2012/05/30

アングロ・サクソン時代のアクセサリー(ロンドン博物館の展示品から)


3月に撮った写真を少しずつブログに載せているが今回もロンドン博物館 (Museum of London) で撮った写真から、中世初期のイングランド、つまり大体においてアングロ・サクソン時代のアクセサリーから。

最初はブローチ。アングロ・サクソン人もローマ人のようなマントとか、袋状の簡単な造りの服をを身につけることが多かった。そうした服をこうしたブローチとピンで留め、かつ、そのブローチはアクセサリーとなった。このブローチは、square-headed brooch(四角い頭のブローチ)と呼ばれるタイプのもので、このデザインはスカンジナビアの影響らしい。square-headed broochは500-575年くらいに流行したデザインだそうである。6世紀初期 (early 500s) のもの、つまりまだ異教時代である。最初、一種の十字架のデザインかと思ったが、異教時代だし、スカンジナビア起源のデザインとするとそうではないだろう。この形、何か意味があるのだろうか。ロンドンの南部近郊、Micham(ミッチャム)のアングロ・サクソン時代の墓地で発掘された。若い女性の肩の部分に置かれてあり、おそらく衣服を留めていたのだろう。銀に金のメッキ (gilded silver)。このブローチについては博物館のサイトに解説がある。


6世紀から7世紀初期のブローチ。ソーサー・ブローチ (a saucer brooch) と呼ばれるタイプのもの。ティーカップの受け皿のような形をしているのでこの名前があるそうだ。女性が良く身につけたらしい。もともと5世紀初期に大陸のドイツ語圏(ザクセン地方)で始まり、アングロ・サクソン人の来襲と共にブリテン島に移入された。6世紀。銅の合金に金銀のメッキ。


やはりソーサー・ブローチ。前のブローチ同様、Micham(ミッチャム)のアングロ・サクソン時代の墓地で発掘された。6世紀頃のもの。


衣服を留めたピン。銅の合金。コベント・ガーデン付近で発掘。コベント・ガーデンあたりは当時のロンドンの中心地だったらしい。


6世紀と11世紀の櫛。勿論、保存の良い方が11世紀のもの。骨か角を彫って作られている。拡大して彫り物をよくご覧下さい。大変精密。



ベルトの金具。バックルは横3センチくらいで、大変小さく、細かい模様から見ても、庶民の実用品と言うより、豊かな人が所有していたかなり装飾性の高いベルトだろう。職人の技術の確かさが分かる。動物の彫り物あり。ウサギか犬?とにかく精巧なものだ。


最後は、様々のアクセサリー。スズのビーズ、指輪、ブローチ等。11世紀。チープサイド(ロンドン・ブリッジ付近)でまとまって発見された。多くは未完成であり、ここにあった宝飾職人の工房において制作中の品物であろうとのこと。

どれもこれも、細工の精密さに驚く。こうした工芸品も、アングロ・サクソン写本の見事さに負けない高い技術力を感じさせる。







2012/05/23

Poor Priests' Hospital, Canterbury


最近のブログで、Canterbury Heritage Museumに納められた石板の彫り物の写真を載せた。このStour Streetに面する博物館であるが、中世に出来た建物で、貧しい聖職者のホスビタルであった。この頃の"hospital"とは病院ではなく(病気の人も収容されたとは思うが)、基本的には慈善を目的とした宿泊所のことである。おそらく、他に住居や世話をしてくれる親類がいないような僧侶が一時泊まったり、あるいは晩年を過ごしたりしたのであろう。




The Great Hallなどのメインの部分は12世紀に出来たようで、1174年から1207年まで、ある製革職人 (tanner) 、貨幣鋳造業者 (minter)、およびそのminterの息子のAlexanderがここの建物を住居として所有していたらしい。その後、このAlexander of Glouceserが宗教的な救護院にした。2階部分や向かって右側のThe Chapel of St Maryは後に増築されたものである。

1575年までこうして救護院として使用され、それ以後は学校、救貧院、工房、クリニックなどとして使われてきたが、1987年に博物館になって、今に至っている。

 大広間 (The Great Hall): ここで僧侶たちが食べたり、寝たりした。中世の間は中央に暖炉があり、煙は軒に開いた隙間や窓から外に出た。日本の囲炉裏と同じようなものである。屋根に煙突がついているが、ずっと後、近代になって、作られたものだろう。煙突と繋がった暖炉は中世の住宅ではほとんど見られなかったはずだ。もともとは1階だったが、後にフロアーが付け加えられて、2階に分けられたようだ。




聖マリアの礼拝堂 (The Chapel of St. Mary)の屋根: 聖マリアの礼拝堂は、正面から向かって右側の、張り出した部分にあった。今は展示スペースの一部。中世の多くの建物がそうであるように、木造の屋根である。材木は樫の木(オーク)。縦に天井の一番高いところに向かって伸びている木材をcrown postとか、king postと言う。横に伸びているのは梁 (cross beam) 。crown postと cross beamで屋根を支える。こうした三角の構造をトラスとか「結構」 (truss) と呼ぶそうだ(私は建築についてはまったく無知なので、詳しく知りたい方はご自分で調べてください)。



カンタベリー大聖堂などのすべて石造りの建物と違い、こういう木の屋根があると、暖かい印象を与えてくれる。教会のような宗教建築でも、壁は石で作られているが、天井は木造という建物が大多数だと思われる。天井を石にする為には、より高度の技術、そして側壁を大変厚くするなど、多額の費用がかかったことだろう。先日ブログで書いたドラマ『ダークエイジロマン大聖堂』でも、無理に天井を石にしたために、完成して間もなくその天井が崩れて多くの人が亡くなるというエピソードが描かれていた。

今回の記述にあたっては、博物館館内の掲示と、こちらのサイトを参考にした。

2012/05/20

St George's Tower, Canterbury

前回、カンタベリー・ヘリテッジ・ミュージアムにある怪物や犬の図柄の浮き彫りの写真を載せたが、この美術館で撮った写真に、もう2枚類似したものがあった。2つともカンタベリーの繁華街、St George's Streetの真ん中に残っているThe Church of St George, the Martyr(殉教者聖ジョージの教会)の一部であったとされる石の彫刻である。最初はライオン3匹の浮き彫り。戦争で破壊されたこの教会の南側の壁にあったそうだ。14世紀のものらしい。


中世末からチューダー朝にかけてのイングランドには、ライオンが輸入されて王侯貴族が飼うことがあったとどこかで読んだ記憶がある。

次はドラゴン。元々はロマネスク様式の柱の上についていた装飾 (a stone column capital) であったそうだ。


頭は下にある。まるでワニかイグアナのような竜で、ブログの前項で見たものとは大分違うデザイン。左上の模様はその周辺が欠けていて何か分からないのが残念。

このSt George's Churchは教区教会だったが、1942年ドイツ軍の空爆によって破壊された。この頃、カンタベリーの今のショッピング街あたりは大規模な空襲に遭い、大聖堂の一部も損壊し、ハイ・ストリートやホワイトフライヤー・ショッピングセンター周辺の歴史的建造物が壊滅的な打撃を受けた。

このSt. George's Churchは今、Clock Towerと呼ばれる塔だけが残存しているが、教区教会としてはかなり大きくて立派な建物だったらしく、破壊されたことが大変惜しまれる。今も残るClock Towerは買い物客や観光客で忙しい通りの真ん中にある。



このSt George's Churchが出来たのは、アングロ・サクソン時代という伝説もあり、その可能性が高いとしているウェッブサイトもある。しかし実際の物理的証拠としては、塔の下部や西の扉部分がノルマン朝時代のものとのことであり、1100年以前からこの場所に教会があったと考えられるそうだ。カンタベリーの中心に位置する教区教会であり、かなりの教区民を抱えていたことだろう。

St George's Churchに関して忘れてならないのは、ここがルネサンスの天才劇作家クリストファー・マーロー (Christopher Marlow, 1564-93) が洗礼を受けた教会であることだ。この教会の戸籍簿 (registers) にこう書かれているとのこと:"The 26th day of February was christened Christofer the sonne of John Marlowe"。父親のジョンは慎ましい靴屋であり、教会の直ぐ向かいの、今はなくなったSt George's Laneという通りに住んでいた(以上、Kent Resourcesというサイトの一部に依る)。なお、カンタベリーとマーローの繋がりについては、何と言ってもカンタベリーの大学者Urryによる次の本が詳しいので関心のある方はどうぞ:

William Urry, Christopher Marlowe and Canterbury, ed. Andrew Butcher (Faber & Faber, 1988)

ウィリアム・アリー (1913-81) はカンタベリー大聖堂の図書館のアーカイビスト(古文書管理官)だった方。偉大なる郷土史家とでも言うべき、カンタベリーについての生き字引だったと上記の本の編者、Andrew Butcher先生から直接聞いた。アリーは、晩年オックスフォード大学の書体学 (paleography) の先生となっている。マーローとカンタベリーについては更に次の本も:

Darryll Grantley and Peter Roberts, eds., Christopher Marlowe and English Renaissance Culture (Ashgate, 1996) カンタベリー時代のマーローについては、ButcherとRobertsによる最初の2論文に書かれている。


2012/05/18

犬とドラゴンの浮き彫り(中世のカンタベリーから)

前回のポストに関連して、4枚の写真を載せておく。どれもカンタベリー歴史博物館 (Canterbury Heritage Museum) で今年の3月8日に撮ったもの。市内のChurch Laneという通りで発見されたという4枚の石板に掘られた浮き彫り。博物館の説明書きによると、1080-90年頃の制作で、元々はカンタベリー大聖堂にあって、その後、おそらく宗教改革の時期、偶像崇拝排斥の為に大聖堂から取り除かれたと推測されているようだ。ノルマン・コンクエストを描いたバイユー・タペストリーにも似たような図柄があるとも書いてあった。ちなみに、バイユー・タペストリー自体、学者によっては1967-82年頃にカンタベリーで制作されたという説もあるとのことだから、直接の影響関係があった可能性もある(注)。

さて、最初の2枚は犬。頭は右上にあり、自分の尻尾を追いかけている図のようだ。図柄は似ているが、違う石版。



次は2匹の怪物が向き合っている場面と思う。左側の怪物は羽根がついているのだろうか。


最後は羽根を持ち、直立しているドラゴン。なかなか見応えある彫り物だ。昔の東映の怪獣映画を思い出した。キングギドラとか(^_^)。左上にあるのが頭と思う。


私自身も中世の怪物についての洋書も持っているので、そのうち読んで見なくちゃとは思っているが・・・。論文が終わってからかな。

(注)バイユー・タペストリーは、かってはウィリアム征服王の妃マチルダが作らせたと考えられていたようだが、今の定説は、征服王の父親違いの兄弟、オドン (Odo) が作らせたとの説が最有力らしい。オドンはバイユーの司教であり、征服後はケント伯 (Earl of Kent)となった。ウィリアムがイングランドに居ない間は、王に変わって政治を行う程の有力者であったそうだ。いずれにせよ、この織物が作られたのはイングランドであり、アングロ・サクソン人の職人によるらしい。このオドンという人物、Wikipedia英語版に見出しが作られていてざっと読んでみたが、なかなか面白い。バイユーの司教だったが、何よりも武将として名を馳せたようで、ノルマン・コンクエストで活躍し、その後も、反乱を企てて長い間投獄されたりしている。最後は十字軍に行く途上、パレルモで亡くなっている。



2012/05/17

カンタベリー大聖堂の怪物たち

先日このブログで書いたテレビ・ドラマ『ダークエイジロマン大聖堂』の中心人部の一人で石工のジャックは、ガーゴイル (gargoyle)  を掘るのが得意だった。これは中世の教会などで良く見られる怪物の形をした装飾排水口とでもいうべきものだ。わざわざ怪物の形をしていなくても良いと思うのだが(つまり、羊とか、排水口だから魚とか、ライオンとか)、大抵は正体不明の怪物になっているようだ。更に、意味が拡大されて、ガーゴイルというと、古い石造建築にあるこういう怪物の彫り物全般を指すようにもなっている。

何故怪物でなければならないのか、中世の教会にはどうしてこういう奇怪な彫り物が天使やら聖者の彫り物と同居しているのか、その理由は私は知らない。美術史の専門家の話を聞いてみたいものだ。

さて3月29日にセミナーの為にカンタベリーに行った際、大聖堂にちょっと寄って写真を撮った。その中にガーゴイルやその他の奇怪な生き物の写真もあったので載せておく。この日は素晴らしい天気の、初夏のような日で、大聖堂が実に美しくそびえていた。


大聖堂に敷地に入っていくところにあるのはクライスト・チャーチ・ゲイト (Christ Church Gate) というきれいな装飾の施された門。中央の銅像はキリスト。


この門に、結構沢山奇妙な彫り物がある。これ、何なんでしょう?ねずみ?いたち?いや、犬かな?


それから門の上のほうにある窓の上にある顔。クリックして拡大してみて下さい。


さて、大聖堂本体についている本物のガーゴイル。少しすり減っているが、破壊されたのだろうか。

こちらのガーゴイルは無傷のようだ。


これは山羊のようにも見えるが、正体不明の動物。


大聖堂にも顔だけの怪物が掘られている。上の方です。


ガーゴイルやその他の怪物や奇怪な顔などは特に目立つ点だが、中世の大聖堂、こだわりを持って眺めると色々と見るものがある。聖者や王などの彫像もどういう聖者かとか、いつ頃掘られた彫刻だろうなどといちいち考えながら見ていくと、分からないことだらけで、面白いし、聖堂の中にある石棺に掘られた人物像とか、ステンドグラスの絵とか・・・建物すべてが生きた美術館みたいなものだ。

2012/05/12

『ロビンソン・クルーソー』を知らない時代


あるところで20歳前後の大学生60〜70人に近代英文学について話している。私の専門ではないので、極めて初歩的な話しかできない。何十年も前の学生時代の読書に基づいた話で、おそるおそるといったところだ。潰されかねないような英文科で働いていると、専門なんか関係なくTOEIC講座でも現代文学でも英語史でも、言われたものは何でもやらなきゃならん、という癖というか変なモラル(笑)というか、そういう考えが身に染みついてしまっているもので。しかし、貧しい知識しかないのに無責任と言えば言えるなあ。

その講義で先日、ダニエル・デフォーについて触れた。『ロビンソン・クルーソー』くらい、イギリス植民地主義とか、プロテスタンティズムと労働倫理を説明するのにわかりやすい教科書(?)はない。その際、『ロビンソン・クルーソー』を、子供向きに書かれた話でもアニメや絵本や漫画でも、とにかく読んだり見たりしたことがある人?、と聞いたら、手を挙げたのは1人だった。1割くらいはいるかなと安易に思っていたのだが、私もずれてたねえ・・・。私の話を聞くベースが欠けているようなので、今までよりももっと基本的な事から話さないと。私の世代だと、特に本が好きな子でなくても、少年少女文学全集の1冊とか、童話版や絵本なんかでたいてい接しているのではないかと思うが、今の若者の多くは名前も聞いたことがないのだろうね。まあ、デフォーというのが特殊なのかも知れない。『ロビンソン』はフランス語版の映画があるのは知っているが、有名な映画はないと思う。冒険小説的な興味で男の子には面白くても、女の子の興味を引きにくいかもしれない。『ロビンソン』を読んでないと、『蝿の王』なども読者としての前提に欠けることになるなあ。同じ時代でも『ガリバー旅行記』だったらどうだろうか?次回、思い出したら同じ人達に聞いてみよう。

2012/05/07

ケン・フォレット原作のテレビドラマ『ダークエイジロマン・大聖堂』

妻が以前に録画しておいてくれたケン・フォレット原作のテレビドラマ、『ダークエイジロマン・大聖堂』("The Pillars of the Earth")を、ゴールデンウィーク中に少しずつ見ていた。6日までに、第6話まで見たところ。アメリカのドラマ風だが、カナダ・ドイツ・イギリス資本による制作らしい。イギリスでは民放のチャンネル4で放映していた。アメリカのドラマのように、派手でアクションやロマンス、セックスが多く、深みに乏しい印象だ。これでもかとたたみかけるような音楽や効果音がうるさすぎる。但、退屈させないテンポの良さ、筋の面白さはハリウッドのアクション映画と同じ。制作はリドリー・スコット。彼自身も中世を舞台にした"Kingdom of Heaven"という映画を監督したことがある。

個人的には、ノルマン朝からアンジュー・プランタジネット朝への過渡期 (1135-54) で内乱に明け暮れた時代を扱ったドラマとして、歴史的な興味は大いにある。エリス・ピータースの『カドフェル神父』シリーズの時代設定と同じ時期にあたる。ヘンリー1世の娘、女帝マチルダ(モード)(1102-67)という女性は大変たくましく、面白い人物だが、このドラマでは彼女は王スティーブン (c. 1197-54、在位1135-54) と比べ、あまり登場しないのが残念だ。ドラマではこうした歴史上実在した人物は、それ程詳しくは描かれてはいないようだ。なお、当時の王侯貴族は皆フランス語をしゃべっていたので、このドラマのスティーブンやマチルダ、及び彼らのまわりの人々の多くもフランス語で会話していたと思われる。しかし、一般の修道士や家来達はどの程度までそうだったのだろうか。逆にスティーブンやマチルダは英語も堪能で、バイリンガルだったのだろうか。

ドラマではヘンリー1世が毒殺されることになっているが、これはフィクションのようだ。伝説では死因は食中毒とも、好物のヤツメウナギの食べ過ぎとも言われているそうだが、あくまで伝説での話。こういうフィクションが混じっているのが、この手のドラマや映画の問題で、視聴者が作り事として見てくれると良いんだけど。

他の方のブログなどでの感想を読むと、教会がひどく腐敗しているように描かれていることに驚いたり、納得したりする受け止め方があるようだが、中世キリスト教会(イングランドでは全て、教皇を頂点としたローマ・カトリック教会)は巨大な世俗権力でもあるので、色々な権力闘争や腐敗があって当然だろう。正確には覚えていないが、中世イングランドの不動産の数分の1は教会の所有であった。庶民は収入の10分の1を税として教会に納めるのが原則だった。キングズブリッジ修道院とシャイリング城のハムリー家の争いは、その地方における2つの大領主の経済的覇権争いとしても描かれている。大聖堂はその教会のこの世における権力を誇示する、謂わば「城」。シェイクスピアの歴史劇にも出てくるように、司教は戦争ともなれば武装し、臣下の騎士や従者を連れて出陣することもあった。従って、このドラマの描写から、中世キリスト教会の世俗性をあまりネガティブに受け取る必要もないだろう。日本史における仏教の諸派や、現代日本の宗教団体とそれらが創立したり影響を及ぼしたりしている政治的組織同様、この世の大きな組織である限り、宗教団体も世俗組織として色々な経済的、政治的顔を持っているのは当然だろう。その中では激しい権力闘争や腐敗が起こることも避けられない。まして、このドラマで描かれた内乱の時代なら、教会も聖職者も様々の手段を尽くして組織防衛をせざるを得ない。中世も古い時代になればなるほど、庶民にとっては、教会はまず領主であり、裁判所であり、政治的かつ経済的支配者として認識されていたのではないだろうか。それが徐々に、個人の精神をも支配し始め、内的信仰を重視、あるいは強要し、庶民の生活の隅々まで束縛し始めたのが、このドラマに描かれた頃で、それが本格的になるのは、13世紀、第4回ラテラン公会議あたりか(1215)。それまでの教会のような、主として領主様という存在のほうが、庶民にとっては内心までは支配されず、緩くて良かった面もある、というのが私の考えだ。いつの時代でも、宗教団体があまりに信心深く、純粋であろうとすると、かえって強権的で、押しつけがましくなる。多少腐敗しているくらいで丁度良い(^_^)。ちなみにこの1215年という年は、マグナカルタの成立した年でもあり、ヨーロッパ史の分水嶺とも言えるかもしれない。その時の王はジョン王で、マチルダの孫である。

他に気づいたことでは、ウィリアム・ハムリーと母親のリーガンの近親相姦的関係(ハムレットとガートルード)や、アリエナとジャックが一夜の逢瀬を過ごすシーンなど(『ロミオとジュリエット』)、シェイクスピアから借りたようなな場面が目についた。

1つ気になったのは最初の方のエピソードにおける魔女の描き方。大規模な魔女狩りがなされるなど、魔女が社会の注目を集めるのは中世末期もいよいよ終わる頃から。主として社会全体が宗教的不寛容に飲み込まれた近代初期の宗教改革期以降であり、また主に大陸諸国の現象である。こういうドラマや映画により、中世というと魔女とか魔女狩りという印象が植えつけられがちだが、かなり誇張されている。魔女と呼ばれる人々は存在し、彼らに対する迫害もあったが、中世末においても、イングランドでは火刑にまで至ることはほとんど無く、被疑者が罪を認めて改悛すれば、何らかの贖罪の罰を受けた後解放されることが大半だっただろう。

原題は、"The Pillar of the Earth"(直訳すれば「大地の支柱」)、和訳の書名は『大聖堂』。しかし、NHKの放送では『ダークエイジロマン大聖堂』としている。この「ダークエイジ」という説明書きは不要だったのではないか。中世を示すのにThe Dark Agesという英語が使われたのは20世紀初め頃までで、今は歴史に関心のある人ならば使う人はいない。もし使われるにしても、中世の初期にのみ使われることが時折あるくらいだろう。これじゃまるで、イングランドの中世は「暗黒時代」。中世はそれ程「ダーク」でもなかったのだけどねえ。20、21世紀、原爆だの原発だの、2度の世界大戦や、やがて来る人工衛星まで使った宇宙戦争だの考えると、近頃のほうが、余程「ダーク」?

(5月13日、追記)
昨夜7話と8話を見て、これで全部見終わった。全体として、大変楽しめる歴史絵巻となっている。個人的にはちょっとけばけばしすぎると感じた。どの家庭でも、お子さんと一緒に見るとなると暴力シーンやセックスシーンは行きすぎだろう。

悪役を演じる俳優達が上手くて、私には強い印象を残した。ウエイラン司教、ハムリー家の母と息子が特に印象的。こそこそと裏で密告する副院長も良い。また、スティーブン王も、若い時から老け役へ、驚くほど変化した。

第7話で、馬に乗ったウィリアム・ハムリーの一党がキングズブリッジの町を襲撃し、町民に撃退されるシーン、『七人の侍』にヒントを得ていると多くの人が感じるのでは?

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