BBCが作っているウェッブマガジン、'BBC Historyextra'、に載った記事、 'What Was Life Like for a Medieval Housewife?' (筆者は歴史作家のToni Mountさん)が面白かったので、紹介したい。西欧の中世末期、庶民の女性がどう暮らしていたかを紹介する一般読者向けの、分かりやすい記事だ。
筆者がこの記事を書くに当たって主な材料としているのは中世の3つの作品。最初は、よく知られている、仏語で書かれた『パリの夫』(Le Ménagier de Paris、英訳名は The Goodman of Paris)。そして、中英語で書かれた二つの面白いバラッドが紹介されている。ひとつは、'How the Good Wif taughte hir Doughtir'、もうひとつは、'A Ballad of a Tyrannical Husband'。特に最後の作品は、農民の家庭の主婦の生活が垣間見えて貴重。これらの短い詩はどちらもMedieval Institute Publicationsから出ている中英語で書かれた短い詩の作品集に載っており、オンラインでも読める。
私にとって面白く感じたのは、「粉屋の話」や「商人の話」のような年齢の不釣り合いな、老人の夫と十代の妻と言った組み合わせは、当時の人々(特に男性?)には、妻にとっても良い結婚であると見なされたということ。つまり人生経験豊富な夫がまだ思春期の若妻に半ば父親のように色々と知恵を授けて教育することで、妻は年寄りの夫が他界した後も、良縁を得、世帯経営の能力あるマネージャーになれるという。まあ、そういう考え方もあるだろうが、一方で、「商人の話」のジャニュアリのように若妻を利用するだけというけしからぬ老人もいて、不釣り合いな結婚に眉をひそめる人々が当時からいたことも確かだ。
'How the Good Wif taughte hir Doughtir'では、「バースの女房のプロローグ」でも見られるように、女性がしてはならないことが(例えば、仕事を放り出してあちこち出かけおしゃべりに耽るなど)、ミソジニーの視点から述べられている。その中で面白いと思ったのは、女性が通ってはならない「悪所」の例。まずは、酒場(tavern)。つまり酒場に通う女性もいたということ!更に、先日のブログでも触れたが、レスリングが上がっている。中世においてもこのスポーツはとても広く行われ、おそらく賭博行為も伴っていたのだろうと推測される。更に、'shooting at cock'(原作では、'cock schetyng') とあるのは何だろうか。オンラインで読めるエディションの注を見ていると、杭に繋がれた雄鳥に向かって石を投げるか、あるいは矢を射るスポーツだったようだ。かなり残酷な遊びだが、これもおそらく金銭を賭けて楽しまれた一種の興業、と仮定すると、女性が自分でやるというより、男達がやっているのを見物し、賭けに参加したのかもしれない。酒場やレスリング、そして雄鳥を射る賭場など、こういうところに出入りする女性は身持ちの悪い女(strumpet)だとその後に書かれている。しかし、こうしてみると、中世の女性も、家の中でおとなしく家事に奔走している人ばかりではなかったとわかり、ちょっとホッとする(^_^)。
その後に紹介されるバラッド、'A Ballad of a Tyrannical Husband' では、外で汗を流して厳しい畑仕事をしている自分と比べ、家にいる妻は十分な働きをしていないと文句を言う夫に対し、あなたは主婦の仕事がどんなに忙しいか分かってない、という妻の苛立ちが書かれている。それで、この夫婦は、「では一日お互いの持ち場を交替して、配偶者の仕事がどれほどのものか体験してみよう」と言うことで合意する。残念ながら、連れ合いの一日を体験した結果までは書かれていないのは、このバラッドが未完ということだろうか。面白いのは、外で働いている男の仕事の大切さと辛さを妻は充分分かってないし、感謝してない、という夫と、私が家で遊んでいるとでも思ってるの、という妻の憤りという夫婦の家事労働に関する認識の違い(あるいは夫の無理解)は中世末期の西欧でも、現代の日本でも、大して変わらないということだ。
この記事の筆者 Toni Mount は、中世西欧を題材にしたフィクション、ノン・フィクションを多く出版している作家。
2018/02/26
2016/05/15
【講演】 片山幹生、杉山博昭先生のフランス中世劇とフィレンツェの聖史劇についての講演
西洋比較演劇研究会 5月14日(土)14時〜18時15分 成城大学
1. 片山幹生「中世フランス演劇とは何か?
― フランス演劇史における中世の位置づけとその可能性について」
2. 杉山博昭「聖史劇の宗教画、宗教画の聖史劇
― ルネサンス期イタリアの眼差しが媒介する照応関係」
西洋比較演劇研究会で中世演劇、聖史劇関連の発表というか、講演が2件あると聞いて、聴講してきた。片山先生については、「中世フランス演劇史のまとめ」というブログ形式の、極めて学問的な演劇史を書いておられて、以前から参考にさせていただいている。このブログでも以前取り上げた。杉山先生は、2月に早稲田大学で、「観客発信メディアWL」主催の講演をお聞きし、このブログでもその時の感想を書いた。従って、二人とも私にはある程度馴染みのあるお名前である。
さて、今回の公演は、最初の片山先生が古代ローマの末期以降、典礼劇の時代、13世紀の都市演劇、15-16世紀の聖史劇や世俗劇など、大変バラエティーに富むフランス演劇を概観する講演、そして杉山先生は、2月の講演で扱われたように、15世紀フィレンツェの美術作品と聖史劇の関係を主に話された。当日の様子を知ろうと検索エンジンなどで来られる方もいるかもしれないが、ここは個人的なブログなので、以下はバランスの取れたレポートと言うより私の私的感想であり、備忘録として、参考になった点、特に興味を引かれた点、そして残された疑問などをメモしておきたい。
片山幹生先生の講演だが、概説なのでここでは細かい内容紹介は省くとして、全体として感じたのは、現存するフランス中世演劇のテキストの多様さ、豊かさだ。英語の中世演劇のテキストというと聖史劇の4大サイクル、『エブリマン』や『堅忍の城』など、道徳劇が数本が主なもの。その他は、Digby写本の『マグダラのマリア』他のわずか2,3作の聖人劇、Brome写本の『アブラハムとイサク』などの幾つかの単独の劇、コベントリーやノリッジの聖史劇のサイクルの一部など、西欧の主要な言語に比べるとおそらくかなり少ない。フランス語では、その点、うんざりするほど長い、多数の聖史劇(ミステール)や道徳劇(モラリテ)をはじめ、阿呆劇(ソティ)、笑劇(ファルス)といったイングランドでは殆ど見られないジャンルの数多くの劇もある。私も若い頃、現存テキストの少ないイングランドの中世劇と比べて、フランスの中世劇研究者を大変羨ましく思ったくらいだ。しかし、現存作品の多さ故の苦労もあるだろう。テキスト研究も殆どされていない作品が多いようだし、ましてや、細かい上演記録の掘り起こしは、まだまだ先が長いという状況ではないかと推察する。長大な作品が幾つもあるとは知っていたが、シモン・グレバンという作家の『使徒行伝の聖史劇』など、6万2千行くらいだそうである。古仏語の長編叙事詩『ロランの歌』が約4千行、古英語の同じく長編叙事詩『ベーオウルフ』は3千行少し、と比べるともの凄い長さと分かる。残ったテキストの乏しいブリテン島の劇の場合、英米の多くの研究者達は上演にまつわる資料の発掘に力を注いできた。中世演劇の最初から、清教徒革命の始まる前、つまりシェイクスピア時代のロンドンも含めて、膨大な上演関連資料が、『英国初期演劇資料集』(The Records of Early English Drama, 略称REED)にまとめられつつある。大冊の本が既に30巻以上出版されており、更に順次インターネット上でも公開されつつある。フランスの上演資料も色々個別には出版されていると思うが、まだまだ写本のまま埋もれた資料が多いのではなかろうか。
片山先生は、ラテン語典礼劇についてもかなり触れて下さった。1960年代くらいまでは、典礼劇は英仏独語などの近代語劇を用意したものという進化論的な考えが強かったが、現在では、「演劇的な典礼」とも言える全く別のジャンルとして、14,15世紀まで生き延びたことを片山先生も確認されていた。典礼劇が終わっていく1つのきっかけは、1545年から63年まで繰り返し開催されたカトリック教会のトリエント公会議において、典礼のトロウプスを禁ずるという決定が成されたことがきっかけだとか。最盛期以降、典礼劇がどのような流れをたどったか、私も知らないので参考になったし、今後詳しく学ぶ必要があると思った。ちなみにこの講演以外の話だが、どこかで読んだが(記憶は定かでない)、戦国時代から安土桃山時代、日本にやって来た宣教師によって多くのラテン語の祈り(オラシォ)が伝えられたが、その中には演劇形式のものもあったとか。ラテン典礼劇が日本にも伝わっていたのだろうか。
ラテン語の典礼劇については、近代語劇と基本的にまったく別のジャンルの芸術であり、そもそも演劇的な形をした「典礼」の一種であるという考えに基本的に賛成ではあるが、私はその考え方が近年強くなりすぎているのでないかとも思う。例えばラテン語の劇でも、ボーヴェ大聖堂の『ダニエル劇』とか、『聖パウロの改宗』のような聖者劇、ベネディクトボイアルンの受難劇など、大規模で、「客」とは呼べないにしても、充分に「観衆」を意識し、また作品によってはおそらく地元の人々の上演への協力や参加も考えられる劇もあり、ラテン語にかなり近代語が混じって使われている場合もある。これらは、12世紀のフランス語劇の『アダム劇』と同様に、一般的なラテン典礼劇とは別に考える必要がありそうだ。つまり、やはり典礼劇とは別に、あるいはそれから発展して、教会を上演場所とし、儀式を越えた、観衆のための「見せる」演劇の発達があったというべきではないだろうか。但、それらが、14,15世紀の聖史劇や道徳劇の誕生に繋がったかというと、それはまったく別の問題だが。フランスの都市アラスで13世紀に、一気に高度な演劇文化が開花したように、その前に発展を準備する下地が乏しくても、条件が整えば高度な演劇が短期間で開花する場合があり、12世紀の西欧に幾つかそのような演劇の盛んな大聖堂のコミュニティーがあったのではないだろうか。アラスの演劇については、杉山先生は今回簡単に触れられただけだが、大変詳しいようなので、次の機会にはお話しを聞きたいものだ。発祥から、様々なジャンル、そして現代への影響まで、中世劇全般に関する片山先生の広範な知識がうかがえる講演だった。その点で、私の勉強をふり返ると、自分の興味あるテーマだけは細かく掘り下げていても、イギリス中世劇のその他の部分については知らない事だらけで、フランスと違って作品は少ないのに、ろくに読んでないものさえある。これまでついつい趣味的な勉強に終始してしまいがち。少なくとももっとこのジャンル全体への目配りもしなくては、と反省させられた。
最後に片山先生は、現代文学や演劇における中世劇の影響について、ガブリエレ・ダヌンツィオの『聖セバスチャンの殉教』、ポール・クローデルやダリオ・フォの作品にも少し触れられた。これらの作家作品については私は全く読んだこともなく無知であるが、そういう視点で研究することも出来るのか、と教えられた。それぞれの作家作品における中世劇の影響について、詳しい講演などあると良いな。
後半の杉山博昭先生による、15世紀フィレンツェの聖史劇の話は2月の講演と重なる部分が大分あったので、全体的な内容については、そちらもご覧下されば幸いです。
杉山先生の講演タイトルが示すように、フィレンツェの聖史劇は15世紀イタリア、ボッティチェリの同時代に栄え、「ルネサンス劇」の一部と言う事になる。聖史劇というと英仏独など、他の言語の文化では「中世劇」に分類されているが、当時のヨーロッパの先進国イタリアではルネサンス花盛りの時期である。この中世とルネサンス、あるいは近代初期の文化や文学における時代区分は難しく、かつ重要な問題で、現在も英米の学会でも盛んに議論がされているようだ。今回も公演後、聴衆からコメントが出されていた。
さて、2月の講演同様、杉山先生の講演の主旨は、ボッティチェリなどの当時のフィレンツェの画家達が、受胎告知やキリストの昇天などの絵画を描くにあたり、実際に目撃した聖史劇のイメージを部分的に使って絵を書いている事は明らかだという点。従って、上演がどうなされていたかも、こうした絵を参照することである程度分かる、ということだった。特に、描かれた天使の羽根に見られる舞台衣装の痕跡、天使の光輪がやはり舞台のコスチュームを映している形跡、舞台で使われた天球を表す大道具と絵画の天球の相似、そうした大道具についての当時書かれた記述や描かれた図、その他興味深い具体的な資料に満ちた発表だった。近代科学の発祥の地であるイタリアであるから、そうしたメカニカルな歯車を使った大道具や、特殊効果に使われた花火なども、今聞いても驚くレベルだったようで、聖堂の中で観客の度肝を抜くスペクタクルを繰り広げたシーンもあったらしい。歌舞伎の宙乗り同様に、教会の空間をロープを伝って天使が素早く移動したりというようなシーンも想定されるそうだ。
イングランドの中世劇と比べて面白いのは、フィレンツェでは比較的短い、聖書のエピソード1つ(受胎告知とか、キリストの昇天など)を取り上げた聖史劇が盛んだったこと。イングランドでは、天地創造から、旧約の物語、新約のイエスの誕生や伝道、受難、そして最後の審判など、キリスト教から見た人類の歴史全体を取り上げる所謂「サイクル劇」の形式が主である。フィレンツェにもサイクル形式の聖史劇もあったそうではあるが。イングランドでも、テキストの現存しない無数の宗教劇が上演されていたのは確実であり、全体としては、多くの短い宗教劇があったとは思う。
大変驚いたことして、イタリアでは聖史劇の脚本が、上演されなくなった後の16世紀に千の単位の部数で印刷されて、広く読まれたそうだ。多くの人々が、聖書の物語を分かりやすい「ドラマチックな」形で読む手段として、劇の台本を読んだわけである。当時のフィレンツェの識字率は40〜50パーセントあったと杉山先生はおっしゃっていたがこれもイングランドと比べ、驚異的高さ。但、男女別、また識字の内容(ラテン語かイタリア語かなど)には触れられなかった。恐らく成人男性の識字率で、ラテン語・イタリア語の区別なくいずれかの言語、ということだろうか? 脚本は写本としても残っているそうだし、杉山先生自身、写本に直接当たって研究されているようで、素晴らしい。この写本の性質とか使用用途についての詳しい説明はなかったが、これも聞いてみたいことだった。英語の写本の場合、一種の記録として市当局が保存用に作ったもの(ヨーク劇)、上演が行われなくなった16世紀に好古家が書物のコレクションとして筆写させたと考えられるもの(チェスター劇)、用途も実際の上演に基づいた写本かどうかも分からないもの(タウンリー劇、Nタウン劇)など、それぞれ、独特である。劇の写本のあり方は、単純に「読む」ために作られることはまずないので、考慮すべき点が多い。
フィレンツェでもイングランド同様、女性の役は若い男性(少年)が演じたそうである。この点は、日本も含め、多くの伝統演劇に共通する点。しかし、これは前回の講演の時も疑問が残った点だが、女性はどのような形、あるいは地域でもイタリア語の演劇から排除されていたのだろうか。例えば、世俗劇はどうなのだろう。近年、尼僧院における演劇(convent drama)の研究などもなされており、イタリアでもそういう場所では女性が演劇を行ったかも知れない。同じく女優の存在は、フランスではどうだったんだろう?
杉山先生の講演は、フィレンツェの聖史劇、それも美術と演劇の関係に的を絞ったものであったので、イタリアの聖史劇全体に関しては、例えば聖史劇の起源など、聞いてみたいことが沢山残った。しかし、これは私がご本人の著書やイタリア演劇史の概説書などでまず基本事項を勉強してから、直接質問すべき事だろう。
以上、今後も考えるために、個人的な感想や疑問を思いつくままメモしてみた。
この研究会は私は会員ではなく、今回インターネットのお知らせで知って聴講させていただいたのだが、それぞれ、講演時間も1時間半近く、更に質問時間もとても長くて、質問も多岐に渡り、大変な努力をして講演と質疑応答をやっていただいた。講師のお二人に深く感謝したい。勉強になった。
1. 片山幹生「中世フランス演劇とは何か?
― フランス演劇史における中世の位置づけとその可能性について」
2. 杉山博昭「聖史劇の宗教画、宗教画の聖史劇
― ルネサンス期イタリアの眼差しが媒介する照応関係」
西洋比較演劇研究会で中世演劇、聖史劇関連の発表というか、講演が2件あると聞いて、聴講してきた。片山先生については、「中世フランス演劇史のまとめ」というブログ形式の、極めて学問的な演劇史を書いておられて、以前から参考にさせていただいている。このブログでも以前取り上げた。杉山先生は、2月に早稲田大学で、「観客発信メディアWL」主催の講演をお聞きし、このブログでもその時の感想を書いた。従って、二人とも私にはある程度馴染みのあるお名前である。
さて、今回の公演は、最初の片山先生が古代ローマの末期以降、典礼劇の時代、13世紀の都市演劇、15-16世紀の聖史劇や世俗劇など、大変バラエティーに富むフランス演劇を概観する講演、そして杉山先生は、2月の講演で扱われたように、15世紀フィレンツェの美術作品と聖史劇の関係を主に話された。当日の様子を知ろうと検索エンジンなどで来られる方もいるかもしれないが、ここは個人的なブログなので、以下はバランスの取れたレポートと言うより私の私的感想であり、備忘録として、参考になった点、特に興味を引かれた点、そして残された疑問などをメモしておきたい。
片山幹生先生の講演だが、概説なのでここでは細かい内容紹介は省くとして、全体として感じたのは、現存するフランス中世演劇のテキストの多様さ、豊かさだ。英語の中世演劇のテキストというと聖史劇の4大サイクル、『エブリマン』や『堅忍の城』など、道徳劇が数本が主なもの。その他は、Digby写本の『マグダラのマリア』他のわずか2,3作の聖人劇、Brome写本の『アブラハムとイサク』などの幾つかの単独の劇、コベントリーやノリッジの聖史劇のサイクルの一部など、西欧の主要な言語に比べるとおそらくかなり少ない。フランス語では、その点、うんざりするほど長い、多数の聖史劇(ミステール)や道徳劇(モラリテ)をはじめ、阿呆劇(ソティ)、笑劇(ファルス)といったイングランドでは殆ど見られないジャンルの数多くの劇もある。私も若い頃、現存テキストの少ないイングランドの中世劇と比べて、フランスの中世劇研究者を大変羨ましく思ったくらいだ。しかし、現存作品の多さ故の苦労もあるだろう。テキスト研究も殆どされていない作品が多いようだし、ましてや、細かい上演記録の掘り起こしは、まだまだ先が長いという状況ではないかと推察する。長大な作品が幾つもあるとは知っていたが、シモン・グレバンという作家の『使徒行伝の聖史劇』など、6万2千行くらいだそうである。古仏語の長編叙事詩『ロランの歌』が約4千行、古英語の同じく長編叙事詩『ベーオウルフ』は3千行少し、と比べるともの凄い長さと分かる。残ったテキストの乏しいブリテン島の劇の場合、英米の多くの研究者達は上演にまつわる資料の発掘に力を注いできた。中世演劇の最初から、清教徒革命の始まる前、つまりシェイクスピア時代のロンドンも含めて、膨大な上演関連資料が、『英国初期演劇資料集』(The Records of Early English Drama, 略称REED)にまとめられつつある。大冊の本が既に30巻以上出版されており、更に順次インターネット上でも公開されつつある。フランスの上演資料も色々個別には出版されていると思うが、まだまだ写本のまま埋もれた資料が多いのではなかろうか。
片山先生は、ラテン語典礼劇についてもかなり触れて下さった。1960年代くらいまでは、典礼劇は英仏独語などの近代語劇を用意したものという進化論的な考えが強かったが、現在では、「演劇的な典礼」とも言える全く別のジャンルとして、14,15世紀まで生き延びたことを片山先生も確認されていた。典礼劇が終わっていく1つのきっかけは、1545年から63年まで繰り返し開催されたカトリック教会のトリエント公会議において、典礼のトロウプスを禁ずるという決定が成されたことがきっかけだとか。最盛期以降、典礼劇がどのような流れをたどったか、私も知らないので参考になったし、今後詳しく学ぶ必要があると思った。ちなみにこの講演以外の話だが、どこかで読んだが(記憶は定かでない)、戦国時代から安土桃山時代、日本にやって来た宣教師によって多くのラテン語の祈り(オラシォ)が伝えられたが、その中には演劇形式のものもあったとか。ラテン典礼劇が日本にも伝わっていたのだろうか。
ラテン語の典礼劇については、近代語劇と基本的にまったく別のジャンルの芸術であり、そもそも演劇的な形をした「典礼」の一種であるという考えに基本的に賛成ではあるが、私はその考え方が近年強くなりすぎているのでないかとも思う。例えばラテン語の劇でも、ボーヴェ大聖堂の『ダニエル劇』とか、『聖パウロの改宗』のような聖者劇、ベネディクトボイアルンの受難劇など、大規模で、「客」とは呼べないにしても、充分に「観衆」を意識し、また作品によってはおそらく地元の人々の上演への協力や参加も考えられる劇もあり、ラテン語にかなり近代語が混じって使われている場合もある。これらは、12世紀のフランス語劇の『アダム劇』と同様に、一般的なラテン典礼劇とは別に考える必要がありそうだ。つまり、やはり典礼劇とは別に、あるいはそれから発展して、教会を上演場所とし、儀式を越えた、観衆のための「見せる」演劇の発達があったというべきではないだろうか。但、それらが、14,15世紀の聖史劇や道徳劇の誕生に繋がったかというと、それはまったく別の問題だが。フランスの都市アラスで13世紀に、一気に高度な演劇文化が開花したように、その前に発展を準備する下地が乏しくても、条件が整えば高度な演劇が短期間で開花する場合があり、12世紀の西欧に幾つかそのような演劇の盛んな大聖堂のコミュニティーがあったのではないだろうか。アラスの演劇については、杉山先生は今回簡単に触れられただけだが、大変詳しいようなので、次の機会にはお話しを聞きたいものだ。発祥から、様々なジャンル、そして現代への影響まで、中世劇全般に関する片山先生の広範な知識がうかがえる講演だった。その点で、私の勉強をふり返ると、自分の興味あるテーマだけは細かく掘り下げていても、イギリス中世劇のその他の部分については知らない事だらけで、フランスと違って作品は少ないのに、ろくに読んでないものさえある。これまでついつい趣味的な勉強に終始してしまいがち。少なくとももっとこのジャンル全体への目配りもしなくては、と反省させられた。
最後に片山先生は、現代文学や演劇における中世劇の影響について、ガブリエレ・ダヌンツィオの『聖セバスチャンの殉教』、ポール・クローデルやダリオ・フォの作品にも少し触れられた。これらの作家作品については私は全く読んだこともなく無知であるが、そういう視点で研究することも出来るのか、と教えられた。それぞれの作家作品における中世劇の影響について、詳しい講演などあると良いな。
後半の杉山博昭先生による、15世紀フィレンツェの聖史劇の話は2月の講演と重なる部分が大分あったので、全体的な内容については、そちらもご覧下されば幸いです。
杉山先生の講演タイトルが示すように、フィレンツェの聖史劇は15世紀イタリア、ボッティチェリの同時代に栄え、「ルネサンス劇」の一部と言う事になる。聖史劇というと英仏独など、他の言語の文化では「中世劇」に分類されているが、当時のヨーロッパの先進国イタリアではルネサンス花盛りの時期である。この中世とルネサンス、あるいは近代初期の文化や文学における時代区分は難しく、かつ重要な問題で、現在も英米の学会でも盛んに議論がされているようだ。今回も公演後、聴衆からコメントが出されていた。
さて、2月の講演同様、杉山先生の講演の主旨は、ボッティチェリなどの当時のフィレンツェの画家達が、受胎告知やキリストの昇天などの絵画を描くにあたり、実際に目撃した聖史劇のイメージを部分的に使って絵を書いている事は明らかだという点。従って、上演がどうなされていたかも、こうした絵を参照することである程度分かる、ということだった。特に、描かれた天使の羽根に見られる舞台衣装の痕跡、天使の光輪がやはり舞台のコスチュームを映している形跡、舞台で使われた天球を表す大道具と絵画の天球の相似、そうした大道具についての当時書かれた記述や描かれた図、その他興味深い具体的な資料に満ちた発表だった。近代科学の発祥の地であるイタリアであるから、そうしたメカニカルな歯車を使った大道具や、特殊効果に使われた花火なども、今聞いても驚くレベルだったようで、聖堂の中で観客の度肝を抜くスペクタクルを繰り広げたシーンもあったらしい。歌舞伎の宙乗り同様に、教会の空間をロープを伝って天使が素早く移動したりというようなシーンも想定されるそうだ。
イングランドの中世劇と比べて面白いのは、フィレンツェでは比較的短い、聖書のエピソード1つ(受胎告知とか、キリストの昇天など)を取り上げた聖史劇が盛んだったこと。イングランドでは、天地創造から、旧約の物語、新約のイエスの誕生や伝道、受難、そして最後の審判など、キリスト教から見た人類の歴史全体を取り上げる所謂「サイクル劇」の形式が主である。フィレンツェにもサイクル形式の聖史劇もあったそうではあるが。イングランドでも、テキストの現存しない無数の宗教劇が上演されていたのは確実であり、全体としては、多くの短い宗教劇があったとは思う。
大変驚いたことして、イタリアでは聖史劇の脚本が、上演されなくなった後の16世紀に千の単位の部数で印刷されて、広く読まれたそうだ。多くの人々が、聖書の物語を分かりやすい「ドラマチックな」形で読む手段として、劇の台本を読んだわけである。当時のフィレンツェの識字率は40〜50パーセントあったと杉山先生はおっしゃっていたがこれもイングランドと比べ、驚異的高さ。但、男女別、また識字の内容(ラテン語かイタリア語かなど)には触れられなかった。恐らく成人男性の識字率で、ラテン語・イタリア語の区別なくいずれかの言語、ということだろうか? 脚本は写本としても残っているそうだし、杉山先生自身、写本に直接当たって研究されているようで、素晴らしい。この写本の性質とか使用用途についての詳しい説明はなかったが、これも聞いてみたいことだった。英語の写本の場合、一種の記録として市当局が保存用に作ったもの(ヨーク劇)、上演が行われなくなった16世紀に好古家が書物のコレクションとして筆写させたと考えられるもの(チェスター劇)、用途も実際の上演に基づいた写本かどうかも分からないもの(タウンリー劇、Nタウン劇)など、それぞれ、独特である。劇の写本のあり方は、単純に「読む」ために作られることはまずないので、考慮すべき点が多い。
フィレンツェでもイングランド同様、女性の役は若い男性(少年)が演じたそうである。この点は、日本も含め、多くの伝統演劇に共通する点。しかし、これは前回の講演の時も疑問が残った点だが、女性はどのような形、あるいは地域でもイタリア語の演劇から排除されていたのだろうか。例えば、世俗劇はどうなのだろう。近年、尼僧院における演劇(convent drama)の研究などもなされており、イタリアでもそういう場所では女性が演劇を行ったかも知れない。同じく女優の存在は、フランスではどうだったんだろう?
杉山先生の講演は、フィレンツェの聖史劇、それも美術と演劇の関係に的を絞ったものであったので、イタリアの聖史劇全体に関しては、例えば聖史劇の起源など、聞いてみたいことが沢山残った。しかし、これは私がご本人の著書やイタリア演劇史の概説書などでまず基本事項を勉強してから、直接質問すべき事だろう。
以上、今後も考えるために、個人的な感想や疑問を思いつくままメモしてみた。
この研究会は私は会員ではなく、今回インターネットのお知らせで知って聴講させていただいたのだが、それぞれ、講演時間も1時間半近く、更に質問時間もとても長くて、質問も多岐に渡り、大変な努力をして講演と質疑応答をやっていただいた。講師のお二人に深く感謝したい。勉強になった。
2016/01/28
森有正の先生、リュシアン・フーレ
哲学者でフランス文学者、森有正の『バビロンの流れのほとりにて』(筑摩書房、1968)は私の学生時代の愛読書だった。一気に通読するような本ではないが、かけていたカバーがすり切れるくらいたびたび開き、あちこち気の向くままに繰り返し読んだと思う。その後、ずっと読んでなかったが、ふと今日手にとってパラパラめくってみた。
それで再び思い出したのは、森が個人教授を受け、大きな影響をこうむったのが、古仏語学者として多くの業績を残したリュシアン・フーレ (Lucien Foulet, 1873-1958) だったことだ。森の別の本、『遙かなノートル・ダム』(講談社文芸文庫、2012、初版1983)、の159-160頁にこのフーレ先生のことがやや詳しく書いてある。非常に几帳面な人だったようで、授業の時間にも、5分早くても5分遅刻してもいけなかったそうである。森はこの先生の自宅でモンテーニュの『エッセー』をテキストにして教わっていたらしい。その個人教授の様子が幾分うかがえる次のような一節がある:
先生からは字句の定義について深い教えを受けたと思っています。この場合、定義というのは、辞書の中に出ている定義ではなく、その言葉によって現実に指されている事物や観念や精神なのです。いいかえれば、唯一の実在である経験の現実態そのものなのです。先生はいろいろな例をとったり、時には御自分で身振りや妙な発声までして、それを伝えようとして下さいました。(160頁)
このリュシアン・フーレという学者、ウィキペディア仏語版も英語版でも説明がない。ドイツ語版では割合短い解説があるのだが、残念ながら私はドイツ語が読めない。それで、他に彼の事を知る手段がないかネット検索で探したところ、ロマンス諸語の学術誌、Romance Philology 13巻1号(1959年)108-110頁に割合詳しい死亡記事があったので読んでみた。彼は中世フランス語文学作品『狐物語』 (Roman de Renard) の研究、クレチアン・ド・トロワの『ペルスヴァル』 (Perceval) の現代語訳、そして、中世フランス語の統語論や語彙に関する多くの著書や研究論文、書誌を残しているようだ。基本的に、中世の文学作品の正確な理解を助けるテキストの確立と編集、そしてそこに現れる文法事項を精密に研究する伝統的なフィロロジスト(文献学者)であったようだ。
彼はどうして森を自宅で教えていたのだろうか。フーレはグラン・ゼコールの中でも名門の高等師範学校や高等研究院で学んだ後、数年、リセで教えていたが、アメリカ、ペンシルベニア州の名門私立女子大、ブリンマー・カレッジ(Brian Mawr College)で1900年から1909年まで教えた。1909年にはカリフォルニア大学バークレー校に移り、1912年まで勤め、仏文科に大きな足跡を残した。しかし、1912年、彼は健康問題のためにバークレーを辞職し、パリへ戻った。その後はずっとフリーランスの学者、英語で言うところの independent scholar として生涯を過ごしつつ、変わらぬ情熱を研究に注ぎ続けたらしい。ということで、森有正のような学者を個人的に授業料を取って教えていたのだろう。森にフーレを紹介したのは渡邉一夫だったそうだ(『遙かなノートル・ダム』277頁)。
森有正は1948年に東京大学の仏語仏文学の助教授に就任。1950年、39才で、先輩教授の渡邉一夫などに促されて、なかば嫌々パリに研究留学した。しかし、パリで彼は彼の地でしか出来ない勉強に目覚め、1952年、41才にして、東大助教授という日本の人文研究者としては最も権威ある仕事を辞職してパリに留まった。その後彼は55年まで翻訳や通訳などの仕事をして生計を立てたようだ。55年にソルボンヌ大学付属東洋語学校の教師となり、日本語日本文学を教え始める。そうした森だったから、健康問題でバークリーの名誉ある仕事を失ってフランスに帰ってからも、自宅で営々と研究に励むフーレには共感し、深い敬意を払っていたのだろう。
これに関連した文章として、森は『バビロンの流れのほとりにて』に収められている「流れのほとりにて」というタイトルの文章で、芸術や思想の追及が、一方で展覧会とかコンクール、他方で大学教授の職といった世俗的野心と結びついていることを嘆き、自分がそういう生き方と袂を分かって、パリにおいて思想を深める決意を表明している:
この文を森は1957年、留学して7年目、46歳の時に書いている。私は森の哲学的な、あるいは比較文化的な思索などにそれ程関心があるわけではない。それでも今も昔も彼の書き物に引かれるのは、この世俗を忘れて学問に専心しようとする純粋さ故だろう。その意味で、リュシアン・フーレにも興味を持った。
最後に、リュシアン・フーレの主要な著作を挙げておきたい。
A Bibliography of Medieval French Literature for College Libraries, with Albert Schinz and Georges A. Underwood, (New Haven, 1915)
Petite syntaxe de l'ancien français (Paris 1919)
Le Roman de Renard (Paris, 1914)
(edited) La Chastelaine de vergi : poeme du xiiie siecle (Paris, 1921)
(translated) Chrétien de Troyes, Perceval le gallois ou le conte du graal (Paris 1947)
亡くなられて半世紀以上経つというのに、今でも新本や古書で手に入る本ばかりだから凄い。Petite syntaxe は以前名前は聞いたことがある。多分、古仏語学習者には良く知られたロング・セラーなのだろう。専門外ではあるが、そのうちどれか一冊買い求めて覗いてみたいと思っている。
森有正は1948年に東京大学の仏語仏文学の助教授に就任。1950年、39才で、先輩教授の渡邉一夫などに促されて、なかば嫌々パリに研究留学した。しかし、パリで彼は彼の地でしか出来ない勉強に目覚め、1952年、41才にして、東大助教授という日本の人文研究者としては最も権威ある仕事を辞職してパリに留まった。その後彼は55年まで翻訳や通訳などの仕事をして生計を立てたようだ。55年にソルボンヌ大学付属東洋語学校の教師となり、日本語日本文学を教え始める。そうした森だったから、健康問題でバークリーの名誉ある仕事を失ってフランスに帰ってからも、自宅で営々と研究に励むフーレには共感し、深い敬意を払っていたのだろう。
これに関連した文章として、森は『バビロンの流れのほとりにて』に収められている「流れのほとりにて」というタイトルの文章で、芸術や思想の追及が、一方で展覧会とかコンクール、他方で大学教授の職といった世俗的野心と結びついていることを嘆き、自分がそういう生き方と袂を分かって、パリにおいて思想を深める決意を表明している:
・・・芸術とは、一箇の人間が、人間として深まり、普遍の影を映すようになったそのものだ。だからそれは、本質的に、展覧会や、コンセールや、コンクールや、フェスティヴァルや、雑誌などとは何の関係もないものだ。芸術は今日、何とゆがめられつくしていることだろう。元来名誉とは何の関係もないものが、むしろ旧い名が死んで本当の、無記名の名の誕生にまで延びてゆくはずのものが、顚倒され、旧い名と名誉とのための道具となってしまっている。スポーツや博覧会と本質的に同じものにされてしまっている。思想は大学教授とは何の関係もないものだ。それが大学教授になるために研究され、論文にまとめられている。自分としては、おそらく人間そのものの唯一の道と思われるものがこのようになっていることに、嘆かないでいられようか。しかし僕は、そういうことから離れて、自分の道を行きつくすまで歩いて行かなければならない。この嘆きをも忘れなければならない。自分の道を進むことが唯一絶対のことなのだから。また時の流れは一度しか経過しないのだから。そして経過した時は絶対にとりかえせないのだから。(176-77頁)
この文を森は1957年、留学して7年目、46歳の時に書いている。私は森の哲学的な、あるいは比較文化的な思索などにそれ程関心があるわけではない。それでも今も昔も彼の書き物に引かれるのは、この世俗を忘れて学問に専心しようとする純粋さ故だろう。その意味で、リュシアン・フーレにも興味を持った。
最後に、リュシアン・フーレの主要な著作を挙げておきたい。
A Bibliography of Medieval French Literature for College Libraries, with Albert Schinz and Georges A. Underwood, (New Haven, 1915)
Petite syntaxe de l'ancien français (Paris 1919)
Le Roman de Renard (Paris, 1914)
(edited) La Chastelaine de vergi : poeme du xiiie siecle (Paris, 1921)
(translated) Chrétien de Troyes, Perceval le gallois ou le conte du graal (Paris 1947)
亡くなられて半世紀以上経つというのに、今でも新本や古書で手に入る本ばかりだから凄い。Petite syntaxe は以前名前は聞いたことがある。多分、古仏語学習者には良く知られたロング・セラーなのだろう。専門外ではあるが、そのうちどれか一冊買い求めて覗いてみたいと思っている。
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