2019/06/23

【観劇】『オレステイア』(新国立劇場、2019.6.22)

『オレステイア』
 
新国立劇場公演
観劇日: 2019.6.22   13:00-17:10
劇場:新国立劇場 中劇場

演出: 上村聡史
脚本: ロバート・アイク(アイスキュロスの作品に基づく)
翻訳: 平川大作
美術: 二村周作
照明: 沢田祐二
音響: 加藤 温
衣裳: 前田文子 

出演:
神野三鈴 (クリュタイメストラ)
横田栄司 (アガメムノーン、アイギストス)
生田斗真 (オレステス)
趣里 (イピゲネイア、カッサンドラ)
音月桂 (エレクトラ、裁判長)
倉野章子
チョウヨンホ

☆☆☆ / 5

オレステスは父の敵を取るために母殺しを犯す。しかし彼は記憶の障害を起こして、自分の犯行を憶えていない。その殺人事件の裁判では、精神科医が専門家として喚ばれて、オレステスの記憶を被告と共に掘り起こす。それを裁判の進行時刻と上演の進行時刻を重ねることで、観客も目撃することになる。つまり舞台上の演技は犯行の再現実験となる。

こうして劇の枠組を書いてみると、なかなか興味深く、素晴らしい発想だ。この点では、私は非常に高く評価。但、最初のほうが静かで説明的であり、私はついうとうと。もうちょっと観客を鷲づかみにした上で本題の2つの殺人の再現に入るともっと効果的だった気がする。映画同様、舞台も「掴み」が大切だ。ギリシャ悲劇はフロイト以来心理学的アプローチがよくされてきたことは素人の私でも知っているが、「法律と文学」の観点からも色々と研究されているらしく、この劇を見て、その種の本を読んでみたいという気になった。私は不勉強にて、アイスキュロスの3部作のうち、最初の『アガメムノーン』のみ昔読んだのみで、それもほとんど忘れている。3部作の3作目が裁判劇になっているようだ。従って、最初のほうの裁判導入場面は、現代だし、完全にアイクの創作なんだろう。でも折角裁判劇にしたんだから、一貫してその枠組を目立たせて欲しかった。時々、「証拠物件」とか言った表示が上部スクリーンに映し出されるが、唐突な印象。

出だしを除いて、全体的に退屈するところはほとんどなく、大いに楽しめたのに、いまひとつ納得感がなく見終えたので、何故かなあといぶかしく思いながら帰宅した。勿論、私の理解力が不十分な事や、ちょっとうとうとした時があったので、自業自得ではある。しかし、今ふり返ると、儀式的な魅力が大きいギリシャ悲劇を現代人の感性による割合平凡で理解しやすい親子の愛や悲しみなどを描く家庭劇にしてしまったことに納得出来ない気がした。ギリシャ劇や中世演劇では、理解や共感を拒む神や国家による不条理とか奇跡・驚異こそが大きな魅力であり、ドラマの始まりで終わりだ。圧倒的な宿命、その背後にある人知では計り知れない神の摂理、そしてその前で絶望しもがく人間、特に女性・・・。それを現代の親子関係とか、臨床心理の枠組で説明しようとするこの劇の枠組に私はちょっと引っかかって不満が残った気がする。

ギリシャ悲劇らしい儀式的な美しさを強調した作品にするか、あるいはギリシャ悲劇のモチーフを一部使いながらも、独立した現代劇として書き起こすか、どちらかに徹底してくれたら、私としてはもっと満足できただろうと思った。

観客を集めるのはアイドル俳優だが、劇の主役はクリュタイメストラとアガメムノーン。特にこの上演では、クリュタイメストラの視点が強調されているように思う。神野三鈴と横田栄司の2人のベテランのやり取りを見ているだけで、充分4時間を越える長丁場を見に来た甲斐はあったし、2人の出る場面ではまったく飽きさせない。但、2人とも真面目すぎる雰囲気が消えてない。しかしこれは脚本の問題でもある。この2人の役柄にはもっと毒々しさ、あざとさが欲しい。アガメムノーンもクリュタイメストラもあまりに小市民的で、既に書いたように、中途半端なギリシャ劇だと感じた。


2019/06/16

【新刊書】安藤聡『ファンタジーと英国文化—児童文学王国の名作をたどる』(彩流社、2019年5月発行)

大妻女子大学の安藤聡先生の新刊『ファンタジーと英国文化—児童文学王国の名作をたどる』(彩流社、本年5月発行)の一部を読んだ。彼は私の旧勤務校に長い間非常勤講師として来られていて、学校でよくお会いした。今も市民講座を定期的にやって下さっている。

私が読んだことのない作品が多く論じられているのだが、まずは序章の「なぜ英国はファンタジー王国なのか」を読んでみた。私の様な門外漢にはあまり縁のない本と思っていたのだが、大変参考になり、興味深く読めた。まず、短い紙幅で大変的確にイギリス児童文学の歴史、そしてその中で特にファンタジーの伝統がどう形成されていったかが実に的確に纏められている。初心者や一般読者にとって、格好の「イギリス・ファンタジー概説」と言えるだろう。特に、産業革命や都市化、イギリスに特有の階級や教育制度との関連、ナショナル・アイデンティティーとファンタジーとの関係など、中世英文学の学問史やmedievalismの発展とも重なることが大きくて、私にも非常に参考になった。

19世紀後半におけるファンタジーというジャンルの発生も、中世英文学研究も、近代の合理主義や産業革命以後の工業化された国の姿へのアンチテーゼという面があり、ブリテン島固有の文化を求めるナショナル・アイデンティティーの追及という面が色濃い。アーサー王伝説、あるいは『ベーオウルフ』などのアングロ・サクソン文学の研究はケルトとゲルマンの双方におけるイングランドのルーツを探求する動きでもある。そういう中世文学研究とその一般読者への広がりは、20世紀になって、ルイスやトールキンといった学者小説家の作品で一体化したとも言える。中世英文学の研究史やmedievalismの文学・文化の発展を考える上でも、参考になる序章だ。

この本の本論の部分は、児童文学の大作家や名作が個別に論じられている。私でもちょっとは分かるかな、と思って第7章の「ジェイン・オースティンと児童文学」を読んで見た。ファンタジーとは最も遠いところで創作をしているように見えるオースティンだが、C・S・ルイスとかJ・K・ローリングやその他かなりの数の児童文学作家に多大な影響を与えていると論じていて、興味深かった。

この本の第三部は、論文と言うにはややカジュアルな筆致の学術的なエッセイがまとめられていて、安藤先生がご自分で行かれたイギリスの町々の姿が児童文学にどう反映されているか、活き活きと描かれていて、楽しい。安藤先生はあちこちの地方を回られているだけでなく、そこにまつわる児童文学なども実に良く研究されていて、驚嘆する。本書を読んで、またオックスフォードなど行ってみたくなった。

それにしても、多くの論文やエッセイ、研究発表に加えて、これで安藤先生の研究書は4冊目!更に昨年は『英国文学概説ー原文で鑑賞するための道標』という教科書も出されているようだ。先生のご活躍には本当に驚嘆すると共に、それを生み出す努力と学識には頭が下がる。

2019/06/03

日本中世英語英文学会、西支部研究発表会に出席

6月1日土曜日、岡山理科大学で開催された日本中世英語英文学会、西支部研究発表会に行ってきた。支部会でありながら、大変充実した会になり、出席者は皆満足されたと思う。前年度の支部長の先生による企画の良さに負うところが大きい。

ひとつの企画は新刊書『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか』の紹介。英米でよくある book launch というタイプのイベント。編者のひとりの先生の熱意溢れるスピーチに圧倒された。フロアーからの質問の時間がほとんど取れなかったので、もっと(あと15分くらい)時間があっても良かったかも知れない。こうした新刊書をめぐる企画は、今後もあってよいと思った。登壇されたお二人の編著者は、学部生や大学院生時代から知っているが、すっかり立派な研究者になられて、本当にまぶしいばかり!今や後の方から走っても追いつけない!

もうひとつの企画は、「チョーサーを読む」というワークショップ。具体的には短い(15分)ペーパーを4人が読んで、それについてフロアーと話し合うという形式。出席者の少ない支部会だからこそ生きるスタイルだ(大きな学会であれば、部屋をいくつか分割して複数やれば良い)。このスタイルはシェイクスピア学会で「セミナー」と題して昔からやっているようだし、英米の学会でも一般的。発表者は、議論の叩き台を提供する役目だから、研究報告、問題提起、あるいは先行研究の紹介として話せば良いとすれば気が楽だし、終始一貫していなくても、あるいは特定の結論がなくても話せる。そのようなものと考えれば、研究発表的な要素を最低限に抑え、最初の発表は「問題提起」として時間はそれぞれ10分程度に絞り、その代わりもっと議論を誘発するような仕掛け(例えば多くの問いを投げかけるなど)を考えても良かったのではないかとも思える。今後、東支部や全国大会、各種研究会などでも、必要に応じて取り入れてはどうかと思った。

個人の研究発表をなさったのは大学院生の方が一人だったが、大変良くリサーチされていて、専門外の私にも興味を持って聞くことができた。

学会の役職の関係で行くようになった西支部だが、おかげさまで充実した1日を過ごせ、準備委員のみなさんに感謝している。