2012/11/13

もうひとつの映画版『カンタベリー物語』、"A Canterbury Tale" (英、1944)


"A Canterbury Tale" (英、1944)

監督:Michael Powell
脚本:Michael Powell, Emeric Pressburger
制作:Michael Powell, Emeric Pressburger
音楽:Allan Gray
撮影:Erwin Hillier
上映時間:124分

出演:
Eric Portman (Thomas Colpeper, a local magistrate)
Sheila Sim (Alison Smith, a land girl)
Dennis Price (Peter Gibbs, a British sergeant)
Sergent John Sweet (Bob Johnson, a US sergeant stationed in UK)
Charles Hawtrey (Thomas Duckett)

1949年に、アメリカ市場に合わせ、オリジナル版を大幅にカットする一方で、新しい人物を加えたりして、かなりの改変を加えたアメリカ版もリリースされているそうだ。今回私が見たのはオリジナルのイギリス版。

☆☆☆ / 5

WOWOWの番組予定に『カンタベリー物語』という映画があると妻に教えられ、良く知られたパゾリーニの異色作かと思ったら、そうじゃなかった。'The Canterbury Tales' ではなく、'A Canterbury Tale'という単数のタイトルである。しかもイギリス映画。あまり期待せず、とにかく何か参考になることがあるかもと思い、録画してもらって見てみたところ、意外に大変楽しめた。牧歌的でスローな映画で、眠くなること必定。それも含めて、のんびり楽しめるので、差し迫った用事のない休日の午後などにぴったり。

まずこのタイトルだが、映画そのものもチョーサーの『カンタベリー物語』のプロローグの朗読から始まる。中世の巡礼達がカンタベリーへの道を馬に乗ってたどっているシーンが映し出される。その上空を舞う鷹が、いつの間にか戦闘機に代わり、時が第2次世界大戦中の「今」に移る。そして登場するのが、汽車に乗った3人。英軍と米軍のsergeants、つまり軍曹、のピーターとボブ、そしてロンドンから地方に農作業などの援助に出かける女性(これをland girlと呼ぶ)のアリソン。彼らが向かっているのはカンタベリーとその手前の町、チリンガム(これは架空の町なんだが、似たような名前の町がケントにはある、チラムとかジリンガムとか)。つまり、彼らはこの映画に於ける今(1944年頃、戦時中)の巡礼者というわけだ。3人ともまずは田舎町のチリンガムに夜中に到着。

ところがチリンガムの町に着いた途端、アリソンは暗闇の中で何者かに髪の毛に糊をべったりかけられるという迷惑ないたずらに遭う。カンタベリーに直ぐに行くはずだったアメリカ人軍曹のボブは、翌日からアリソンと共に犯人捜しをしつつ、チリンガムの町を歩き回り、地元の色々な人々と知り合う。チョーサーの『カンタベリー物語』に倣った、一種の現代の巡礼譚だ。アリソンという名前は、もちろん『カンタベリー物語』の2人の有名なアリソン、「粉屋の話」の若妻と、バースの女房の名前から取られているんだろう。

1944年が発表の年であるから、当然戦時の愛国心称揚映画の面は強い。しかし、軍国主義的な勇ましいものでは全くなく、イギリスの歴史的な伝統を大事にすることで、国を愛しましょう、という極めて文化的な映画である。例えば『ヘンリー5世』とか、アーサー王伝説などと違い、そもそも、『カンタベリー物語』もチョーサーも、勇ましいところなどほとんどない。日本なら、第2次大戦中に、井原西鶴とか吉田兼好を読んで日本の文化を愛しましょう、というような感じか。米軍の軍曹ジョンがイギリス随一の文化遺産を尋ね、色々と歴史的文化を知りながら、大西洋を挟んでアメリカとイギリスの間の違いを知ると共に、2つの文化の共通点も見つけ、地元の人々と仲良くなる、という心温まる話。

しかし、ただほんわかしたエピソードばかりではなく、奇妙な味があるのもこの映画の魅力。前述のアリソンが髪の毛に糊をかけられるというエピソード。犯人の「糊男」(the glue man)という謎の人物は最後まで捕まらない(映画の観客には分かる)。奇妙なのは、男達がアリソンの髪についた糊を洗面器を持ってきて洗い流すシーン。何人もの男達がよってたかって洗面器に浸けた彼女の髪を手でごしごし洗う。セクシュアルな底流が見え見えで実に奇怪なシーンだ。

アリソン達がチリンガムの町で出会う町の名士にして治安判事のカルペッパーは、郷土の歴史に詳しい。カンタベリー郊外に駐屯している軍人達の為にケント州の歴史を教える講演会を開く。というのも、若い軍人達がこんな素晴らしい土地にいるにもかかわらず、ケントの歴史には無頓着で町の若い女性を追いかけているばかりだと嘆いているのだ。しかし、ピーターとボブの2人の軍人がカンタベリーの歴史に心から魅力を感じたようで、彼の想いはある程度叶えられる。

映画の終わりにかけて、カンタベリー大聖堂や町の様子が映し出される。カンタベリーは1942年にドイツ軍の大規模な空爆を受け、町の東側、現在のホワイトフライヤー・ショッピングセンターとなっている商業地区、を中心に大きな破壊をこうむった。大聖堂もかなり破損した。その痛々しい剥き出しの焼け跡が映し出される。このカンタベリー爆撃は42年6月1日と10月31日に行われた。最初の爆撃は歴史的都市ケルンを連合軍が爆撃したことに対する報復だと考えられているらしい。当時のカンタベリーの悲惨な焼け跡の様子は、このフォーラムに載せられている写真で見られる。ケルンにしろ、カンタベリーにしろ、それぞれの国だけでなく、多くの人命に加えて、人類全体が慈しむべき歴史遺産が、一瞬にして破壊される、それが戦争という愚かな行為だと、映像を見ながら思った。

マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーというコンビはかなり沢山の映画を作っていて、イギリス映画の好きな人々の間では定番の名前らしい。特にこの作品は、一見しただけでは分からない細かな工夫や隠された意味がありそうで、評価が高いようだ。ヒロインのランド・ガールを演じたシーラ・シムは映画、テレビ、舞台で活躍する逸材を輩出してきたアッテンボロー・ファミリーの1人、リチャード・アッテンボローの奥方。彼らの息子が、アルメイダ劇場の芸術監督、マイケル・アッテンボローである。

万人向きとは言えないにしても、カンタベリーの好きな人や、イギリス映画の好きな人には大変お勧めできる映画です。

2012/11/11

Mike Leigh, "Another Year" (邦題「家族の庭」) (英、2010)


Mike Leigh, "Another Year"
(邦題「家族の庭」)
(イギリス映画、2010)

監督・脚本:Mike Leigh
音楽:Gary Yershon
撮影:Dick Pope

出演:
Jim Broadbent (Tom)
Ruth Sheen (Gerri, Tom's wife)
Lesley Manville (Mary, Gerri's colleague)
Oliver Maltman (Joe, Tom and Ruth's son)
Peter Wight (Ken, Tom and Ruth's friend)
David Bradley (Ronnie, Tom's brother)
Martin Savage (Carl, Ronnie's son)
Karina Fernandez (Katie, Ken's girlfriend)
Imelda Staunton (Gerri's patient)
Philip Davis (Jack)

☆☆☆☆ / 5

先日WOWOWで放映されたのを録画して見た。

Mike Leighの特に劇的な事は何にも起こらない傑作。原題の'Another Year'という言葉そのもの。つまり「ある一年」というわけだ。春に始まり、冬に唐突に終わる、平凡なイギリス人達の人生の一年間を切り取ったスケッチ。中心にあって、登場人物のハブとなっているのは、TomとGerriという60歳過ぎくらいの夫婦の家庭。大変仲が良く、仕事も上手く行っているようだし、ひとり息子との関係も良好。ふたりで仲良く畑を耕すのが趣味のようで、その家庭菜園のシーンがひとつのリフレインとなって、数回出てくる。ちなみに、「家族の庭」という邦題だが、庭も出てくるが中心的イメージは「庭」ではなくこの菜園だろう。知的で、とても温厚で親切なカップルなので、悩みのある友人を放っておけない。その典型がGerriの同僚のMary。親しい友人もなく、離婚して家族もおらず、経済的にも苦しく、ワインを飲んではめそめそ泣いてばかり。突然押しかけてTomとGerriに迷惑をかけたりもする。同様なのが、アル中気味で、やはりとても孤独なKen。KenはTom夫婦のところでMaryと出会い、彼女の気を引こうとするが、Maryは似たもの同士のKenを忌み嫌って、無礼なまでにあからさまにはねつける。それぞれ、同情すべきところはあるにしても、かなり自己中心的で、自己憐憫に陥りがち。MaryはTomとGerriのところで彼らの息子Joeと出会う。自分と15歳くらいは違うであろう若いJoeに惹かれ、がむしゃらに近づこうとするMary。しかし、後にJoeがガールフレンドのKatieを連れてきてガッカリし、Katieに無礼にそっけなくふるまう様子が、あまりに分かりやすく、情けない。このMaryとKenのその後について、特に観客を納得させるような結末もないまま映画が終わるところも新鮮。

他にも印象的な人物が幾人か出てくる。映画の冒頭は、精神科医のGerriが患者のJanetに色々と質問をしているシーン。Janetは夜よく眠れないので、ただ、「睡眠薬をくれ」、とだけ言い続ける。Gerriは勿論不眠の背後にある理由を聞き出そうとするが、Janetは頑なに口を閉ざす。Janetの硬い岩のような表情が強い印象を残す。また、Tomの兄弟のRonnieが妻を病気でなくし、葬儀のシーンが出てくる。無表情で、口もほとんど開かないRonnie。長年疎遠になって居て、知らせはしたが葬儀に大幅に遅刻した息子のCarlが、かなり遅れて突然現れ、何故待っていてくれなかったのかとけんか腰の口をきく。JanetとRonnieは、プライベートな事、悩み事は口にしたがらない伝統的なイギリス人(イングランド人、というべきか)。

イギリスの映像や舞台で欠かせない、実力ある俳優が沢山出てきて、演技が素晴らしい。Janetを演じたImelda Stauntonはほんのわずかの、カメオ・アピアランスに過ぎないが、見る者を一瞬にして映画の中に引きずり込む。おそらく最も重要な役柄であるMaryを演じるLesley Manvilleは、Maryの孤独、弱さ、身勝手さを見事に表現。David Bradleyの仮面のように心を閉ざした表情も、いつもながら味わい深い。ほんのわずかだが、私の好きな脇役のPhilip Davisが出ていたのも嬉しかった。

Jim BroadbentとRuth Sheen演じる夫婦は、理想のイギリス人カップル、という感じ。私の知り合いに彼らによく似た感じの夫婦がいて、その人達のことを思い出しつつ見ていた。温厚、快活、社交的で、精神的な懐が深い。

MaryやJimのようなはた迷惑な人達も含め、不器用で、お洒落でなくて、実に愛すべきイギリス人が沢山出てきて、見る私としては、申し訳ないがとても楽しいひとときを過ごさせて貰った。繰り返し見たい傑作。この映画を見て、またイギリスに行きたくなった。個人的な満足感では満点。ただ、小品なので、星4つとした。

2012/11/10

Ian Rankin, "A Question of Blood" (Little, Brown, 2003)


Ian Rankin, "A Question of Blood" (Little, Brown, 2003)  522 pages.

☆☆☆ / 5

今まで何冊も読んでいるRankinのRebus刑事シリーズの小説をまた手に取った。ベッドタイム・リーディングなので、ゆっくりしか進まなくて、そのうちストーリーが何が何だか分からなくなってきたが、まあ楽しめた。

タイトルの『血の問題』というのは、ひとつは殺人事件の現場に残された重要な証拠となる血液を指すが、もうひとつの意味は、事件の被害者のひとりがRebusのいとこRenshawの息子だったこと。つまり血縁者が被害に遭ったわけだ。このいとこの一家とのRebusの感情的な関わりがじっくりと描かれる。

2つの事件が同時に捜査される。メインとなるのは、あるイギリス軍特殊部隊(SAS)の元兵士、Lee Herdman、が高校で銃の乱射事件を起こしたという事件。彼は高校生2人を殺害し、ひとりに怪我を負わせ、そして自分は自殺した。この元兵士が、戦場や特殊な訓練などがトラウマとなり精神的な問題を抱えていたのではないか、ということが徐々に明らかになる。彼は他の人間とのコミュニケーションに困難を感じていたようだが、唯一彼が親しくしていた人々が高校生達だった。にも関わらず、彼がその高校生達を銃撃したのは何故か。調べていくうちに、彼が付き合っていた高校生達の間にも問題があったのが分かってくる。怪我を負ったが唯一生き残った尊大な男子高校生、James Bell、も何故か詳しくは事件の事を話そうとしない。RebusはRenshawとの血縁関係を隠し、古い同僚で友人でもあるBob Hogan刑事の下で捜査に関わるが、実は被害者家族がいとこであるので、捜査をしてはいけないはずなのである。

高校生の殺害の事件が起こっていた同じ頃、Fairstoneというごろつきの死体が、火事となった自分の家で焼死体となって発見された。Fairstoneは、Rebusの長年のパートナーの刑事、Siobhan Clarke(シボン・クラーク)を職務上の事から恨みを抱いて追い回し、嫌がらせをしていた。RebusはFairstoneが焼死したその晩にFairstoneに会い、嫌がらせを辞めるようにと警告しており、更にその晩(彼自身の説明によると)、酔っ払って誤って熱湯を手にかけてしまい、火傷をしていた。警察内部でも彼に重大な嫌疑がかけられるが、勿論彼はやっておらず、自分へかけられた疑いを晴らさなければならない。

Rebus自身、かって兵士でありしかもSASに志願して特殊な訓練を受けていた。しかし、正式に採用される直前で訓練に堪えられなくなり精神的な問題を起こして不適格となっていた。そういう自身の経歴もあって、彼はHerdmanの背景を追体験するように細かく調べていく。いとこやその妻などRenshaw家の人々への感情的な関わりも加わり、ふたつの事件関係者へのRebusのパーソナルな肩入れがこの物語のひとつの魅力だ。社会から孤立していて、まともな人間関係が作れなかったHerdman、Herdmanの知り合いで露悪的行動に走る女子高生のTerri、Rebusが共感するように見える人物は社会に順応できない人達であり、それは離婚し子供とも疎遠になっており警察の中では厄介者扱いされているRebus自身の姿でもある。しかし終盤で、彼がおそらく誰よりも大事に思っているパートナーのClarke刑事が危険に晒され、いつも冷静なRebusも頭に血が上る一幕があった。家族に加えて仕事場でも疎外されているRebusも、本当に深い絆を感じているのは数人の同僚との関係なのだ。

Rankinの小説は、現代スコットランドを舞台とし、犯罪を主たる材料としつつも、伝統的なキャラクター小説。ひとりひとりの人物に付された陰影を楽しむ事が出来、オースティンとかディケンズを読む時似た面がある。クライム・ノベルにつけるには変な修飾語だが、「安心して読める」小説という感じがする。私がもっと集中して読んでおれば、更に楽しめたと思う。

2012/11/06

"Cornelius" (Finborough Theatre, 2012.08.25)


J B Priestley, "Cornelius"

Finborough Theatre公演
観劇日:2012.8.25 (Sat) 15:00-17:00 (one interval)
劇場:Finborough Theatre

演出:Sam Yates
脚本:J. B. Priestley
セット:David Woodhead
照明:Howard Hudson
作曲:Alex Baranowski
音楽・音響:Ben Price

出演:
Alan Cox (Cornelius)
Jamie Newall (Robert Murrison)
Col Farrell (Biddle)
David Ellis (Lawrence)
Annabel Topham (Miss Porrin)
Emily Barber (Judy Evison)
Lewis Hart (Eric Shefford)
Simon Rhodes (Coleman)
Andrew Fallaize (Ex-officer, Dr Shweig)
Beverley Klein (Mrs Roberts, Mrs Reade)

☆☆☆☆ / 5

8月にイギリスで数本の劇を見たが、滞在中は忙しく、帰国後も勉強や仕事、家事などで毎日バタバタしているうちにどんどん時間が経ち、劇のことをブログに書かないまま忘れてしまっている。ただ、この劇だけは、見て直ぐに手書きのメモを取っていたので、それを元に、ストーリーと印象など書いておくことにした。

第1幕では、Briggs & Murrisonというアルミを商う小さな商社の事務所の朝の様子を描く。共同経営者のひとり、Corneliusや社員3人(Biddle、Mrs Porrin、Lawrence)と1人の臨時職員 (Judy) が出社して仕事を始めている。いつもの朝と変わらぬ風景に見えるが、実は会社は倒産の瀬戸際。債権者からの電話が次々にかかってくる。Corneliusは、今北部の方へ営業の出張に出ているパートナーのMurrisonが帰社すれば、きっと良いニュースを持ってくるだろうという一点に最後の望みをかけている。また、世の中の不況の深刻さも伝わってくる(この劇の初演は1935年。大恐慌は1929-33年頃)。次々に戸別訪問の飛び込みセールスがやって来るが、追い返さざるを得ない。そうしたセールスマンのひとりは、身なりはこぎれいにしてはいるが、昨日から何も食べていなくて、その場で倒れる有様だ。

第2幕では債権者の会議が行われている。Corneliusは万事休すの状況だが、そこに共同経営者のMurrisonが営業の出張から突然戻ってくる。CorneliusはMurrisonから良い知らせを期待していたが、頼みのパートナーはそれまでのストレスに押しつぶされたかのように、正気を失っていた・・・。

第3幕 ある日の夕刻でそろそろ退社時間。この幕が始まる前に会社は既に倒産が決まり、この日は会社に社員が出勤する最後の日となっている。社員達がそれぞれCorneliusにお別れを言う。もう若くなくて引退するBiddle、新しい職場を見つけたLawrenceなど、それぞれ、気持ちの整理がついているようだが、Corneliusだけは自分の人生が会社の倒産と共に無に帰したような暗澹たる気持ちのように聞こえる。彼の脳裏には、自暴自棄な考えさえ浮かぶが・・・。

ロンドンのフリンジでも特に小さな劇場のひとつであるフィンバラだが、私は何度もここで素晴らしい劇を見てきた。今回の作品も、なかなか味わい深く、感動的だ。脚本は多くの傑作を残し、20世紀イギリス演劇を語る上で欠かせないプリーストリーによる。しかしこの作品はこれまで全く顧みらず、ロンドンでは70年ぶりの上演とのことであり、それを掘り出したフィンバラやディレクターの慧眼を賞賛したい。

設定は不況に悩む現代のイギリスや日本にぴったり。この会社、Briggs & Murrisonが資金繰りに困って倒産しようとしているだけでなく、イギリス社会全体が窮地に陥っている。セールスにやってくる失業者も、何とかして働きたいという意欲はあるのだが、ペンや紙を売り歩く以外に職がないのである。そういう訪問者の様子で映される外の社会の背景が効果的だ。登場人物の台詞が生き生きしている。色々文句を言いつつも、これからの人生に夢一杯の若い社員Lawrence。そして、年齢を重ねて人生を達観して見つつ、静かな満足感を漂わせる経理担当のBiddle。Miss PorrinのCorneliusへの思慕やJudyのボーイフレンドのことなどが最後の最後になって明らかになり、短い間に色々な小さなドラマが起こる。最後は静かな感動に包まれた。

俳優は皆個性豊かで、味わい深い演技だった。特に主演のCorneliusを演じたAlan Coxの哀愁に満ちた表情が、見てから2月以上経った今も記憶に新しい。彼は名優Brian Coxの息子。また、真面目で細かい経理担当社員を演じたCol Farrellもいかにも、という感じだった。彼はテレビドラマの脇役などでたまに目にする俳優だ。

またロンドンに行く時には是非フィンバラに行きたいと思わせる劇だった。

2012/11/05

アーサ・ミラーの『るつぼ』 (新国立劇場)


『るつぼ』 

新国立劇場公演
観劇日: 2012.11.4  14:00-17:40
劇場: 新国立劇場小劇場

演出: 宮田慶子
原作: アーサー・ミラー
翻訳: 水谷八也
美術: 長田佳代子
衣装: 加納豊美
照明: 中川隆一
音響: 長野朋美

出演:
池内博之 (プロクター)
鈴木杏 (アビゲイル)
磯部勉 (裁判官)
浅野雅博
田中利花
関時男
木村靖司
壇臣幸
チョウ・ヨンホ
佐々木愛
戸井田稔

☆☆☆ / 5

見る人によって賛否が大きく分かれているらしい「るつぼ」を見に行ってきた。Twitterの評などでは、中味がなくてあまりにスカスカ、なんていう厳しい評もあった。期待できないのではないかと覚悟していたが、やはりミラーの劇そのものが凄い劇なので私は大いに楽しめた。スタンディング・オベイションしている観客もいらした。但、非常に伝統的な感じ。役者さん達の個性もイマイチだと感じた。主役の2人を除いてはほとんど新劇の役者さんが演じていたと思う。文学座とか俳優座がセットや衣装などにお金をかけて上演出来ればこんな感じになるんじゃなかろうかという印象(但、セットはシンプルだったが)。ミラーの台本が最高だから面白くて当然だけど、新国立の今回のバーションを諸手を挙げて賞賛するとなると、それはそれで良いのか、と思わざるを得ない。同じ趣味を分かち合う劇団員と観客が自分達のために作って観ているような芝居とは違い、公金を使っての上演だからハードルが高くて然るべきだ。新劇の方は台詞ははっきり発話されていて実に良く分かるんだけど、説得力と役柄の個性に乏しい印象は、私の様な演技の分からない観客でも感じる。特にプロクターの奥さんをやった女優さんの一本調子は、意図された演技ではあろうが、朗読を聞いているようであまりに単調すぎ、面白い役柄だけに残念。逆に池内さんはパワフルではあったが、台詞は潰れて良く聞き取れない。

私みたいに俳優の演技の良し悪しとか、演出の読みの深さとか分からない観客は、ミラーの傑作を十二分に楽しめると思う。でも、演出や演技の何か新しい試みとか、深い洞察とかあるのかどうかはわからない。何か、へえー、と思うこととか、ビックリさせてくれることはなくて、おそらく脚本の雰囲気を忠実に再現したという舞台なんだろうと思う。それで充分と思う客と、国立の劇場なんだから、もっと大胆な試みがあるべきだという人で評価は大きく分かれそうだ。照明は明暗がくっきりして大変印象的。

イギリスのナショナル・シアターだと、今までと同じ事やっていたら許されなくて、何か強い個性とか演出意図を示さないと失格だから、そういう意味では、新国立は期待に添えてないかも知れない。結局、新国立劇場って、最近、新劇の俳優さんと演出家に活躍の場を提供するところになっていないだろうか。しかし、私は新劇臭さなどそれほど気にならないし、演技の質の違いも大して分からないので大いに楽しんだ。ミラーの3本の傑作は誰がやっても、上演スタイルの好き嫌いの差はあっても結構見る甲斐があると思える。

アメリカ文学史とか英米演劇史の授業でこの劇の説明があった後で学生さんが見に行くのにぴったりだと思う。私がそういう授業をやっていたら推薦したい上演だ。

(追記)今回の劇は評がかなり割れているようで、私のは甘い方かも知れない。演劇を良く知っている人の劇評を聞いたり読んだりしていると、私みたいに目が節穴の客は劇を見る資格が無い気がしてくる。しかし、入場料を払って演劇界に貢献はしているのだけれど。昔、ただボーッと素直に見ていた時と比べ、なまじっか色々考えるようになり、自分の馬鹿さ加減が分かって、あまり楽しめなくなったと思う。

2012/10/31

日仏共同国際シンポジウム「演劇と演劇性」第一日を聞いて


日仏共同国際シンポジウム「演劇と演劇性」第一日を聞いて
(10月30日、早稲田大学、小野記念講堂)

早稲田大学の日仏共同国際シンポジウム「演劇と演劇性」の1日目の講演を聞きに行った。このシンポジウムは3日間行われるが、初日は日仏の中世、および近代初期の演劇と台本について4つの講演があった。私にとっては、後半のフランス中世劇に関する講演2つ(ダルウィン・スミス先生、黒岩卓先生)が特に勉強になった。フランス語の中世演劇では残っているテキストが英語に比べ非常に多いので、相当なバラエティーがあるようだ。これまでヨーロッパ中世劇全体の概論書などでおぼろげに記憶していた事を具体的に説明して貰った。

スミス先生によると、上演洋台本や読書用台本の他にも、特に個人の役者の台詞だけを抜いた巻物(書き抜き台本)も仏語ではある。更に、演出用に劇の概略を書いた省略台本というか、「要約書」があるのは始めて知った。フランスでは俗語の劇の歴史が長いので、時期によって台本の様相もかなり変わって来る。12世紀のアダム劇では、台詞は詩として行分けがされてなくて、紙の端から端までびっしり書かれているというのは、アングロ・サクソンの詩と同じだ。但、アダムとかイブという様な役の名称はちゃんと頭文字で分かるように書いてある。

個人的には、台本と役者の接点について、もっと知りたかった。16世紀のプロの役者は台本を多分読めただろうが、それ以前、特に信心会などの素人役者達は字が読める人ばかりではないだろう。台詞をどうやって記憶したのだろうか。読み聞かせか。書き抜き台本がどのくらい普通であったのか、なかったのかも気になる。

講演の質疑応答で、ダルウィン・スミス氏は、劇の海賊版脚本の刊行に触れ、複数の人が観客に混じって(?)台詞を記憶した、という可能性を示唆していたと思う。確かに、一人では覚えきれない量の台詞も手分けしたり、何回にも分けて覚えれば可能だろう。私は良く知らないが、16世紀のイギリスでも刊行すると他の劇団が勝手に上演するから、商業劇団は刊行を嫌うのが基本だったと思う。しかし、「定本化」という点では、ジョンソンなどは刊本にすることにより、自分の書いたテキストを改変から守ろうとしたのではなかったか、と記憶している。

今日の講演は、シンポジウムの直前に、ある研究者がTwitterで紹介しておられたシェイクスピアのクオート版の成立に関するティファニー・スターンの研究にも関係があって、私にとってタイムリーだった。口から口へ、文字よりも記憶中心の伝達の時代にあって、書き写しがどのくらい使われたのか、興味深い。中世の大学の絵などでは、石版にノートを取る学生が描かれているが。また、シェイクスピア等の台本の刊行が渋られたのに対し、マイナーなインタールードの台本はかなり刊本になっている。ああいった劇は劇の商業的価値が低いので、印刷されても大して損害こうむる人が少ないためだろうか。インタールードの刊行と流布については、商業劇場での大作とは別に考える必要がありそうだ。私の勉強する分野からははずれてくるが。

黒岩先生は、アルヌール・グレバン(15世紀フランスの聖史劇作者)の写本で、完成度が高く古くもある「オリジナル」と称せられるモデルとなる写本以外に、上演に直接使われた写本は、例え未完であったり、不完全な韻律や文章であったり、遅く書かれた写本であっても、上演そのものへ近づくための重要なテキストであり、完成度の高い写本と同様、価値あるテキストだと言われていた。

それにしても、フランスの中世劇は残存するテキストの本数が多くて、羨ましい。またフランスの中世劇で作者の名前が判っている作品が多いらしいのには驚く。イングランドの場合、中世劇プロパーで作者名が判っているのは、(道徳劇を6本程度で区切った場合)いまちょっと考えてもゼロではないか。この差はどこから来るんだろう。残存する作品数の違いが主たる理由だろうが、演劇文化の違いもあるのだろうか?

能や歌舞伎の台本に関する発表(竹本幹夫先生、児玉竜一先生)もあって、私はまったく無知な分野ながら、西欧演劇と比べ色々と通じるものがあると思った。児玉隆一先生によると、日本の演劇では、能と文楽は脚本を公刊し、定本化を進め、歌舞伎、狂言は公刊しないのが常とのこと。更にその他の口承性や即興性の強い芸能(落語、漫才、にわか、等々)の台本も公刊されることはまずないのだそうだ。

全体として、中世・近代初期演劇の批評をするにしても、上演された時代の写本や刊本を良く見る必要があると、改めて実感させられたシンポジウムだった。私の力がなかなかそこまで及ばないのが残念だ。

2012/09/16

The Church of Holy Trinity, Goodramgate, York

8月、ミステリー・プレイを見にヨークに一泊二日で行きました。2度劇を見たので観光の時間はあまりありませんでしたが、その折にたまたま訪れた教会の写真です。The Church of Holy Trinity、聖霊教会です。Goodramgateという通りにあります。ヨークの中心街、観光地区のまっただ中にひっそりと立っています。ヨークには沢山 "---- gate"という通りがありますが、gateは門ではなく、古い北部方言で「通り」という意味でした。

この教会の記録は1082年からあるそうで、ノルマン・コンクエスト以降直ぐに出来た教会です。しかし、その当時の建築はほとんど残らず、今の建物は、一部12世紀、大方は15世紀だそうです。内陣(chancel)は12世紀後期の建物だそうです。

前景




次は奥の方から入り口に向けて。主に身廊(nave)部分。



入り口の方から奥に向かって。主に内陣(nave)。


ここはステンド・グラスが素晴らしいです。15世紀後半のもののようです。

上の写真の左側2枚。左上はイングランドの守護聖人のセント・ジョージ。踏みつけているのはドラゴンでしょう。


中央部分。受難のキリストと背後の父なる神。

右側。右上は、教会の係の人に聞いたら、聖クリストファーとのこと。旅人や子供の守護聖人。もとは小アジアの人らしいです。


他の窓も。ヨークは宗教改革の影響で破壊されたステンド・グラスがロンドンなどのようには多くなかったのでしょう。







2012/09/15

中世・近代初期イングランドの演劇や芸能における女性パフォーマー

以下は最近読んだ文献の覚え書きです。

中世末期のイングランドにおいて女性が演劇やその他のパフォーマンスに参加することは(多くは無いけれど)ある程度記録にあり、それに対しはっきりとした社会的差別や拒否感は見られない。しかし、16世紀に入ると社会的な拒否感が広がり、女性がパフォーマンスに参加することが段々難しくなる。そしてReformation以降は大変困難になる。但、ジェントリーなど富裕層の屋敷などでは歓迎され続ける。

読みかけたまま途中でやめてしまい、最後まで読んでない論文からですが、この論文は、 James Stokes, 'Women and Performance in Medieval and Early Modern Suffolk' Early Theatre 15.1 (2012), 27-43。これから最後まで読もう。これまでも、ミステリー・プレイなどに女性が参加したらしいという記述は断片的に読んできたが、この論文はある程度纏まってこのトピックを論じている。The Records of Early English Dramaシリーズの本を自分で徹底的に調べればかなり我々でも分かることなんだけど。この論文の註に筆者自身の論文も含め、過去の関連文献が列挙してあり、関心のある方には便利。

女性がパフォーマンスに参加することがあったという事実を踏まえると、では世俗の(教会外の)演劇で男性が女装して女性を演じる伝統はどの様にして起きたのかという問題は残る。典礼劇など、修道院の演劇にヒントを得たものだろうか。中世イングランドで女性が演劇に参加した例があまりないのは、女性参加を排除したわけではなく、女性が家庭の外の公的な社会活動に参加できるような社会ではなかったから、というやや古い本で読んだ見解があるが、納得がいく(Glynne Wickham, "The Medieval Theatre" 3rd ed (1987) pp.93-94)。例えば親方の未亡人などを除き、劇の上演母体であるギルド(職業組合)のメンバーにもなれなかったから、ミステリー・プレイに参加することも難しいだろう。

以上、ささやかなノートですが、老後に調べたいテーマのひとつ。そういうのが多すぎます(苦笑)。女性関連のテーマはシェイクスピア研究者の方など詳しいでしょうね。もっとよくご存じの方、教えて下さい。

2012/09/11

The York Mystery Plays 2012 

主催団体: York Theatre Royal, Riding Lights Theatre Company, York Museum Trust
観劇日時:
2012. 8. 17   19:30-23:00 (including a 25 min interval)
2012. 8. 18   14:30-18:00 (including a 25 min interval)

公演場所: York Museum Garden内特設野外ステージ(前回のポスト参照)

演出:Paul Burbridge, Damian Cruden
脚本:Mike Kenny
セット:Sean Cavanagh
照明:Richard G. Jones
音響:Clement Rawling
音楽:Christopher Madin
衣装:Anna Gooch

出演:
God the Father & Jesus: Ferdiand Kingsley
Satan (Lucifer): Graeme Hawley
Pilate: Tom Jackson
Herod: Rory Mulvihill
Mary: Lydia Onyett
Joseph: Rob Ainsley
Caiaphas: Michael Lightfoot
Annas: Beryl Nairn
他多数

既に「全体の印象」として触れたが、The York Mystery Plays 2012を、8月17日の夜の部と、18日の昼の部の2度見てきた。2度見たと言うと、私の指導教授はあきれ顔だったが、やはり専門にしている劇の上演なので、細かい事まで注意して見たいと思った。その成果があったかどうかは分からないが、どちらの回もかなり楽しめた。夜と昼という時間の違いにより、野外ステージならではの雰囲気の違いも味わえた。

公演場所は、ヨークの中心街にあるヨーク博物館(York Museum)の庭園。この場所は中世においてSt Mary's Abbeyという大きな修道院があったところで、博物館内にはその出土品が多数展示してあるが、それだけでなく、敷地内に修道院の巨大な壁が遺跡として残っている。その遺跡の壁が丁度背景になるように巨大な野外ステージを組んであり、素晴らしい舞台になった。特に夜の部は、遺跡の壁が照明に照らし出されて幻想的な雰囲気をかもし出し、一段と効果的だった。会場の写真は前回のポストに纏めて載せたので、そちらを見ていただきたい。

その遺跡の前に巨大な階段状になったステージ。更にその前に四角の広大なオープンスペースがあり、そのオープンスペースを三方から囲むように階段状の客席が作られている。1000席くらいあるだろうか。階段ステージの両側には、合唱隊(choir)と楽士がコスチュームを着て着席している。客席の上には張り出し屋根があるが、中央のステージエリアにはなく、雨が降れば俳優は濡れる。

観客層は見たところ、圧倒的に老人が多かったが、特にマチネではその傾向が顕著だった。また男女比では女性が多め。また、非白人はほとんど皆無で、千人程度入る劇場を目を凝らして見つめても、5人にも満たない程度と思われる。多民族社会となりつつあるイギリスとしては、これで良いのかやや疑問に感じた。

17日の夜の部では、正面の席はほぼ埋まっていたが、左右の席は半分くらい空席だった。18日のマチネは全席ほぼ満席。

では、最初から順に気づいたことをメモしておく。

第1幕(Act 1)

「天地創造、天使の創造と堕落」

特に予告するものもなく、俳優がひとり出て来てステージ・エリア手前の中央にしゃがみ込むが、これが神。ステージに絵や字を書き始める。やがて、Ego sum alpha et omega . . . .と台詞を言い始める。台詞はマイクをとおして言われている。モダン・ドレス。やがて、7つの階位の天使達(the nine orders of angels)が登場。色鮮やかなコスチュームを着て、合唱隊の歌に合わせて踊り始める。サタンを除き、皆女優のようだ。

ステージの左上に金属の塔のようなものが現れる(前回のポストに写真有り)。その先端は円形で、やがてそこから炎が出てくるので、太陽を表しているのかなと思った。

最初から神とサタンは全く同じ服(薄茶のチェスター・コートに朱色のスカーフ)を着て向き合う。サタンは大きな杯を抱えているが、これは何を表すのだろう。

ステージの一部がトラップ・ドアとして開き、煙が出てくる。サタンがその穴に落ちる。又、天使のうち、サタンに従っていた何人かが他の天使により、その穴に無理矢理投げ込まれる。ステージが所々開き、サタンや堕天使が顔を出し、苦悩の叫びを上げる。地獄のトラップ・ドアーから上半身を出したサタンや他の堕天使達は、体に縄を巻き付けられている。

竿の先に付けた大きな風船が幾つも運び込まれるが、これらは星を意味しているのだろう。

(このあたり、コンスタントに音楽と合唱が響き、音楽劇といった感じである)

木の葉で創られた様々な動物の人形(18あった)が手押し車に載せられて運び込まれる。果物が実っており、果樹園としてのエデンの園。

「人間の創造と堕罪」

アダムとイブは小学生の男女。ステージの左上に知恵の木。アダムとイブはエデンの園の果樹の間で無邪気に遊んでいる。サタンが庭師のようなエプロンをつけて出て来て、イブに近づく。まるで、悪いおじさんが無垢な子供を騙すかのようなシーン。サタンがイブを導き、脚立に乗せて知恵の木の実を取るように仕組む。このシーンでは煙が漂うが、地獄の煙が地上に達したのだろう。この時点でサタンは地獄に戻る。イブ(アダムより年長でより大きな女の子が演じる)が、小さなアダムに実を食べさせる(上級生のお姉さんに命じられたことをした下級生、という感じ)。その途端に2人はステージ下に消え失せ、代わりに大人の若人のアダムとイブが登場。つまり、性欲とか思春期というものは堕罪の結果として生まれると言う事か。アダムとイブは、子供も大人もずっと着衣している。但、この時点で、大人のアダムとイブは、裸身を恥じるかのように台詞に合わせてコートを着用。

神の命を受けた天使により、2人は地上(the middle earth)に追われる。その時、失望に沈んだ神は2人に背を向けて廃墟の壁に寄りかかっている。動物の形をした果樹が次々と運び出される(エデンの園の喪失)。9組の男女のカップルと1人の子供が登場して神の声を聞き、ひざまずく。アダムとイブの子孫だろう。その後、何十人もの人々がステージを埋め尽くす。人類が増えて地上を埋めたのだろう。この上演ではアベルの殺害のエピソードは含まれない。しかし、この時銃声が響き、1人が殺される。これはアベルの殺害を意味しているのか?

「ノアの方舟と洪水」

ノアを含めて7人の家族の登場。雨音がして、彼らはレインコートを着る。様々の形をしたかなり大きな木の箱(滑車つき)が幾つか運び込まれ、それらを組み合わせることによって方舟が出来ていく。続いて、その方舟に様々の荷物が運び込まれる。その後、お馴染みのノアの妻のエピソードがある。つまり妻が方舟に乗るのを嫌がり、ノアと喧嘩した後、息子にたずさわれて何とか方舟に乗せられる。神が船に寄りかかって、そうした様子をずっと見守っている。

洪水が来て、逃げ遅れた数十人の人々が方舟を取り囲み傘を差す。その傘が波のようになって(上手い使い方!)、傘の海の中を方舟は流されていく。方舟が流されていく様子を、神と天使達はステージの上段でじっと見守る。やがてノア達は長い棒の先にカラスを付けて(黒い洋凧のようだ)放つが戻ってこない。次に同様に棒の先につけた白い鳩を放すと、オリーブの枝を加えて戻ってくる。

水が引き、ノアの一家が方舟から下りる。溺死した子供が地面に横たわっており、ノアの息子達がその子達を抱えて出て行くのは、原作にない面白い工夫。神がステージ横に座り、一家の様子を凝視している。七色の服を纏った天使達が、洪水の後の虹のようだ。その後、楽隊と一緒に沢山の人々が出て来て、方舟の部品となっていた箱を運び出す。その群衆の中には、杖をついた(演技ではない)身体障害者も混じっている。

兵隊の姿をした人々が銃を構え戦争を始める。サタンが兵隊に何かささやいている。死体が横たわる。銃火を逃れた難民がステージを右往左往する。その中で、男達が女達と、兵隊によって分けられて連れ去られる。その後、銃声が鳴り響く。そうした兵隊の背後にサタンがじっと立って見つめている。このあたりは、人々のやや古めかしい(1930-50年代頃)衣装から、明らかに第2次世界大戦を観客に思い起こさせる。民間人の移送や殺害を見ると、ユダヤ人の迫害と強制収容所への移送を思い起こさざるを得ない。

「受胎告知(The Annunciation)」

ステージの一部が開き、その下が水槽になっていて水が溜められており、13人の女性が横一列に並んで、血に汚れた布の洗濯をしている。そのうちの一人がマリアであることが分かる。女性達の洗濯していた布がやがて真っ白になっている。

神が出て来て息子を地上へ送ると言い、天使がマリアに神の子を宿ると告げる。

歳を取ったヨセフが登場。何故自分の妻が妊娠したのかと、疑い怒るヨセフ。背景に天使達がずっと立っていて、物言わぬコーラスのよう。ヨセフはマリアを荷車に乗せてベツレヘムへ向かう。子供を含む2,30人の人々が出て来て、マリア夫婦を囲む。ベツレヘムは賑わっていて、宿が見つからない。

「キリストの誕生」

キリストの出産は、マリアがお腹のまわりに巻いた布をほどき、赤子の人形を取り出すことで示す。その頃、ヨセフは薪を取りに出かけている。

1人の天使が竿の先につけた星を運んでいき、マリアと赤子のキリストの直ぐそばに立つ

3人の羊飼いが登場。二人は女優が演じている。彼らの背後には8人の天使。羊飼いを囲んで踊り、歌う。

「ヘロデ大王と東方の三博士の来訪」

東方の三博士が登場。先端に星をつけた長い棒を持った天使が出て来て、それが博士達を導くことになっている。赤い帯状の絨毯が敷かれ、その上をヘロデ大王が歩いて登場し、スピーチ。ヘロデの側には妃がいて、台詞もある。博士達のうち2人は女優が演じている。博士とヘロデが会見。こうしたことが行われている間も、ステージの真ん中には常に赤子イエスを抱いたマリアと彼女に寄り添うヨセフが座っている。ヘロデの廷臣の一人はサタン。星を持つ天使に導かれて三博士はマリアとキリストのところへおもむく(背景にはずっと一団の天使達がいる)。

ヘロデは使者にとても厳しく当たり、ほとんど殺しそうになる。サタンはヘロデの妻を通して、大王に邪悪な入れ知恵をしているように見える。ヘロデは兵士達に嬰児虐殺の命令を下す。

天使に促されて、ヨセフとマリアはエジプトに逃れる。入れ違いにたいまつを持ち、黒いマントを着た男達が登場して赤子殺しを行う。サタンがその男達の中に立っている。赤子を抱いた16人の女性達が嘆き悲しんでいる。女性達がステージの下に(トラップドアーを通って)消えていく。しかし、ステージのトラップ・ドアーが何度も開き、赤子を抱いた女性達が泣きながら顔を出す。女達の間をヨセフの引く荷車に乗ったマリアがステージを横切る。ステージ上段では天使達が見守っている。

(ここでインターバル、夜の部の場合、インターバルの頃には、暗くなっていて、背景に照らされる聖マリア修道院の壁が美しい。)

第2幕(Act 2)

「イエスの説教と洗礼」

数十人の人々がステージを埋め尽くす。背景には依然天使達。12歳ののイエスを演じるのは中学生くらいの少年。彼が人々に話しかける。サタンがイエスの死を予言。

洗礼者ヨハネが人々を洗礼している。そこに集まった人々の中にもサタンの姿。マリアもいるが、この時点では、前半とは違う年長の女優が演じている。また、大人になったイエスが出て来てヨハネの洗礼を受ける。俳優は子供でなく、旧約聖書の部分で出て来た神を演じる俳優に代わっている。

「荒野でのイエスの試練」

サタンがスピーチ。イエスを背後から蹴飛ばす。イエスとサタンの行き詰まる対決。イエスが再びサタンを地獄に追いやる(ステージが開き、サタンが下に降りていく。)

「姦淫で捕まった女」(A Woman Taken in Adultery)

数十人の男女がひとりの女性を民衆裁判のようにして裁く。しかし、イエスの言葉で彼らはたちまち敵意を失い、退場していく。背景には天使達。

イエスを12人の使徒が囲む。イエスや他の使徒達から少し離れてユダらしき人物がいる。

「エルサレム入場」

数十人の人々が出て来てイエスを歓迎。盲目の人の目が開かれ、人々が歓声を上げる。次に足の立たなかった人が歩き始める。(群衆から少し離れて、サタンと彼の手下達が立っている。これらの手下達も悪魔か?、ダークスーツを着た女性達が演じる。)キリストの起こす奇跡をカヤパ、アンナス、彼らの兵隊達、サタンと彼の部下達が見つめる。ユダもじっと不満げに見ている。

「陰謀」

このシーンは、原作の劇と比較するととても短い。

「最後の晩餐」

イエスが13人の使徒達の足を洗っている(ユダも居る)。その後、最後の晩餐。そしてユダがサタンに導かれて退場。ここにもマリアが居る。

「イエスの逮捕」

このシーンでは何十人もの人々が後ろで見守っている。更にサタンがその後ろで見守る。

「ピラトと彼の妻、イエスの裁判」

法廷の役人(beadle)は女優。ピラトの宮廷の衛兵は紫のベレー帽。一方アンナスの手下と、カヤパの手下は、グレーか黒のベレー、と言う風に衣装で区別している(私には、どちらが、アンナスでカヤパかが分からない)。原作のヨーク劇では、兵隊の人数は4人程度で、誰の所属なのか良く分からないが、この劇では、沢山のキャストを使っているので、このような所属の区別が可能になったのだろう。

ピラトの妻にサタンが現れる。

イエスがピラトの前に連れてこられる。カヤパとアンナスがイエスを告発(この二人の区別がつかない)。サタンは兵隊の間で裁判の様子を見守っている。ユダがやって来て、貰った金を突き返す。彼はイエスに声をかけて出ていく。

イエスの拷問は、鞭で地面を叩き、その間に側に座っているイエスがうめく、と言うスタイルで、リアリティーに乏しい。子供も含む広い観客に、あまり強い刺激を与えないようにと言う配慮か。初期のミステリー・プレイの上演(1950年代)では、同様に、暴力描写を排除する配慮がされていた。

イエスを連行するのは紫色のベレーを被った男女であり、つまりピラト配下の兵士である。しかし、十字架を運び込む時の兵隊は、紫、黒、グレーの帽子を被っていて、ピラト、アンナス、カヤパの兵みなが協力して磔刑を行うことを示唆しているようだ。

多くの人々がステージを埋め尽くし、人民裁判の様相を呈す。人々が大声でイエスの処刑を要求。カヤパとアンナスが人々を先導して「処刑せよ」("Crucify")と叫ばせ、ピラトに圧力をかける。ピラトの直ぐそばにはずっとサタンが立っている。

「イエスの磔刑」

キリストの手足に釘を打ち込むシーンは子供にはかなり刺激が強かったようで、私の席のまわりにも、叫び声を上げたり、耳を押さえたりする子がいた。

ステージの左右に2本の十字架。それとは別に、イエスの十字架が客席に近い位置に立てられる。キリストは、"King of the Jews"という札を首にかけられている。彼は正面の客席に背を向けるような位置で十字架につけられる。従って、磔刑の観客に与える衝撃は席によって大きく違うと思う。私の場合、2日目に見た時にはキリストの顔が見える位置で、より大きな説得力を感じた。4人の兵士がキリストのマントを籤で取り合う。これらの兵隊は紫のベレーを被っている(ピラトの兵)。キリストは泣きながら十字架の上にいる。マリアが十字架のキリストに向き合って立ち、息子に語りかける(以前に出て来た、イエスを生んだ頃のマリアとは別の女優。もっと年齢が上)。マリアを多くの観客に見て欲しいという意図がうかがえる演出。キリストの最後の叫びは、全力の叫びで、とても感情的なキリストの死の描き方だ。

2人の兵隊がペンキの入ったバケツと刷毛の付いた長い棒を持ってキリストに近づき、屍の手首と脇腹に赤い印(つまり傷)をつける。兵隊が2人の泥棒の遺骸を降ろす。一方、8人ぐらいの信奉者が(ニコデモやアリマタヤのヨセフなどであろう)、梯子や脚立を十字架に立てかけてイエスの遺骸を降ろす。

ステージ上方の階段部分の一部が開き、彼の墓所となる。そこに遺骸が入れられる。

「地獄の解放」

このシーンはとてもドラマチックだ。数十人の人々がステージに現れ、長い鉄棒を持って地獄の牢獄に閉じ込められた人間の魂を表現する。イエスがやってきて、サタンと対話。天使が降りてきて悪魔達を捕まえると、人間の魂は解放される。牢獄の格子を表していた鉄の棒が大きな音を立てて一気に地面に倒される。悪魔は地下へ降りていく。魂達は階段ステージを上っていって、背景の後ろに消える。その後イエスは墓所に戻る。

百人隊長(the Centurion)がピラトの前に現れて、彼は間違ったことをしたと言う(夜の部では、このあたりでかなり雨が降り始めた)。この場面では、ピラト、ピラトの妻、カヤパ、アンナス、そしてそれぞれの部下である大勢の兵士達が出ている。

「キリストの昇天」

キリストはステージ上方の段を上がって行く。ここで、左側に立っている円形の塔に火がともる。キリストが上段に登り詰めたところで最後の審判の場面に変わる。

「最後の審判」

ここでは多くの人々が出るのではなく、善人1人、悪人1人で人類を代表させ、神が彼ら2人に話しかける。しかしその後、ステージ全体を人々が埋め尽くす。そしてフィナーレ、カーテンコールへと移る。このシーンでは、人類全てが裁判にかけられ、その多くは地獄に堕ちて2度と上がってこられないという元来の厳しいメッセージは薄められてしまい、何だがハッピーエンドになってしまっており、物足りない。

(全体を通しての感想)

ミステリー・プレイの上演が多くなった。私も、近年では、去年の8月にロンドンのグローブ座でミステリー・プレイを、そして一昨年2010年にはヨークの街頭で行われたワゴン形式の劇を見ている。グローブ座のミステリーは、良く知られたTony Harrisonの台本を元に、今回の上演のように全体を一本の劇にまとめたものだったが、今回のものよりももう少し短く、ダイジェスト版という印象をぬぐえなかった。今回のものも、物足りないエピソードもあるが、全体がスムーズに一本の作品に纏められていて、駆け足すぎて物足りないという印象はほとんどない。全体が、神(キリスト)とサタン、善と悪、の二極のせめぎ合いという、一貫したメッセージで統一されており、この2人のキャラクターが常にステージのどこかに居たと言っても良く、そうしたドラマとしての統一性が、散漫になるのを防いでいた。

もちろん、十字架状のキリストなど、モノローグで観客を引きつける聴かせどころもあるが、主としては群像劇。数十人のアンサンブルを自在に操り、視覚と聴覚(歌と音楽)に訴える手法が効果的であり、コミュニティー・ドラマとしての長所を充分に発揮した。可愛らしい小学生達、お年寄り達、杖をついた障害者、演劇好きの若者達、そうした色々な老若男女を巻き込んで、ヨーク市の市民達が手作りしたという感覚が自然に伝わってきた。素人の役者の一生懸命さ、素直な表情が、この劇に限っては、グローブ座で見たようなプロの役者の演技を凌駕した。1951年以降ヨーク市で繰り返し上演されてきたこのヨーク・ミステリー・プレイは、時として、殊更に民衆的にすること、ワーキング・クラスの演劇であることが強調されることもあったようだ。しかし、今回はそのようなことはなく、市民を多く巻き込んで、ごく自然に市民の劇となっている。

コスチュームは現代服だが、1930〜50年代の服であり、また、ナチスを思わせる軍服など、20世紀中頃の、この世界の動乱の跡を色濃く映し出している。戦場を逃げ惑う難民、子供や市民の虐殺、そして勇気ある指導者キリストの裁判と処刑、こうした事件は特定の歴史的事件に機械的に当てはめることは出来ないが、大きくは最近の歴史において我々がたどってきた道を追っていると言えるだろう。

コーラスと生演奏、そして特に夜の公演において廃墟の壁を照らす印象的な照明、天使の七色の衣装、等々、目と耳に訴える点で素晴らしい。台詞はマイクを通じてであるが、これは大きな野外劇場なので仕方ないだろう。更に背景にそびえ立つ巨大な聖マリア修道院の廃墟の壁がどんな立派なセットよりも印象的だった。音楽や視覚効果の重視、群衆劇であり、最近の歴史を踏まえた分かりやすいスペクタクルというような点で、『レ・ミゼラブル』のような大衆的ミュージカルとの共通性が大きいと感じた。

こうして書いてきたように、私はこの上演に何も文句を付けることはない。しかしその上で、私としてはなおも2010年に見たようなワゴン形式の上演のほうが、原作のテキストの特徴を良く伝えていて、好みではある。また、今回の上演のように、どのエピソードでも神とサタン、善と悪の争いを強調するのは、ヨーク・サイクルの原作からは大分外れていると言えないだろうか。中世のヨーク劇上演同様に、色々な団体がそれぞれのパジェントを独立して上演する場合、バラエティーがあって飽きない。その一方で、統一性に欠けるために起こる弊害も幾つかある。特に、キリストやピラト、マリアなど、複数のパジェントで繰り返し登場する重要なキャラクターを別々の俳優がやるとかなり違和感がある。同じ受難シーンの間にキリストが若返ったり年とったり、ひげがあったり無かったりすることになる。今回の上演では、一本の劇に書き直すことで、パジェントのバラエティーの面白さが無くなる代わりに、そうしたばらつきから生じる違和感は解消された。更にそれだけでなく、創世記やノアの洪水における旧約聖書の父なる神と、受難劇のキリストをFerdiand Kingsley(1988年生まれ)という24歳くらいの比較的若い同一の俳優が演じることで、「人間でもある神」のイメージが全体を通して一貫して感じられたのは大きな特徴だろう。(なお、この俳優は名優Ben Kingsleyの息子である。)この統一感は、サタンについても顕著。ワゴン形式で見ると、色々なところで見る悪魔は、ひとつの存在とは意識しにくいし、そもそも、ひとつの悪魔であるか疑問でもある。創世記で他の堕天使を率いて地獄に堕ちるのはヨーク劇の原作ではルシファーであるが、ピラトの妻の夢に現れるのはそうか?テキストでは"Diabolus" としか指定されていないようだ。「地獄の解放」の原作テキストではサタンとかベルゼブブといった悪魔が出てくるが、ルシファーは指定されていない。そして「最後の審判」では、再び"Diabolus I, II, III"と指定されるのみ。これら、統一のない悪魔のリーダーを、一貫してサタンとし、Graeme Hawleyという同じ俳優が演じることで、悪の根源としてのサタン、人でもある神の対立者として人間を誘惑し続けるサタンとしてのキャラクターがはっきりしている。このようにテキストを離れて単純化する事の是非には議論があろうが、分かりやすく、印象的な悪の具体化となっている。

ともあれ、満ち足りた気持ちで劇場を後にした2日間だった。一緒に見た他の観客達の表情も満足感に満ちていたと思う。

York Mystery Plays 2012:野外劇場の様子

今年8月17〜18日にヨークで見てきたミステリー・プレイの劇場の写真です。今回は街頭での上演ではありませんので、上映中の撮影は当然ながら出来ません。劇の始まる前とインターミッションの間に撮影しました。ほとんどは説明不要の写真です。最初の日、17日は夜の部でした。開演前の様子:



舞台の両袖には合唱隊と楽士達が陣取ります。彼らも俳優に合わせたコスチュームを着けています:


この金属の塔のようなものが天地創造の場面で舞台の左に出て来ます。先端は球の形で、そこから炎の出ることがあり、太陽を表すのかなと思います:


次はインターミッションの間に取った写真。 背景の廃墟の壁が美しい。



これ以降は18日の昼間の写真。18日はマチネを見ました。この葉っぱで出来た動物のような人形が沢山エデンの園に置かれます:


建物はヨーク博物館です。手前のテントが劇場の入り口:



2012/08/19

ヨーク・ミステリー・プレイ:全体の印象(2012.8.17 & 18)

"York Mystery Plays 2012"

2012. 8. 17   19:30-23:00 (including a 25 min interval)
2012. 8. 18   14:30-18:00 (including a 25 min interval)

York Museum Gardens


8月17日の夜の部と、18日のマチネのヨーク・ミステリー・プレイを見に、1泊でヨークに出かけた。沢山ノートを取ったので、時間があればまた詳しく書きたいと思うが、とりあえずは全体の印象をメモしておきたい。

2010年夏にもヨーク・ミステリー・プレイをヨークの街頭で見ているが(そのときの記録はこちら)、その時はワゴン上の上演。今回はヨーク・ミュージアムの庭に設けられた特設の野外ステージでの上演。多くの細かな劇を約3時間強のひとつの劇にまとめた脚本による上演。したがって、テキストへの忠実さには欠けるが、一貫性があり、非常にドラマチックな作品に仕上がっていた。観客席は1000席くらいあっただろうか。背景は聖マリア修道院の廃墟の壁であり、非常に美しい。特に夜の部では、廃墟の壁がライトに照らし出されて、実に壮麗な雰囲気をかもし出した。野外で、しかもステージも大きいので、声はマイクで拾っていた。

コスチュームは現代服(但し、Tシャツとかジーンズなどポップなものは無くて、やや古めかしく、戦前の庶民のスタンダードな服と言う印象を受けた)。善と悪、キリストとルシファーの対立を、劇の全体を通じて強調した上演だった。台詞のないシーンでも、この2人を演じる俳優がほとんど背景に居て、演技する人々を見守ったり、誰かにこっそりと耳打ちをしていて、人類の様々な善悪の行為の背後には、常に神かルシファーが居ることを観客に知らせていた。ワゴン形式での上演がそれぞれの短い劇のバラエティーで楽しませてくれるのに対し、こちらは統一された人類史のビジョンを示した。

磔刑のシーンは比較的短く、また原作に比べてそれほど残酷さを強調していなかったが、それでも子供達の中には、悲鳴を上げたり、耳をふさいだりする子もいた。キリストの演技は、非常に感情に訴える、エモーショナルなもので、観客の感動をかきたてた。こういう劇のインパクトはテキストではなかなか想像できず、見てみないと分からないと実感。

30人くらいの人がステージを埋め尽くすような群集シーンがとても多い。キリストの裁判のシーンも、一種の民衆裁判であり、キリストを死に追いやるのは民衆の声だということがはっきり分かる。最後の審判の後は、すべての演技者(50人くらいか)がステージを埋め尽くして神の声を聞き、そして、翻って観客に向き合って私たちを見つめて、全体の劇が終わる。キリストを死に追いやり、そして彼の再生に立会い、更にやがて最後の審判を受けるのも、私たち観客自身である、と言うかのようだ。オーバーマガウの受難劇もそうらしいが、コミュニティーの老若男女の人々が沢山参加していることが実感された。観客と劇を演じるコミュニティーの人々が一体となり、今の我々の生き方を直接問いかける、普遍的な広がりのあるドラマとなったと思う。

イギリスに来ると、ニュースを見ても、新聞を読んでも、人権とか、広い意味でのモラルに関することが日本よりずっと多いと感じる。ナショナル・シアターなどでの現代劇で取り上げられるテーマも同様だ。ヨーク・ミステリー・プレイで表現された善と悪、神とルシファーの対立は、キリスト教徒であるかないかに関わらず、多くのイギリス人の心理の琴線に触れるものかもしれないと思いつつ見た。

ヨーク・ミステリー・プレイのテキストを読み、学んでいる者として、強いて言えば、原作に忠実なワゴン・プレイ方式のほうが好みではあるが、今回のような上演も是非見たいと思っていたので、この夏見られて大変幸せだったし、素晴らしい上演だったと思う。

2012/07/20

学部の指導教授を思い出す季節

この季節になると学部時代の卒論の指導教授で、亡くなられたN先生を思い出す。卒業後はいつも真夏に会いに行っていたから、夏が来ると先生を思い出すようになった。暑い日は日に何度も行水します、と言われていた。E M フォースターとアイルランドの小説家ジョージ・ムーアの専門家だった。とても心優しい先生だったが、コミュニケーションが下手で、学内でも変わり者と言う事になっていたと思う。授業は、失礼ながら退屈だった気がする。小説も書き、退職されてからもずっと創作を続けて、同人誌になどに発表されていたようだ。

先生は数年会わないうちに施設に入られ、亡くなられていた。成年後見人に指定された弁護士さんが私の年賀状を見て知らせて下さった。私がもの凄く忙しかった頃とは言え、申し訳なく、大変後悔が残る。自宅に度々お邪魔しただけでなく、チケットの高価な演劇に招待して下さるなど、ご夫婦でとても親切にしていただいたのに。

学問上は大学院やイギリスで教わった先生方の影響が大きいが、学部の先生方に受けた影響は、知識では測れない大きさ。N先生は、真面目で、内向的で、人付き会いが下手。二人で座っていても、話題を見つけるのに一苦労だった。大学では変人扱いされていたようで、同僚だった先生から、「変わった方」という評をうかがったが、私には本当に親切な先生で、話は面白くないけど、内面の優しさが自然とにじみ出る方だった。考えてみると、恩師でも同僚でも、N先生のような極めて不器用な方には一度も裏切られたという記憶がない。N先生はいつも驚くほど変わらなかった。今考えると私は不器用なところだけは先生にかなり似ている。学会ではおそらくほとんど無名だったと思うが、それでも、ちゃんと単著で研究書を2冊書かれているところは、私よりずっと偉い。

奥様に先立たれ、お子さんも早く亡くされたので、今は彼の事を思い出す人は少ないかも知れない。でも私にとっては大変大きな想い出を残して下さった。夏が来ると、しきりに汗を拭いていた彼の姿がなつかしい。

2012/07/16

ハロルド・ピンター『温室』(新国立劇場、2012.7.15)

『温室』(The Hothouse) 
新国立劇場公演
観劇日: 2012.7.15   13:00-14:50 (no interval)
劇場: 新国立劇場小劇場(The Pit)

演出: 深津篤史
原作: ハロルド・ピンター (Harold Pinter)
美術: 池田ともゆき
衣装: 半田悦子
照明: 小笠原純
音響: 上田好生

出演:
ルート(所長):段田安則
ギブズ(専門職員):高橋一生
ラム(職員):橋本淳
ミス・カッツ(職員):小島聖
ラッシュ(職員):山中崇
タブ: 原金太郎
ロブ(前所長):半海一晃

☆☆☆☆/ 5

チラシやパンフレットにある紹介文から:

「病院と思われる国営収容施設。クリスマス。患者「6457号」が死に、「6459号」が出産したという、部下ギブスからの報告に、驚き怒る施設の最高責任者のルートは、秩序が何よりも重要だと主張し、妊娠させた犯人を捜し出せと命令するが、事態は奇妙な方向へと動き出していく・・・・。」

ハロルド・ピンター、有名な作家でありながら、私はDonmarで一度だけ見たのみ。それも"Moonlight"というそれ程有名ではない作品。"Homecoming"とか、"Birthday Party"という様な文学史の本に載るような作品は読んだことはあっても見ていない(中味は忘れた・・・)。それで今回これを見られたのは幸運だった。とは言ってもお金の無い私は、最近劇の切符は諦めているので、自分で買った切符ではない。この切符は妻が使うはずだったのであるが、彼女が急な日曜出勤で行けなくなり、私がピンチヒッターで譲り受けたのでした!ありがとう、と言うべきか、お気の毒、というべきか・・・。

パンフレットの大笹吉雄さんの解説によると、ピンターがこの劇を書き終えたのは1958年。但その時は彼自身、気に入らず、初演は1980年になってからとのことだ。オズボーンの『怒りを込めてふり返れ』が1956年。ウェスカーの『大麦入りのチキンスープ』が1958年。そういうイギリス演劇が地殻変動した時代に書かれた作品。また1956年にはハンガリー動乱が起こり、西欧知識人にとって、ソビエト連邦の非人間的な全体主義体制が明白になっていたはず。(一時代前の?)精神病院の恐ろしさも感じさせる。Ken Keseyの'One Flew Over the Cuckoo's Nest' (1962)とこの作品は直接関係は無いだろうが、思い出させた。しかし、私にはそうした作品以上に、オーウェルの『1984』(1949)と、カフカの『審判』を連想させた。

舞台は、小劇場の真ん中にステージを置き、両側から観客席で挟むようなデザイン。ステージは回り舞台となっていて、時にはゆっくりと、しかし時には急速に、常時回転し続けている。劇場中ほとんど黒一色で、ただ机、椅子、ソファーなどが真っ赤。印象的な舞台ではある。しかし、常時動き続ける舞台のおかげで台詞への集中を妨げられたという人もいるだろう。どういう意図なのか、私には分からない。但、回っている部分は、縁取りはないが円形なので、観客がぐるっと舞台を囲んではいないが、半ば円形劇場とも言える。黒と赤の2色にそぎ落とされた抽象的なステージと相まって、中世劇的な雰囲気が自然と浮き上がった。

イギリス演劇は、作者が意図するしないに関わらず、近現代演劇でも、中世の寓意的なモラリティー・プレイの世界を感じさせる作品が多い。前述の、ピンターの"Moonlight"もかなりそうだった。中世劇風に、ルートは暴君 (Tyrant)、ミス・カッツは色欲、ラッシュは道化、ギブスは廷臣、と、適当に当てはめられるかもしれない。もちろん、そう簡単にぴったりした寓意とか役割が当てはめられる訳はない。むしろ、寓意が良く分からず、キャラクターの意味がスライドしていき、はっきりしないところが、高度に中世的と言えるかも知れない。丁度、『農夫ビアズ』のように。

最初、所長のルートが物忘れがひどく、おかしな事を言う一方で、ギブスがしつこい程もっともらしく丁寧なので、これはてっきりルートが狂人で、ギブスは助手を演じてはいるが実はルートの主治医だろうと思ったが、その後の展開はそうでもなかった・・・・。なるほど!と思わせてくれるほど分かりやすい劇ではなかった。

ラムに与えられる電気ショック。当時の(そして今も?)精神医療の暗黒部分を表していて恐ろしい。『1984』もそうだし、『時計仕掛けのオレンジ』、『カッコーの巣の上で』など、戦後、60年代初めくらいまで、外科的な精神医療に関連した文学作品、かなりありそうだ。テネシー・ウィリアムズの姉もこうした治療で廃人同然にされたと言われている。

ただ、ルートは勿論だが、登場する誰もかれも矮小で、小人物で、自己中心的で、事なかれ主義のようではある。そうした小さな人々が集まると、保身や組織防衛(秩序優先)の為に、とんでもない冷酷な結果を生むような状況を作り上げる。今大変な事件になっている大津の虐めや恐喝による中学生の自殺とか、フクシマ原発に関する電力会社や日本の政界のこととか、この劇を見ながら思わずにいられなかった。今の日本は、かなり『1984』だ。この作品の中世劇的な面は、即ち、時空を超える点でもあり、従って、日本人としての私は今の日本の事がつい思い出されるのも自然なんだろう。

ピンターは、ウエストエンドの劇場にハロルド・ピンター劇場という名前の劇場まで出来、取っつきにくい内容にも関わらず、イギリスではかなり人気がある。抑えた表現の裏に潜む暴力と極度の緊張感、そしてそれらの合間に顔を出す絶妙のユーモアがイギリスのインテリを引きつけるようだ。ただ彼は一方ではっきりした左翼で、保守党政権やアメリカのイラク、アフガニスタン侵攻を繰り返し厳しく非難していて、ピンター作品の好きな人でも彼の政治的主張に賛成できない人は多かっただろう。今回見た『温室』は彼のそうした政治的な面がかなりはっきり感じられる作品だと思った。政治を抜きにしてピンターは理解出来ないんだろうね。

俳優さん達は皆上手で申し分ない。特に高橋一生のいやらしいギブズが強い印象を残した。出ている俳優さん達、こういう劇をやれて幸せだな。役者が自分で色々と考えないと演じられない劇だ。きっと俳優として成長するに違いない。段田さんは、今以上成長しようがないかもしれないけど(^_^)。

National Theatre でもIan Rickson演出で2007年に公演したらしい。その時の予告編が今でもYou-tubeで見られる。

2012/07/11

Inspector Rebusシリーズのクライム・ノベル、Ian Rankin, "The Falls"

Ian Rankin, "The Falls"
(2000; Minotaur Books, 2010) 467  pages.

☆☆☆ / 5

毎日寝る前、眠くなるまで数ページ、いや2、3ページの夜も多かったか、その位ゆっくり読んでいたので、もういつ読み始めたのかも思い出せないくらいだが、最後は結構息詰まる展開もあり、読み終わってみるとかなり面白かった。但、途中はかなりスローな展開というか、停滞した感じというか、読むのがとても遅い私には細かい字で467ページというミステリは長すぎ。

Rankinの刑事、John Rebusは、連合王国の刑事物の主人公としては、Ruth RendellのInspector Wexford、P. D. JamesのChief Inspector Adam Dalglieshと並ぶ、最も有名な刑事のひとりではないだろうか。この小説も、いつもながらの手練れの技で、Rankinを幾つか読んでいる人を失望させない。今回の事件は、金持ちの銀行家の一家、Balfour家の娘、Philippaの失踪で始まる。手がかりは乏しく、唯一奇妙な遺留品としては、小さなミニチュアの棺が現場近くで発見されたこと。ところが過去の未解決失踪事件や殺人事件でも同様の玩具のような棺が発見されていたことが分かり、Rebusは連続殺人事件ではないかとの疑いを抱く。もうひとつの手がかりは、Philippaのパソコンに送られていたQuizmasterという匿名の人物からのメール。このメールを追っていくとPhilippaは失踪する前にこのQuizmasterが作り上げたゲームに参加していたことが分かる。棺はRebusが、そしてQuizmasterのゲームはJohnの変わらぬ相棒、Siobhan Clarke刑事が追いかける。QuizmasterはPhilippaの失踪後も謎のメールを送り続け、ゲームのキーを与えて警察を挑発する。Siobhanは段々このゲームに深入りしていき、寝ても覚めてもゲームのことが頭から離れなくなってしまう。一方、Rebusは棺の由来を調べるためにスコットランド博物館の学芸員のJean Burchill博士の意見を聞くが、その縁で彼女と親しくなる。

この小説、警察関係者以外にあまり印象的な人物がいないのがやや不満と言えば言えるだろうか。Balfour家やその周辺の人々に、仮に悪役であってもあまり深みある個性が感じられない。しかし、警察内部の人間関係がかなり良く書き込まれていて、その点には興味を引かれた。特に上役のGill Templer、キャリア指向の強いEllen Wylie、そしてRebus的な一匹狼の生き方と、警察内での出世を目ざすTemplerやWylieのような生き方の間で迷うSiobhanの姿が面白い。

後に余韻が残る小説ではないが、読んでいる間はかなり楽しんだ。色々とエジンバラの地名が出て来るが、John Rebusシリーズを読んでからエジンバラを旅すると楽しいだろうな。

2012/07/06

近代初期イングランドの貧しい学生:リンカンシャーのウィリアム・グリーンの場合

中世末期の聖職者以外の人々の識字について幾らか調べていて、Jo Ann Hoeppner Moranの労作、The Growth of English Schooling 1340-1548: Learning, Literacy, and Laicization in Pre-Reformation York Diocese (Princeton UP, 1985)の第4章、"Literacy and Laicization of Education"を図書館で複写してきて、読んでいる。興味深い資料やエピソード満載で、大変参考になる。その中でも特に印象に残ったエピソードとして、リンカンシャーのウィリアム・グリーンという貧乏な学生に関する記述がある (p. 176)。

このウィリアムは1521年のノリッジ市の記録に登場する。彼はイングランド東部リンカンシャーのWantletという村(?検索しても出てこない地名)の出身。父親は労働者 ("a labouring man"とある)。村の学校で2年間 "grammar"、つまりラテン語を学んだ後、父と5, 6年働く。"sometyme in husbondry and other wiles [while] with longe sawe"(時には農業、他の時には長いのこぎりを使って)とあるので、農業、そして大工か林業などに従事していたのだろう。仕事がひとつではない事から見て、土地持ちの小農民ではなく、農業労働者だろう。その後彼は、リンカンシャーの古い町ボストン(注1)の叔母 (aunt) のところに住んで、働きながら学校に通う。ボストンで彼は聖アウグスティヌス修道会のひとりの会士から"benet and accolet"を授与されたとある(注2)。これは下級聖職者の位であり、おそらくチョーサーの「粉屋の話」に出てくるアブサロンのような仕事だろう。これ以上、何も書かれていないが、それで安定して生活出来るようなものではなかったのだろう。教会の雑用をやるアルバイト僧のような生活ではなかったのかと想像する。その後彼はボストンの商人の家に6ヶ月住む。おそらく、住み込みの事務職員として商用文書等の作成をやったのではないだろうか。しかし彼は勉学への欲求を諦めきれないタイプの人だったのであろう。その後、彼はついに大学進学の為にケンブリッジに移住する。そこで彼はエール(ビールの一種)を運んだり、サフロンを摘んだりといった肉体労働をしつつ大学に通う。食事は学寮で他人の慈善 ("of alms") に頼っていたらしい。その後、彼は教会の定職を求めてローマにはるばる出かけているが、彼の願いは叶わなかったようだ。ケンブリッジに戻った後は、彼の教育を修了する為に(おそらく学士号を得るためか)1年間の学資(注3)の寄付を集める為の許可書を与えられた。しかし実際に集まったのは8ヶ月分の学資だけだった。

他の学資寄付者も見つからず、しかし父親のような肉体労働に戻ることも望まず、万策尽きた彼は更に学費出資者を募集する為の新たな許可書や叙階(聖職就任)に必要な書類を偽造 (counterfeit) したようで、それ故、冒頭に記した様にノリッジ市の記録に名前が残ることになった。市の裁判所 (a borough court) などで告発されたのであろうか。

様々の手段を模索し、奨学金を捜し、不安定な仕事を転々としながら学問を続けようと努力し続けたウィリアム—現代の多くの若き研究者、特に人文科学研究者、と重なるところもある。大変勉強熱心だが就職先が決まってないチョーサー描くオックスフォードの神学生も思い出させる。一方、中世が終わり近代に移り変わる頃、下層階級の農民の息子が学校教育を受け、やがてケンブリッジ大学にまで進学した事にこの時代の変化を感じさせる。

(注1) 中世のボストンは所謂"city"として王室から特許状を与えられた町ではないが、中世後半には貿易港としてかなり栄えた町だった。ここには現在Boston Grammar Schoolという歴史ある中等学校があるが、これは16世紀のカトリック女王メアリー1世が設立したそうである。しかし、その前身となる学校は既に14世紀からあったらしいので、ウィリアムはそうした学校で学んだのだろう。

(注2) "benet" をOxford English Dictionaryで引いてみると、"The third of the four lesser orders in the Roman Catholic Church, one of whose functions was the exorcizing of evil spirits"と定義されているので、"exorcist"の別名で、祓魔師(ふつまし)を指すと思われる。これは下級聖職者 (minor orders / lesser orders) の位のひとつ。"accolet"は古い綴りで、"acolyte"(侍祭)というやはり下級聖職者の位のひとつ。後者は時々目にする語で、司祭の助手としてミサの手助けをしたり、その他教会の色々な雑事を受け持つ。前者は洗礼を受ける者のために、洗礼の前に悪魔払いをしてあげる仕事のようだが、その他には何をしたのか、私はよく分かっていない。フルタイムで働き、生計を立てられるような仕事なんだろうか。そもそもminor ordersの人達の仕事や生活の実態など、まったく分かっていない。詳しい方がいらしたら、コメント欄で教えて下さい。その他、私の間違いの訂正などありましたら、是非お知らせ下さい。

(注3) Moranが書いているのは、"he obtained a license to collect subscriptions for one year towards completing his education"。自分の教育の出資者を求めて寄付を募ったのではないかと想像しているが具体的には良く分からない。

なお、Moranはこの情報を次の学術誌から取ったそうである:Norfolk Archaeology 4 (1885): appendix, pp. 342-44.

2012/06/30

「ヤマトタケル」(新橋演舞場)

6月29日金曜夜は市川猿之助、市川中車襲名披露公演「ヤマトタケル」で新橋演舞場へ出かけた。高い! とても贅沢な切符、しかも千秋楽。切り詰めて生活せざるを得ない今の私にはとても買えない切符だが、本当は妻が行くはずだった。ところが直前になって彼女に仕事が入って行けないことになり、歌舞伎に興味のない私が行く羽目に。もったいないこと極まりない。妻は悔しがることしきり。

私は歌舞伎は数えるほどしか見たことが無く、スーパー歌舞伎は始めてだったけど、絢爛豪華さに土肝を抜かれた。紅白歌合戦の小林幸子の出番をずっと見ているような、と言ったら叱られるだろうか。でもはじめて見た私にはそんな風に見えた。特に最後の宙乗りのところなんかそう。それから、蝦夷征伐に行く途中で火事にあって、それをタケルが静めるところ。赤い布や旗の使い方、そしてアクロバティックな宙返りの連続が凄い。そうした演出にひけを取らない新猿之助の動きのキレの良さ。スポーツ選手ならいざ知らず、役者としては超人的な体力だと感心。海で船がしけに襲われて難破しそうになるところも、日頃、イギリスの舞台や日本での翻訳劇などしか見ていない私には、歌舞伎の布の使い方が実に印象的だった。また、九州での争いの場面のカラフルさもまさにカーニヴァル的で、祝祭的な雰囲気が抜群に乗りが良い。

一方でアクションが止まり、台詞中心の場面になると、安手のセンチメンタリズム満開で、茶の間でリモコンを持っているなら早送りしたいが、なんて思いつつ見ていた。センチメンタリズムは歌舞伎だってそうだし、私の好みはともかくとして、そういうものとして受け入れるしかない。しかし、脚本は梅原猛だそうだが、あの女性の描き方。つまんないねえ。あまりにも古色蒼然としている。古代の女性の描き方だったら、もっと想像力を働かせて、破天荒な格好いいヒロインを想像出来ただろうに。結局、前の猿之助、つまり今の猿翁をひたすら目立たせる為の劇でなくちゃならないんだろう。

終わった時には、私は例によって体調が悪いのを我慢しつつ見ていたので、やれやれ早く帰ろう、と思ったら、それから延々とカーテンコール。そりゃそうだ、千秋楽だから。でも猿翁、猿之助、中車一門のファンでもない私にはかなりの違和感を感じた。それでもまわりの人が皆立ったので、やむを得ずスタンディング・オベーション(苦笑)。緞帳が一旦下りた後またあがると、猿翁が普通の服を着て出て来た。何だか観客を上から目線で睨みつけて、どうだ凄いだろ、と言わんばかり。それまでとても感心して、良い気持ちで見ていたのに、一挙に興ざめの気分になった。ファンには嬉しい猿翁の登場なんだろうけど、私は、こういうお目出度い時には行っちゃいけない客だ。でもありがたいことに妻に高価なチケットを譲って貰ってスーパー歌舞伎を見させてもらい、良い経験になった。

2012/06/28

中世の"shop"にまつわる疑問

前回のポストに書いたように、先日出かけた学会で、中世ロンドンの商工業者の職業別組合、即ち「ギルド」に関するポスター発表を聞いた。その発表者の方に質問した時に名刺をいただいたので、メールを送り、更に質問やコメントをお送りした。その方からご丁寧な返事もいただき、中世の都市における商工業者のお店に非常に興味をかき立てられた。というか、発表を聞かせていただいて、自分が何も知らないことに気づかされたわけである。

中世・近代初期の商工業者は、基本的に生産と販売の両方をやっている。シェイクスピアの生家が良い例で、父親ジョン・シェイクスピアは手袋職人であり、かつそれを販売していた。ストラットフォードの中心部にあるあの小さな家の中で、シェイクスピアの一家が寝起きし、子育てをする一方、主人や職人がせっせと手袋を作っていたのである。

では販売はどうしていたのだろうか。今回の発表者の方からも教えて貰ったのだが、基本的には販売の多くはフェアー(市)で行われていたようだ。しかし、町の中に工房があるのだから、そこの戸口などで売らなかったというのもにわかに信じがたい。但、ロンドンではフェアー以外での日用品の販売を禁じていたとも言われているそうだ。商工業者が常設の「店」を構えて売らないとすると、そもそも、「商店」の概念って要らないじゃないか。

手っ取り早くそのあたりを垣間見ることが出来るのが、"shop"という言葉の使用である。Oxford English Dictionary (OED) とMiddle English Dictionary (MED) でこの語を引いてみると、どちらも初出は同じ年代記(The Chronicle of Robert of Gloucester,  c. 1325–c. 1425)の同じ文例。ただし、OEDでは1297年、MEDでは1325頃 (1300頃)と書かれているのは、その年代記の書かれた時期に関する見解の違いだろう。いずれにせよ、14世紀に変わる前後くらいが初出である。その次の例は両辞書とも14世紀末の、『カンタベリー物語』の「料理人の話」からだ。意外に新しい言葉なんだ、とやや驚く。つまり12世紀とか13世紀には、今我々が考えるような"shop"はほとんど無かった? 勿論、他の英単語とか、ラテン語で、同様の意味を表す言葉が広く使われた可能性はおおいにある。でもちょっと面白い事実。

さてその"shop"の意味であるが、最初の、そして主要な意味は、OEDでは、"A house or building where goods are made or prepared for sale and sold"、そしてMEDでは、"A room or building used as a place of business by a victualler (食品生産者), craftsman, etc."とある。要するに、商品を作ったり売ったりしたところ、というわけである。ただ、この後者の「売る」という意味が中世末期にどのくらいこの語に備わっていたかは分かりづらい。ちなみに、MEDによれば、文例は少ないが、"shop"には、"a booth at a fair"(フェアーにおけるブース、露店)とか、"a workshop"(工房)という意味で使われた例もある。

これは素人考えかも知れないが、"shop"という単語の中世末期の例を徹底して調べ、文脈を検討し、更に社会史研究と照らし合わせて商業とか商店の発達を英語史と社会史の両面から検討すればかなり面白い論文になるんじゃなかろうか?既に誰かやっている? 私はやる予定ありません (^_^)。

更に疑問なのは、手袋とか、洋服のようなものなら生産者と販売者が一致しそうだが、生産と販売がおそらく分離し、分業化されているようなものもある。例えば魚。漁師と魚屋は別だろう。鍛冶で作る道具類など、ロンドン市中の狭い工房では生産しづらいようなものもあるだろう。商工業者の中には、ただ売るだけの人もかなり居たに違いない。また、上流階級のお屋敷に直接納入するような商業活動はどういう人が行っていたのだろうか。やはりこういう"shop"を構えている人達だろうと想像する。更に、商品によっては行商もかなりされていたと思うが、これはどういう人達だろう。

というわけで、先日学会に行ってみて、中世の商工業者について基本的な事を知らないことに気づかされたわけだ。

ところで、"shop"というと、類語に"store"がある。我々日本人も、bookshopと言ったり、bookstoreと言ったりするのではないか。"store"という単語は、現在アメリカ英語では「店」という意味で最も広く使われるが、この意味での用法は、割合最近のものである。イギリスでは、"a department store"のような、色々なものを売る商店を指し、元々は、「貯蔵する」という動詞、「貯蔵する場所、倉庫」という名詞として使われ、それがアメリカでは段々、単に「店」を表す単語になったようである。そう言えば、アメリカのスーパーは、強大な倉庫みたいな「店」も多いね。

(追記)その後、発表者の先生からまたメールを頂戴し、何点か教えていただいた。これまでの研究者によると、ロンドンのような大都市では13世紀から小売り専門の店が存在したようで、マーケットと小売店とが商業を分け持っていたようだ。マーケットは午前中しか開かないらしく、また生鮮食料品はマーケットでのみ売られていたらしい。ただ、まだ色々と分からない事は多いようである。だた先生の言われる「マーケット」と「フェアー」は同一視して良いのか、全く別のものなのか、別だけと重なる部分もあるのか・・・。ひとつ分かると次にまた疑問が出て来た。

2012/05/30

アングロ・サクソン時代のアクセサリー(ロンドン博物館の展示品から)


3月に撮った写真を少しずつブログに載せているが今回もロンドン博物館 (Museum of London) で撮った写真から、中世初期のイングランド、つまり大体においてアングロ・サクソン時代のアクセサリーから。

最初はブローチ。アングロ・サクソン人もローマ人のようなマントとか、袋状の簡単な造りの服をを身につけることが多かった。そうした服をこうしたブローチとピンで留め、かつ、そのブローチはアクセサリーとなった。このブローチは、square-headed brooch(四角い頭のブローチ)と呼ばれるタイプのもので、このデザインはスカンジナビアの影響らしい。square-headed broochは500-575年くらいに流行したデザインだそうである。6世紀初期 (early 500s) のもの、つまりまだ異教時代である。最初、一種の十字架のデザインかと思ったが、異教時代だし、スカンジナビア起源のデザインとするとそうではないだろう。この形、何か意味があるのだろうか。ロンドンの南部近郊、Micham(ミッチャム)のアングロ・サクソン時代の墓地で発掘された。若い女性の肩の部分に置かれてあり、おそらく衣服を留めていたのだろう。銀に金のメッキ (gilded silver)。このブローチについては博物館のサイトに解説がある。


6世紀から7世紀初期のブローチ。ソーサー・ブローチ (a saucer brooch) と呼ばれるタイプのもの。ティーカップの受け皿のような形をしているのでこの名前があるそうだ。女性が良く身につけたらしい。もともと5世紀初期に大陸のドイツ語圏(ザクセン地方)で始まり、アングロ・サクソン人の来襲と共にブリテン島に移入された。6世紀。銅の合金に金銀のメッキ。


やはりソーサー・ブローチ。前のブローチ同様、Micham(ミッチャム)のアングロ・サクソン時代の墓地で発掘された。6世紀頃のもの。


衣服を留めたピン。銅の合金。コベント・ガーデン付近で発掘。コベント・ガーデンあたりは当時のロンドンの中心地だったらしい。


6世紀と11世紀の櫛。勿論、保存の良い方が11世紀のもの。骨か角を彫って作られている。拡大して彫り物をよくご覧下さい。大変精密。



ベルトの金具。バックルは横3センチくらいで、大変小さく、細かい模様から見ても、庶民の実用品と言うより、豊かな人が所有していたかなり装飾性の高いベルトだろう。職人の技術の確かさが分かる。動物の彫り物あり。ウサギか犬?とにかく精巧なものだ。


最後は、様々のアクセサリー。スズのビーズ、指輪、ブローチ等。11世紀。チープサイド(ロンドン・ブリッジ付近)でまとまって発見された。多くは未完成であり、ここにあった宝飾職人の工房において制作中の品物であろうとのこと。

どれもこれも、細工の精密さに驚く。こうした工芸品も、アングロ・サクソン写本の見事さに負けない高い技術力を感じさせる。







2012/05/23

Poor Priests' Hospital, Canterbury


最近のブログで、Canterbury Heritage Museumに納められた石板の彫り物の写真を載せた。このStour Streetに面する博物館であるが、中世に出来た建物で、貧しい聖職者のホスビタルであった。この頃の"hospital"とは病院ではなく(病気の人も収容されたとは思うが)、基本的には慈善を目的とした宿泊所のことである。おそらく、他に住居や世話をしてくれる親類がいないような僧侶が一時泊まったり、あるいは晩年を過ごしたりしたのであろう。




The Great Hallなどのメインの部分は12世紀に出来たようで、1174年から1207年まで、ある製革職人 (tanner) 、貨幣鋳造業者 (minter)、およびそのminterの息子のAlexanderがここの建物を住居として所有していたらしい。その後、このAlexander of Glouceserが宗教的な救護院にした。2階部分や向かって右側のThe Chapel of St Maryは後に増築されたものである。

1575年までこうして救護院として使用され、それ以後は学校、救貧院、工房、クリニックなどとして使われてきたが、1987年に博物館になって、今に至っている。

 大広間 (The Great Hall): ここで僧侶たちが食べたり、寝たりした。中世の間は中央に暖炉があり、煙は軒に開いた隙間や窓から外に出た。日本の囲炉裏と同じようなものである。屋根に煙突がついているが、ずっと後、近代になって、作られたものだろう。煙突と繋がった暖炉は中世の住宅ではほとんど見られなかったはずだ。もともとは1階だったが、後にフロアーが付け加えられて、2階に分けられたようだ。




聖マリアの礼拝堂 (The Chapel of St. Mary)の屋根: 聖マリアの礼拝堂は、正面から向かって右側の、張り出した部分にあった。今は展示スペースの一部。中世の多くの建物がそうであるように、木造の屋根である。材木は樫の木(オーク)。縦に天井の一番高いところに向かって伸びている木材をcrown postとか、king postと言う。横に伸びているのは梁 (cross beam) 。crown postと cross beamで屋根を支える。こうした三角の構造をトラスとか「結構」 (truss) と呼ぶそうだ(私は建築についてはまったく無知なので、詳しく知りたい方はご自分で調べてください)。



カンタベリー大聖堂などのすべて石造りの建物と違い、こういう木の屋根があると、暖かい印象を与えてくれる。教会のような宗教建築でも、壁は石で作られているが、天井は木造という建物が大多数だと思われる。天井を石にする為には、より高度の技術、そして側壁を大変厚くするなど、多額の費用がかかったことだろう。先日ブログで書いたドラマ『ダークエイジロマン大聖堂』でも、無理に天井を石にしたために、完成して間もなくその天井が崩れて多くの人が亡くなるというエピソードが描かれていた。

今回の記述にあたっては、博物館館内の掲示と、こちらのサイトを参考にした。

2012/05/20

St George's Tower, Canterbury

前回、カンタベリー・ヘリテッジ・ミュージアムにある怪物や犬の図柄の浮き彫りの写真を載せたが、この美術館で撮った写真に、もう2枚類似したものがあった。2つともカンタベリーの繁華街、St George's Streetの真ん中に残っているThe Church of St George, the Martyr(殉教者聖ジョージの教会)の一部であったとされる石の彫刻である。最初はライオン3匹の浮き彫り。戦争で破壊されたこの教会の南側の壁にあったそうだ。14世紀のものらしい。


中世末からチューダー朝にかけてのイングランドには、ライオンが輸入されて王侯貴族が飼うことがあったとどこかで読んだ記憶がある。

次はドラゴン。元々はロマネスク様式の柱の上についていた装飾 (a stone column capital) であったそうだ。


頭は下にある。まるでワニかイグアナのような竜で、ブログの前項で見たものとは大分違うデザイン。左上の模様はその周辺が欠けていて何か分からないのが残念。

このSt George's Churchは教区教会だったが、1942年ドイツ軍の空爆によって破壊された。この頃、カンタベリーの今のショッピング街あたりは大規模な空襲に遭い、大聖堂の一部も損壊し、ハイ・ストリートやホワイトフライヤー・ショッピングセンター周辺の歴史的建造物が壊滅的な打撃を受けた。

このSt. George's Churchは今、Clock Towerと呼ばれる塔だけが残存しているが、教区教会としてはかなり大きくて立派な建物だったらしく、破壊されたことが大変惜しまれる。今も残るClock Towerは買い物客や観光客で忙しい通りの真ん中にある。



このSt George's Churchが出来たのは、アングロ・サクソン時代という伝説もあり、その可能性が高いとしているウェッブサイトもある。しかし実際の物理的証拠としては、塔の下部や西の扉部分がノルマン朝時代のものとのことであり、1100年以前からこの場所に教会があったと考えられるそうだ。カンタベリーの中心に位置する教区教会であり、かなりの教区民を抱えていたことだろう。

St George's Churchに関して忘れてならないのは、ここがルネサンスの天才劇作家クリストファー・マーロー (Christopher Marlow, 1564-93) が洗礼を受けた教会であることだ。この教会の戸籍簿 (registers) にこう書かれているとのこと:"The 26th day of February was christened Christofer the sonne of John Marlowe"。父親のジョンは慎ましい靴屋であり、教会の直ぐ向かいの、今はなくなったSt George's Laneという通りに住んでいた(以上、Kent Resourcesというサイトの一部に依る)。なお、カンタベリーとマーローの繋がりについては、何と言ってもカンタベリーの大学者Urryによる次の本が詳しいので関心のある方はどうぞ:

William Urry, Christopher Marlowe and Canterbury, ed. Andrew Butcher (Faber & Faber, 1988)

ウィリアム・アリー (1913-81) はカンタベリー大聖堂の図書館のアーカイビスト(古文書管理官)だった方。偉大なる郷土史家とでも言うべき、カンタベリーについての生き字引だったと上記の本の編者、Andrew Butcher先生から直接聞いた。アリーは、晩年オックスフォード大学の書体学 (paleography) の先生となっている。マーローとカンタベリーについては更に次の本も:

Darryll Grantley and Peter Roberts, eds., Christopher Marlowe and English Renaissance Culture (Ashgate, 1996) カンタベリー時代のマーローについては、ButcherとRobertsによる最初の2論文に書かれている。


2012/05/18

犬とドラゴンの浮き彫り(中世のカンタベリーから)

前回のポストに関連して、4枚の写真を載せておく。どれもカンタベリー歴史博物館 (Canterbury Heritage Museum) で今年の3月8日に撮ったもの。市内のChurch Laneという通りで発見されたという4枚の石板に掘られた浮き彫り。博物館の説明書きによると、1080-90年頃の制作で、元々はカンタベリー大聖堂にあって、その後、おそらく宗教改革の時期、偶像崇拝排斥の為に大聖堂から取り除かれたと推測されているようだ。ノルマン・コンクエストを描いたバイユー・タペストリーにも似たような図柄があるとも書いてあった。ちなみに、バイユー・タペストリー自体、学者によっては1967-82年頃にカンタベリーで制作されたという説もあるとのことだから、直接の影響関係があった可能性もある(注)。

さて、最初の2枚は犬。頭は右上にあり、自分の尻尾を追いかけている図のようだ。図柄は似ているが、違う石版。



次は2匹の怪物が向き合っている場面と思う。左側の怪物は羽根がついているのだろうか。


最後は羽根を持ち、直立しているドラゴン。なかなか見応えある彫り物だ。昔の東映の怪獣映画を思い出した。キングギドラとか(^_^)。左上にあるのが頭と思う。


私自身も中世の怪物についての洋書も持っているので、そのうち読んで見なくちゃとは思っているが・・・。論文が終わってからかな。

(注)バイユー・タペストリーは、かってはウィリアム征服王の妃マチルダが作らせたと考えられていたようだが、今の定説は、征服王の父親違いの兄弟、オドン (Odo) が作らせたとの説が最有力らしい。オドンはバイユーの司教であり、征服後はケント伯 (Earl of Kent)となった。ウィリアムがイングランドに居ない間は、王に変わって政治を行う程の有力者であったそうだ。いずれにせよ、この織物が作られたのはイングランドであり、アングロ・サクソン人の職人によるらしい。このオドンという人物、Wikipedia英語版に見出しが作られていてざっと読んでみたが、なかなか面白い。バイユーの司教だったが、何よりも武将として名を馳せたようで、ノルマン・コンクエストで活躍し、その後も、反乱を企てて長い間投獄されたりしている。最後は十字軍に行く途上、パレルモで亡くなっている。



2012/05/17

カンタベリー大聖堂の怪物たち

先日このブログで書いたテレビ・ドラマ『ダークエイジロマン大聖堂』の中心人部の一人で石工のジャックは、ガーゴイル (gargoyle)  を掘るのが得意だった。これは中世の教会などで良く見られる怪物の形をした装飾排水口とでもいうべきものだ。わざわざ怪物の形をしていなくても良いと思うのだが(つまり、羊とか、排水口だから魚とか、ライオンとか)、大抵は正体不明の怪物になっているようだ。更に、意味が拡大されて、ガーゴイルというと、古い石造建築にあるこういう怪物の彫り物全般を指すようにもなっている。

何故怪物でなければならないのか、中世の教会にはどうしてこういう奇怪な彫り物が天使やら聖者の彫り物と同居しているのか、その理由は私は知らない。美術史の専門家の話を聞いてみたいものだ。

さて3月29日にセミナーの為にカンタベリーに行った際、大聖堂にちょっと寄って写真を撮った。その中にガーゴイルやその他の奇怪な生き物の写真もあったので載せておく。この日は素晴らしい天気の、初夏のような日で、大聖堂が実に美しくそびえていた。


大聖堂に敷地に入っていくところにあるのはクライスト・チャーチ・ゲイト (Christ Church Gate) というきれいな装飾の施された門。中央の銅像はキリスト。


この門に、結構沢山奇妙な彫り物がある。これ、何なんでしょう?ねずみ?いたち?いや、犬かな?


それから門の上のほうにある窓の上にある顔。クリックして拡大してみて下さい。


さて、大聖堂本体についている本物のガーゴイル。少しすり減っているが、破壊されたのだろうか。

こちらのガーゴイルは無傷のようだ。


これは山羊のようにも見えるが、正体不明の動物。


大聖堂にも顔だけの怪物が掘られている。上の方です。


ガーゴイルやその他の怪物や奇怪な顔などは特に目立つ点だが、中世の大聖堂、こだわりを持って眺めると色々と見るものがある。聖者や王などの彫像もどういう聖者かとか、いつ頃掘られた彫刻だろうなどといちいち考えながら見ていくと、分からないことだらけで、面白いし、聖堂の中にある石棺に掘られた人物像とか、ステンドグラスの絵とか・・・建物すべてが生きた美術館みたいなものだ。