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2015/05/03

Dick Gaughan, "Workers' Song"

今日5月3日の朝日新聞にイギリスの労働者の「ゼロ時間契約」の記事が出た。雇用主の都合の良い時に都合の良い時間だけ働かせられる契約。ある週には30時間、しかし、別の週には10時間働く、という不規則で不安定な労働を、しかも最低賃金で強いられるイギリスの若者のケースが取り上げられていた。それでもこの人は大学院出である。こういうその日暮らしの不安定な労働をしている人は、イギリスにはとても多い。

日本でもイギリスでも、労働者の権利はここ20年くらいで無惨に踏みにじられ、労働組合もどんどん弱体化してきた。それで、久しぶりに、スコットランドのフォークシンガー、Dick Gaughanのプロテスト・ソング、"Workers' Song”を聞いている。アイルランドやスコットランド、ウェールズなどのケルト系シンガーの中でも、私が特に好きな人だ。


私の乏しいリスニング力では、英語の歌を聴いて歌詞を理解するのはなかなか難しいんだが、幸い、ネットのDick Gaughan自身のサイトに歌詞がある。 この歌はEd Pickfordという人の作だそうだ。

Dick Gaughanは私の最も好きな歌手のひとり。シャープな歌声に加え、彼が歌う歌の内容も素晴らしい。 代表作は、"Handful of Earth"というアルバム。他にも良い歌が沢山。

2014/05/01

コンサート「ラウデージによる種の復活の黙想」(八王子復活教会、2014.4.28)

会場:聖公会 八王子復活教会
2014.4.29  15:00-16:00
合唱と演奏:ラウデージ東京
指揮と監修:杉本ゆり

中世英語英文学の研究者で、私の大学院の大先輩である先生からお知らせをいただき、始めてこの古楽グループのコンサートに出かけた。リーダーの杉本ゆりさんは、長年中世の音楽を研究され、教育、研究、そして今回のような実際の演奏において活躍されている方だそうである。丁度復活祭の期間中であり、曲目はキリストの復活にちなんだものが並んでいた。パンフレットの説明を一部引用すると、次の様な曲が含まれる:

“Concordi laetitiae”
「13世紀のフランス起源のラテン語プローザ。聖母マリアと共に主の復活を願う行列聖歌として伝統的に親しまれてきた。」 
“Victimae paschali laudes
「セクエンツィア(続唱)のなかでももっとも広く親しまれていた聖歌です。11世紀末の写本からの情報でウィポー(Wipo, c.990-c.1050)作とされています。このセクエンツィアは典型的なセクエンツィアの形を取らず、韻も踏まない不規則な詩形であることから、押韻のタイプに移行する過渡期の姿を示しています。このセクエンツィアは対話を加えながら復活物語を追い、典礼劇のプロトタイプを見せてくれます。このラテン聖歌ができてから1世紀後にドイツで、ラテン語の歌詞の間にドイツ語が挿入され、宗教改革前のドイツ語賛歌”Christ ist erstanden”となり、更にルターが両者に基づいて”Christ lag in Todesbanden”を書きました。」 
“Jesu Christo glorioso” (Cortona MS 91)
「13世紀の民衆の宗教運動の中から生まれた、特にフランシスコ会の中から生まれたラウダという俗語による賛歌がコルトナ市の聖フランチェスコ教会に残されていました。」 
“Col la madre del beato” (Banco rari 18)
「14世紀のフィレンツェの信徒会が残したラウダ写本に所収される復活ラウダです。」
「この一連の復活のテーマによる楽曲はどれも中世の復活典礼劇の要素を持ち、それらと関連しあっています。復活の朝のミサが始まる前、聖土曜日から復活の主日の間にこのような劇が演じられ、それらは”Quem queritis?”(誰を捜しているのか)と呼ばれます。もともとはラテン語による典礼劇でしたが13世紀から次第に俗語化していきます。誰にでも分かる、地元の話し言葉で演じられ、目で見て耳で聞いて具体的に復活の福音が分かるようになるために復活劇の役割は重要でした。そして最後に感謝の賛歌として古代キリスト教の聖人アンブロジウスによる”Te Deum”が歌われる慣わしでした。」 
“O Filii et filiae”
「復活の物語を福音書に沿って歌うこの賛歌は今日も教会の中で生き続け、歌われる民衆的な素朴な歌です。 
“Spiritu Sancto”
「コルトナ写本には聖霊についてのラウダが3曲あります。この曲は、導き手である聖霊を三位一体において讃えています。」

他にもあり、全部で10曲。

会場でいただいたパンフレットには色々と勉強になることが書いてある。これらの歌は典礼劇とも深い関係があるそうだ。あまり長文の引用をするのは気が引けるが、杉本さんの解説で更に印象に残る部分をもう一カ所引用:
復活祭は聖母マリアのみならず、女性たちが活躍します。その筆頭はマグダラのマリアです。プログラム前半の復活聖歌”Victimae paschali laudes”から復活ラウダの間、何度も歌のなかに聞かれる”Maria”という呼びかけはすべてマグダラのマリアに向けられたものです。復活の朝、香油を持って走ってきたマリアたちにキリストが現れ、鳴いているマグダラのマリアに声をかける感動的な場面、また天使によって「ここにはおられません、ガリラヤで待っておられます」と告げられる場面。「我に触るな」という有名な言葉を言われる場面、疑ったトマスが脇腹の傷に手を差し入れ、「我が神よ」と信仰告白をする場面、エマオへ向かう旅人に姿を現される場面、など劇的な美しい復活シーンが歌に散りばめられています。

素朴な歌であり、賛美歌ではあるが、俗語で書かれ、民衆的なものも含まれるせいか、厳かなばかりでなく、打楽器に合わせて歌われ、とても軽快で楽しい歌もあった。私の様な者から見ると、一種のフォークソングを聞くような感じで楽しめた。また、聖母マリア達がキリストの墓を訪れて復活を知るという内容の歌もあり、中世演劇、特にラテン典礼劇の萌芽となるような曲も含まれ、勉強の上でも刺激になり良かった。これらの歌の幾つかは、恐らく大聖堂や修道院の内外における行列(procession)の折に歌われたのであろう。一種の行進曲でもあり、行列という演劇にも通じるパフォーマンスの音楽でもあった。

コンサートの後、会場でお会いした大ベテランの先輩で著名な学者のA先生、そして彼女のお友達の先生と3人で、しばらく気楽なおしゃべりを楽しんで、良い一日となった。

ラウデージ東京のホームページ。次のコンサートは11月に催されるらしい。是非また聞きたい。関心のある方はグループのホームページに注意していて下さい。

2014/04/16

ハリー・チェイピン:アメリカの吟遊詩人

スザンヌ・ヴェガのコンサートに行って以来、昔買ったけど最近かけてなかったCDとか、今はCDも持ってないけど昔頻繁に聞いていた曲をネットで捜して聞いたりしている。前回のブログでアメリカ留学していた頃聞いたロック歌手の事を書いたが、最近は滅多にロックを聴かなくなってしまった。しかし、20歳代の当時から聞いていて未だに頻繁に聞く歌手もいる。最近もほとんど毎週のようにかけるのが、ハリー・チェイピン(Harry Chapin, 1942-1981)だ。ボブ・ディランのような、所謂フォーク・ロックのシンガー・ソングライター。1981年に、交通事故で夭折している。彼の歌は、特に名作”Taxi”や”Cat’s in the Cradle”においてのように、歌詞が魅力的なストーリーを持っていて、じっくり聞かせる。特に前者は、文芸批評などでいうところの、「アメリカン・ドリーム」をテーマとした歌で、なかなか文学的で聞き応えがある。タクシーの運転手が、昔ハイスクールで同級生だった女性を客として乗せることになったという話。彼は高校生の時は飛行機のパイロットになる夢を持っていたし、彼女はハリウッド・スターになるはずだったが・・・。歌詞はこちら。



とってもアメリカらしい歌だ。チェイピンは世界の貧困と飢餓のために様々のチャリティー活動をするなど、社会活動家としても尊敬を集めた人で、死後に連邦議会から Congressional Gold Medal という大変名誉ある勲章を受けている。また、彼の奥様を含め、家族は彼の死後、Harry Chapin Foundationという財団を設立して、今も彼の残した社会事業を継続している。彼の母方の祖父は、ケネス・バーク(Kenneth Burke)という、20世紀のアメリカを代表する文学批評家だった事も知られている。

そういう伝記的な事を知らずとも、彼の歌は、人柄が偲ばれる暖かさに溢れている。彼の作品では、人生の様々な変転に直面している人達への暖かい視線がリリカルな歌詞とメロディーに乗って歌われる。アメリカの吟遊詩人と呼びたい歌手。さて、最後に、”Cat’s in the Cradle”。愛し合っているはずの父と息子のすれ違いを歌った作品。歌詞はこちら。



ボブ・シーガー: ミッド・ウエストの風

先日、スザンヌ・ヴェガのCDは何を持っていたかなあ、と思って引き出しや棚を引っかき回していて、ボブ・シーガーのCD、”Bob Seger: Greatest Hits” を引っ張り出して、聞いている。ちょっと想い出があるので、書いておこう。

私は、35年くらい前、20歳代の半ばに、アメリカで、生でボブ・シーガーの歌を聴いている。その頃私は中西部の田舎町の大学に留学していて、毎日朝から夜寝るまで勉強だけの日々を送っていた。アメリカであろうと日本であろうと、ひとづきあいも会話をするのも苦手な私は、友達も、クラスで話す相手もおらず、また肝心の授業には全くついて行けないし、それを相談する人もおらず、毎日苦しい日々だった。

そうしたある日、多分コーヒーショップかなんかでひとりで食事を取っていたんだろうと思うが、同世代の見知らぬアメリカ人男性が話しかけてきた。彼は学部・大学院で日本語・日本文化を専攻し、日本人女性と結婚していて、日本の事を話したがっていた。その後彼と週1回くらい会うようになり、レポートの英語を直したりもしてくれるなど、お世話になったし、彼とたわいないおしゃべりをするのは、随分気分転換になった。他に話し相手も無い私には、英語のスピーキングの練習にもなったと思う。結局その面では大して上達しなかったが(^_^)。

その彼が、夏休みだっと思うが、突然、コンサートに行こうとやってきて、車に乗っけてくれ何時間もドライブして大きな野球場らしき場所に連れて行ってくれた。行ってみると、かなりの規模の、野外のロック・フェスだった。私は、日本での学生時代に色々ロックのレコードは聴いていたが、アメリカに来る前に皆売ってしまい、ポップスの事はすっかり忘れていたし、どんなグループが流行っているかも知らなかった。そのロック・フェスでは沢山のグループや歌手が出て来たが、元々知らなかった人達がほとんどだったと思う。しかし、後ろの方で出演した3グループだけは覚えている。多分最後に出て来たのが、Bob Seger and the Silver Bullet Bandだったと思う。その他に、ナザレス(Nazareth)、フォーリナー(Foreigner)も出た。この3つのバンドが一同に会するだけでも、考えて見ればロック・ファンにとってはえらく豪華なフェスだろうな、と今になって思うが、当時の私には猫に小判だった。それに、料金をその友達に払った覚えもない。きっとチケット代、安くなかっただろう。今となっては申し訳ないかぎり。ボブ・シーガーもナザレスもフォーリナーも、35年くらい経った今も音楽活動を継続している現役のロック・ミュージシャンだ。

で、前置きが長くなったが、そのボブ・シーガーが歌った曲で、未だに心に残っているのが、傑作、”Night Moves”:



はっきりとは思いだせないが、これも演奏されたのではないだろうか, “Roll Me Away”。この曲を聞くと、広大なミッド・ウェストのコーンフィールド、どこまでも続くハイウェイ、蒸し暑い夏の夜や凍り付く冬のブリザード、そして何と言ってもアメリカの広さを思い出す:



ボブ・シーガーはシカゴのミューシャンで、ニューヨークっ子のスザンヌ・ヴェガの物静かでアーバンな世界とは全く違う、ミッドウェストらしい雰囲気でいっぱい。私にとって懐かしいアメリカではある。トラック・ストップで、パンプキンパイなんかほおばりながら聞くとたまらない。アメリカらしいアメリカ。

私をこのロック・フェスに連れて行ってくれた彼とは、その後音信不通になってしまった。と言うか、アメリカで知り合った人とはほぼ関係が切れてしまっている。彼にも、もう会うことはないだろうが、もし会えたらお礼を言って食事でもご馳走したいものだ。

若いときはロックを聴いていても、歳取ったら、歌謡曲とか聞くようになるのかな、と学生時代は思っていたけど、ロックで育った世代は、いつまで経ってもロックみたいね(^_^)。とても歌謡曲なんか聴けない。だから、年寄りの冷や水でも、未だにシーガーもフォーリナーもストーンズも神経痛やら高血圧を押して活動中(^_^)。ちなみに中学生の時、私が最初に買ったLPレコードは、ステッペンウルフ、その後がドアーズとクリーム(クラプトンのバンド)。ということで、お馴染み(?)、”Born to Be Wild”で終わりにします。アメリカ映画を変えた『イージー・ライダー』のテーマソング。これも、実にアメリカ臭い! 今聞いても充分楽しい。


スザンヌ・ヴェガ コンサート EX Theatre (六本木) 2014.04.07

音楽にはあまり縁のない私が唯一そのコンサートに複数回行っているのがスザンヌ・ヴェガ。ロンドンのカドガン・ホールのコンサートに2度行っている。東京でも聞けて幸運だった。

新しいアルバム、”Tales from the Realm of the Queen of Pentacles” のワールド・プロモーション・ツアーのひとつとして、東京と大阪でコンサートをしている。

唱った曲は、新しいアルバムからと、彼女の初期のクラシック(*は新アルバムから):
Marlene on the Wall
Caramel
The Fool’s Complaint*
Crack in the Wall*
Jacob and the Angel*
Small Blue Thing
Gypsy
Queen and the Soldier
Don’t Uncork*
Song the the Stoic*
Left of Centre
Some Journey
I Never Wear White*
Luka
Tom’s Diner
(以下、アンコールで)
Undertow
Horizon*
Rosemary

始まった途端に、何だかもの凄く幸せな気分になった。古い友人に久々に会った感覚かな。何しろ25年以上聞き続けているから。ほぼ毎週、一度は聞かないことは珍しい。この十数年アイルランドの歌手を聞くことが多くなったんだけど、ヴェガだけは私の変わらぬ定番。

コンサートが終わった後も、帰り道も、帰ってからも、夜、夢の中でも、ずっと彼女の歌が響き続けた。

ロンドンのコンサートでは、前座の人が出て来て30分弱演奏した後、ヴェガが出て来たが、今回は7時半の開演時間きっかりに彼女自身の”Malene on the Wall”で始まった。古い歌は皆私がよく聞いてきた歌。私は彼女のオリジナルアルバムは全て持っているはず。ベストアルバムなどのアンソロジーも全部じゃないけど何枚もある。ニュー・アルバムも既に買っていて、何度も聞いているのだが、他のアルバムと比べて、いまひとつピンと来ないと感じていた。でも、コンサートで聞いてみて、やはりCDで聞くのとは違う魅力を感じた。特に、”Song of the Stoic”と”Horizon”は良かった。歌詞に年齢を経て書ける深みを感じる。”Luka”とか、”Queen and the Soldier”といった若さを感じる歌とは違う今の彼女の世界。その意味で、私はこの前のオリジナル・アルバム”Beauty and Crime”の円熟した叙情がたまらなく好きなんだが、今回全く唱われなかったのはとても残念だった。

伴奏は、ロンドンでは3人くらいいたと思うが、今回はギターのGerry Leonardひとり。それでも見劣りしなかった。Gerry Leonardは、ヴェガも紹介していたが、デヴィッド・ボウイのミュージカル・ディレクターを務めた事もあるかなり有名なミュージシャンらしい。英語版ウィキペディアにも独自の項目があった。今回のアルバムの曲の作曲はほとんどがヴェガと彼の共作。

観客は老若男女、様々の人がいた。外国人(と言っても、東アジアの人は見分けがつかないので、見て分かるのは白人だけだけど)もかなりいた。一番多かったのは、30、40歳代の男性だろうか。となりの席のオジサン、もの凄いファンのようで、体を揺すりながら聞いて、手が痛くなるほど拍手して、えらく興奮してたな(^_^)。ちょっとうるさかったけど、熱烈なファンのようなので許せた。

これからまたコンサートのことを思い出しつつCDを聞いて楽しめる。また東京に来て欲しい。

ヴェガの曲を聴いてみようという方はこちらに4曲。本屋さんで開かれた最近のミニ・コンサートのライブ。アメリカの公共放送、National Public Radioの番組の録音のようだ。曲は、”Luka”, “Crack in the Wall”, “I Never Wear White”, “Tom’s Diner”。単なる書店での録音なので音響などは多くを望めないが、この素朴さがヴェガらしくて良い:


2014/02/19

『今に響く声:12世紀の修道女』(ビンゲンのヒルデガルト作、歌曲コンサート)

『今に響く声:12世紀の修道女』(ビンゲンのヒルデガルト作、歌曲コンサート)
佐藤裕希恵(歌唱)

2013.2.18   19:30-21:00
東京オペラ・シティー3階 近江楽堂

道路の隅にたくさん雪が積み上げられ、凍るように冷たい風が吹きすさぶ夜、標題のコンサートに行って来た。素晴らしい歌声を聞き、心が暖かくなって帰宅した。体調が悪いのを押していったのだが、休まなくて本当に良かった。

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(Hildegard von Bingen, 1098−1179)は12世紀のドイツのベネディクト会尼僧院の院長だった女性。私は、英語圏以外の中世の事についてろくに知識を持ち合わせず、彼女の多くの作品の何も読んだことがないのだが、名前だけはよく読んだり聞いたりしている。12世紀のダビンチみたいな、ルネサンス的な才能を持ち合わせた知識人だった。神秘的宗教家(a mystic)として最も高名だが、その他にも今の分類で言えば、哲学者、神学者、音楽家、詩人、自然科学者、医学者、家政学者、等々として、様々のジャンルに渡る文章をラテン語で残しているし、女子修道院長という、指導者としても活躍した。12世紀は、近代初期以前に、古典や人文学の知識が花開いた時期として「12世紀ルネサンス」と呼ばれることがあるが、彼女はそういう時代の立役者の1人だ。やはり学者で、尼僧院長だった(アルジャントューユの)エロイーズとほぼ同時代の女性でもある。

私が特に興味を持ったのは、彼女がラテン典礼劇(Latin liturgical drama)、それも、内容から言って最初の道徳劇(a morality play)を書いていることだ。『ダニエル劇』などと共に、12世紀の典礼劇の最高傑作のひとつに数えられている『諸徳目の秩序』(”Ordo Virtutum”)がその作品。

今回は、この春東京芸大の修士課程を修了され、また、現在スイス、バーゼルにある古楽専門の音楽大学、Scola Cantorum Basiliensis、に籍を置いて研鑽を積んでおられる佐藤裕希恵さんが、ヒルデガルトの歌曲4篇(前半)と、”Ordo Virtutum”の抜粋を約1時間半をかけて歌って下さった。 大変美しい声で、心の中を清らかな水が流れていくような時間を過ごすことが出来た。

”Ordo Virtutum”は、後の英語やその他の西欧言語の道徳劇のように、抽象的な徳を擬人化した登場人物(無垢、信仰、希望、従順、神への畏れ、等々)と、悪魔が、人の魂(Anima)をめぐって争うという作品。私は英訳も読んだことがなかったが、今回一夜漬けで、ラテン語原典を半分ちょっと読んで出かけた。面白いのは、徳目の台詞は歌として唱われるが、悪魔の台詞は、音楽が付いていないそうだ。美しい、正に天の歌声のような音楽に、悪魔の台詞は似合わないからだろう。劇として多くの人によってオペラやミュージカルのように演じられるときは、悪魔の台詞は、役者の色々な工夫、大げさなジェスチャーとか威嚇や誘惑の仕草、そしてしゃがれ声など、色々な事がやれそうだ。後の道徳劇と異なり、悪徳のキャラクターは出てこず、悪は悪魔のみで表現される。尼僧院だから、悪魔を演じたのも尼僧だったのだろうか。それとも、その時は、男性の修道士などが「特別出演」したのかしら(^_^)。勇ましく、りりしい女たち(Virtutes)が、力を合わせてデビルをやっつけて、悩んでいる人の魂(Anima)を破滅から救うなんて、考えると楽しい劇だ。

尼僧院で上演されたと考えると、デビルは正に女性を(とりわけ修道女や修道女見習い[a novice])を誘惑する現実の、あるいは想像上の男、とも取れる。修道士、修道女と言えども人間だ。ウンベルト・エコ原作の映画『薔薇の名前』では、若い修道士が修道院に忍び込んだ女性と熱いひとときを過ごすシーンがあったと記憶するが、現実の修道院や尼僧院の中には、風紀が乱れたところがあったのも事実らしい。そもそも現代と違い、多くの人にとって修道会に入るのは生業のひとつでもあった。主として閉ざされた空間の中で、異性ともほとんど交わらない生活に入る十代の男女が誘惑に抗するのは、結構大変かもしれない。こういう劇は若い修道女への教育的なメッセージも持っていたのだろうか。

演劇史において、作者や俳優としての女性の存在は、大変難しく、興味深いテーマだ。中世には、女性が演劇で役者をやることはわずかしか無かったと言われてはいるが、こういう風に、女性が書いて、女性が演じた劇もあった。今で言うなら女子校・女子大演劇って感じ?

典礼劇における”Ordo”というタイトルは、英語ではserviceと訳されることもよくある。”Ordo Virtutum”のような劇は、確かに今の視点から見ると、演劇、一種の宗教ミュージカル、であるが、当時の修道院でこれを演じた尼僧達にとっては、まさに神の力を讃え、その慈悲に感謝する”service”(お勤め、勤行)であったことだろう。観客に向けたエンタティメントとしての演劇とはその目的と本質において、大きく異なる。一方では、もの凄く真面目な内容で、主として身内だけでやる劇でも、やった人は分かるように、楽しかったに違いない。中世12世紀の修道女達が、ワクワクして衣装を工夫したり、劇をやっているところなんて、想像すると楽しい。見ている方も、若い修道女なんか、「キャー、先輩ステキ!」なんて出演者の噂したりして、宝塚みたいだったかも?

勉強や趣味の読書の対象としては、私は中世の女性神秘家にはほとんど興味はない。しかし、ヒルデガルトの典礼劇は、一度最初から全体をちゃんとラテン語で読んでおこうと思った。典礼劇のラテン語は割合簡単なので、注や英訳があれば私の錆びついた語学力でも大筋はなんとか理解できる。私は、典礼劇を、20歳代、大学院生のころ、履修した授業の一環として、英訳テキストや研究論文でいくらか学んだきりだが、英語の中世劇の背景を知る上で、もうちょっと勉強しなきゃ、と思った。今回は良いきっかけになった。ラテン語も学びなおさないとなあ。

当日は、お客さんの中に、私が昔からお世話になっている高名な中世英語・英文学者の先生がおられ、終わった後、しばらくお茶を飲みつつ、色々と中世のこと、ご研究の事などうかがえて、楽しかった。若い研究者の方々の近況や就職などを色々と心配しておられた。

(捕捉)
ラテン語の典礼劇については、中世フランス演劇専攻の片山幹生先生による「フランス中世演劇史のまとめ」というサイトが、日本語の書籍以上に大変詳しい内容を持っているので、関心のある方にはお勧めしたい。このサイトは片山先生の長年の研究と博識が遺憾なく発揮された貴重なサイトで、単行本に匹敵する分量がある。ブログ形式で連載されておりフランス語中世劇についての解説がほとんどだが、最初のほうがラテン典礼劇の解説である。

今回の歌手、佐藤裕希恵さんは2014年10月にスイスの学生達に混じって、向こうの教会でこの劇の上演に参加された。その時のビデオ映像がYou-tubeにアップロードされている。白い服の徳目の中で、他の人に比べて少し背の低い女性が佐藤さん。演出家や俳優などのクレジット・タイトルはビデオの最後に出て、佐藤さんの名前も上がっている。私もまだちゃんと通しで見ていないが、今後テキストを読んだ上で、じっくり全体を見たい。"Ordo Virtutum"のビデオやオーディオはネット上にかなりある。またCDも発売されている。今回の公演は、佐藤さんのブログで知った。私は音楽について評価する能力は全く無いので、どこがどう良いとか、他の公演とくらべてどうだとか言えないが、日本で"Ordo Virtutum"を生の声で聞く貴重な機会を与えて下さったことに深く感謝したい。