"York Mystery Plays 2012"
2012. 8. 17 19:30-23:00 (including a 25 min interval)
2012. 8. 18 14:30-18:00 (including a 25 min interval)
York Museum Gardens
8月17日の夜の部と、18日のマチネのヨーク・ミステリー・プレイを見に、1泊でヨークに出かけた。沢山ノートを取ったので、時間があればまた詳しく書きたいと思うが、とりあえずは全体の印象をメモしておきたい。
2010年夏にもヨーク・ミステリー・プレイをヨークの街頭で見ているが(そのときの記録はこちら)、その時はワゴン上の上演。今回はヨーク・ミュージアムの庭に設けられた特設の野外ステージでの上演。多くの細かな劇を約3時間強のひとつの劇にまとめた脚本による上演。したがって、テキストへの忠実さには欠けるが、一貫性があり、非常にドラマチックな作品に仕上がっていた。観客席は1000席くらいあっただろうか。背景は聖マリア修道院の廃墟の壁であり、非常に美しい。特に夜の部では、廃墟の壁がライトに照らし出されて、実に壮麗な雰囲気をかもし出した。野外で、しかもステージも大きいので、声はマイクで拾っていた。
コスチュームは現代服(但し、Tシャツとかジーンズなどポップなものは無くて、やや古めかしく、戦前の庶民のスタンダードな服と言う印象を受けた)。善と悪、キリストとルシファーの対立を、劇の全体を通じて強調した上演だった。台詞のないシーンでも、この2人を演じる俳優がほとんど背景に居て、演技する人々を見守ったり、誰かにこっそりと耳打ちをしていて、人類の様々な善悪の行為の背後には、常に神かルシファーが居ることを観客に知らせていた。ワゴン形式での上演がそれぞれの短い劇のバラエティーで楽しませてくれるのに対し、こちらは統一された人類史のビジョンを示した。
磔刑のシーンは比較的短く、また原作に比べてそれほど残酷さを強調していなかったが、それでも子供達の中には、悲鳴を上げたり、耳をふさいだりする子もいた。キリストの演技は、非常に感情に訴える、エモーショナルなもので、観客の感動をかきたてた。こういう劇のインパクトはテキストではなかなか想像できず、見てみないと分からないと実感。
30人くらいの人がステージを埋め尽くすような群集シーンがとても多い。キリストの裁判のシーンも、一種の民衆裁判であり、キリストを死に追いやるのは民衆の声だということがはっきり分かる。最後の審判の後は、すべての演技者(50人くらいか)がステージを埋め尽くして神の声を聞き、そして、翻って観客に向き合って私たちを見つめて、全体の劇が終わる。キリストを死に追いやり、そして彼の再生に立会い、更にやがて最後の審判を受けるのも、私たち観客自身である、と言うかのようだ。オーバーマガウの受難劇もそうらしいが、コミュニティーの老若男女の人々が沢山参加していることが実感された。観客と劇を演じるコミュニティーの人々が一体となり、今の我々の生き方を直接問いかける、普遍的な広がりのあるドラマとなったと思う。
イギリスに来ると、ニュースを見ても、新聞を読んでも、人権とか、広い意味でのモラルに関することが日本よりずっと多いと感じる。ナショナル・シアターなどでの現代劇で取り上げられるテーマも同様だ。ヨーク・ミステリー・プレイで表現された善と悪、神とルシファーの対立は、キリスト教徒であるかないかに関わらず、多くのイギリス人の心理の琴線に触れるものかもしれないと思いつつ見た。
ヨーク・ミステリー・プレイのテキストを読み、学んでいる者として、強いて言えば、原作に忠実なワゴン・プレイ方式のほうが好みではあるが、今回のような上演も是非見たいと思っていたので、この夏見られて大変幸せだったし、素晴らしい上演だったと思う。
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