2015/12/30

【アメリカ映画】 リュック・ベッソン監督作品、『ジャンヌ・ダルク』(1998)



『ジャンヌ・ダルク』
158分、アメリカ映画、1998年公開

監督:リュック・ベッソン
脚本:アンドリュー・バーキン、リュック・ベッソン
美術:ユーグ・ティサンディエ
音楽:エリック・セラ
撮影:ティエリー・アルボガスト

出演:
ミラ・ジョヴォヴィッチ(ジャンヌ・ダルク )
ジョン・マルコヴィッチ(シャルル7世)
フェイ・ダナウェイ(ヨランド・ダラゴン )   
ダスティン・ホフマン(ジャンヌの良心?)
パスカル・グレゴリー(アランソン公 )
ヴァンサン・カッセル(ジル・ド・レ )
チェッキー・カリョ(デュノワ伯)
ティモシー・ウェスト(ピエール・コーション司教)

☆☆☆ / 5

先日、WOWOWで放送されたので、録画しておいて見た。

15世紀の百年戦争における女性戦士にして、神のお告げを聞いたと思い、フランスのためにイングランド軍と戦った聖女ジャンヌ・ダルクの生涯をたどる。激しい戦闘シーンやクローズアップの連続など、私の好みから言うと、如何にもハリウッド的歴史絵巻。大変な数のエキストラを使い、血しぶきの飛ぶ戦闘場面など、いささかやり過ぎに思え、最初は空回りしている気がした。しかし、実際に存在した中世西欧の人物を現代的な感性をもった人間として表現しようというリュック・ベッソンの試みには共感できた。戦争の残虐さ、政治の不毛と指導者の権謀術数、女性への暴力など、当時は勿論、現在の国際政治や戦争に通じる問題が強調されているようだ。

更に、ジャンヌ自身の神の声についての不安と錯乱、自分が率いた戦争の無残さ、裁判にかけられている彼女への神の沈黙など、ひとりの若者の揺れ動く内面を捉えようとしている。彼女は神がかりの女性であるが、中世末の西欧では、ノリッジのジュリアンやマージャリー・ケンプ他、「神秘家」(mystic)と呼ばれる神の声を聴いた女性たちが人々の関心を惹きつけていた。これらの人物の中には、ケンプのように、教育を受けておらず、文字も読めない市井の庶民も含まれたが、ジャンヌも歴史家によってそうした人物のひとりとしても論じられているし、その視点はこの作品にも見られる。

ジャンヌは本当に神の声を聴いていたのか、という疑問と重なって、ジャンヌは正気であったのか、という問いも垣間見える。実際、彼女の、周囲を顧みない興奮と、不安にかられて我を忘れる様子に、精神疾患の双極性障害を思い起こさせる。

この映画では、現代的にしようとするあまり、中世らしい様式的振る舞いとか言葉使いがまったく無視されている。折角の歴史巨編なのにもったいない。マルコビッチを始め上手い俳優も出ているが、彼らの魅力を引き出すような脚本とは言えない。ジョヴォヴィッチは美しい女性ではあるが、演技に深みは感じられないし、また俳優の演技を楽しむような脚本ではなさそうだ。

ハリウッド・アクション映画らしいところが好きになれないが、考える材料は幾つかあり、見る価値のある映画と思う。ジャンヌ・ダルクを描いた映画は他にも色々あり、今後見てみようと思った。

2015/12/14

NHK ETV特集 「“医師の罪”を背負いて~九大生体解剖事件~」

NHK ETV特集 「“医師の罪”を背負いて~九大生体解剖事件~」(2015/12/12、23時)

先日、再放送だったが、戦争中に九州帝国大学医学部で、軍の指導により医学部の外科医師達によって行われた米軍捕虜の生体解剖事件についての番組が、ETV特集で放送され、 録画しておいて見た。私はこの事件について全く知らず、この番組を見られて本当に良かった。
NHKのホームページにある番組の概要を引用する:
終戦間際の1945年5月から6月、九州帝国大学医学部で米兵の捕虜を使った生体実験がひそかに行われた。墜落したB29の搭乗員8人が、海水を使った代用血液を注入されたり、片方の肺を切除されたりして死亡した、いわゆる「九大生体解剖事件」。医学生として生体実験の現場に立ち会った東野利夫さん(89)は、戦後、福岡市内で産婦人科医院を営みながら、国内外で事件関係者に取材を重ねながら事件と向き合い続けてきた。
事件についてより詳しくはウィキペディアに説明がある

 この番組で取り上げられている東野医師は、医学生だったと言うことで戦後も駐留軍による起訴や投獄は免れた。しかし、事件について苦しみ続け、ついには心療内科に入院するが、医者が匙を投げるほど、病状が悪化した時もあったとこのことだ。その後、産婦人科医として働きながら、一生をかけて事件の証言を集め、資料を探し、更にアメリカに渡って、そのB29の乗組員の中で、ただ一人生き残った捕虜の方にも面会して話し合われた。彼が経営していた病院では資料展示会をやり、また、講演活動もなさっているようだ。それが彼の贖罪であり、自分の正気を保つ手段なのかもしれない。

 今年、九州大学医学部は、学部の歴史を後世に残すための立派な資料館を作った。東野さんは彼の持つ資料を提供し、展示に協力しようと申し出て、担当者と話し合いを重ねたようだ。しかし、九大は東野さんの資料も証言も全く展示せず、部屋の片隅に事件の概略を記したパネル一枚と、終戦直後に大学が出した反省文が載っている『九州大学五十年史』の書物を1冊置いただけに過ぎない。こうした展示となったことについて、九大の医学部長のインタビューが映されたが、彼は言う:
医師の立場で言うと、カルテとか、診療記録とか言う形での[この事件の]一次資料は実は残っていない。私たちの感覚では、一次資料があればそれは文句なく展示すべきだが、残るのは二次資料、三次資料、あるいは全くの小説というようなものだから、そう言うようなものをここにあえて展示する必要はないと判断した。
東野さんをはじめ、そこに立ち会った関係者の証言は、例えば裁判でも重要な決め手になるような種類のものである。医学上のカルテがない、つまり文書化された記録でなければ振り返って噛みしめるに値しない、あるいは信用できない、というのだろうか。これは、日本軍がアジア諸国で行った残虐行為を、証言が信用できない、歴史上異論もある、と言って、忘れ去ろうとし、自虐史観として片付けてきた人々と同じ発想に聞こえた。
私にとっては、戦時中に今は想像も出来ないような残虐行為がなされてきたことは他にも、そして他国においても色々とあってそれほど驚かない。しかし、戦後70年の今、日本を代表する医学部の大御所達に、戦時中の大きな問題をしっかりと噛みしめて後の教訓とする姿勢が乏しいと見える事にはショックを受けた。こうした日本の医学界の土壌から、未だに無理な手術をまるで実験のような感覚で行って患者を次々と死なせてしまうような例が、大きな病院でしばしば出てくるのではなかろうか。また、そういう人命をモルモットのように扱った医師の背後には、倫理に反することが行われているのをはっきり、あるいはうすうす知っていながら、見て見ぬ振りをしていた上司、同僚、部下、看護師、事務職員がいるのだろう。おそらく、当時の九大でそうであったように。
この番組は、まだNHKオンディマンドで見ることが出来ます。

(追記)ウィキペディアの記事を読んでいて、これが遠藤周作の『海と毒薬』の題材となった事件だと教えられた。私もこの小説は多分高校生の時くらいに読んだと思う。それで、何となくどこかで読んだ事件のような気がしていたが、すっかり忘れていた。小説は好きで次から次に読んでいたけれど、折角読んでも、ろくに何も考えない馬鹿な高校生だった。

先日再放送があったETVの「ナチスから迫害された障害者たち、(1)20万人の大虐殺は何故起きたのか」でも、障害者を国家に役に立たない不要な人間と考えナチスの手足となって、障害者をガス室で殺したのは、医療者たちであったことが紹介されていた。