2012/07/06

近代初期イングランドの貧しい学生:リンカンシャーのウィリアム・グリーンの場合

中世末期の聖職者以外の人々の識字について幾らか調べていて、Jo Ann Hoeppner Moranの労作、The Growth of English Schooling 1340-1548: Learning, Literacy, and Laicization in Pre-Reformation York Diocese (Princeton UP, 1985)の第4章、"Literacy and Laicization of Education"を図書館で複写してきて、読んでいる。興味深い資料やエピソード満載で、大変参考になる。その中でも特に印象に残ったエピソードとして、リンカンシャーのウィリアム・グリーンという貧乏な学生に関する記述がある (p. 176)。

このウィリアムは1521年のノリッジ市の記録に登場する。彼はイングランド東部リンカンシャーのWantletという村(?検索しても出てこない地名)の出身。父親は労働者 ("a labouring man"とある)。村の学校で2年間 "grammar"、つまりラテン語を学んだ後、父と5, 6年働く。"sometyme in husbondry and other wiles [while] with longe sawe"(時には農業、他の時には長いのこぎりを使って)とあるので、農業、そして大工か林業などに従事していたのだろう。仕事がひとつではない事から見て、土地持ちの小農民ではなく、農業労働者だろう。その後彼は、リンカンシャーの古い町ボストン(注1)の叔母 (aunt) のところに住んで、働きながら学校に通う。ボストンで彼は聖アウグスティヌス修道会のひとりの会士から"benet and accolet"を授与されたとある(注2)。これは下級聖職者の位であり、おそらくチョーサーの「粉屋の話」に出てくるアブサロンのような仕事だろう。これ以上、何も書かれていないが、それで安定して生活出来るようなものではなかったのだろう。教会の雑用をやるアルバイト僧のような生活ではなかったのかと想像する。その後彼はボストンの商人の家に6ヶ月住む。おそらく、住み込みの事務職員として商用文書等の作成をやったのではないだろうか。しかし彼は勉学への欲求を諦めきれないタイプの人だったのであろう。その後、彼はついに大学進学の為にケンブリッジに移住する。そこで彼はエール(ビールの一種)を運んだり、サフロンを摘んだりといった肉体労働をしつつ大学に通う。食事は学寮で他人の慈善 ("of alms") に頼っていたらしい。その後、彼は教会の定職を求めてローマにはるばる出かけているが、彼の願いは叶わなかったようだ。ケンブリッジに戻った後は、彼の教育を修了する為に(おそらく学士号を得るためか)1年間の学資(注3)の寄付を集める為の許可書を与えられた。しかし実際に集まったのは8ヶ月分の学資だけだった。

他の学資寄付者も見つからず、しかし父親のような肉体労働に戻ることも望まず、万策尽きた彼は更に学費出資者を募集する為の新たな許可書や叙階(聖職就任)に必要な書類を偽造 (counterfeit) したようで、それ故、冒頭に記した様にノリッジ市の記録に名前が残ることになった。市の裁判所 (a borough court) などで告発されたのであろうか。

様々の手段を模索し、奨学金を捜し、不安定な仕事を転々としながら学問を続けようと努力し続けたウィリアム—現代の多くの若き研究者、特に人文科学研究者、と重なるところもある。大変勉強熱心だが就職先が決まってないチョーサー描くオックスフォードの神学生も思い出させる。一方、中世が終わり近代に移り変わる頃、下層階級の農民の息子が学校教育を受け、やがてケンブリッジ大学にまで進学した事にこの時代の変化を感じさせる。

(注1) 中世のボストンは所謂"city"として王室から特許状を与えられた町ではないが、中世後半には貿易港としてかなり栄えた町だった。ここには現在Boston Grammar Schoolという歴史ある中等学校があるが、これは16世紀のカトリック女王メアリー1世が設立したそうである。しかし、その前身となる学校は既に14世紀からあったらしいので、ウィリアムはそうした学校で学んだのだろう。

(注2) "benet" をOxford English Dictionaryで引いてみると、"The third of the four lesser orders in the Roman Catholic Church, one of whose functions was the exorcizing of evil spirits"と定義されているので、"exorcist"の別名で、祓魔師(ふつまし)を指すと思われる。これは下級聖職者 (minor orders / lesser orders) の位のひとつ。"accolet"は古い綴りで、"acolyte"(侍祭)というやはり下級聖職者の位のひとつ。後者は時々目にする語で、司祭の助手としてミサの手助けをしたり、その他教会の色々な雑事を受け持つ。前者は洗礼を受ける者のために、洗礼の前に悪魔払いをしてあげる仕事のようだが、その他には何をしたのか、私はよく分かっていない。フルタイムで働き、生計を立てられるような仕事なんだろうか。そもそもminor ordersの人達の仕事や生活の実態など、まったく分かっていない。詳しい方がいらしたら、コメント欄で教えて下さい。その他、私の間違いの訂正などありましたら、是非お知らせ下さい。

(注3) Moranが書いているのは、"he obtained a license to collect subscriptions for one year towards completing his education"。自分の教育の出資者を求めて寄付を募ったのではないかと想像しているが具体的には良く分からない。

なお、Moranはこの情報を次の学術誌から取ったそうである:Norfolk Archaeology 4 (1885): appendix, pp. 342-44.

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