最近カンタベリーと文学の関連について市民講座の講演を2回やったので、いくらか日頃読まない近現代の文学作品を読んだ。カンタベリーに関連のある作家作品というと、カンタベリー大聖堂そばにあるキングズ・スクールに関連のある作者・作品が目立った。この学校は、元々大聖堂を管轄していたクライストチャーチ修道会の付属学校がルーツと言われ、そうなると、597年の聖オーガスティンのケント王国来訪にまでさかのぼることも可能。従って、現在まで存続しているイングランド最古の学校と言われることもある。但、宗教改革によって修道会は解散し、その時点で新しく国教会の学校として出発したので、歴史がはっきしているのは1530年代以降のようだ。
さてそのキングズ・スクールと関わりのある作家作品の筆頭はサマセット・モームの『人間の絆』。モーム自身キングズ・スクールの卒業生。彼は吃音で苦しんだそうだが、小説の主人公フィリップは足が不自由。内向的で劣等感を感じていた少年期のモームの心象風景が、主人公のフィリップ・ケアリ少年に投影されているようだ。「カンタベリー」(Canterbury)は「ターカンベリー」(Tercanbury)とアナグラムになっている。また、母の死後、フィリップを引き取る伯父の住む町はブラックステイブル(表記は岩波文庫版)(Blackstable)。少年モームも両親の死後ケントの海辺の町に住む叔父に育てられるが、その町はウィットスタブル(Whitstable)。だとすると、前者の発音もモームが意図したのは「ブラックスタブル」だろうか?
『人間の絆』での主人公のキングズ・スクール時代の描写は、悲惨ないじめやら、体罰で生徒を難聴にしてしまう暴力教師やら、全体的に事なかれ主義で改革に抵抗する古めかしい教師達やら、私が中学生の頃通った学校を思い出す。説得力があり、なかなか面白かった。
キングズ・スクールはクリストファー・マーローが出た学校で、モーム以外にも、ヒュー・ウォルポールというかって大変人気のあった小説家も出ている。ウォルポールの作品は日本語にも結構訳されている。また、ディケンズの『ディヴィッド・コパフィールド』におけるカンタベリーのドクター・ストロングの学校もキングズ・スクールをモデルとしているようだ。マーローというと、もう一人カンタベリー出身のルネサンス劇作家ジョン・リリーも思いだす。1564年はシェイクスピアが、マーローが、そして恐らくリリーも生まれた年!リリーがキングズ・スクールに行ったという記録はないようだが、カンタベリーに育ち知識人となったわけで、当時カンタベリーは他にめぼしい教育機関はほぼないことを考えると、彼がキングズ・スクールに通学したことはほぼ確実に思える(但、ロンドンやその他の都市の寄宿制学校に送られたり、自宅で父親や家庭教師に教育された可能性はある)。彼の父親は、文化人として、古い書物の収集家としても有名なカンタベリー大司教、マシュー・パーカーの registrar (書記官、記録係)だったので、靴屋だったマーローの父親と違い、息子にしっかりした教育を受けさせる動機も身分や財力もあっただろう。また、ジョン・リリーの祖父、ウィリアムは、当時の名門校、ロンドンのセント・ポール校の校長で、著名な古典語文法学者だった。このリリー一家は他にも知識人を出しているらしく、今後更に勉強してみたい。
専門外のことについてちょこちょこと断片的な知識をかき集めて素人程度のお恥ずかしい話をしたんだけど、私としては調べている間、とても楽しかった。
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