2019/05/29

産業革命期カンタベリーの鉄道

またカンタベリー関連の話題。

1830年前後、イギリスでは幾つかの場所で鉄道が開通していて、わが町(地域)が最初、というお国自慢になっているようだ。その中で、日本の歴史の教科書でも書かれているように、マンチェスター〜リバプール線が最初の鉄道として知られるようになったのは、全線、普通の機関車で運行しているかららしい。

カンタベリーと海辺の町ウィットスタブルの間でも1830年に鉄道が開通していて、マンチェスター〜リバプール線より4ヶ月くらい早いと言う記述をカンタベリーの歴史の本で読んだ。でもこの鉄道、カンタベリーの北、ケント大学のキャンパスがある丘陵地を機関車では超えられず、固定した蒸気機関とケーブルでかなりの距離、列車を引っ張りあげたらしい。その後の下り坂は重力で進み、平野部に入ってからは機関車を利用した。だから全線機関車で運行した鉄道とは違うということで、「イギリス最初の鉄道」という名誉を得られず、歴史の中に埋もれているわけだ。確かにあの坂はきつい。最初期の鉄道は、こういう謂わばケーブルカー式との組み合わせが結構あったようだ。でも平野部について言えば、マンチェスター〜リバプール線より開業の早い鉄道だった。次にいつかカンタベリーの歴史について話すことがあったら、歴史トリビアのひとつとして鉄道の事も加えたいな(^_^;)。

2019/05/27

ヒュー・ウォルポールとカンタベリー

先日、カンタベリーと文学者に関して市民講座で話した後も、このテーマで気になることが幾つか残った。ひとつは、カンタベリーのキングズ・スクールで学んだ著名な文学者の中で、私がまったく知らなかったヒュー・ウォルポール(Hugh Walpole, 1884-1941)のこと。近所の市立図書館に彼の和訳作品集『銀の仮面』(倉阪鬼一郎、訳、国書刊行会、2001)があったので、借りてきて読んだ。
国書刊行会の「ミステリーの本棚」という叢書の一冊。謎解きとか、探偵や刑事が活躍するという類の話ではなく、日常生活のふとした出来事から生まれる恐怖とか不安を、巧みなシチュエーションを構築して、ドラマチックな物語にしてみせる、心理サスペンスとでも言えば良いだろうか。なかなか楽しめる。特に冒頭の表題作には引き込まれた。訳文も読みやすい。ウォルポールはカンタベリーで少年時代を過ごしたので、カンタベリーの街が作品の中にも出てこないかなと期待していたが、そのままの地名としてはカンタベリーは出てこなかった。ただし、「雪」と「小さな幽霊」という二つの短編はポルチェスターという大聖堂がある町を舞台としており、しかもその大聖堂には有名な「黒僧正の墓」があるらしい。カンタベリー大聖堂には14世紀の王子「黒太子」(Black Prince)の墓があるので、このポルチェスターのイメージの一部にはカンタベリーが投影されている可能性が大だろう。
この人の名字「ウォルポール」を聞くと、イギリスの最初の首相と言われるロバート・ウォルポール、その息子でゴシック小説の古典『オトラント城』を書いたホレス・ウォルポールを思い出すが、ウィキペディアの記述には、この名家との繋がりは言及されていない。そもそも彼はニュージーランド生まれ。しかし、父親のサマセット・ウォルポールはイングランドのノッティンガムシャーからの移民であり、後年にはまたブリテン島に戻って、エディンバラの司教にまでなった。
しかし、ヒュー・ウォルポールがホレス・ウォルポールと血縁だとすると、ゴシックの血筋が流れていたと言えるんだが・・・。巻末の、ミステリ批評家、千街晶之さんの解説には、ヒュー・ウォルポールは「ホレス・ウォルポール(英国初代首相ロバート・ウォルポールの子)の子孫だと言われている」(p. 263) と書かれているので、はっきりしたことは言えないが、それが定説なのかな。かなり古い出版だが伝記が2冊あるようなので、それらに当たってみるとより詳しく書いてあるのかも知れない。

2019/05/19

市民講座でカンタベリーと文学者について話した。

最近カンタベリーと文学の関連について市民講座の講演を2回やったので、いくらか日頃読まない近現代の文学作品を読んだ。カンタベリーに関連のある作家作品というと、カンタベリー大聖堂そばにあるキングズ・スクールに関連のある作者・作品が目立った。この学校は、元々大聖堂を管轄していたクライストチャーチ修道会の付属学校がルーツと言われ、そうなると、597年の聖オーガスティンのケント王国来訪にまでさかのぼることも可能。従って、現在まで存続しているイングランド最古の学校と言われることもある。但、宗教改革によって修道会は解散し、その時点で新しく国教会の学校として出発したので、歴史がはっきしているのは1530年代以降のようだ。

さてそのキングズ・スクールと関わりのある作家作品の筆頭はサマセット・モームの『人間の絆』。モーム自身キングズ・スクールの卒業生。彼は吃音で苦しんだそうだが、小説の主人公フィリップは足が不自由。内向的で劣等感を感じていた少年期のモームの心象風景が、主人公のフィリップ・ケアリ少年に投影されているようだ。「カンタベリー」(Canterbury)は「ターカンベリー」(Tercanbury)とアナグラムになっている。また、母の死後、フィリップを引き取る伯父の住む町はブラックステイブル(表記は岩波文庫版)(Blackstable)。少年モームも両親の死後ケントの海辺の町に住む叔父に育てられるが、その町はウィットスタブル(Whitstable)。だとすると、前者の発音もモームが意図したのは「ブラックスタブル」だろうか?

『人間の絆』での主人公のキングズ・スクール時代の描写は、悲惨ないじめやら、体罰で生徒を難聴にしてしまう暴力教師やら、全体的に事なかれ主義で改革に抵抗する古めかしい教師達やら、私が中学生の頃通った学校を思い出す。説得力があり、なかなか面白かった。

キングズ・スクールはクリストファー・マーローが出た学校で、モーム以外にも、ヒュー・ウォルポールというかって大変人気のあった小説家も出ている。ウォルポールの作品は日本語にも結構訳されている。また、ディケンズの『ディヴィッド・コパフィールド』におけるカンタベリーのドクター・ストロングの学校もキングズ・スクールをモデルとしているようだ。マーローというと、もう一人カンタベリー出身のルネサンス劇作家ジョン・リリーも思いだす。1564年はシェイクスピアが、マーローが、そして恐らくリリーも生まれた年!リリーがキングズ・スクールに行ったという記録はないようだが、カンタベリーに育ち知識人となったわけで、当時カンタベリーは他にめぼしい教育機関はほぼないことを考えると、彼がキングズ・スクールに通学したことはほぼ確実に思える(但、ロンドンやその他の都市の寄宿制学校に送られたり、自宅で父親や家庭教師に教育された可能性はある)。彼の父親は、文化人として、古い書物の収集家としても有名なカンタベリー大司教、マシュー・パーカーの registrar (書記官、記録係)だったので、靴屋だったマーローの父親と違い、息子にしっかりした教育を受けさせる動機も身分や財力もあっただろう。また、ジョン・リリーの祖父、ウィリアムは、当時の名門校、ロンドンのセント・ポール校の校長で、著名な古典語文法学者だった。このリリー一家は他にも知識人を出しているらしく、今後更に勉強してみたい。

専門外のことについてちょこちょこと断片的な知識をかき集めて素人程度のお恥ずかしい話をしたんだけど、私としては調べている間、とても楽しかった。