中世の俳優の演技の事を考えるためには、劇の現存する脚本についているト書きが重要である。しかし、20世紀以降の、リアリズムの劇と違い、当時の劇の台本にはト書きはあまり書き込まれていない。そもそも、残存する比較的完全に近い聖史劇の台本は、上演を準備するために筆写されたのではなく、台詞が正しく言われ、上演の順番が正しいかなどをチェックするための台本であったり(ヨーク・サイクル)、あるいは上演が終了したずっと後の時代に、古い物を愛好する人たち(好古家、antiquarians)が残したりしたもので(チェスター・サイクル)、俳優や演出家がそれぞれ持参して、台詞を覚えたり演出をしたりするために使う現代の脚本とは大変異なった性質のものだ。
イングランドの聖史劇のト書きのうち、4大サイクルの中では、Nタウン・サイクルの中の受難劇(1と2)だけがかなり詳しいト書きを持っているのが興味深い。人物の動き、衣装、更に一部は小道具類にまで触れ、英語で書かれている。他のヨーク、タウンリー、チェスター・サイクルでは、ト書きは少なく、在っても大変短い。Nタウンも、受難劇以外は、他のサイクル同様、ト書きは少なく、しかも短くて、またラテン語で書かれている。Nタウン写本は、複数の劇を組み合わせてサイクル(天地創造から最後の審判まで)をまとめ上げた混成(ハイブリッド)写本。このままの形で上演されたかは疑わしい。従って、受難劇はかっては独立して存在していたはずだ。この受難劇は、山車のステージでの上演を想定されておらず、広い舞台とかなり多数の出演者を使った上演である。Nタウン・サイクルの受難劇が広い舞台を使うと言うことは、出演者の舞台上の動きが重要になり、ト書きも詳しい必要が出てくるということだと思う。
中世の劇でト書きが比較的詳しいのは、ラテン語の典礼劇である。典礼劇は、典礼の延長線上に発展してきた演劇で、その多くは、観衆に見せることを前提としておらず、現代的な「演劇」とは本質的に異なる「演劇的儀式」と言っても良いだろう。従って、残っている脚本は、そうした儀式を執り行う手引きと考えても良い。台詞だけではなく、儀式の参列者としての上演者達の動きも比較的細かく指定するのは自然な事だったのかもしれない。
バターワース先生もト書きに細かい注意を払っているが、私も今後、一層ト書きに注意して読んでいきたい。
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