中世末からチューダー朝にかけてのイングランドには、ライオンが輸入されて王侯貴族が飼うことがあったとどこかで読んだ記憶がある。
次はドラゴン。元々はロマネスク様式の柱の上についていた装飾 (a stone column capital) であったそうだ。
頭は下にある。まるでワニかイグアナのような竜で、ブログの前項で見たものとは大分違うデザイン。左上の模様はその周辺が欠けていて何か分からないのが残念。
このSt George's Churchは教区教会だったが、1942年ドイツ軍の空爆によって破壊された。この頃、カンタベリーの今のショッピング街あたりは大規模な空襲に遭い、大聖堂の一部も損壊し、ハイ・ストリートやホワイトフライヤー・ショッピングセンター周辺の歴史的建造物が壊滅的な打撃を受けた。
このSt. George's Churchは今、Clock Towerと呼ばれる塔だけが残存しているが、教区教会としてはかなり大きくて立派な建物だったらしく、破壊されたことが大変惜しまれる。今も残るClock Towerは買い物客や観光客で忙しい通りの真ん中にある。
このSt George's Churchが出来たのは、アングロ・サクソン時代という伝説もあり、その可能性が高いとしているウェッブサイトもある。しかし実際の物理的証拠としては、塔の下部や西の扉部分がノルマン朝時代のものとのことであり、1100年以前からこの場所に教会があったと考えられるそうだ。カンタベリーの中心に位置する教区教会であり、かなりの教区民を抱えていたことだろう。
St George's Churchに関して忘れてならないのは、ここがルネサンスの天才劇作家クリストファー・マーロー (Christopher Marlow, 1564-93) が洗礼を受けた教会であることだ。この教会の戸籍簿 (registers) にこう書かれているとのこと:"The 26th day of February was christened Christofer the sonne of John Marlowe"。父親のジョンは慎ましい靴屋であり、教会の直ぐ向かいの、今はなくなったSt George's Laneという通りに住んでいた(以上、Kent Resourcesというサイトの一部に依る)。なお、カンタベリーとマーローの繋がりについては、何と言ってもカンタベリーの大学者Urryによる次の本が詳しいので関心のある方はどうぞ:
William Urry, Christopher Marlowe and Canterbury, ed. Andrew Butcher (Faber & Faber, 1988)
ウィリアム・アリー (1913-81) はカンタベリー大聖堂の図書館のアーカイビスト(古文書管理官)だった方。偉大なる郷土史家とでも言うべき、カンタベリーについての生き字引だったと上記の本の編者、Andrew Butcher先生から直接聞いた。アリーは、晩年オックスフォード大学の書体学 (paleography) の先生となっている。マーローとカンタベリーについては更に次の本も:
Darryll Grantley and Peter Roberts, eds., Christopher Marlowe and English Renaissance Culture (Ashgate, 1996) カンタベリー時代のマーローについては、ButcherとRobertsによる最初の2論文に書かれている。
0 件のコメント:
コメントを投稿