2011/09/30

中世フランス演劇史に関するサイト

フランス中世文学研究者の片山幹生先生による中世フランス演劇に関する素晴らしいブログを発見した:

フランス中世演劇史のまとめ」というタイトルで、ブログ形式で更新中だ。今はラテン典礼劇の解説が終わり、愚者祭などの演劇的祝祭についての項目が出たところ。まだフランス語の劇までは進んでいない。私の知らない事が沢山書いてあり、今後、非常に注目したいサイト。専門的な内容ではあるが、研究者だけでなく、一般の読者を対象としているようだ。西欧演劇に関心のある方には大いにお勧めしたい。

ちなみに片山先生は、演劇を良く見ていらして、劇評のブログ、「楽観的に絶望する」も書いておられます。小劇場などを頻繁に見ておられます。

2011/09/25

『ペリクリーズー船上の宴』(梅若能楽学院会館、2011.9.23)

能楽堂とシェイクスピアのロマンチックな交わり
『ペリクリーズー船上の宴』 

りゅうとぴあ公演
観劇日: 2011.9.24   17:00-18:50
劇場: 梅若能楽学院会館能楽堂

脚本:シェイクスピア
翻訳:松岡和子
構成・演出:栗田芳宏
出演:柄谷吾史、田上真里奈、西村大輔、山賀晴代、荒井和真、永宝千晶、星野哲也、大家貴志、岡崎加奈、栗田芳宏

☆☆☆ / 5

日本におけるシェイクスピア作品の上演において、既に一定の評価を確立し、海外公演もしている「りゅうとぴあ 能楽堂シェイクスピア・シリーズ」の第七番目の作品だそうである。私はこのシリーズは、白石加代子主演の『リア』のみ見たことがあり、今回2度目。

面白さから書くと、最初少し退屈したが、段々熱気を帯びてきて、1時間50分という短さもあって、全体としてはほとんど飽きる時もなく見ることが出来た。劇団の持つ人的、資金的制限を考えると、驚くほどの完成度と個性と言えると思う。東京で2日、新潟の本拠地で3日という、たった5日間の公演しかないのが残念である。

『ペリクリーズ』は、次々と不幸に見舞われて東地中海の都市国家を転々とせざるを得ない主人公と、その妻と娘の離別と再会を描いた作品。その究極の材源は、今は失われた古典古代のお話とされていて、中世においては広くラテン語で流布し、イングランドでは、古英語でも翻案があり、更に、中英語では、ジョン・ガワーの『恋人達の告解』 (John Gower, "Confessio Amantis") において取り上げられている。ということで、シェイクスピアはガワーを直接の種としているようで、劇中でも話の引き回し役はジョン・ガワー。語り部によって物語られる、ロマンス的な異国情緒に溢れた劇になっている。それが、東洋の舞台と上手くマッチしていた。

但、お話が結構込み入っていて、30人くらいの登場人物が次々と出てくるので、りゅうとぴあの10人の役者でやりおおせるのは大変で、ある程度無理があるように見えた。あれあれ、どうなったのかな、と筋を見失いそうになる時があった。また、台詞が大分簡略化してあるからか、シェイクスピアの豊かな比喩などが少なく感じ、台詞に聞き惚れることが出来ない。物語を簡素にして、能舞台で見せることにより、シェイクスピア作品の枝葉末節を省いて、根幹にある物語の魅力を再発見するのがこの劇団の意図であると思うので、その点では矛盾しないのだが、今回はあまりにも簡略化しすぎたかもしれない。また、長い長い旅路を経て、やっと家族に再会する、というその「長さ」にも意味があるので、2時間弱は如何にも短い。もし劇団にもう少し余裕があれば、俳優を数人増やし、時間も休憩を入れて30分くらい長くできれば、と思った。特に、ガワー役は物語の外に立つのであるから、他の役との重複を避けて欲しいと思う。

劇団主宰者で、ガワーを始め、幾つかの役をやった栗田芳宏の朗々とした発声が素晴らしく、能舞台と良く調和していた。また、主人公ペリクリーズの柄谷吾史、その妻のタイーサ役の山賀晴代なども印象深い。他の方々も立派に演じておられ、一貫したポリシーを持つ個性豊かな小劇団の仕事として、本当に賞賛に値すると思った。

2011/09/24

『キネマの天地』(紀伊国屋サザンシアター、2011.9.23)

俳優の巧さで大いに満足できた
『キネマの天地』

こまつ座公演
観劇日: 2011.9.23   13:30-16:00
紀伊国屋サザンシアター

脚本:井上ひさし
演出:栗山民也
出演:麻実れい、三田和代、秋山菜津子、大和田美帆、木場勝己、古河耕史、浅野和之

☆☆☆☆ / 5

帰国後初めての観劇。喜劇には日頃あまり関心が無い私も、大変楽しい時間が過ごせた。

演出家小倉虎吉郎(浅野)の妻で、女優の松井チエ子が不可解な死(事故死?他殺?)を遂げてから一年経っていた。築地東京劇場に集められた4人のスター女優。この4人の中に殺人者がいるのではないかと怪しむ演出家の小倉は、助監督島田(古河)、大部屋役者の尾上(木場)の協力を得て、新しい超大作の映画の本読みという口実で、この4人のうちから犯人をあぶり出そうとするが・・・。

出てくる俳優が全員、もの凄く上手い。タイミングが絶妙でおかしい。下手な人がいないので、興ざめな時が全くない。井上ひさしは、女性の嫌らしさを面白可笑しく書くのが上手いのにびっくり。女優4人がまさに大スターなのだが、それを支える、3人の男優も勿論素晴らしい。最後の30分くらいが特に良かった。

強いて無いものねだりをすると、麻実れいが最年長で、三田和代がその下、という設定は無理があったなあ。但、三田和代の演技は、いつもは私から見ると大芝居過ぎてやり過ぎと感じるのだが、今回はデフォルメされた喜劇なので、ぴったり。一番若い大和田美帆、二代目女優と馬鹿に出来ない。面白かったです。

日本の劇だと、英語が分からなくて苦労しなくて済むので本当に楽だわ。それでもいつもの習い性で、ついチラシにある粗筋を開演前に何度も読んでいました(^_^)。

ちなみに故井上ひさしは、大昔から原発には反対だったようである。このサイトで1988年に彼が書いた記事が紹介されている。

2011/09/22

京大原子炉実験所、「熊取六人衆」

イギリスにいたので、色々と知らない言葉や人が増えてしまったが、このブログを読まれる方は、京都大学原子炉実験所の研究者6人、所謂「熊取六人衆」のことはよくご存じの方がほとんどだろう。特に、テレビや著作で有名な小出裕章先生(現職、助教)のことは日本国民のほとんどが知っているのではないだろうか。彼らは、今回の福島の事故のずっと前から、原発の危険性に警鐘を鳴らしてこられ、その為に、色々な不利益や迫害をこうむったとも言われている(これについては、私は正確に判断はできないが、関心のある方は『週刊現代』のこのサイトなど参照)。

そもそも小出先生は定年間近でありながら助教(昔の職位では、助手)であり、また、他の六人衆の方々も助教か助教授どまりのようだ。長らく東大の助手をしていた公害研究者、故宇井純を思い出す。

京都大学原子炉実験所には約80人の研究者が属しており、原発推進派の方のほうがずっと多いようだが、こうした反(脱)原発指向の研究者も抱え込む事が出来た点、京大という組織の健全さをうかがわせる。上記の『週刊現代』の記事によれば、東大の原子力研究者には、反(脱)原発指向の人は皆無だったとのことである。

さて、この熊取六人衆について、大阪毎日放送が2008年にドキュメンタリー番組を作った。そのことについて、稲塚監督がブログで次のように書いておられるので、引用したい:

(以下、引用)
今から数年前、毎日放送がこの6人のドキュメンタリーを放送したら、大事件になったという。
「何を考えている。うちはスポンサーを引き上げる」
関電・・関西電力の力はメディアに対して絶大だ。
反省を強いられ、いかに原発が安全かの教育を受けさせられたというのだ。
福井県では14基がかつて稼動していた。
いずれも関西電力の牙城である。

今は違う、今だけかもしれない。
今は例え6人衆を取材し、放送してもスポンサーを降りると、脅すことはないだろう。
でもいつまでも正常な状態においておかなくてはいけない。
(引用終わり。なお一部誤字と思われるところを訂正させていただきました)


東大や京大で研究者として仕事をしている人は、どの分野でも日本を代表するエリートである。そういう人達が、研究費もろくにもらえず、大学の内外でも昇進や受賞もなく、学会の主流から外れて原子力に警鐘を鳴らし続けるのは、今でこそ注目されているが、これまでは非常に勇気のいることであっただろうと思う。ある意味、学者としては、ノーベル賞レベルの有能な研究をするよりも、ストレスのかかる大変なことだ。

私も3年半前まで大学に勤めていたので実感するが、大学は当然ながら学歴の世界。東大・京大の大学院博士課程出身というような経歴だと、それだけで実力があると思われるし、実際、能力も、研究者としての向上心も非常に高い方が多い。しかし、それについてくるのは、エリート意識である。日本で最高レベルの、つまり世界でもトップクラスの学者であると、プライドも高くなる。私のいたような人文科学分野ではまずあり得ないが、分野によっては、企業やメディアの人々からちやほやされるし、共同研究の提案や飲食などのもてなしもあるだろう。研究上の、あるいは社会人としての謙虚さを保つのは大変難しいのではないかと想像する。昨今は、研究者が大学から決まった額だけ許される個人研究費はかなり減少傾向であり、事務用品と書籍代の一部で消え、本代や学会の費用さえかなり自費を使ってしまうのが私の居た環境では普通であった。研究の上で志のある人は、様々な外部資金を調達せざるを得ず、外部資金の調達をすればそれが業績として、大学からもてはやされる。それだけに、そうした外部資金が得られないのを覚悟で異端的な研究を続けてこられた「熊取六人衆」には感心せざるを得ない。残念なことは、この六人衆のうち、現役の先生は定年前のふたりだけ。その後に若い先生が加わっていないようなのは、何故だろう。

更に、メディアの役割についての稲塚監督の警鐘も、現場の方からの発言であるから、重い。

(先日来、ネット上にある熊取6人衆に関する番組にリンクをはっておりましたが、番組の合法的な使用とは思えないので、削除しました。)

2011/09/14

日米の原発事故安全対策

Mixiに書いたことを転載します。

昨日9月13日の報道ステーション、私は見ていなかったのだが、かってGEで原発技術者をしていた佐藤暁(さとし)さんという方が出演され、日本の原発のリスク管理がアメリカに比べて如何に甘いかを指摘されたそうだ。大津波リスクは、米では100万年に1回起きる大津波を想定し、対策をしているとのこと。外部予備電源では、日本は2回線、米は3-4回線とか7回線。

そのインタビューのまとめを書いてくれた方のブログ

米でそのくらいの準備をしているのを日本の原発科学者は当然知っていたのだろう。起こりえないと高をくくっていたのか?安全だと言い続けてきたので、非常に念入りな用心をすることが危険性を認めることとなるから、アメリカのような準備が出来なかったのか? 日本では自国で原発を作る資格は勿論、輸出する資格なんて無い。辞職した大臣の軽率発言じゃないが、これで原発を輸出したら「死の商人」。

原発関係者や学者にも、日本の原発事故対策がおかしいと思っていた人は多いのだろう。しかし、私のまわりの仕事場などでもいくらでも見てきたが、日本人は長いものに巻かれろで、どんなにおかしいと分かっていても、他人の命や人生全体を左右するような事でも、それは間違っている、とひとりで異議を唱えることが出来ないという欠点がある。

今だって、被災者支援とかチャリティー事業みたいなfeel-goodなことなら皆諸手を挙げて賛成だが、原発をやめようと言うことになると、途端に、意見無し、とか、沈黙、の人が多いだろう。そういういい加減な人よりも、今のような時代でも、リスクがあっても地域振興や職場の維持の為に原発を維持したいとか、脱原発なんて絵空事、日本経済の為には原発は必要だ、とはっきり言う人達はある意味大変誠実だ。イギリスでは、右でも左でも意見を言うことが大事であり、意見を持たない人は軽蔑されると思うが、日本の場合、意見を持たない人、「私は素人なので難しすぎて分かりません」などと言ってマジョリティーに従う聞き分けの良い人が一番歓迎される。先日、イギリスの新聞の、今回の大地震と福島の原発事故に関するネット記事のコメントで、「日本という国は機械みたいに作られていて、日本人は自分の頭で考えることをしない」( "The people don't think for themselves because Japan was set up like a machine")、と書いていたイギリス人がいて腹が立ったが、笑えるだろうか。

最近まで、電力会社の原発広告には実に多くの芸能人が出ていた。蜷川の舞台でお馴染みの鈴木杏、節操のない芸能人の多い中で、Twitterで、原発関連CMに出た事を反省し、脱原発を求めると明言。その他大勢の有名芸能人はどう身を処すのだろうか。金をもらったから宣伝したというだけ? 若い人の方が偉いね!

2011/09/05

帰国しました。

4日にヒースローを出て、5日に無事成田着。今回は片道だけだが、片道切符はまともに買うともの凄く高い。でも以前に繰り返し乗ったイギリスの航空会社のマイルがかなりたまっていたので、少しマイルを買い足して片道乗った。それは良いが、とにかく冷房がきつい。最近2,3回は日本の航空会社だったが寒くなかった。やはりイギリス人の体感に合わせてあるのか?食事はイギリスの会社は日本の会社に比べぐっとまずい。良いことはBBCのドラマなど英語の映画やドラマが充実していること。BBC Oneの"Silk"の第1回をまた見た。2回見ても面白い。 

帰りの空港バスでは一緒にいた家人がぐっすり眠っていて、うっかり眼鏡を忘れた。空港バスでは私も以前に忘れ物をしたことがある。帰りは特に疲労と眠気がひどいので、気をつけたい。その眼鏡はバス会社が見つけてくれ、送ってくれるというので助かった。ここらは、さすが日本のサービス業! 


帰宅して早速販売店に電話して新聞を注文すると、直ぐに夕刊を持って来てくれた。ちょっと便利が良すぎる。日本の常識に慣れると、イギリスは・・・。


テレビをつけると、柔らかな物腰の安住新財務相が質問に答えている。いつも攻撃的なジョージ・オズボーン財務相と対称的。コンセンサス取りまとめ型人間でしか上手くやっていけない日本の政治、アグレッシブで強い主張の持ち主でないと甘く見られるイギリス政界・・・かな。