓口で追い返したように、働かざる者食うべからず、という懲罰的な面が強調されないかということだ。イギリスでも、斜陽の鉱工業都市などで、働きたくてもどうしても仕事が無い地域は山ほどある。もともと単純な肉体労働をしていたワーキング・クラスの人が大多数の都市で、町の主な企業が潰れたら、どうなるだろうか。その時に40歳、50歳で、学齢期の子供、介護の必要な親、そして家のローンを抱えた人は、若い労働者と違い、ロンドン近辺に職を求めて引っ越すことも出来ない。また、働けない人の中には、鬱病などの慢性的な障害や病気を抱えた人も沢山いるが、これらの病気や障害については、どこまでが「働くことが可能か、不可能か」の線引きが難しい。障害者団体などから、既に不安の声が上がっている。

確かに福祉への依存は、その人や家族を負のスパイラルに投げ込むことが多いだろう。何年、何十年も働かないまま、家に閉じこもっている大人は、牢獄に入れられたようなものであり、それ自体、一種の懲罰である。しかし、the undeserving poorの考え方は、一歩間違うと、働かない者は理由の如何に関わらず食うべからず、という強者の論理になりかねない。アメリカのTea Party Movementの連中など、そういう事を唱える人もいる。というのは、福祉制度を基本的に全廃しようというのだから。

さて日本ではどうか。西欧に比べると、もともと福祉が手厚いとは言えない国だが、不況の今、生活保護の不正受給を非難する声は以前に増して強まっているのではないか。その向こうには、小さなパイを争って取り合う国民の姿が透けて見える。ふと、以前、東京のバスか電車の中で見た親子連れの会話を思い出した。幼児が若いお父さんに、道端の浮浪者のおじさんは、何故あんなところで暮らしているの、と尋ねていた。そうすると、そのお父さんは平然と、「あの人達は、あれが好きなんだよ」と答えていた。ふ〜ん・・・。


「日本ブログ村」のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ 海外留学(ヨーロッパ)へ
にほんブログ村

2010/11/14

"Blood and Gifts" (National Theatre, 2010.11.13)

アフガニスタンでアメリカがしてきたこと
"Blood and Gifts"



National Theatre公演
観劇日:2010.11.13  14:15-17:00
劇場:Lyttleton, National Theatre

演出:Haward Davis
脚本:J T Rogers
セット:Ults
照明:Paul Anderson
音響:Paul Arditti
音楽:Marc Teitler

出演:
Lloyd Owen (James Warnock, a CIA operative)
Matthew Marsh (Dmitri Gromov, a Soviet operative)
Adam James (Simon Craig, an MI6 operative)
Demosthenes Chrysan (Abudullah Khan, an Afgan warlord)
Philip Arditti (Saeed, a subordinate of Khan)
Gerald Kyd (Colonel Afride, a Pakistani colonel)
Duncan Bell (Jefferson Birch, an American Senator)

☆☆☆☆ / 5

アメリカの劇作家J T Rogersが、昨年、ロンドンのTricycle Theatreで上演され、好評だった新作劇に加筆して、ナショナルとリンカーン・センター(ニューヨーク)で上演されることになったそうである。1981年から10年間のソビエト軍が侵略した時代のアフガニスタンにおけるCIA、そしてアメリカの果たした役割について描いている。アフガニスタンの戦争が終わっていない今、こういう難しいテーマを、イギリスの左翼劇作家が書いたのならともかく、アメリカ人が正面から批判的に取り上げただけでも、非常に素晴らしいことだ。演出はHoward Davis、演技人も素晴らしく、充実した台詞劇として、演出と演技は申し分ない。ただ、台本の内容は現在のアフガニスタンの戦争に繋がるだけに、ちょっとひっかかるところがある。しかし、日本人も含め世界中の市民ひとりひとりにとって重要な問題を真面目に考えさせてくれるこの作品は、大変価値のある試みであり、色々な劇団にやって欲しい。

主人公のJim WarnockはCIAの現地責任者で、パキスタンとアフガニスタンに駐留して、パキスタン軍の司令官Colonel Afride、そして、アフガニスタンの反ソビエト・ゲリラ(ムジャヒディーンと呼ばれていた)の指導者のひとりAbdullah Khanと交渉し、ソ連軍をアフガニスタンから追い出すことに奔走する。彼の活動がひとつの山場に達するのは、スティンガー・ミサイルをゲリラ軍に供与することをアメリカの政治家に説得する時だ。

パキスタンの軍人も、現地のアフガニスタン人ゲリラの頭も、一筋縄ではいかない。それぞれ計算高く、自分達の都合の良いようにアメリカの武器援助を利用しようとする。CIAの一員である主人公にとっては、最終目的はソビエト軍を追い出し、この地域に"freedom"をもたらすことであり、それに私生活を犠牲にして情熱を注いで休むことがない。色々なプレイヤーの打算がぶつかり合う中で、結局ソ連軍を追い出すという目的は達せられた。CIAもソ連軍も去っていったが、アフガニスタンには平和が訪れることはなく、ゲリラのAbdullah Khanと彼の部下達は、かっての敵と結び、イスラム武闘派となって、新たな戦いに明け暮れる結末。つまり、ソ連とアメリカがかき回した後には、9/11の前のアフガニスタンが残ったわけである。

致命的な問題点があると思われる劇だが、しかし、1つの点だけは素晴らしい。それは、現在のアフガニスタン戦争は、80年代のCIAの介入の延長であり、アフガニスタンをタリバンなどの過激なイスラム化に追いやり、更にアラブの多くの外人部隊が入るきっかけを作り、アルカイダ、そして9/11のテロの土壌を作ってしまったのも、アフガンのゲリラにソビエトと代理戦争をさせたアメリカのアフガン政策の過去がかなりの原因になっていると言うことが、この劇を見てよく分かった。

その一方で、明らかに気になることもある。主人公のCIAの現地チーフWarnockは、あまりにも立派な男に描かれ過ぎている。地域に"freedom"をもたらすという理想を追って頑張ったヒーローみたいにも見えるが、多くのアフガニスタン人からすると、ありがた迷惑、とんでもないことだろう。彼の理想はアメリカの価値観の押しつけだったかもしれない、と劇は指摘しているのは分かる。しかし一方で、Warnockは彼の理想を信じて良心的に頑張った、と肯定的であり、インディアナ・ジョーンズ的な、未開の国で頑張るアメリカン・ヒローの臭いもする。また、アフガニスタン人ゲリラのキャラクターは、アメリカン・ポップスに夢中だったりとコミカルに描かれていたり、ステレオタイプであったりして、血肉が通っていない。あくまでアメリカ人の目から見た現地ゲリラ。私もアフガニスタンについて知っているわけではないけれども、アフガニスタン人の事をよく調べていない、現地でのリサーチが足りない、という感触を持った。全体としては、外国を描いたハリウッド映画等と同じで、良心的ではあっても、現地の人々に寄り添い、欧米の尺度をはみ出した描き方はされていない。あくまでもアメリカのリベラルな作家の視点から自国の果たした役割を検証した劇であり、アフガニスタンの人々の視点が十分には入っていないと感じた。無いものねだりのような気もするが・・・。

既に書いたように、演技人は素晴らしかった。主役のLloyd Owenに加え、イギリス人の諜報部員(MI6)のSimon Craigを演じたAdam Jamesの熱演が大変印象的。老獪なソ連の諜報部員Dmitri Gromovを演じたMatthew Marshも深みある演技。

キャラクターの掘り下げ方が足りない点、アフガニスタン人の視点が弱い点などが気になった台本だが、難しい素材に取り組んだ貴重な現代劇であることに変わりなく、また演技や演出の力量は圧倒的だった。テキスト重視のストレート・プレイをやらせたら、Howard Davisを超える演出家はなかなかいない。

「日本ブログ村」のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。

にほんブログ村 演劇ブログ 演劇(観劇)へ
にほんブログ村

2010/11/11

"Saturn Returns" (Finborough Theatre, 2010.11.10)

一人の男性を三つの年代で描く
"Saturn Returns"

Treasuretrove Productions in association with Neil McPherson
for Finborough Theatre




観劇日:2010.11.10 19:30-21:00 (no interval)
劇場:Finborough Theatre (Earl's Court, London)

演出:Adam Lenson
脚本:Noah Haidle
セット、コスチューム・デザイン:Bec Chippendale
照明:Chris Withers
音響:Sean Ephgrave
作曲:Richard Bates

出演:
Lisa Caruccio Came (Suzanne / Zephyr / Loretta)
Richard Evans (Gustin Novak at age 88)
Nicholas Gecks (Gustin Novak at age 58)
Christopher Harper (Gustin Novak at age 28)

☆☆☆ / 5

作者のNoah Haidleはアメリカの新進劇作家。リンカーン・センターなどで劇を発表して、好評を博しており、今後が大変期待されている人らしいし、この劇でもその才能がうかがえる。この劇を見た限りでは、若い劇作家には珍しく、個人の内面や家庭の問題を描く、クラシックな雰囲気を持つ台詞劇の作風。

劇場のホームページによると、"Saturn Returns"という題名は、土星は30年毎に、ある人が生まれた時にあった宇宙の同じ位置に戻ってくるという事に由来している。そして、この30年毎の土星の回帰と共に、大きな変化がその人に訪れるそうである。勿論これらは近代天文学によるのではなく、占星術の考え。

この劇は、主人公でレントゲン技師のGustin Novakの88歳の現在の彼に始まり、30年前の、所謂熟年、いや初老(と言うべきか)の彼と娘、そして、愛する妻との結婚生活を楽しんでいる60年前の彼の姿へとさかのぼって進行する。更に、30年前の彼の回想シーンには、今の彼自身が出て来てコメントをする。60年前のシーンでは、老人の彼に加え、更に58歳の彼も出て来て、3つの年代のGustin Novakが対話するという形式を取る。なかなか興味深い工夫であり、それだけでも一見の価値がある劇だ。Novakの3つの年代を、それぞれ別の男優が描くのに対し、彼の妻、娘、そして88歳の彼を往診に来た看護婦の3人は、Lida Caruccio Cameが一人三役をこなす。これは、母と娘は似ており、また、看護婦もNovakから見ると、娘に似ていた、という設定の為でもある。Novakにとっては、妻と娘が彼の人生の全てであり、物語は死の近づいたNovakにとっての二人の女性への愛惜の情を描いたものである。

劇はNovakの家に看護婦のSuzanneがやって来て、血圧などを測って問診しているところから始まる。Novakはお金を払ってわざわざ彼女を呼んだのだが、実はどこも悪いところはない。彼は非常に孤独な暮らしをしており、誰とも一言も口をきかない毎日を過ごしていた。やってきた看護婦のSuzanneに娘の面影を見た彼は彼女に大変親しみを覚え、またSuzanneも彼の孤独な暮らしに同情して聞き役に回り、彼は色々と身の上話を始める。そうして、30年前の彼、60年前の自分へとさかのぼっていくことになる・・・。

現在の年老いた彼の部分がとてもユーモラスで、笑いに包まれながらも同情や共感を誘う。彼は、これまでにも、誰かと話すためにどこも壊れてないのに配管工を呼んだりしているくらいだった。しかし、一方で自分の孤独な生活習慣に閉じこもり、勿論老人ホームなどには入る気は毛頭無く、趣味のサークルなどの集まりにも絶対に出たがらない。どこの国にでも良くいるタイプの頑固で柔軟性のない老人男性である。その傾向は既に58歳の時の彼にもあって、まるで依存心の強い子供のように一人娘にくっついて離れない。Haidleは若いにも関わらず、こうした年取った男性の描き方が特に秀逸だ。一方、それに比べると28歳の時のNovakはそれ程精彩がない。

俳優は皆上手で、特に88歳のNovakを台詞に込められたユーモアを生かして演じたRichard Evansと、3役を巧みにこなしたLisa Caruccio Cameが強い印象を残した。しかし、フリンジのプロダクションなので、やはり衣装やセットなどが安手で、雰囲気が上手く表現出来ていないし、時代の違いを示す工夫がないことが気になった。またHaidleの台詞は大変テンポの良い、しばしばユーモラスなダイアローグ中心だが、観客に向けてじっくり聞かせるようなところが少なくて、例えばAlmeidaなどで上演される同種のミドルクラス家庭の心理劇と比べるとやや深みに欠け、なかなか感動を呼ぶところまでには至らなかった。

とは言え、90分の短い劇ながら、かなり充実した佳作だった。Novakの老年は、娘や妻にくっついて、日常生活も心理的にもすっかり依存している日本人男性の多くにもあてはまりそうであり、私も笑ってばかりはいられない気持ちになった。


「日本ブログ村」のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。

にほんブログ村 演劇ブログ 演劇(観劇)へ
にほんブログ村

2010/11/10

Sara Paretsky, "Bleeding Kansas" (2007)

アメリカの病巣をえぐるパレツキーの本格小説
Sara Paretsky, "Bleeding Kansas" (Hodder & Stoughton, 2007) 480 pages

☆☆☆ / 5

Sara Paretskyはシカゴの女性探偵V. I. Warshawskiを主人公としたシリーズで日本でも大変人気が高く、翻訳もかなり売れている。彼女は今回取り上げた2007年のこの作品まで、全ての長編小説がWarshawskiシリーズだと思うので、おそらくこれが最初の本格的な小説(間違っていたらすいません)。長年プランを温め、自分の出身地であるカンサス州の農村部を舞台に、アメリカ合衆国の心臓部(the heartland of America)に巣くう問題を描いた作品。文学作品としての深みにはやや欠ける気がするが、アメリカ社会の病理を描くリベラルな視点が、探偵小説以上に発揮されている。また、Warshawskiシリーズでもお馴染みの力強い、緊迫感あるシーンも随所にあり、楽しめる。

(要旨) 物語は、カンサスの田舎町Lawrenceの近くに慎ましい農場をかまえるSchapen家とGreiller家の二つの家族を中心に進行する。両家族共に、1850年代からこの地におり、南北戦争(1861-65)の前後には助けあって、奴隷解放勢力を加勢した歴史があり、Greiller家のリベラルな妻Susanはそれを誇りとしているが、一方、Schapen家は1970年代頃より極めて保守的となり、現在は原理主義的キリスト教の教会に属している。保安官補を務めるArnie Sharpenはリベラルな都会人を憎悪しており、一家の女主人とも言うべきArnieの母、Myra Shapenは、狂信的なタカ派の原理主義者であり、自家のウェッブサイトで、リベラルな隣人Greiller達を明に暗にこき下ろす。Arnieは妻に逃げられたが、二人の息子、高校のアメリカン・フットボールのスターで暴力的傾向のあるArnie Juniorと、この一家で唯一文化的で、詩を作り音楽を愛するRobbie、がいる。Greiller家の方は、穏やかで素朴な農夫のJim、進歩的で情熱的な妻のSusan、そして高校の人気者の息子Chipと成績優秀で、子供ながら細かい気配りも出来て何かと父母の世話をするローティーンの娘Laraの4人家族。

隣同士として農場を営む2家族は、常日頃からことごとく非常に考えが違う上に、Myra Shapenは攻撃的な性格で、何かにつけてGreiller家を挑発している。そういう一触即発の環境の中に、ニューヨークから反戦主義者で非キリスト教徒のGina Haringが引っ越して来る。Susanはそれまで自分が精魂込めて育てていた有機農場を放り出して、Ginaとイラク戦争反対の活動に奔走する。反戦活動に没頭して家庭を顧みない母に反発したChipはSusanと大げんかした挙げ句、家を出、皮肉なことに、軍に志願する。Ginaはその他にも、Greiller家に様々な波紋を及ぼして、一家はバラバラになりそうだ。また、そのGreiller家の危機にMyra Shapenがつけ込んで非難を繰り返す。そんな中、自分の家族に違和感を覚え続けていたRobbie ShapenがLara Greillerに恋心を抱いてしまったから、事は一層複雑になり、カンサスの田舎を舞台にした"Romeo and Juliet"のようなサブ・ブロットが現れる。

小説全体の筋書きの上でもうひとつの大事な要素は、Shapenの農場に生まれた赤い子牛が、ユダヤ・キリスト教の伝統において伝えられている「完璧な赤い子牛」 (a perfect red heifer) と目される、ということが一部のユダヤ教の聖職者によって言われたこと。これがマスコミで取り上げられ、Shapen農場は一躍、地域の話題の中心になり、かなりの富をもたらすと予想されることになった。しかし、私が宗教的なモチーフに理解が足りないせいかも知れないが、この点が、いまひとつ小説の主要な要素としては説得力に欠け、作品全体の力を弱めている気がした。

私はSara Paretskyの長編小説、及び短編集は、最新作の"Hard Ball"を除きほぼ全部読んでいるはず。いや3つ4つの作品は2度読んでいる。その位好きな作家。彼女の作品は、素晴らしく魅力的なヒロイン、V. I. と、主人公、および作者の社会正義への飽くことない探求、そしてシカゴというダイナミックな町とそこに住む人々の魅力に満ちている。今回はそのシカゴという背景も、V. I.も出てこず、従来のParetsky作品のファンにはちょっと拍子抜けするかもしれない。しかし、探偵小説のWarshawskiシリーズでは表現しきれないParetskyの社会派作家としての面が強く押し出された秀作である。とりわけ、今回の中間選挙で、先日このブログでも触れたTea Party Movementに象徴される超保守派の台頭が見られたように、今のアメリカの政治状況の根っこに常にあるアメリカの白人大衆の保守主義が描かれ、時宜を得ている。これは昨今始まったものではなく、南北戦争前後の混乱期から1970年代のヒッピーの時代、そして今も続くイラン戦争を始めたアメリカにいたるまで、長い歴史を背景として綿々と続いていることが先祖達の日記や、昔の新聞記事なども挿入して示されており、作者の工夫が見える。

一方、現在のSchapen家とGreiller家の葛藤を描くにあたっては、ParetzkyはこれまでのWarshawskiシリーズで磨いた腕前を発揮する。LaraがShapenの農場の牛小屋に忍び込むシーンや終盤にRobbieがLaraを探し回るところなど、緊迫したアクション・シーンは、いつものWarshawskiシリーズで見られる腕前が発揮され、息をつかせない。Laraは、元気いっぱいで、フェアーで、知的な女の子。時々すねるが、立ち直りも早い。つまり、ミニV. I.みたいな感じで、V. I.ファンとしても読んでいて特に楽しめる。

但、読み終わってみると、シリアスな小説としてはそれ程の深みは感じられない。また小説の構造上大事な要素である「完璧な赤い子牛」のモチーフが珍奇に感じられるだけで説得力がないのが残念だ。しかし、草の根のアメリカに巣くう根深い病根を描いた作品として、アメリカ社会に興味のある人には面白い作品。Laraを始めとする個性的なキャラクターや生気溢れるアクション・シーンなどで、エンターテイメントとしても満足できる。

旧ブログで私は一作品、V. I. Warshawskiシリーズについて書いています。その、"Fire Wire" (2005)の感想はこちら

(追記)『ブラッディ・カンザス』という題で早川書房から邦訳が出ていました。山本やよい訳。"bleed"というのは「血を流す」という意味ですが、「ブリーディング」というカタカナ語はまず使われないし、多くの読者は意味も分からないでしょうから、「ブラッディ」(血まみれの)という時々カタカナでも使われる語に差し替えた苦心の邦題なのでしょう。ただ、"bleed"を理解する、英語がかなり分かる読者には違和感があるかもしれません。映画や舞台の字幕や吹き替えなど特にそうですが、意訳とは難しく、英語の出来る読者や視聴者は不満を感じがちなものです。私は、プロとして訳をつける人のご苦労は想像しますし、タイトルなどでは出版社の営業上の意向が大きいとは思います。しかし、個人的には、日本語を使うことにこだわり、「血を流すカンザス」、あるいは「血まみれのカンザス」などを使って欲しかったとは思いますが、出版社としては、多少意味不明でもカタカナ言葉の方が読者の注意を引きやすいとの判断なんでしょう。苦労しても日本語を工夫する努力が欲しいとは思いますが・・・。




2010/11/05

チョーサーの描く女子修道院長のフランス語

このブログに時々コメントを下さる守屋様のブログ "London Love & Hate"は興味深いロンドン情報や生活実感が沢山あります。そちらの新しいポスト「英語に関するあれこれ2:外国語を学ばないイギリス人」において私のブログにリンクを貼っていただきましたので、私もコメントを致しました。そのコメントに更に加筆訂正をして、ここにも2度に分けて掲載させていただきます。

チョーサーの描く女子修道院長のフランス語

守屋様はブログで、イギリス人のお友達から聞いた話として、チョーサーの描く女子修道院長のフランス語について言及されています。

ジェフリー・チョーサーは、『カンタベリー物語』の「プロローグ」(「序歌」と訳されることが多いです)でひとりの女子修道院長の肖像を描いています。彼女は、フランス語を優雅に話すが、彼女のフランス語はイングランド訛り、正確には、Stratford-at-Bow(ロンドン郊外の地名)流儀のフランス語であり、(王宮で話されているような)パリのフランス語とは違う、と書かれています。こうしたイギリス訛りの中世のフランス語をアングロ・ノルマンと言います。これは伝統的には、この女性の田舎くさいフランス語を皮肉ったものと解釈することが多いようです。この女子修道院長の描写は概して諷刺的であるとされてきましたが、近年は専門家の間でも異論があり、一概に彼女を皮肉ったり批判しているとは言えないという意見もあるようです。

この部分を一応引用しておきます:

And Frenssh she spak ful faire and fetisly,
After the scole of Stratford atte Bowe.
For Frenssh of Parys was to hire unknowe. (ed. L. D. Benson, ll. 124-26)

背景としては、当時は英語もフランス語も標準語というものは定まっておらず、各地でその土地の方言が今よりずっと広く使われていました。中世末期、イングランドを治めていたプランタジネット王家は、元来フランスからやって来た貴族であり、現在のフランス西部にも広大な領地を持ち、家来も配置していた、英仏海峡にまたがる大国でしたので、イングランドでは広くフランス語(前述のアングロ・ノルマン方言)が使用されていました。お妃も大陸の仏語圏から来ることが良くありました。チョーサーが生まれた14世紀前半は、王宮ではまだ主としてフランス語が話されていた可能性が高いと思われます。但、王宮で話されたフランス語は、主としてパリのフランス語であったと言われています。更に、書き言葉や、ローマ教会、裁判所等で使用された知識人の国際共通語はラテン語でした。ラテン語の使用はかっての日本における漢文の役割に似て聖職者の言語であり書き言葉中心ですが、中世ラテン語は、書かれるだけでなく、話す人もかなりある言語でした。加えて、チョーサー自身は、国際的な商都ロンドンの下町の裕福なワイン商人の息子であり、フランス語は勿論、イタリア語やフラマン語なども日常的に聞いていたと思います。10代から宮廷に出仕してフランス語環境に慣れ、成人してからは、官吏としてイタリアへ長期出張もしたので、イタリア語もかなりできました。奥さんは宮廷の侍女で、フランドル出身の家系です。奥さんの第一言語は、おそらく英語ではなかったでしょう。従って当時のイングランドは、特に王宮に出入りする知識層(貴族や官僚、侍女など)、聖職者の多く、裁判所関係者などは、複数言語使用者が多く、自然に習得するにしろ、意識的に教育を受けるにしろ、母語以外の言語を学ぶことは当たり前でした。そもそも当時の教育は、まず知識人の共通語であるラテン語の読み書きを学ぶことから始まったわけです。これは近代になっても変わらず、その名残は最近まであり、grammar schoolのgrammarは、英語文法ではなく、ラテン語(その次には古典ギリシャ語)の文法を意味しています。ルネサンス・オランダの大知識人エラスムスは、イングランドの大法官トマス・モア(ヘンリー8世に処刑された人)の親友でしたが、エラスムスはモア、あるいはコレットやフィッシャーなどその他のイングランドの友人とは、おそらくいつもラテン語で会話していたでしょう。何しろ、エラスムスが母国語のオランダ語を話したのは、息を引き取る前だけという逸話があるくらいラテン語を常用していたようですから。

なお、エラスムスの英語力については存じておりません。ケンブリッジ大学の教壇に立っていたので、英語も出来たとは思いますが、講義はおそらくラテン語で行ったでしょう。同僚との会話はどうであったのか、モアの家などで、モア・サークルの人々と会話する時はどうしていたのでしょう。モアの娘マーガレットはエラスムスのラテン語の著作を翻訳していたと思いますし、子供の頃から親しかったはずです。何かご存じの方がいらっしゃれば是非教えて下さい。その他、英語史や英仏史、ラテン語などを勉強されている方、私の間違いの訂正、その他のコメントなど大歓迎です。

(大学生の方へ:今回は多少勉強めいたポストですのでお願いですが、もしレポートなどに利用する場合は、公刊されている書籍でちゃんと調べなおし、出典を示して引用や言及をして下さい。一般的に、ブログは気軽に書いた文章で、学術文献ではありませんので、間違いも多いです。私自身もいちいち典拠を再確認しているわけではありません。勉強の出発点としてのヒントには出来ますが、ブログを引用するなどしてレポートに利用すればご指導の先生の印象を悪くするだけですし、出典を示さなければ剽窃となります。)


「日本ブログ村」のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ 海外留学(ヨーロッパ)へ
にほんブログ村