2018/07/11

カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』についての感想

昨日、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』(The Buried Giant)について考えていた。『ユリイカ』(昨年12月号203-13頁)に載った伊藤盡先生の学識豊かな論文が大変参考になる。

専門的な事に関心のある方は、伊藤先生の論文をお勧めしたいが、アカデミックな議論を離れて私の極めて主観的な感想としては、作品全体が、ひとつはロマンス文学の「探求」(quest)になっていると感じた。ガウェインの登場も『ガウェイン卿と緑の騎士』のクエストと重なる。また、もうひとつは、「巡礼」(pilgrimage)。老夫婦2人の死への道行きは、安らぎの彼岸(アヴァロンのような、ケルトの浄土を思わせる島)を見つけるための巡礼であり、人生の終わりに向けての懺悔の旅。これは中世道徳劇、とりわけ、『万人』('Everyman')の死への旅を思い起こさせる。過去の罪を思い起こし、懺悔をして神の慈悲を請い、しかし、最後は、ベアトリス(祝福された者)は、夫を残しひとりきりであの世に旅立つ・・・、この小説の結末は、私には、カトリックの伝統的な「告解の秘蹟」(The sacrament of penance)を連想させた。イシグロの意図とは違うかも知れないが・・・。

伊藤先生が指摘されているように『ベーオウルフ』の影響は引きちぎられた腕のモチーフで明らか。更に、他にも幾つかありそうだ。私が感じたのは、『ベーオウルフ』では、カインの子孫から巨人が生まれたと書かれていること。巨人は人類最初の殺人者の血を分けているらしい。タイトルになっている「埋もれた巨人」とは過去の忘れられた殺戮の記憶なんだろうか、なんて感じた。この小説を書いたきっかけのひとつとして、イシグロは旧ユーゴスラビア紛争があると言っているらしい。

中世英文学に関心のある者にとっても、熟読する価値のある作品だ。