2021/03/21

セバスティアン・ソベッキ教授のオンライン講演会を聴いて

3月18日、英国の午後6時(日本時間午前3時)より、ケント大学でAnnual Chaucer Lectureが開催された。この講演会は一般にも公開されていて、毎年著名な学者が講演している。コロナウィルスのために今年はオンラインによる開催。講師は、オランダ、フローニンゲン大学教授で国際チョーサー学会(New Chaucer Society)の学会誌、Studies in the Age of Chaucer、の編集者、セバスティアン・ソベッキ教授(Professor Sebastian Sobecki)だった。この雑誌は、学術誌の格付けを行っているScimago によると、中世英文学の分野でNo. 1の学術誌、中世文学全体でNo. 2とのことで、その編集者であることは、彼が世界の中世英文学研究をリードする学者であることを示している。今回のレクチャーは、世界中から220名以上の人々が聴いたとのこと。その中には著名な学者も多かったそうで、まるで学術論文の参考文献に並んでいる名前を見ているようだ、というコメントもTwitterであった。私はその時間に起きていると体調を崩すと思うので、諦めていたら、幸いなことに、録画がYouTubeにアップされた。残念ながら、質疑応答は入っていないが、それでも大変嬉しい。

講演タイトルは、"Inner Circles: Reading & Writing in Late Medieval London"(「インナー・サークル:中世末期ロンドンにおけるリーディングとライティング」)。チョーサーやガワーなどの写本がどのように作られ、写されて、拡散したかを、具体的な写本の画像を示しつつ、書体の特徴などから研究するご自分の研究プロジェクトの概要を語っておられる。特に最初に、Staring Pointsとして研究の基礎や大きな枠組を語っておられるが、歴史学、歴史言語学、写本研究、個別の写字生の特徴の判定などについての議論、どういう先行研究が大事かなどは、大変興味深い。

後半は具体的な写本の議論だが、写字生たちがどういう人だったか、そして彼らの間にあった"Communities of Practice"(「慣習から見たコミュニティ」というようなことか)を浮き上がらせようという姿勢、写本に疎い私にも充分面白い。中世英文学に興味のある者だけでなく、歴史学や英語史の方にも大変刺激的なプレゼンテーションだと思う。英語は、オンラインであることもあり、私にはかなり聞きとりにくかった。

最初にケントのRyan Perry博士がSobecki教授の紹介をされていたが、言われているように、まだ割合若いようにお見受けするがもの凄い業績を積み重ねておられる。特に写本に詳しくて、写本研究を使って、チョーサーやガワーについて幾つかの新発見をされている。更に近年はトラベル・ライティングのアンソロジーなど出され、その方面でも権威。また、最初のモノグラフでは文学と法制史の接点を研究しておられ、「法と文学」のテーマでも重要な学者。ロンドンの写字生の多くはウエストミンスター・ホールやギルド・ホール、大法官庁(Chancery)などで仕事をしていて、その多くは広い意味での法曹関係者である。今の日本で言うと司法書士みたいな人達にあたるだろうか。こういう人達が文学の写本を読んだり写したり、ホックリーヴみたいに自分で書いたりしている。写本の書体とか癖とか、文法や綴り字、省略の仕方などの特徴などから、今在る写本を分類し、写字生を同定する作業がこれから進んでいくと思うんが、その際、文学写本だけでなく、広く法律文書や商用文書、そしてラテン語やフランス語の写本なども使って写字生をidentifyする必要がある。多言語が使われているビジネス文書なども研究しているLaura Wright教授の名前も出ていた。そうしてロンドン写本の概要、文学受容におけるcommunities of practiceが段々と分かってくる、ということになるのだろう。

この講演、東アジアでは大変聞きづらい時間に行われたが、中国から聞いた方もいたそうだ。YouTubeに上げてくださったので、こんな素晴らしい講演が無料で、しかも自分の家で聴けて本当に良かった。

2021/03/14

オンライン授業その後

昨年のブログ(8月11日)で「オンライン授業の準備」という文章を書いた。昨年前半のコロナウィルス流行を受けて勤めている非常勤先の大学がほぼ入構禁止となり、授業も全面的にオンラインに移行したのを受けて、私も四苦八苦した様子を書いていた。あの文章では前期のことを書いたのだが、後期も大体同じ感じで進めた。但、前期にWebexというZoomに似たソフトで行ったリアルタイムでの質疑応答のための補講は自由参加としていたが、学期の終わりにはほとんど受講者がいなくなったので、後期はやらなかった。もし希望が多ければやろうとは思っていたのだが、学期始めに学生にリアルタイムの質疑応答の時間を望むかアンケートを取ったところ、ほとんどの学生が、無くて良いか、あっても多分出席しないという反応であった。

私が担当している講義は前・後期1科目の2科目だが、英文学史を扱っていて、前期は中世から17世紀のミルトンの頃まで、後期は18世紀から第2次世界大戦後の文学まで講義する。従って、後期は近代後期の文学で、デフォーやスウィフトに始まり、ディケンズやブロンテ姉妹他の19世紀の大小説家など、長編小説が多い。前期の授業から学生に沢山の資料をコピーし、スキャンしてファイルで配布していたが、後期は小説の翻訳を一部抜粋して配ることが多かった。小説は叙情詩などと違い、自分で文章を入力したり、数ページをコピーした程度ではあまり意味がない。やはり何十ページ単位で読んでもらわないと特徴が解りにくい。従って、後期は一作品について、文庫本の翻訳を50ページくらい(見開きで25枚くらい)、コピーすることが多かった。コピーした後はマージンをハサミで切り、新しい紙に糊で貼り付け、しばしば最初にイントロダクションみたいな文章も付けて、スキャナーで読み込むのだから、結構時間がかかる。他に、文学史の本の抜粋とか、歴史の本の抜粋も配るから(これらは2〜5ページ程度だが)、資料の準備だけで丸一日以上かかる週が多かった。

前期同様、学生のホームワークには個別にコメントを返し、毎週のリスポンス・シートへは、全体としてのフィードバックを書いてLMSで配布した。学生の中にはこうしたフィードバックを高く評価してくれた者もいたようだが、厳しい事も書くし、とにかく毎週何か出さないといけないので、履修者は18名だったが、途中で挫折した学生も何名もいた。特に、それまでに単位をかなり落としていたり、編入生や教職履修者だったりして、履修科目数が他の人より多い学生にとっては辛かったようだ。但、教職履修者は熱心な学生が多いので、それでも何とか最後まで続いたと思う。

私はたった1科目しかやってないが、毎週、平均すればこの科目のために20時間以上使っただろう。昔読んだ作品を思い出したり、時には講義内容を向上させるために、詩や小説などの作品自体や参考書を読んだりする時間もあるから、実際はもっと長い時間をかけている。とても現役の専任教員時代には出来なかっただろうし、非常勤でも何科目もやっていれば不可能だっただろう。この他には家事をしたり、散歩やテレビを見たりして無為な老後を過ごしている私としては、一種の打ち込める生き甲斐になっていたなと今は思う。ほとんど収入にはならないし、対面授業の場合は通勤時間がとても長いのだが、こういう仕事を与えて下さった先生にとても感謝している。

2021年度の授業が来月から始まる。非常勤先大学からは、100人単位の大人数の講義を除き、原則対面授業を行って欲しいという通知があった。従って、私も、ちょっと怖くはあるが、対面授業に戻るつもりで準備をしている。講義は音声ファイルの配布ではなく、教室で実際に私が話す事になるが、毎週ファイルで資料を配付し、学生にコメントなどを書いて提出させるというやり方は今後も続けることにした。