2009/12/31

NHK 「百年インタビュー 蜷川幸雄」を見て



大分前に放映されたこの番組、妻が録画していたので、今日見た。インタビューするのは渡邊あゆみアナウンサー。

いつもながら彼のエネルギーは凄い。歳も取り、脳梗塞、心筋梗塞など、重篤な病気で満身創痍なのだけれど、走りながら現場で考えて演出する、いつも必死の演劇人生。いやはや、感嘆します。全共闘世代の焦燥感と挫折、商業演劇に移った時、仲間の多くから見放された事への悔しさ。人見知りで、自意識過剰なのに、役者やスタッフを動かすことが出来るのは、彼がいつも体力と精神の限界をさまよってないと気が済まないハングリー精神を持っているからと思う。彼のインタビューを見ていると、そういうところがまるでスポーツ選手のようだ。阪神の金本とか、そういうベテラン名選手が心身の限界に挑戦しているのに似ている。

その上で、私としては、彼に本当は立ち止まって、もっと考え、練りに練った演出、俳優をスポーツ選手みたいに動かすのではなく、議論しつつ落ち着いて考えさせる演出をして欲しい。昔、仏壇の中で繰り広げられる『マクベス』とか、『近松心中物語』の時と比べ、今の蜷川の舞台には大きな驚きが少ないのではないだろうか。イギリスでも有名な、彼の斬新なヴィジュアル・イメージも、どこかで使ったもののアレンジが多くなっているのでは?演劇は人との出会いで出来る、新しい才能を見つけ、ぶつかり合って新しいものを造る、と言っていたが、蜷川さん自身の貯金が無いと、創造的な化学反応を起こすのは難しい。蜷川組のスタッフと、一定数のコアとなる決まった役者を使い、プログラム・ピクチャーのように舞台を量産し始めているのではないだろうか。

彼は観念的な芝居は嫌いだと言うが、かなり考え、勉強しているのも確か。以前NHKの教養講座でシェイクスピアの話などされたが、学者嫌いのくせに、結構専門家の本も読んでいることが分かった。でも昨今は、残された時間が少なくなったせいか、頼まれたら断らずにひたすら数をこなして、仕事をし続けているように見えるが、どうなのだろう。もう少し時間をかけ、考え抜いた演出作品を見せて欲しいと思うのは私だけか。

と無いものねだりをしても、定期的にかなりレベルの高いシェイクスピアをやってくれる蜷川さんには大いに感謝している。それだけに今後、一層充実した演出を期待したい。


2009/12/28

New Marlowe Theatreの新築現場(2009年12月)



工事現場


完成予想図


今はない旧Marlowe Theatre



現在活躍中のカンタベリー生まれの有名人と言うと、ハリウッド・スターのオーランド・ブルームでしょう。しかし、歴史的には何と言ってもクリストファー・マーロー(Christopher Marlowe, 1564-93)を挙げたいところです。彼はシェイクスピア、ベン・ジョンソンと並ぶ、イギリス・ルネッサンス演劇最高の劇作家で、代表作に『フォースタス博士』、『マルタ島のユダヤ人』、『エドワード2世』などがあります。生まれたのはシェイクスピアと同じ年。カンタベリーの慎ましい靴屋の息子でした。現在も名門校として知られる地元のKing's Schoolに通い、才能を認められ、ケンブリッジ大学のコーパス・クリスティ・コレッジにカンタベリー大司教Matthew Parkerの奨学金を得て進学しました。その後ロンドンで劇作家としてめざましい活躍を始めましたが、同時に政府のスパイとしても活動したとされている謎の人物。29歳でロンドン郊外のDeptfordの酒場で喧嘩の末、殺害されましたが、政治的暗殺であったという説も有力です。作風は極めて過激。破壊的なエネルギーとアイデアに溢れています。色々な混乱を経ても、万事がキリスト教倫理に収斂されるシェイクスピアの世界とは一線を画しています。ホモ・セクシュアルであったことも、作品から明かです。

さて、そのMarloweの名前を冠した劇場が、2009年春までカンタベリーにはありました。しかし、平凡な地方劇場という感じで、子供向けのパントの上演など、それなりに地域の役にはたっていたと思いますが、たまに演目をチェックしても、私が入場料を払って見たい公演はまずありませんでした。カンタベリーがロンドンに近すぎて、観客が集まらないという面も災いしたと思います。

しかし、この旧Marlowe Theatreの建物は現在解体され、新しい、本格的な劇場が建てられつつあります。2009年の3月に旧劇場の建物が壊され、その後敷地内の考古学調査が行われた後、現在新しい建物が建設中です。完成は2011年9月。なお、劇場の建物はありませんが、ツアー公演としてMarlowe Theatreの名前を冠した公演は行われています。

その新しい劇場ですが、1,200人収容(!)のメイン・オーディトリアム、それとは別に小劇場、そして各階のバーや川辺のカフェ、広いロビーなど、もの凄い、大がかりな建物です。今回これを書くにあたり、収容人数を確認してみて仰天しました。1,200人というと、イギリスの劇場でも最大規模。大体、ナショナルのオリヴィエがその位の大きさでしょう。それを一杯に出来るのかしら?心配になってきました。カンタベリーの町だけでなく、広く地域全体から観客を集める必要があります。しかし、それだけの劇場ですから、イギリスでも最高のツアー公演を持ってくると思いますので、RSC、National Theatreその他のツアーが頻繁にカンタベリーで見られることになるでしょう。そう言えば、イギリス南東部は、ロンドンに近すぎることもあり、拠点となるような有名な地方劇場がありませんので、Marlowe Theatreがその役を果たそうとしているのでしょうね。閑古鳥が鳴き、潰れないと良いのですが・・・。何しろ、日本の箱物同様、バブルの最中に計画された新劇場ですから、心配!

2009/12/26

Christ Church Gate, 2009年12月








カンタベリー大聖堂の敷地("the Precincts", 日本で言う「境内」です)に入る主な門が、この写真のChrist Church Gateです。メインストリートから狭い路地(例えばMercery Lane)を通って10メートルくらい行くと少し広くなった場所 (Butter Market) に出て、そこにこの、塔のような門がそびえています。かなり細かく、一部彩色された浮き彫りがあり、綺麗な門です。完成は1517年頃(本により、記述が異なります)、ヘンリー8世の治世です (1509-47)。宗教改革間近な時です。スタイルはゴシック様式ですが、この写真で分からないのですが、下の方の装飾柱のスタイルはギリシャ風で、ルネサンスのスタイルを一部見せているとのことです。真ん中にある青いブロンズの彫像はキリスト。

もともとこの門の建造が計画されたのは、ヘンリー7世の長男アーサーと、アラゴンのキャサリン (Catherine of Aragon) との結婚を記念してのことだそうです。しかし、アーサーは早死にし、弟がヘンリー8世となり、またキャサリンはその弟と再婚を強いられました。他のカトリック時代の宗教建築同様、17世紀に清教徒により色々な装飾が破壊され、現在は修復された部分が多いようです。上述のキリストのブロンズ像も1990年にはめ込まれたものだと言うことです。それ以前の像は清教徒によって破壊され、その部分は空洞になっていたそうです。私が始めてカンタベリーに行った時には無かったのかな。このキリスト像は手をさしのべて、礼拝者を歓迎しており、"Welcoming Christ"と呼ばれており、ドイツ人の彫刻家Klaus Ringwaldの作品です。キリスト像の下方に、帯のように模様が見えますが、これらは紋章をかたどった盾 (heraldic shields) の列で、チューダー王家のシンボルが彫られているようです。両側のふたつの小塔 (turrets) は18世紀に破壊され、1930年代に再建されました。

この門の前にあるButtermarketは小さな広場ですが、中世のカンタベリーは街全体が大変小さいので、このスペースでも一番大きな空き地だったかも知れません。ここは、200年前まではBullstakeと呼ばれていたそうです。bullは去勢されていない雄牛、stakeはそれを繋ぐ杭です。ということは、ここで「雄牛いじめ」 (bull-baiting) が開かれていたということでしょう。雄牛いじめは、繋いだ雄牛に犬をけしかけて戦わせる残酷な見せ物ですが、中世から近代初期にはイングランド全土で広く行われていました。市の城壁の外ではなく、大聖堂の前の広場でそのような事が行われていたのでしょうから、大変驚きです。これに類似した見せ物に、「熊いじめ」(bear-baiting)があります。シェイクスピアの戯曲中にも、こうした見せ物への言及があり、当時の演劇との関係を追求した論文さえあります。

今、この門の右は、写真でも見えるかと思いますが、 スターバックス・コーヒーです。広場の建物の多くは、土産物屋やレストラン、カフェになっていますが、この門が出来た頃も同じでした。宿屋が軒を並べ、巡礼達を泊めていました(今も当時の建物の一部が残っています)。それらの宿屋の1階には酒場兼食堂になっており、また土産物を売っているところもありました。当時の巡礼地の土産物としては、巡礼バッチとか、カンタベリーの有り難いお水を入れる小さな器などがあったようです。カンタベリーのお土産物は、イングランド各地、そして大陸でも多く見つかっており、当時のカンタベリー巡礼の広がりを今に伝えています。

1枚目の写真は、Mercery Laneという路地から、Buttermarketの向こうに見える門を撮ったものです。Mercery Laneはmercer(織物商)が軒を並べていた通りということです。日本でも昔はそうでしたように、中世の街は同じ職業の人が集まって商売をしていました。Mercery Laneと並ぶ通りには、Butchery Lane(肉屋 [butcher] の通り)もあります。織物商は中世の商人でも最も豊かな職業で、従ってこのような大聖堂の前の一等地に店を構えていたのでしょう。中世には、この辺りは、巡礼の人々、聖職者、商人、そして買い物をするカンタベリー市民や近郊の町や村の人々でごった返していたかと思います。今もここは観光客やカンタベリー市民で賑わっています。

2009/12/24

カンタベリー大聖堂、2009年12月






12月18日に撮影したカンタベリー大聖堂の写真です。現在大幅改修中で、外壁のかなりの部分(内陣[chancel]の外壁部分)は、工事用の鉄骨で覆われていますが、なるべくそれを映さないように撮影しました。

ここで簡単にカンタベリー大聖堂の歴史を紹介。カンタベリーの町自体はローマ帝国時代にはあり、その当時からキリスト教の教会もあったと考えられています。しかし、5世紀初め頃、ローマの軍隊がブリテン島から撤退し、ブリテン島がアングロ・サクソン時代へ移行するとゲルマン人独自の宗教が持ち込まれました。英国が再度キリスト教化するきっかけになったのが、カンタベリーの聖オーガスティン(Saint Augustine of Canterbury)の宣教。彼は当時のケント王国の王、エゼルベルフトにキリスト教の教えを伝え、教会を造ることを許されました。これが597年でした。その後、カンタベリーにはキリスト教の教会や修道院が幾つか出来ます。最初の大聖堂(カテドラル)はオーガスティンの下で造られたとされています。アングロ・サクソン時代のカテドラルは現在見ることが出来ませんが、現在のカテドラルの身廊(nave)の地下にあるとされています。(以下は一般的な十字型教会の略図ですが、カンタベリー大聖堂も大体において、この形式です。)




1066年、ブリテン島の大部分は現在のフランスにあったノルマンディー公国からやって来たノルマン人によって征服されました(「ノルマン人のイングランド征服」)。その後、カテドラルは大火災に遭い、1070年から77年にかけ、カンタベリー大司教ランフランク(Archbishop of Canterbury, Lanfranc)の指揮の下、ノルマン様式(ロマネスク様式の一種)で完全に立て替えられ、現在のカテドラルのベースとなる建築が出来ました。その時代の建築の一部は、翼廊(transept)の北西部に残っているそうです。重厚なノルマン様式建築は、現在の地下聖堂(crypt)で顕著に見ることが出来ます。その後、中世を通じて増改築が行われ、1498年までに現在の姿とほぼ同様のものになっていました。現在見ることが出来る多くの部分は大まかに言って、一般にゴシック様式と呼ばれる形式です。

中世の大聖堂には、ここに限らず多くのマリアや諸聖人の像がありました。しかし、今のイギリスの大聖堂にはほとんどありません。16世紀の宗教改革以降、破壊されたのです。その前は、丁度日本の古い仏教寺院で本尊以外に色々な観音様とか毘沙門天などがあるように、色々な聖像、特にマリア像がたくさんあったことと思います。これらは宗教改革時に、カトリックの偶像崇拝として破壊されました。もともとカトリックには八百万の神々を信仰する多神教的なところがあります。またカンタベリー大聖堂では17世紀の清教徒革命(大内乱)の間、多くの素晴らしいステンド・グラスが破壊されましたが、これもカトリック的図柄があったためです。但、残ったものもかなりあります。

更に第2次世界大戦時には、ドイツ軍の爆撃にも遭い、大聖堂横の図書館が破壊されましたが、カテドラル本体は重大な損傷を免れました。しかし、カンタベリーの街では、現在のショッピング・センターの周辺はほぼ破壊され、貴重な中世の建築遺産が失われました。(以上、一部、カンタベリー大聖堂のオフィシャル・ホームページを参考にしました。また教会の略図は『プログレッシブ英和和英中辞典』電子版よりお借りしました。)

2009/12/23

チューダー朝・クライム・ノベル、C J Sansom, "Sovereign" (2006; Pan Books, 2007)




C J Sansom, "Sovereign" (2006; Pan Books, 2007) 662 pages

☆☆☆ / 5 (又は、☆3つ半くらいかな)

C J SansomのMatthew Shardlakeを主人公にしたチューダー朝クライム・ノベルの第3作目。1作目と2作目も読み、私もこれが3冊目。慣れてきて、ちょっと新鮮な驚きは無くなってしまったが、安心して楽しめる。今回も充分満足できた。但、あまり新鮮さを感じなかったので☆の数は控えめ。しかし、読むのが遅い私には、ながーい。終わりの方では、最初をのほうを忘れてかけてしまった。

舞台は1541年、チューダー朝ヘンリー8世治世下のイングランド。宗教改革も一段落し、Thomas Cromwellの失脚、1536年のAnne Boleynの処刑などと共に、一時の改革熱も冷め、宗教上の保守派回帰が起きていた時代。前作の"Dark Fire"では、Shardlakeは、渋々ながらも、政府の最有力者で、もちろん歴史上も大変重要な人物であるカンタベリー大司教Cromwellに雇われて特別捜査官として働いた。しかし、Cromwellの失脚、そして処刑と共に、Shardlakeは以前のように、土地取引など庶民の普通の法律案件を担当する弁護士(英語で言うとa jobbing lawyerというところか)の業務に戻っているが、無くなった父が残した借財などもあり、生活はそう豊かでもない。そこに、Cromwellの後に大司教に座った宗教改革派聖職者Thomas Cranmerからお呼びがかかる。折しもHenry VIIIは不穏な政情が続いていた北部の各地を大勢のお供の者や兵士を引き連れて巡幸することになっていた。(これを英語では"progress"という。謂わば移動する宮廷。中世・近代初期の王様は、一カ所の王宮にずっといるのではなく、年がら年中移動し、そうすることで、国の安定のために睨みを効かせた。)北部ではその数年前にThe Pilgrimage of Graceと呼ばれる、カトリック派を主体とした反宗教改革の大反乱が起きて、チューダー王室を震撼させた後であり、Henryは今も反王室感情がくすぶり続ける北部に一層堅い恭順を誓わせるという意図があった。

Shardlakeはその巡幸に伴う王室による移動裁判所の裁判官として雇用され、また、その片手間に、ヨーク市で捕らわれている重要な反逆者Sir Edward Broderickの首府への移送を監視する役目も仰せつかった。Shardlakeとしては、負債を清算するための割の良い臨時仕事のつもりだったのだが、行ってみると、チューダー朝王家の根幹を揺るがしかねない王家の血筋に関する秘密情報に関わったり、この後夫のHenryから処刑されることになる王妃Catherine Howardの密通らしき現場に遭遇したり、前作での事件以来Shardlakeを目の敵にしている枢密院の有力者Richard Richにまたまた出会っていじめられたりと、面倒な事に次々と巻き込まれてしまう。その為、彼は何者かから何度も命をつけ狙われ、また、彼が護送を支援することになっていた囚人も毒を飲まされて瀕死の重傷を負うなど、気軽なアルバイトのはずの北への旅は、生きるか死ぬかの、前作"Dark Fire"の事件以上に危険なミッションになってしまった。

600ページ以上ある小説であるから、とにかく色んなことが起きて、盛りだくさん。助手役のJack BarakとガールフレンドのTamasinの話とか、妻を次々と離婚したり処刑したりして取り替えた王Henry個人にまつわる話とか、かなりのアクション・シーンなど、ちょっと詰め込みすぎで、もう少しすっきり刈り込んで欲しい気はする。しかし、これだけ長くても、そう飽きさせず、結構息を飲んで読み進めるところも多い。熊いじめ(bear-baiting)の熊が故意に檻から放たれて、Shardlakeを殺そうと襲いかかったりするなど、発想もなかなか面白い。

私にとっては、このシリーズは読みやすいクライム・ノベルの器に、色々と同時代の歴史の重要な動きが盛り込んであるところが最大の魅力。歴史学の博士号を持つSansomの、Henry、Thomas Cranmer、Catherine Howardなどの人となりに関する考えが分かるのも興味深い。Henryは1491年生まれであるから、この小説の頃既に50歳。かってその長身の美しい姿で人々を魅了した君主も、足に酷い潰瘍が出来て腐敗臭を放ち、杖に寄りかかって歩く。たった一度Shardlakeに会うが、口汚く彼の身体障害(彼は所謂、せむし)を嘲笑するような、傲慢で非情な君主に描かれる。今回の作品は、ロンドンとチューダー朝宮廷の華やかさの陰に、ヨークシャーなどイングランド北部の貧困や大きな不満があったことを思い出させてくれた。もちろん、フィクションであるからこの本の内容を鵜呑みするのは大間違いであるが、教科書的な歴史書では分からない時代の日常生活の感触や庶民の思いについて考えるきっかけを与えてくれる。また、当時の弁護士の暮らしとか、法律や裁判について、少し垣間見ることが出来るのも私には嬉しい。Shardlakeシリーズはもう一冊出ているので、そのうち又読んで見たいと思っている。

(追記)このSansomのMatthew Shardlakeシリーズ、Kenneth Branagh主演でBBCのシリーズになると決まっているようです。放映がいつか知りませんが、もう大分前にそのニュースがあったので、2010年には始まるのではないかと期待しています。まずは、最初の作品"Dissolution"からだということです。更に、ある翻訳家の方のブログによると、シリーズの和訳も進行中と言うことです。

2009/12/22

カンタベリー大聖堂前のクリスマス人形









12月18日に出かけた時には、カンタベリー大聖堂もクリスマスの雰囲気が漂っていました。大聖堂の前には、イエスが生まれた馬屋、そしてその中にマリアや東方の三博士たちの人形たちが置いてありました。赤子を抱くマリアの傍に立つのがヨセフ、向かって右側の豪華ないでたちの3人が東方の3博士(Magi)、ひざまずくのは羊飼い。右側の2人も羊飼いでしょうか?

2009/12/21

カンタベリーに到着するHigh Speed Train






12月13日からSoutheastern鉄道の日立製High Speed Trainの正規運行が始まりました。Canterbury West Stationにも1時間に1本程度の、割合頻繁な間隔でこの電車が通ります。写真はWest Stationに入ってくるところです。ロンドンの北にあるSt Pancras Stationまでほぼ1時間で到着します。通常の電車ですと、ロンドンの南のWaterloo East やCharing Crossまで1時間半弱ですからそれ程大きな差ではありませんが、High Speed Trainの座席は広く、まだ新しいので車両も清潔です。St Pancras-Kings Crossに近いところに行く場合には便利です。ただ、私が良く行くWest Endの劇場街やSouth BankのNational Theatreには、通常の電車のほうが便利。

19日、帰国の日、この電車に始めて乗りました。写真の様に、地面にまだ雪が残り、昼間でも0度かそれをあまり超えない寒い日でした。電車はやはり速くて快適。ただ外が寒いせいか、暖房が不十分で寒く感じました。日本の、基本的に白い新幹線と違い、紺に黄色をあしらったデザインが新鮮でした。イギリスの電車は内側も外側も汚いのが残念なんですが、頻繁に掃除をして、きれいにして欲しいし、乗客もきれいに使って貰いたいですね。

2009/12/19

Saint Peter's Church, Canterbury




カンタベリーのメイン・ストリート、一本の道なのですが、場所によって違った名前で呼ばれています。Westgateに近い辺りは、Saint Peter's Streetです。そのSaint Peter'sとは、道からちょっと入ったところにある英国国教会の教区教会 (parish church) の名前です。教会のホームページによると、この場所にはローマ時代からキリスト教の教会があったと考えられているそうです。現在の建物の一部(礎石など)はそうしたローマ時代や初期アングロ・サクソン時代のもの。形としてきちんと残っているのは、塔 (tower) の部分で、ノルマン時代1100年頃の建築とのことですから、カンタベリー大聖堂の最も古い部分などと同じ時期です。この写真は裏側から撮ったので、塔は後方に少し覗いているだけで、ちゃんと写っていませんね。また撮りなおしたいと思います。ここの塔にかけられている鐘の中には、古いもので、1325年頃や1430年頃のものもあるそうです。

小さな教会ですし、実際に教区教会として使われているところですから、ちょっと入りにくいのですが、そのうち中を見せて貰おうと思っています。

古い教会の裏側は、このように大抵墓地になっています。

参考にしたのは教会のホームページ:
http://www.stpeters-stmildreds.org.uk/churches/st-peters.html

2009/12/18

Falstaff Holtel, Canterbury




カンタベリーのWestgateそばにあるホテル、Falstaff Hotelです。名前はフォルスタッフと、シェイクスピアの有名な人物から取っていますが、出来たのはシェイクスピアの時代よりも約2世紀前頃の15世紀初頭のようです。ホテルの正面にはEstd. 1403とありますが、これがどのくらい信用できるかは分かりません。でも中世末の建物でしょう。町のゲートの外には、旅人を泊める宿屋が幾つかあったようで、これもそのひとつです。中世の城塞都市は、まわりを壁で囲まれ、門が幾つかあり、夜間はそれらが閉じられました ("curfew")。夜間や早朝に町に着いた人は門の外にある宿屋に泊まらざるを得ないわけです。このcurfewですが、夜は8時か9時、そして朝終わるのは4時か5時だったそうです。夜curfewが始まる時には、curfew bell、朝はAngelus bellと言われるベルが鳴らされました。当時の人は勿論時計なんて持っていなかったですから。朝、お店は何と6時から開いたそうです。昔の人は照明手段をあまりもってなかったことなど影響があるのでしょう。朝食は9時か10時で、それまでに皆一働きしたようです。こうした時間の区切りについては次のページから:
http://www.britainexpress.com/History/Townlife.htm

このホテル、その後ずっと切れ目無く宿屋として使われていたとは思えませんが、どうなんでしょう。但、1824年には宿屋として営業していた事を示すウェッブサイトはあります。

現在はスリー・スターのホテル。ということは割合庶民的な値段と内容ということでしょう。こういう古い木造モルタルの建物を使っているホテルは、見物したり、お茶や食事を取ったりするには良いのですが、泊まるとなると、床がやや斜めだったり、天井がとても低かったり、また、騒音が筒抜けだったりしますので、ご用心。但、このホテルは裏に近代的な造りの別棟もあります。

この中世の建物は、大学方面のバスが停まるバス停の正面にあり、私にとっては、カンタベリーでも最も頭にすり込まれている建築のひとつです。

2009/12/16

冬空に霞むカンタベリー大聖堂


カンタベリーは今、寒波がやって来ています。夜は零下、昼間でも3度くらいまでしか気温が上がらず、水たまりの氷は一日中溶けません。その冬空に霞む大聖堂の写真を撮りました。


2009/12/15

"Nation" (Olivier, National Theatre, 2009.12.12)



ファンタジックなファミリー・ドラマ
"Nation"
National Theatre公演
観劇日: 2009.12.12 14:00-16:40
劇場: Olivier, National Theatre


演出:Merry Still
原作:Terry Prachett
脚本:Mark Ravenhill
美術:Melly Still, Mark Friend
衣装:Dinah Collin
照明:Paul Anderson
映像:Gemma Carrington, Jon Driscoll
音響:Paul Arditti
音楽:Martin Lowe
作曲:Adrian Sutton
振付:Michelle Lukes
振付(Spear Dance):Adrian Decosta, Mike Denman
人形:Yvonne Stone
Fights:Jeannette Nelson

出演:
Gary Carr (Mau)
Emily Taaffe (Daphne)
Jason Thorpe (Milton, a Parrot)
Paul Chadihi (Cox)
David Stern (Captain Roberts)
Al Nedjari (Polegrave)
Michael Mears (Polegrave)
Basker Patel (Mau's father}
Gaye Brown (Daphne's grandmother)
Nicholas Rowe (Daphne's father)
Ewart James Walters (Ataba)

☆☆☆ / 5

イギリスは一年で最大のホリデー、クリスマス、へ向けて日々賑やかになってきた。ナショナルもそれに相応しい劇を上演している。

舞台は1860年。イギリス人の一団が乗った船が、南太平洋で津波に遭い、乗船していた白人の女の子Dahneはお供のParrotと共に、ロビンソン・クルーソーの様に、人気のない孤島に漂着する(Parrotは一種の道化。鳥のようではあるが、言葉を話す不思議な存在)。一方、その島は同じ津波で住民がほぼ全滅し、ただ一人、男の子Mauだけが生き残っていた。やがて、他の島から他にも津波の生き残りが加わり、彼らはこの島で新しい国(Nation)を起こす。若いDahneは彼らに加わり、助け助けられて、力を合わせて生き延びる。MauとDahneは、子供の出産の介助をしたり、ビールを醸造したり、侵略者と戦ったり、「裁判」を行ったり、死を乗り越えたりして、古い伝統を乗り越えつつ彼らの国を育て、彼ら自身も大人に成長してゆく。2つの文化の融合を、若者の成長や国家の成立と絡めて描いた、多文化理解・共存時代の『ロビンソン・クルーソー』。

鮮やかな照明、映像、歌、踊りなどをふんだんに盛り込んだ、半ばミュージカル仕立てのファンタジックな舞台。10歳以上可、となっていて、小学生にも充分楽しめる内容だ。大きなハゲタカ、巨大な野豚、布を使った海など、小道具大道具にも色々な工夫があった。背景には海の底が映像で映されたりもする。

前半は、色々なエピソードがまとまらず、私にはやや退屈に感じられた部分もあった。ストーリーそのものに今ひとつ力がなく、沢山の魅力的なエピソードとイメージを詰め込んではあっても、観客を充分引きつけられていないのではないか。しかし、後半の侵略者との戦いの部分はかなり盛り上がった。主役のDahneとMauを演じる2人、Emily TaaffeとGary Carrのはじける若々しさがとても印象的。確かに圧倒的な感動とか説得力があるとまでは行かないが、ファミリー・エンターティメントとしては、合格だろう。

イギリスでは12月になると多くの劇場で子供も楽しめる「パント」と呼ばれるジャンルの劇を上演する。パントは、パントマイムの略称だが、無言劇ではなく、子供向けの、歌や踊りの入ったドラマ。『ピーター・パン』や『シンデレラ』などがこのジャンルの定番。この"Nation"はナショナル・シアター版パントなのだろう。家族連れが目立ったが、私の様に大人が1人で見ても、充分楽しめる作品。

劇の良し悪しとは別に、私はこのような劇を国立劇場でやることの意義を強く感じ、大いに感銘を受けた。人種、肌の色の違い、文化や服装、習慣の違いを乗り越えて、DahneとMauが手を携えて生きていく様子は、子供達の心には、大人よりもずっと素直にしみ込むに違いない。多文化社会となりつつあるイギリスが多くの問題を抱えていることは分かっているが、このような劇を作り、それを沢山の子供達が見るイギリスの文化の豊かさを大変うらやましく思った。

2009/12/09

Jewry Lane, Canterbury




中世カンタベリーのユダヤ人街Jewry Lane, Canterbury


何と言うこともない通りですが、名前に惹かれて写真を撮ってきました。何しろ、「ユダヤ人通り」という名前で、珍しいので、昔から気になっていました。この通りは、カンタベリー市街の多くの通り同様、中世からあって、ここに12世紀には既にユダヤ人が住んでいました。その当時、イギリスでも最も豊かなユダヤ人街のひとつだったようです。近代初期の歴史家William Somnerによると20家族ほどが住んでいました。この通りの近くにはユダヤ人の宗教的な集会所であるシナゴーグ(synagogue)もあり、ラビ(rabbi)も居ました。ユダヤ人学校もあったようです。しかしこれらのユダヤ人の住居や学校、シナゴーグの痕跡は、今はまったく無くなり、単なる裏通りという感じです。彼ら中世イングランドのユダヤ人は、国王エドワード1世(在位1272-1307)の時代の1290年にイギリス全土から追放されました。1279年には、貨幣鋳造をめぐる犯罪の疑いをかけられてカンタベリーのユダヤ人全てが城(Norman Castle)に投獄され、6人が絞首刑にされたそうです。その頃のカンタベリーには、反ユダヤ人感情が高まっていたのかも知れません。


なお、ユダヤ人がイングランドに再び入ってくるのは17世紀半ばから後半。共和国時代にユダヤ人商人の財力を利用したいというオリバー・クロムウェルやその後の政府の思惑からであったようです。1655年が、ユダヤ人のイギリス再移住の許された年となっています。しかし、彼らが土地所有を許されたり、国籍を得たりするには長い時間がかかり、18世紀になってからだったようです。その頃には、カンタベリーにも、新たにユダヤ人が住み始めました。1730年には新しいシナゴーグがKing's Streetに出来たとのことです。

2009/12/08

All Saints Laneの民家(Canterbury)

先日カンタベリーのメイン・ストリートを歩いていて、ふと今まで入ったことのない小道を見つけました。All Saints Laneというスタウワー川からWestgate方向にほんの数メートルのところにある路地で、行き止まりになっています。入ってみると、素敵な古い家屋を見つけました。後でインターネットで調べたところでは、1500年頃、つまり中世の終わり頃の建築だそうです。ちょっと京都の路地にある民家を思い出させるような・・・。『カンタベリー物語』の「粉屋の話」でニコラスとアリスーンが懇ろになって、その後アブソロンにお尻を突き出したのは、こんな感じの家の窓だったかもしれません。もっともあの話はオックスフォードが舞台ですけれど。いずれにせよ、味のある建築です。






2009/12/06

12月のOld Vic



12月5日土曜日午後2時過ぎのOld Vic劇場。この後、Trevor Nunn演出、Kevin Spacey, David Troughton主演の"Inherit the Wind"を観ました。その劇の間に雨が降り始め、5時過ぎに終わった時には傘を差して駅に向かいました。肌寒い12月の街角。手前の木々が冬らしい風情ですね。劇場の入り口をふさぐように見えているのは、環境問題を訴える街頭アート・オブジェ。

Old Vicは1818年に出来た、現存する建物としては、イギリスでも最も古い劇場のひとつ。火災や第2次世界大戦の爆撃でかなり損傷し大改修を重ねており、最初の頃とは随分違っていると思います。最初は、イギリス王家の名前を取り、Royal Coburg Theatreという名前でした。開場当時は、伝説の名優エドマンド・キーンも出演。その後19世紀中はThe New Victoria Hall、その他の名前で呼ばれ、Old Vicという名称が定着したのは、1918年頃のようです。また、1962年から76年現在の国立劇場の建物が出来るまでは、国立劇場の本拠地として利用されました。その当時の芸術監督はサー・ローレンス・オリヴィエ。

21世紀初めの2,3年間、閉鎖状態であったようですが、2003年にアメリカ人俳優ケビン・スペイシーが芸術監督に就任。公演には成功、不成功はありますが、基本的には順調に経営を続けているようです。Shakespeare's Globeと共に、近年におけるロンドンの商業演劇界を大きく豊かにしました。スペイシーはイギリス演劇界の恩人ですね。

なお、イギリスに現存する劇場の中で、最も古く、"continually operating"(継続的に営業してきた)劇場は、Bristol Old Vicと言われています。開場は1766年。但、York Theatre Royalは1744年の開業。しかし、後者は途中で根本的な改装などしており、昔の建物はたいして残っていないのかも知れません。また、営業を中止した時期もあったのかもしれません。2番目に古いのはケント州マーゲイトのTheatre Royal。1787年の建築。

石造りの建物の場合、基礎だけを残して使っているもの、骨組みを使っているもの、改築にしても色々な程度があり、どこまでを、昔の建物が残っていると判断するか、難しいようです。

以前のブログに掲載した夜のOld Vicの写真は:
http://playsandbooks.asablo.jp/blog/2008/06/22/3590096


"Inherit the Wind" (Old Vic, 2009.12.5)


SpaceyとTroughtonの演技が光る法廷劇
"Inherit the Wind"
Old Vic公演
観劇日: 2009.12.5 14:30-17:00
Old Vic劇場: 

☆☆☆ / 5

演出:Trevor Nunn
脚本:Jerome Lawrence, Robert E. Lee
美術:Rob Howell
衣装:Rob Howell & Irene Bohan
照明:Howard Harrison
音響:Fergus O'Hare
音楽:Steven Edis


出演:
Kevin Spacey (Henry Drummond, the defense lawyer)
David Troughton (Matthew Harrison Brady, the prosecutor)
Ken Bones (Rev. Jeremiah Brown, a priest)
Mark Dexter (E. K. Hornbeck, a newspaper reporter from Baltimore)
Sonya Cassidy (Rachel Brown, a daughter of Jeremiah Brown, and the sweetheart of the defendant)
Nicholas Jones (Judge)
Sam Phillips (Bartram Cates, the defendant)

この劇は1955年に初演されたようだが、米国テネシー州のある町で1925年に行われた裁判に基づいている。当時テネシー州では、大学も含め、全ての公立学校で、ダーウィンの進化論を教えることが州法により禁止されていた。24歳の理科の教師、John Scopesが確信犯としてこの法律を破り、裁判にかけられる。この裁判は全米の注目を集め、H. L. Menkenを始め、多くのジャーナリストが取材に押し寄せ、更にラジオで全米で実況放送された。この劇は、人名等は変えてあるが、John Scopes裁判にかなり忠実に基づいているとのことだ。

劇の大半は法廷での検事と弁護士の丁々発止のやり取りに費やされる。検事はMatthew Harrison Brady。政治家として名をなし、大統領候補にまでなった有名人でこの裁判のために特別に町に喚ばれた。日本の裁判におけるような公務員の検察官とはシステムが違うようである。彼は、キリスト教原理主義的な信仰を持ち、その信念を貫くために熱弁をふるう。対する弁護士も、言論の自由のために各地の裁判に携わってきた著名な人物、Henry Drummond。David Troughton演じるHarrisonは、町の人々から裁判の始まる前に既に英雄扱いされる。裁判官とも親しくなり、最初から勝利したかのような勢い。しかし、そのエネルギッシュさに、どこか虚勢を張っているような弱さを感じさせる。一方、Kevin Spacey扮するDrummondは、百戦錬磨、粘り腰の強者。何しろ、裁判官が裁判を検察側に有利になるように導くので、弁護側の証人はことごとく不採用にされる。仕方なく、DrummondはHarrison自身を証人として喚問し、ふたりで、聖書に書かれている事実の相対性/絶対性を議論する。Drummondが、度々真面目くさったBradyの足下をすくい、笑いが起こる。

Kevin SpaceyとDavid Troughtonの名演技を法廷ドラマという彼らにぴったりの土俵を用意して、存分に披露して貰ったという感じだ。Spaceyは白髪の老人で、声音も少し変えており、懲りに凝った、「作った」役柄なのだが、不自然さがたちまち感じられなくなる隙のない演技。Troughtonは、人間の強さと弱さの両方を見せてくれるところが良く、終盤になってウィリー・ローマンのような面も見せる。

それにしても、この作品は社会派の劇なのだが、進化論を肯定するか否かという論点自体が、私には古色蒼然としたものに映る。ところが、未だにアメリカ合衆国では、ダーウィンの進化論は間違っている、あるいは、進化論は正しいかどうか分からず、未確定の諸説のひとつに過ぎない、と考える人が国民の半数程度いる(!)そうである。従って、この劇での論争は、現在のアメリカ合衆国では少しも終わっていないのである。作者のJerome LawrenceとRobert E. Leeが、1955年と、Scopes裁判から30年も経ってこの劇を書いたのは、そういう事情もあるだろうが、それ以上に、55年当時は、マッカーシズム(赤狩り)全盛の時期であったので、Arthur Millerの"The Crucible"同様、古い素材を使いつつ、赤狩りを批判したようである。昨今の合衆国におけるObama大統領批判の激しさ、そして盛り上がるSarah Palin人気などを考えると、この劇に描かれたアメリカ人の特異性は今日も続いていると思う。笑ってばかりもおられない。

明るいクリーム色のセットや背景も、役者達も、合衆国の田舎町の雰囲気を良く出していて、見た感じはミュージカル『オクラホマ』の舞台のようだった。Trevor Nunnの演出は軽い印象だが、Old Vicのビクトリア調の空間にはぴったり。脇役陣では、皮肉な北部人の新聞記者E. K. Hornbeckを演じたMark Dexter、裁判官役のNicholas Jonesが印象に残った。Old Vicの芸術監督であるSpaceyとしては、自分の演技力を十分利用し、確実なヒットと放ったと言えるだろう。

2009/12/03

雨のキャンパス12月



ブログを始めた頃(旧ブログ)には写真を時々載せていたのですが、最近はとても少なくなっていました。写真を撮るのは大変苦手なのですが、また心がけて、少しずつ載せることに致します。

今回は雨の降るケント大学のキャンパス、朝の10時過ぎです。向こうに見える建物は、大学院の寮と教室が入っているVirginia Woolf College。私も大学院所属なのですが、実はこの写真を撮った日に始めて見ました!まるでもぐりの院生ですね。

この11月のイギリスは、記録が有る間で一番降雨量の多い11月だったと言うことです。2番目は1951年とか。本当に毎日雨。しかも冬は2時半頃には夕方の気配が漂い始め、4時には夜のように暗くなります。これでも、ケントはイギリスで最も南の地域なんです。北イングランドやスコットランドなどは、雨ももっと多いし、ずっと北だし、さぞ暗いだろうなあ、と同情致します。でも北の人々の方が、南イングランドよりもフレンドリーだと言われているので、不思議です。

2009/12/01

Rose Tremain, "Sacred Country" (1992; Vintage Books, 2002)


心の孤島に住む人達
Rose Tremain, "Sacred Country"
(1992; Vintage Books, 2002)

☆☆☆☆/5

Rose Tremainの本を読むのは4冊目。全て去年イギリスに来てから読んだ。それだけ気に入っている。これまで私が読んだ作品は、"Restoration", "Music and Silence", "The Colour"など、歴史小説が3冊と、現代のイギリスを扱った"The Road Home"。どちらかというと、歴史小説が得意なのかなと思っていたが、今回の作品は1952年から80年までの、現代イギリスを舞台にしている。

ほとんどの登場人物は、イングランド東部、サフォーク州の田舎にある小さな架空の町Swaitheyの人々。そこの農家に生まれたMary Ward、彼女の家族、知り合い、町の人々などが約30年の間、どのように生きていくか、比較的坦々と描く。ドラマティックな出来事は少なく、また、そういう風に盛り上げる描き方でもないが、色々な小さなエピソードが、しみじみと心に響く、不思議な魅力に溢れた作品。

Maryは6歳の時に自分が男であることに気づく。いや、体は女であるが、心は男以外の何者でもないと自己認識する。つまり性同一性障害者である。この物語の一応の柱になっているのは、彼女が女の子Maryから、男性Martinに変わろうとしていくプロセスである。彼女の父親Sonnyは大変頑固で不器用な農夫。Mary=Martinの真の人格を認めようとせず、娘が女性であるのを拒否していることに気づくと、彼女に大変冷たくあたり、さらには殴るなど虐待する。母親Estelleは感受性の強い、繊細な女性であるが、夫Sonnyと気持ちが通じあえず、また、娘Maryの複雑な人格を受容し、保護するだけの強さも持ち合わせていない。やがて彼女は正気を失い、精神病院に出たり入ったりしてその後の人生を過ごし、自分の家庭に居るよりも、その精神病院の生活に安らぎを感じるようになる。退院している時は、ただひたすら、テレビドラマに逃避する。

Maryは自分の家に居場所がなく、また、21世紀の今ならともなく、1950年代に性同一性障害では、相談する人もおらず、孤立した生活を強いられる。しかし、Swaithleyの町には同様に孤独な人が色々といた。赤ん坊を抱えての一人暮らしで生活に苦労しているIreneと、彼女に夢中になる一人暮らしの老人Edward Harker。彼はクリケットのバットの職人で、日がな一日、地下室でバットを作っている。世間離れした、孤独で「オタク」の肉屋、Walter Loomis。Walterは最初ヨーデルに凝って気が狂ったように練習した挙げ句、喉を壊し、後にカントリー・ミュージックに夢中になって、本場メンフィスに渡り、成功はしないけれどもアマチュア・ミュージシャンとして自分の居場所を見つけ、ささやかな幸せをつかむ。小学生のMaryを教えるが、やがて引退して一人暮らしをしている元教師のMiss McRae。彼女は、Maryが気が狂ったようになったSonnyから逃げるように家出した時に、彼女を暖かく受け入れる。作者は、Mary=Martinの人生だけでなく、これらの人々の暮らしの変化も丹念に描く。小さな田舎町に住む孤独で個性の強い人々という意味で、大昔読んだカーソン・マッカラーズの『心は孤独な旅人』なんかとちょっと似た雰囲気かもしれない。家を出たMaryは、10代の半ばから、母方の祖父のCord(彼も妻を早く亡くして、一人暮らし)やIrene、Walter、そしてMiss McRae達に頼ったり、話し相手になって貰ったりしつつ何とか思春期を生き延び、ロンドンに出て小さな出版社で雑用係をしつつ、性同一性障害について詳しい専門のカウンセラーを探し出して、外科手術も受け、徐々に男性Martinへの道を歩み出す。

Maryの物語を中心に据えながら、その他の小さな物語も紡いだ、短編集の要素もある長編小説という感じの作品。他のTremainの小説でもそうだが、時の経過と共に、人生の今ある状態を素直に受け入れることの大事さを感じさせる。Maryも何度かの性転換手術を受けることになるのだが、そのプロセスを最後まで終えないうちにやめてしまう。彼/彼女は、ある時点で、自分のあるがままの状態と静かに向き合うことが出来たのだろう。彼は、Walterを頼ってメンフィスに渡り、そこでスーパーの店員として働く。職場の同僚が無愛想なことについて、次のように思っている:

I don't mind. I'm not in search of friends and confidences. I'm concentrating on being. I live each hour, one by one. My mind is quiet and still. I'm no longer waiting for time to pass. (p. 340)
(拙訳)私はそんなこと、気にしない。私は友人や打ち明ける相手を捜しているわけじゃない。私は今こうして生きていることに、毎時間、集中している。心は静かで、もう時間が過ぎることを待ってはいない。

これは性転換のプロセスについての文章ではないが、ここでMary=Martinが言おうとしているのは、「こんなはずじゃない、こういう人間になりたい」、と思いつつ生きるのではなく、今そこにある自分を受け入れる、と言うことが出来た満足感と心の静けさだろうか。

私の拙い文章では表現できない芳醇な味わいの小説。一読しただけでは充分味わい尽くせない。繰り返し読んでも、一部を読み返しても楽しめる作品だと思う。