2011/09/22

京大原子炉実験所、「熊取六人衆」

イギリスにいたので、色々と知らない言葉や人が増えてしまったが、このブログを読まれる方は、京都大学原子炉実験所の研究者6人、所謂「熊取六人衆」のことはよくご存じの方がほとんどだろう。特に、テレビや著作で有名な小出裕章先生(現職、助教)のことは日本国民のほとんどが知っているのではないだろうか。彼らは、今回の福島の事故のずっと前から、原発の危険性に警鐘を鳴らしてこられ、その為に、色々な不利益や迫害をこうむったとも言われている(これについては、私は正確に判断はできないが、関心のある方は『週刊現代』のこのサイトなど参照)。

そもそも小出先生は定年間近でありながら助教(昔の職位では、助手)であり、また、他の六人衆の方々も助教か助教授どまりのようだ。長らく東大の助手をしていた公害研究者、故宇井純を思い出す。

京都大学原子炉実験所には約80人の研究者が属しており、原発推進派の方のほうがずっと多いようだが、こうした反(脱)原発指向の研究者も抱え込む事が出来た点、京大という組織の健全さをうかがわせる。上記の『週刊現代』の記事によれば、東大の原子力研究者には、反(脱)原発指向の人は皆無だったとのことである。

さて、この熊取六人衆について、大阪毎日放送が2008年にドキュメンタリー番組を作った。そのことについて、稲塚監督がブログで次のように書いておられるので、引用したい:

(以下、引用)
今から数年前、毎日放送がこの6人のドキュメンタリーを放送したら、大事件になったという。
「何を考えている。うちはスポンサーを引き上げる」
関電・・関西電力の力はメディアに対して絶大だ。
反省を強いられ、いかに原発が安全かの教育を受けさせられたというのだ。
福井県では14基がかつて稼動していた。
いずれも関西電力の牙城である。

今は違う、今だけかもしれない。
今は例え6人衆を取材し、放送してもスポンサーを降りると、脅すことはないだろう。
でもいつまでも正常な状態においておかなくてはいけない。
(引用終わり。なお一部誤字と思われるところを訂正させていただきました)


東大や京大で研究者として仕事をしている人は、どの分野でも日本を代表するエリートである。そういう人達が、研究費もろくにもらえず、大学の内外でも昇進や受賞もなく、学会の主流から外れて原子力に警鐘を鳴らし続けるのは、今でこそ注目されているが、これまでは非常に勇気のいることであっただろうと思う。ある意味、学者としては、ノーベル賞レベルの有能な研究をするよりも、ストレスのかかる大変なことだ。

私も3年半前まで大学に勤めていたので実感するが、大学は当然ながら学歴の世界。東大・京大の大学院博士課程出身というような経歴だと、それだけで実力があると思われるし、実際、能力も、研究者としての向上心も非常に高い方が多い。しかし、それについてくるのは、エリート意識である。日本で最高レベルの、つまり世界でもトップクラスの学者であると、プライドも高くなる。私のいたような人文科学分野ではまずあり得ないが、分野によっては、企業やメディアの人々からちやほやされるし、共同研究の提案や飲食などのもてなしもあるだろう。研究上の、あるいは社会人としての謙虚さを保つのは大変難しいのではないかと想像する。昨今は、研究者が大学から決まった額だけ許される個人研究費はかなり減少傾向であり、事務用品と書籍代の一部で消え、本代や学会の費用さえかなり自費を使ってしまうのが私の居た環境では普通であった。研究の上で志のある人は、様々な外部資金を調達せざるを得ず、外部資金の調達をすればそれが業績として、大学からもてはやされる。それだけに、そうした外部資金が得られないのを覚悟で異端的な研究を続けてこられた「熊取六人衆」には感心せざるを得ない。残念なことは、この六人衆のうち、現役の先生は定年前のふたりだけ。その後に若い先生が加わっていないようなのは、何故だろう。

更に、メディアの役割についての稲塚監督の警鐘も、現場の方からの発言であるから、重い。

(先日来、ネット上にある熊取6人衆に関する番組にリンクをはっておりましたが、番組の合法的な使用とは思えないので、削除しました。)

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