2021/11/09

『カンタベリ物語』オンライン読書会(2021/10/30)の感想

 大分時間が経ってしまいましたが、10月30日夜にあった「『カンタベリ物語』オンライン読書会」(ヒロ・ヒライ先生主宰)の感想を書いておきます。このオンライン読書会は、池上忠弘監修『カンタベリ物語 新共同訳版』(悠書館、本年10月刊行)を記念して、企画されました(『カンタベリ物語 新共同訳版』については前回のエントリ参照)。西欧科学史、特に錬金術の歴史などの専門家で、長年欧米で教育・研究をされてきたヒロ・ヒライ先生が主催され、ネット上でZOOMを使って開催されました。参加費は2,000円で、有料の講演会、プラス参加者との質疑応答よりなります。1時間半の予定でしたが、2時間10分以上続き、大いに盛り上がって、充実した会となりました。

まず3人の豪華な講師陣(ヒライ先生、中世英語英文学研究者で明治大学准教授の狩野晃一先生、YouTube番組、「スケザネ図書館」で人気の書評家、渡辺祐真[スケザネ]さん)のミニレクチャーを約1時間聴き、その上で、参加者全員が少なくとも1回以上はコメントなど言うことが出来て、皆さん満足できたと思います。有料だったので、参加者数は限られていたのですが(定員20人で、実際の参加者は講師陣も含め16人とのことでした)、その分、中味が濃くて、こういう会があっても良いなと思いました。

新共同訳をベースにして話し合ったのですが、ヒライ先生の専門的知見によれば、解題に修正すべき点もあるとのことで、他分野の専門家との交流が大切だと痛感しました。渡辺祐真(スケザネ)さんのコメントはなかなか鋭く、驚嘆しました。分野を問わず、文学的な感性を発揮出来る書評家の方の見識は凄いと思いました。

この読書会の話を始めて知った時には、『カンタベリ物語』のなかで、よりによってあまり面白くなく、ほとんど誰も読まない(?)「律修参事会員の話」を取り上げるなんて、と思いました。更に、このお話は、謂わば中世の科学実験を巡る詐欺の話で、錬金術に関する専門用語だらけです。正直言って、子供の時から化学が苦手な私としては、ちょつと拒否反応を感じます。一方、学会・研究会でお世話になっている優秀な研究者の狩野先生が出られるので、出ようかと思ったり、でも話自体に興味が持てないので無駄かなと思ったり、最後まで迷いました。とにかく「律修参事会員の話」自体を長年読んでいなかったので、この機会に読み直してみたのですが、そうすると実に色々と考えさせる話であると分かり、参加することにしました。結果的に、私にとって大変勉強になりました。

このお話は、現代と多くの共通点があります。中世の知識における物体を元素から組み直して新しい物体に変化させるという試みが描かれているのですが、今で言えば一種の核融合、あるいは遺伝子操作みたいな試みに比較されるでしょう。アラブ世界から盛期中世に西欧にもたらされた科学知識がイングランドにも伝わり、こういう文学作品にも既に一種のパロディとして反映されているわけです。この伝統は、更にルネサンス期にはベン・ジョンソンの『錬金術師』を生むことになります。

律修参事会員(キャノン)と召使の2人は後から巡礼団に加わり、最初の宿屋の場面にはいません。お話のコンテストという前提を共有せず、恐らく面白い話をするつもりもないのです。召使が話すのは主人の仕事が虚業であること、そしてもう一人のキャノンの詐欺について聞いた実話です。つまり自分の体験した実話と、ひとから聞いた実話と思われる話、ふたつともノン・フィクションです。チョーサーは『カンタベリ物語』において、このお話以前に、ロマンス、ファブリオー、説教、聖者伝、動物寓話、等々、様々の中世の物語のジャンルを試し終えて、もうやることが無くなったのか、自分の興味ある現代的なテーマについて現実のお話をしてみようと思ったのかも知れません。彼は元々科学には並々ならぬ関心を持ち、他に天体観測器についての論文みたいな文章を書いています。そして、彼の同時代には偽金作り、つまり一種の錬金術、を使った詐欺事件も発生していて、その事件の裁判に専門家証人として関わったのが彼の同僚だった、という発見が最近ありました。とは言え、彼はそういう実際に起こった事件をそのまま書いている訳ではありません。『カンタベリ物語』という全体がフィクションという枠組の中で、実際に起こったこととして、この召使に語らせているわけです。ジャンルをいじるのが好きなチョーサーらしい実験です。

読書会で出なかった質問/コメントとして、この「律修参事会員」(キャノン、the Canon)は何者か?という疑問が残りました。律修参事会については私もよく知りませんが、一種の修道会で、イングランドの場合大体においてアウグスティヌス会がそれに当たるようです。普通、会の僧院で暮らすのだと思いますが、この巡礼に加わろうとしたキャノンは、日頃、召使(yeoman)を雇って、詐欺まがいの錬金術実験に入れ込んでいると語られています。彼のような男が何故キャノンでいれられるのか、不思議に思いました。

その他にも色んな疑問を生んだ楽しい読書会でした。ヒライ先生はじめ、講師の方々にお礼を申し上げます。