2010/11/15

"Piers Plowman"とイングランドの福祉改革:"the Undeserving Poor"の概念

自分の研究に関係があり、最近はずっと"Piers Plowman"(『農夫ピアズの夢』)をあちこちピックアップして読んでいる。14世紀のウィリアム・ラングランドによる英文学作品。チョーサーの"The Canterbury Tales"と並ぶ、中世英文学の後期を代表する傑作とされている作品だが、長いし、英語もチョーサーよりかなり難しく、遅々として進まない。しかし、面白い作品だし、私はチョーサーより好きかもしれない。でも長大な作品で、通してちゃんと読んでなくて、あちこち必要に応じて読むので、大きなことは言えません。

今面白く思っているのは、この作品には、the deserving poorとthe undeserving poorの概念がかなりはっきりと現れているように見えること。英文学では、この時代が始めてではなかろうか(ご意見のある方、コメント下さい)。the deserving poorとは、情けを与えられるに値する、つまり社会から保護されるべき貧乏人で、当時は身体に障害のある人とか、助ける人のいない未亡人などが典型的な例としてあげられている。その一方、the undeserving poorとは、働けるにも関わらず、楽して、怠けて働かない者、特にずるをして施しを受けたりしている者はラングランド作品でも特に厳しく非難される。五体満足なのに働いていない乞食や浮浪者を指すが、更に、施しで生計をたてる職業的巡礼者、あちこちで求められて儀式を執り行ったりして小銭を稼いで渡り歩く、所属する教会の無い乞食坊主、見習い僧侶や托鉢修道士、下世話な物語を語ったり曲芸などを見せて日銭を稼ぐ芸人(ミンストレル)なども含まれる。封建制度の騎士、聖職者、農民、という3つの大きな身分(the three estates)の中にしっかりとおさまりきらない連中は、働いていても、the undeserving poorにくくられることが多い。働かざる者、食うべからず。軽々に他人様の施しにすがってはならん、というわけ。でも、14世紀末でも、働きたくても仕事が無かった人は山ほどいた。チョーサーの描くオックスフォードの学僧も、今のポスドクみたいに、学問だけは積んではいるが、ちゃんとした仕事は見つかっていない。このthe undeserving poorの考え方は、チューダー朝時代になると一層強まり、浮浪者をかり集めて強制収容所に入れて、強制労働を課すという政策も試みられるようになる。ブライドウェル矯正院(ブライドウェル監獄、と呼ばれることもある)はその典型。産業革命の時代を経て、ビクトリア朝へと、この考えは綿々と受け継がれる。

さて、現在のイギリスの政権党、保守党では、前の党首であり、党の重鎮のジョージ・イアン・ダンカン・スミスの発案で、大幅な福祉制度の見直しが始まりつつある。その重要な柱は、失業者を大幅に減らすために、失業者のうち、職探しをしていない者や職業を斡旋されてもそれを受け入れようとしない者には、強制的に道路清掃などの仕事を週4日程度自治体がやらせる、そして、それをやろうとしない者は、失業手当の支給を最高で3ヶ月間カットする、という制度。実際は、かなり多岐にわたる改革であり、また、現場では、このような懲罰的な(?)労働を課せられる人や手当をカットされる人は大変少ないと思われる。細かくはBBCのこちらのページを参照して下さい

イアン・ダンカン・スミスがテレビなどで繰り返し主張しているのは、何年も十何年もに渡って,失業したままの人、親も兄弟も働いていない家庭など、働く文化や労働倫理の基本を見失っていた人には、まずは仕事を与え、働く習慣を植え付けることが大切だ、そして福祉行政に、経済的にだけではなく、精神的にも依存する人々を減らさなければならない、という基本的な考えだ。社会福祉が日本よりは手厚いイギリスでは、福祉依存の問題は広く国民に共有されており、今回の改革は、国民の7割以上の支持を集めていると見られ、労働党支持者も過半数が賛成しているという世論調査もある。

しかし問題は、現場での実施段階において、かって日本の自治体で生活保護受給希望者をできるだけ窓口で追い返したように、働かざる者食うべからず、という懲罰的な面が強調されないかということだ。イギリスでも、斜陽の鉱工業都市などで、働きたくてもどうしても仕事が無い地域は山ほどある。もともと単純な肉体労働をしていたワーキング・クラスの人が大多数の都市で、町の主な企業が潰れたら、どうなるだろうか。その時に40歳、50歳で、学齢期の子供、介護の必要な親、そして家のローンを抱えた人は、若い労働者と違い、ロンドン近辺に職を求めて引っ越すことも出来ない。また、働けない人の中には、鬱病などの慢性的な障害や病気を抱えた人も沢山いるが、これらの病気や障害については、どこまでが「働くことが可能か、不可能か」の線引きが難しい。障害者団体などから、既に不安の声が上がっている。

確かに福祉への依存は、その人や家族を負のスパイラルに投げ込むことが多いだろう。何年、何十年も働かないまま、家に閉じこもっている大人は、牢獄に入れられたようなものであり、それ自体、一種の懲罰である。しかし、the undeserving poorの考え方は、一歩間違うと、働かない者は理由の如何に関わらず食うべからず、という強者の論理になりかねない。アメリカのTea Party Movementの連中など、そういう事を唱える人もいる。というのは、福祉制度を基本的に全廃しようというのだから。

さて日本ではどうか。西欧に比べると、もともと福祉が手厚いとは言えない国だが、不況の今、生活保護の不正受給を非難する声は以前に増して強まっているのではないか。その向こうには、小さなパイを争って取り合う国民の姿が透けて見える。ふと、以前、東京のバスか電車の中で見た親子連れの会話を思い出した。幼児が若いお父さんに、道端の浮浪者のおじさんは、何故あんなところで暮らしているの、と尋ねていた。そうすると、そのお父さんは平然と、「あの人達は、あれが好きなんだよ」と答えていた。ふ〜ん・・・。


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2 件のコメント:

  1. こんばんわ。このエントリ、大変面白く読みました。

     まず、「農夫ピアズの夢」という小説があることを、初めて知りました。読む機会があるかどうかは判りませんが、イギリス人の国民性というのは、その時代からあまり変わっていないのではないかと感じます。

     確かガーディアン紙だったと思うのですが、IDSが今回の改革案の草案を発表したときに、かなり辛らつな批判が寄せられ、敬虔なローマン・カソリック教徒である彼は傷心したかもしれない云々。
     今回の保守党(もはや連立ではないですね)の一連の予算削減、というか切り捨てには、宗教色が付きまとっているように思います。
     ちなみに、ご存じないと思いますが、些細な情報を。IDSが保守党の党首だったとき、党勢を回復できない頼りない彼を揶揄して、In Deep Shitと名づけた新聞がありました。

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  2. 守屋様、コメントをありがとうございました。

    イアン・ダンカン・スミスは、保守党の政治家の中では誠実な印象を受けます。しかし、そういう人は、リーダーとしてはなかなか手腕を発揮しにくいかもしれませんね。

    私は予算削減のペースにどのくらいの正当性があるのか、Labourの言うようにもっと緩やかに出来るのかどうかは、経済にはまったく素人ですので判断できないのですが、経済界には好評のようですね。日本みたいにずるずる引き延ばすのが良いかどうか、難しいですが、これは国民の選択したことだし、イギリス国民の体質に合っているのでしょうね。

    但、日本でもそうですが、アメリカもイギリスも、他の先進国の多くも、経済力以上の出費をする体質から抜け出せないでずるずる来ているのだと思います。経済全体の収縮を耐えて、少ない収入と出費である程度の国民の健康的生活を維持できる体質を作らないといけないと感じます。いつまで経っても成長神話から抜け出せないのでは、地球を汚し、資源を枯渇させ、自然を荒廃させるばかりの気がします。全くの素人考えで恐縮ですが。 Yoshi

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