2020/08/28

美術史家、金沢百枝先生の講演「カインとアベル」

 昨日、中世美術、特にロマネスク美術、の権威、金沢百枝先生の「青花の会」講演を、池袋の自由学園明日館に聴きに行った。今回のトピックは旧約聖書の「カインとアベル」。英語の聖史劇でも上演されるよく知られた聖書のエピソードで、大変参考になった。

私が特に興味を引かれたのは、神が兄弟の捧げ物を受け取る場面の表現。絵画では、髪の右手だけが上部に描かれることが多いようだ。でもどうも火で燃やして捧げているらしき絵もあったみたい。タウンリー劇の「アベルの殺害」ではカインは麦の穂を燃やすんだけど、煙ばかりでよく燃えず、神の不興を示すことになっていて、効果的な脚色がなされている。もう一点特に面白かったのは、アベル殺害の道具の多彩なこと。棒で殴るのが多い。まるで野球のバットかゴルフのクラブを振り上げたみたいな姿勢のカインが描かれる。他には、斧か槌みたいな道具、大小の石なども使われている。更にイングランド(一部、フランス)では顎の骨(cheek bone)が多い。これはタウンリー劇とNタウン劇でも表れる。また古英語の Solomon and Saturn、中英語の Cursor Mundi、そして中世末期コーンウォール語の聖史劇などでも表れるようだ。今までこの骨がどんな格好なのか分からなかったが、今回絵画を見て非常に興味深かった。動物(ロバとか馬か?)の顎に歯がずらっと並んだ骨を持っていた。人間の入れ歯を十倍くらい拡大した感じ(笑)。上下の両顎の一方だけというものが普通のようだが、両顎ともに描かれた骨もあった。可笑しいようなグロテスクなような。誰がいつ考えたのかな。

ちなみに、英語の4つの主要聖史劇は皆「アベルの殺害」を取り上げているが、ヨーク劇は写本が1頁欠落していて、肝心の殺害場面が抜けている。その他の劇では完全に残っているが、チェスターとNタウンは、アダム夫婦の堕罪と楽園追放から連続していて、ごく簡単。一方タウンリー劇の「アベルの殺害」は独立した劇として書かれ、当時の観客にも共感しやすい「中世化」がされており、カインとアベルは、中世ヨークシャーの農夫と羊飼いとして描かれていて、カインの下男も登場する。アダムとイヴの子に下男がいたなんて、聖書の上ではあり得ないんだけどね(笑)。カインはこの下男に暴力を振るうが、下男も負けずに反撃し、殴り返そうとする。アダムとイブの堕罪の後の、秩序の崩壊した社会の有様をこの主人と召使いの関係が表しているとも言えそうだ。英語の聖史劇の中でも最高傑作のひとつと思う。

勉強になり、また、閉じこもりがちな私には、良い気分転換になった昨夜でした。行きがけはまだ炎天下で、暑くてへとへとになったけど、たまには出かけないとね。

2020/08/11

オンライン授業の準備

 今年度、首都圏の大学ではどこも全面的に、あるいは部分的に、オンライン授業を行っている。私は非常勤先でたった1科目の講義しかやってないが、それもオンラインになった。技術面でも戸惑うばかりだが、何よりも準備に手間と時間がかかった。初めてのことなので、頑張りすぎたという面もある。そこで、私の1週間のオンライン授業の内容とその準備を紹介してみたい。内容は英文学史の前半、17世紀まで。後期科目では18世紀から第2次世界大戦後までをやることになっている。

1. 私は、対面授業でも講義科目ではまず大体の原稿を作る。例年の授業ではそれをそのまま朗読はしないが、時々見ながら講義する。そこで、今年は去年の講義原稿を読み直し、そのまま朗読できるように修正したり、間違いを直したりして、ICレコーダーで録音(30-50分)。ファイルをPCに読み込む。

2. 去年のハンドアウト(講義レジュメ)を修正して詳しくし、文字だけなので写真や地図を入れたり、出典を調べたり、参考書目を付け加えたりする。

3. 録音した講義(MP3ファイル)と講義のハンドアウトをgoogle driveにアップロードし、履修者と共有。履修者が、ハンドアウトを見ながら講義を聞くようにする。

4. 毎週3回ぐらい資料をコンビニにコピーしに行く(主に、文学作品の一部抜粋、他には、英文学史や英国史の一部抜粋など)。

5. コピーした資料(毎週大体3点、30ページくらい)の不要部分をカットして、新しいB5か、A4の用紙に糊で貼り付け、スキャナーで読み込みPDFにする。1枚目に、出典や説明を付ける。

6. その週に扱う内容により、詩やその他の作品の一部などを、ワードに入力して、対訳の資料を作り、PDFに変換。これは英語原文を味わって貰うため。

7. 5と6のPDF資料を大学の学習支援システム (LMS) にアップロード。また、コース・ニュースに資料の説明と、その週に提出する課題を提示(リスポンス・シート[300-500字程度、字数の上限なし]、あるいは、特定の資料についてのごく短い[500-1000字程度、上限なし]レポート)。他の科目の作業などもあるだろうから、文字資料が読み切れない場合は、音声講義だけでも聞くように、と言ってある。

8. 時間割で指定された時間にWebexによりオンラインでリアルタイム授業をして、学生の質問に答え、また音声講義の捕捉や資料の説明をする。質問に答えるだけで簡単に済ますつもりだったけど、やり出すと色々準備もしてしまい、ほとんどの週で、30-60分やった。但、学生の負担を減らすため自由参加とし、出席は取らなかった。結局、最初の3,4回を除き、ほとんどの履修者が出なくなったが、まだ2人ほど出ているので、ずっと続けている。(最終回はひとりだけだった。)

9. リスポンス・シートを課した週は、そのフィードバックをまとめて(2〜3ページ)、LMSで学生に配布。ホームワークを課した週は、個別のフィードバックをLMSで送信。

10. 学期末には学期末レポート提出を課しているが(目安は2千〜4千字、但、上限はなし)、この締切はまだ先。


科目の主なメディアを音声講義の配信にした理由は、最初、ZoomやWebexの受信には環境が整わない学生が出るかも知れないと恐れたこと。それに、マイペースで休み休み聴ける方が、同時配信より良いだろうと思ったから。また、私自身、内容の間違いなどに後で気づいた時には、録音し直すことが出来る。また、一応Webexの使い方は憶えたけど、うっかり操作を間違えることも多いだろうと思ったので、ローテクの方がやりやすかった。

今日8月19日、やっと最後のリアルタイム授業終了。一週間、この1科目のためにかかりっきりになった。来学期は何とか省力化しないと自分の勉強ゼロだし、主夫業にもしわ寄せ多し。

2020/08/03

橋本侃先生の聖史劇翻訳

神奈川大学外国語学部教授だった橋本侃先生が2009年2月に亡くなられたことを最近になって知った。享年67歳。あまりに早すぎた。

私の大学教師としての最初の仕事は、1985年、玉川大学の英語の非常勤講師で、博士課程の2年生の時だった。その頃、玉川大の小さな非常勤講師控え室で、神奈川大学外国語学部の橋本侃先生にお会いした。私より10才位上の世代の方で、専門はシェイクスピア。シェイクスピアに関する単著も2冊ある。私は駆け出しの新任非常勤で、元々人見知りだから、自己紹介して以後はお会いすれば挨拶するくらいで、ちゃんとお話ししたこともなかった。私は自分がつまらなさすぎる人間で話も退屈だから、他人と話をするのに気後れする。

橋本先生は、シェイクスピアが第一の研究分野だったようだが、一方で石井美樹子先生と共に、中世イギリス演劇研究会を始められ、日本における中世イギリス演劇研究が盛んだった頃の主要な学者のひとりだった。彼は『中世ウェイクフィールド劇集』(篠崎書林、1987)の6人の編者の1人(他の編者は、黒川樟枝、松田隆美、米村泰明、中道嘉彦)。

神奈川大学の紀要の中に眠っているが、橋本先生には驚くべき翻訳の業績がある。彼は、4大中世劇のうち、Nタウン劇とチェスター劇を全訳されていることを最近知った。更にタウンリー劇の最初の数作品(全体の一部を占める短い劇)も訳されている。しかし、タウンリー劇を訳されている途上で、2009年2月、病気で亡くなられたようだ。4大劇のうちの2つまで訳されたというのは素晴らしい業績。きっと書籍としての出版計画も温めておられていたことだろう。残念。

今回、授業の配付資料として、タウンリーのノアの洪水の劇を使わせていただいた。そのうち、ネットでわかる範囲内で橋本先生の業績リストを造りたいと思っている。出来れば彼の中世劇の翻訳を本として出したいくらいだが、私のような自分の著書も編著もない非常勤講師ではどうしようもない。

日本語で書籍として読めるイングランドの聖史劇の翻訳というと石井美樹子先生訳編の『イギリス中世劇集』(篠崎書林、1983)だけだと思う。これは Peter Huppé, ed. English Mystery Plays: An Selection (Penguin, 1975) というロングセラーの作品集の翻訳で、大変立派なお仕事である。これがなければ、日本のほとんどの読者はイギリスの聖史劇を読めない。但、この作品集は、4大聖史劇から聖書の物語の流れに沿って色々な劇を集めた、まさに「作品集」であって、チェスター劇とか、ヨーク劇といった単一の、所謂「サイクル」の特徴が霞む結果になっている。聖書で言うと、4つの福音書を一つにまとめて一度読めばイエス・キリストのお話がわかるようにしたのと同じ(中世ではこれをGospel Harmonyと言う)。ところが、それぞれの聖史劇には独特の個性があり、聖史劇別に読むとそれが一目瞭然なのである。その意味で、橋本先生のチェスター劇やNタウン劇を通しての翻訳は非常に貴重だ。しかし、何しろ紀要に載ったままなので、一般読者はおろか、イギリス演劇や私のような中世英文学の研究者も知らない方がほとんどだろう。せめて、チェスターやNタウンのひとつを編集したアンソロジーがあると良いのだが。

リポジトリに収録されている橋本先生訳聖史劇は、このサイトから先生のお名前を入れて検索できる。それ以外の、リポジトリ未収録の聖史劇翻訳は、神奈川大学の『人文研究』の目次を最初から見ていくと、出て来る。Nタウン劇は、昔使われていた『ルーダス=コベントリー・サイクル劇』という名前になっている。なお、168号(2009年)に橋本先生の追悼記事がいくつか掲載されていた。

橋本侃先生がシェイクスピア研究者であるにも関わらずずっと中世劇の翻訳にも当たられていたのは、おそらくシェイクスピアの理解には、その直前の、いやほぼ同時代の、聖史劇の理解が必要と思われたからだろう。聖史劇の上演は1570年代まで、そして一部ではおそらく17世紀初めまでやられていたことを考えると、聖史劇もまたチューダー朝演劇の一部なのである。Greg Walkerの編纂した Oxford Anthology of Tudor Drama (2014) には16篇の劇が収録されていて、最後の2篇はシェイクスピアだが、最初の作品はヨーク劇から "The Fall of Angels"。2作目が The Croxton Play of the Sacrament、そして4作目が Everymanこの本のdescriptionを読むとその理屈がよくわかる。シェイクスピア学者の中にも、E K Chambers, David Bevington、最近ではJanette Dillonなど、昔から、中世劇とシェイクスピアの両方を研究した人は数多い。日本の場合、学会の敷居があまりに高いように見える。研究をストップした状態の私の出来る事は何もないが、非常勤先の英文学史で学生に教えるときぐらいは、中世劇とシェイクスピア劇の連続性についても触れるようにしたい。

それにしても1980年代、中世イギリス演劇研究会が勉強会をし、また『イギリス中世・チューダー朝事典』の編纂が進んでいた頃、日本の中世イギリス演劇研究が何と豊かだったことか、今さらその時代に活躍された先生達のことを学び、驚いている。