2012/05/23

Poor Priests' Hospital, Canterbury


最近のブログで、Canterbury Heritage Museumに納められた石板の彫り物の写真を載せた。このStour Streetに面する博物館であるが、中世に出来た建物で、貧しい聖職者のホスビタルであった。この頃の"hospital"とは病院ではなく(病気の人も収容されたとは思うが)、基本的には慈善を目的とした宿泊所のことである。おそらく、他に住居や世話をしてくれる親類がいないような僧侶が一時泊まったり、あるいは晩年を過ごしたりしたのであろう。




The Great Hallなどのメインの部分は12世紀に出来たようで、1174年から1207年まで、ある製革職人 (tanner) 、貨幣鋳造業者 (minter)、およびそのminterの息子のAlexanderがここの建物を住居として所有していたらしい。その後、このAlexander of Glouceserが宗教的な救護院にした。2階部分や向かって右側のThe Chapel of St Maryは後に増築されたものである。

1575年までこうして救護院として使用され、それ以後は学校、救貧院、工房、クリニックなどとして使われてきたが、1987年に博物館になって、今に至っている。

 大広間 (The Great Hall): ここで僧侶たちが食べたり、寝たりした。中世の間は中央に暖炉があり、煙は軒に開いた隙間や窓から外に出た。日本の囲炉裏と同じようなものである。屋根に煙突がついているが、ずっと後、近代になって、作られたものだろう。煙突と繋がった暖炉は中世の住宅ではほとんど見られなかったはずだ。もともとは1階だったが、後にフロアーが付け加えられて、2階に分けられたようだ。




聖マリアの礼拝堂 (The Chapel of St. Mary)の屋根: 聖マリアの礼拝堂は、正面から向かって右側の、張り出した部分にあった。今は展示スペースの一部。中世の多くの建物がそうであるように、木造の屋根である。材木は樫の木(オーク)。縦に天井の一番高いところに向かって伸びている木材をcrown postとか、king postと言う。横に伸びているのは梁 (cross beam) 。crown postと cross beamで屋根を支える。こうした三角の構造をトラスとか「結構」 (truss) と呼ぶそうだ(私は建築についてはまったく無知なので、詳しく知りたい方はご自分で調べてください)。



カンタベリー大聖堂などのすべて石造りの建物と違い、こういう木の屋根があると、暖かい印象を与えてくれる。教会のような宗教建築でも、壁は石で作られているが、天井は木造という建物が大多数だと思われる。天井を石にする為には、より高度の技術、そして側壁を大変厚くするなど、多額の費用がかかったことだろう。先日ブログで書いたドラマ『ダークエイジロマン大聖堂』でも、無理に天井を石にしたために、完成して間もなくその天井が崩れて多くの人が亡くなるというエピソードが描かれていた。

今回の記述にあたっては、博物館館内の掲示と、こちらのサイトを参考にした。

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