2017/05/21

【英語の小説】Teju Cole, "Open City" (faber and faber, 2011)

Teju Cole, “Open City“

(London: faber and faber, 2011)  259 pages.

☆☆ / 5

留学から日本に戻って以来、英語の小説を読むことが少なくなってしまった。元々大した読解力はないのだが、歳を取って英語を読むのが一層遅くなりつつある気がする。また、暇な時間がありそうで、何かしら細々した用事が気になって、まとまった時間をかけてフィクションに向き合うことが少なくなったのかもしれない。それよりも、買い物に行ったり、掃除したり、もちろん勉強したり、などを優先してしまう。

さて、それでもこの250ページ強の小説を読み始め、終わりまでたどり着いたのは、幾つかの魅力があったからだ。そもそも読むきっかけになったのは、SNSであるアメリカの大学の先生が、この小説は中世英文学の最高傑作のひとつ、ウィリアム・ラングランド作『農夫ピアズ』(Piers Plowman)に影響を受けている、と書いていたからだ。確かに、そういう先入観念で読み始めると、『農夫ピアズ』の夢物語としての構造をある程度踏襲しているようだ。更に具体的には178ページに、語り手で主人公のJuliusが午前1時、『農夫ピアズ』のプロローグを読んでいてそのまま眠ってしまい、ラングランドが人類の様々の行いに思いを馳せつつ世界をさまよい歩く様子や作品が始まるイングランド中部のモルバーン丘陵(Malvern Hills)などが夢の中に現れることなどが少しだけ出てくる。作品全体との特徴として、『農夫ピアズ』も”Open City”も、主人公の精神的、そして空間的な彷徨を描いている点で大変類似している。

”Open City”の語り手Juliusはニューヨークの病院に勤める精神科の若い研修医で研究者。彼はナイジェリア出身で、大学から米国にやって来た。父親は亡くなっており、母とは疎遠で行き来がない。可愛がられた記憶があるヨーロッパ系の祖母とも音信不通だが、ベルギーのブリュッセルに住んでいるらしい。彼はニューヨークという多国籍、多文化の街をひたすら1人でさまよい歩き、見聞きしたものを頭の中で反芻する。さらに自分のナイジェリアでの生い立ち、特に軍隊の幼年学校でのいじめの記憶を詳細に物語る。また彼は祖母の痕跡を捜してブリュッセルに旅をし、そこでもニューヨークにいるとき同様に彷徨い歩く。カフェの店員をしているモロッコ出身の若いインテリと親しくなり、延々と政治談義を聞かされる。文化や宗教、政治の対立がこれらの若者の心中を常に寄せては返す波のようにかき乱している。

この作品にはJuliusと様々な人々との出会いと対話はあるが、特に一貫したプロットらしきものはなく、主人公の心象風景を軸として、印象的なスキットを並べた変奏曲のように続いていく。20世紀後半から21世紀にかけての欧米の知識人を捉えた様々のトピックや芸術作品が、そうした対話や主人公のモノローグで触れられていて、それだけでも知的な面白さを感じる人もあるだろう。ブリュッセルでの出会いや、ナイジェリアの学校での苦労話は、個々の話としてはとても生き生きとして説得力があったが、それらが更に作品全体としてのまとまりに繋がって、納得できる結末に達するわけではない。エピソードとエピソードの間の文章は、ニューヨークやブリュッセルの街角を延々と歩くJuliusのモノローグで、私はかなり退屈した。全体としては、伝統的な小説のまとまりを期待したい私にはあまり説得力はなかったし、思想家や芸術家の名前が散りばめられた知的議論を消化するには私は無知過ぎる読者だった。

最初に戻って、『農夫ピアズ』との関係を考えると、ラングランド作品では、圧倒的な倫理的で宗教的な関心が作品全体を貫いているが、この作品では、そういう面はあっても、それほど強くはなく、若い知識人の知的漂泊を物語形式で綴った作品と言えるだろう。現代思想などに関心がなく、知的議論が特に好きなわけでもない私個人としては、分かる人には分かれば良い、と言う感じのする気取った作品に感じられ、満足のいく読後感は残らなかった。