2017/11/21

中世劇における俳優の「待機」

今日、毎月通っている大学病院に行った。待合室で待っていると、「xxさん、3番診察室の前でお待ち下さい」と呼ばれる。診察室の前は、更に壁で区切ってあり、所々、その壁に通路がある。そう呼ばれると、診察室の前の第2待合室というか、廊下程度の空間でまたしばらく待機していると、診察室のドアの向こうから医者が「xxさん、お入り下さい」と呼んで、本番の診察が始まる。

今日そんなことがあって、その後、中世劇の俳優の「待機」の事を考えている。イングランドの中世劇には、私が知る限り、観客から隠された舞台裏の空間があったという記述がないようだ。シェイクスピア時代の商業劇場や、フランダースに残る中世末期/近代初期の仮設舞台の絵など(例えば息子のブリューゲルの絵)には、舞台裏の空間がある。しかし、イングランドの中世劇ではそれがあったと証明されていないはずだ。となると、役者は自分の出番が来る前、どこに居たのだろうか。どこが彼らの「待合室」だったのだろう?観客の視野の中、上演エリアの真ん中や縁に座るなどしていたのか、それとも一定の隔たった、上演エリアとは別の、おそらく観客の視野の外にある待機場所に居たのか。あるいは、典礼劇でうかがえるように、それぞれの役者の定位置というか、座席みたいなものが最初からしつらえられていて、そこで診察前の私みたいに「待機」していたのだろうか。

英語の中世劇やチューダー・インタールードでは、わずかではあるが、「待機」を示す言葉がト書きにある。Nタウン・サイクルの「エルサレム入場」の劇では、キリストがロバに乗って進む間、使徒のペテロとヨハネは「静かに待っている」というト書きがある。これはおそらく観客の目の前での「待機」だろう。私は今まで勉強してこなかったのが迂闊であったが、コーンウォール語の劇では、俳優の待機を示す表現がかなりあるようだ。そうした場合、役者は登場の準備をして待機していたり、あるいは他の俳優がアクションや台詞を終えるのを待っている間待機していたりするよう指示があるそうだ。いずれにしても、おそらく上演エリアの中か周辺部の、観客の視野に入る場所で静かに自分の出番を待っていたのだろうと推測される。中世劇の多くがそうであったと思うが、オープンな場所で、舞台裏のない上演における入場や退場の意味にも関わる気になる問題だ。

こうした中世劇における待機の場所や意味については、これから考えていきたい。その為には翻訳ででもコーンウォール語(ケルト語のひとつ)の劇も読まないといけないようだ。ご関心のある方は、最近何度も言及しているバターワースの本の第9章('Timing and Waiting')に詳しい議論があるので、お読み下さい。

2017/11/17

初期イギリス演劇におけるプロンプターの存在

先日から読んでいるバターワースの本で、初期イギリス演劇におけるプロンプターの存在を確認したので、メモしておこう。('Staging Conventions in Medieval English Drama' pp. 136-37)

1602年にRichard Carewが出版した'Survey of Cornwall' という本によると、コーンウォールの野外円形劇場(amphitheatre)で上演されたコーンウォール語の奇跡劇(miracle play)においては、俳優は台詞を覚えてなかったそうだ。その代わり、 'the Ordinary' と呼ばれている役割の人物が、手に本を持って俳優達の後ろで動き回り、彼らに小声で台詞を言ってまわったらしい('telleth them softly what they must pronounce aloud')。中世劇と言うには遅すぎる例ではあるが、ステージ上にいて台詞を教える演出家、あるいはプロンプター、の存在がはっきり分かる文献だ。演劇史の本に必ずと行って良いほど出てくるフーケの絵「聖アポロニアの殉教」もこうした場面を描いているのだろうか。

この例は今で言うドラマティック・リーディングに近いものかもしれない。しかし、中世や近代初期の記録には、台詞を暗記することの重要性を示すものもたくさんあるので、台詞を覚えずに演技するのが普通だったとは思えない。プロンプターに当たる人物がかなり使われたにしても、主に台詞を忘れた俳優を助けるための役割であったのではないだろうか。

フィリップ・バターワースは1580年代の二つの書物の例を挙げ、この頃、俳優に台詞を教える役割の人物が 'monitor' とか、あるいは既に 'prompter' と呼ばれていたことを示している。そのひとつ: 'He [a monitor] that telleth the players their part when they are out, and haue forgotten: the prompter, or booke holder' (Iohn Higgins's translation of Hadrianus Junius's 'The Nomenclator, or or Remembrances of Adrianus Iunius' [1585])。この例では、プロンプターは、やはり台詞を忘れた俳優を助ける仕事だ。

2017/11/15

イングランドの聖史劇のト書き

中世の俳優の演技の事を考えるためには、劇の現存する脚本についているト書きが重要である。しかし、20世紀以降の、リアリズムの劇と違い、当時の劇の台本にはト書きはあまり書き込まれていない。そもそも、残存する比較的完全に近い聖史劇の台本は、上演を準備するために筆写されたのではなく、台詞が正しく言われ、上演の順番が正しいかなどをチェックするための台本であったり(ヨーク・サイクル)、あるいは上演が終了したずっと後の時代に、古い物を愛好する人たち(好古家、antiquarians)が残したりしたもので(チェスター・サイクル)、俳優や演出家がそれぞれ持参して、台詞を覚えたり演出をしたりするために使う現代の脚本とは大変異なった性質のものだ。 イングランドの聖史劇のト書きのうち、4大サイクルの中では、Nタウン・サイクルの中の受難劇(1と2)だけがかなり詳しいト書きを持っているのが興味深い。人物の動き、衣装、更に一部は小道具類にまで触れ、英語で書かれている。他のヨーク、タウンリー、チェスター・サイクルでは、ト書きは少なく、在っても大変短い。Nタウンも、受難劇以外は、他のサイクル同様、ト書きは少なく、しかも短くて、またラテン語で書かれている。Nタウン写本は、複数の劇を組み合わせてサイクル(天地創造から最後の審判まで)をまとめ上げた混成(ハイブリッド)写本。このままの形で上演されたかは疑わしい。従って、受難劇はかっては独立して存在していたはずだ。この受難劇は、山車のステージでの上演を想定されておらず、広い舞台とかなり多数の出演者を使った上演である。Nタウン・サイクルの受難劇が広い舞台を使うと言うことは、出演者の舞台上の動きが重要になり、ト書きも詳しい必要が出てくるということだと思う。 中世の劇でト書きが比較的詳しいのは、ラテン語の典礼劇である。典礼劇は、典礼の延長線上に発展してきた演劇で、その多くは、観衆に見せることを前提としておらず、現代的な「演劇」とは本質的に異なる「演劇的儀式」と言っても良いだろう。従って、残っている脚本は、そうした儀式を執り行う手引きと考えても良い。台詞だけではなく、儀式の参列者としての上演者達の動きも比較的細かく指定するのは自然な事だったのかもしれない。 バターワース先生もト書きに細かい注意を払っているが、私も今後、一層ト書きに注意して読んでいきたい。

2017/11/14

中世演劇における俳優の演技

 前回に続いてバターワースの本を読んでのノート。

ハムレットは、3幕2場で、「動きを台詞に合わせ、台詞を動きに合わせよ」と旅回りの役者達に演技指導をする。そして、演技をやり過ぎるのが最悪であり、演技の神髄は自然に鏡を掲げて映す事だと言う。これが商業劇場が始まった頃の、理想的な演技の姿かもしれない。バターワースは第5章で中世の俳優の演技について得られる限りの資料を駆使して論じているが、それでもよく分からないと言えそうだ。キケロなどローマ時代の弁論術などを中世の人々も受け継いだと想定され、基本的に、アクションよりも台詞が大事だったと考えられる。

少なくとも、中世の俳優はスタニスラフスキーの演技論に代表されるような、「演ずる役になりきる」ことや、自分自身の生涯から演じる役に似た経験を探し出して役に没頭するといったナチュラリスティックな演技は求められていない。ト書きで繰り返し使われる言葉は、 ‘as if’, ‘as though’, あるいはラテン語の ‘quasi’ というような語句、つまり「あたかも〜であるかのように」演じるということ。それは、観客がその俳優が誰を演じているかをはっきり認識でき、俳優はその役柄が観客に良く理解出来れば良いということだろう。そもそも、聖史劇や道徳劇では、神や悪魔を演じたり、抽象的な「良心」とか「虚栄」などを演じるのであるから、ある特定のジョンさんとか、山田さんを演じるように役に没頭することは出来ないし、むしろそうするのは不適切であることも多いだろう。

演技に関する資料の乏しい中、中世で最も詳しい演技指導と言えるト書きは『アダム劇』のそれだろう。そのト書きも、台詞をコントロールし、アクションは台詞の合わせるようにと教える。そして詩で書かれた台詞であるから、一音節たりとも勝手に付け加えたり、除いたりして発音しないようにと命じる。台詞をすべてはっきりと発音し、また書かれたとおりに(つまりアドリブなしで間違いをしないように?)言いなさい、と指示している。但し、12世紀のアングロ・ノルマンの劇がその後の英語の劇に影響があったとは言えないだろう。しかし、台詞の正確な発話を重視する考えはローマ時代以後、ルネサンス劇まで共通するようだ。

2017/11/13

中世イギリス演劇のリハーサル(フィリップ・バターワースの近著から)

Philip Butterworthの ’Staging Conventions in Medieval English Drama’ (Cambridge UP, 2014) を読んでいるところだが、私にとってはもの凄く面白い本だ。ずっと読もうと思っていたのに、今まで先延ばしにしてきたのは勿体なかった。第三章の ‘Rehearsing Memorising and Cueing’ から、中世劇のリハーサルについて、面白いと思ったことをかいつまんで紹介したい。

ハムレットによる旅劇団の人達への演技指導や『真夏の夜の夢』のリハーサルの様子で、あのような「リハーサル」が当時の演劇で普通に行われたかのように思いがちだ。確かにシェイクスピアの頃には、ああいうリハーサルも多かったのかも知れない。しかし、少なくともイングランドの中世劇に関しては「フィジカルな演技」を伴うリハーサルの記録はないようだ。但、役者が集まってリハーサルをした記録はかなりあるそうだ。その場合、台詞を正しく記憶していることのチェック、そして恐らく、キュー通りに正しい順番で台詞を言えるかのチェックが目的らしい。現代の俳優と違い、書きぬき台本で自分の台詞のみを覚えるから、他の人の台詞はキュー(cue)を除いて殆ど知らないので、順番の確認は大切だった。台詞を記憶することへの関心の高さと、ジェスチャーなどのアクションに関する記述がないことから、イングランドの中世劇の多くは、役者が一歩前に出て台詞を言う、ということで進行した可能性が高い(但『アダム劇』のようなナチュラリスティックな演技を求める例外もあるが仏語だし時期も非常に早い)。ちなみに、当時は’reherse’という語がリハーサルの意味でよく使われたようだが、これは主な意味としては'repeat aloud'(声を出して繰り返す)。つまり覚えた台詞を繰り返しただけなのがリハーサルだったのか?

チェスターやコヴェントリーのリハーサルの場所は殆ど個人の私宅で行われた。例外的に、公共のホールや司教の邸宅などで行われた記録はある。しかし、聖史劇が山車の上で行われた町でも、実際の山車を使ったリハーサルの形跡はない。従って、やはり台詞合わせだけが行われ、役者の動きなどは二の次だった可能性が大きい。

リハーサルの回数だが、’first reherse'とか、'second reherse'と言った表現がチェスターの記録にあるそうだ。ということは、リハーサルの回数はその程度ということだろうか。つまり非常に数少ないリハーサルで本番に臨んだということ。基本的に台詞を覚えてきて2回程度の台詞あわせをやっただけで直ぐに本番だったのだろう。リハーサルの少ない歌舞伎の公演を想起させる。今で言うところの「アマチュア」が演じ、祭日のイベントである聖史劇(聖体祭劇)では、それ程演技の質は問われなかったと思うし、毎年同じ聖書の物語をやるわけだから、ベテランも多く、台詞を長年覚えている人もかなりいたと想定できる。

ケント大学のクレア・ライト博士が、「この本は全ての初期(イギリス)演劇研究者、いやすべての演劇専攻学生・研究者の必読本だ!」 とツィッターで書かれていたが、その通りと思った。バターワースは、REED(英国初期演劇資料集)をフル活用し、多くの16世紀、17世紀前半の資料にも当たっており、シェイクスピアなどのルネサンス劇研究者にも有用な本と思う。