2017/11/14

中世演劇における俳優の演技

 前回に続いてバターワースの本を読んでのノート。

ハムレットは、3幕2場で、「動きを台詞に合わせ、台詞を動きに合わせよ」と旅回りの役者達に演技指導をする。そして、演技をやり過ぎるのが最悪であり、演技の神髄は自然に鏡を掲げて映す事だと言う。これが商業劇場が始まった頃の、理想的な演技の姿かもしれない。バターワースは第5章で中世の俳優の演技について得られる限りの資料を駆使して論じているが、それでもよく分からないと言えそうだ。キケロなどローマ時代の弁論術などを中世の人々も受け継いだと想定され、基本的に、アクションよりも台詞が大事だったと考えられる。

少なくとも、中世の俳優はスタニスラフスキーの演技論に代表されるような、「演ずる役になりきる」ことや、自分自身の生涯から演じる役に似た経験を探し出して役に没頭するといったナチュラリスティックな演技は求められていない。ト書きで繰り返し使われる言葉は、 ‘as if’, ‘as though’, あるいはラテン語の ‘quasi’ というような語句、つまり「あたかも〜であるかのように」演じるということ。それは、観客がその俳優が誰を演じているかをはっきり認識でき、俳優はその役柄が観客に良く理解出来れば良いということだろう。そもそも、聖史劇や道徳劇では、神や悪魔を演じたり、抽象的な「良心」とか「虚栄」などを演じるのであるから、ある特定のジョンさんとか、山田さんを演じるように役に没頭することは出来ないし、むしろそうするのは不適切であることも多いだろう。

演技に関する資料の乏しい中、中世で最も詳しい演技指導と言えるト書きは『アダム劇』のそれだろう。そのト書きも、台詞をコントロールし、アクションは台詞の合わせるようにと教える。そして詩で書かれた台詞であるから、一音節たりとも勝手に付け加えたり、除いたりして発音しないようにと命じる。台詞をすべてはっきりと発音し、また書かれたとおりに(つまりアドリブなしで間違いをしないように?)言いなさい、と指示している。但し、12世紀のアングロ・ノルマンの劇がその後の英語の劇に影響があったとは言えないだろう。しかし、台詞の正確な発話を重視する考えはローマ時代以後、ルネサンス劇まで共通するようだ。

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