心の孤島に住む人達
Rose Tremain, "Sacred Country"
(1992; Vintage Books, 2002)
☆☆☆☆/5
Rose Tremainの本を読むのは4冊目。全て去年イギリスに来てから読んだ。それだけ気に入っている。これまで私が読んだ作品は、"Restoration", "Music and Silence", "The Colour"など、歴史小説が3冊と、現代のイギリスを扱った"The Road Home"。どちらかというと、歴史小説が得意なのかなと思っていたが、今回の作品は1952年から80年までの、現代イギリスを舞台にしている。
ほとんどの登場人物は、イングランド東部、サフォーク州の田舎にある小さな架空の町Swaitheyの人々。そこの農家に生まれたMary Ward、彼女の家族、知り合い、町の人々などが約30年の間、どのように生きていくか、比較的坦々と描く。ドラマティックな出来事は少なく、また、そういう風に盛り上げる描き方でもないが、色々な小さなエピソードが、しみじみと心に響く、不思議な魅力に溢れた作品。
Maryは6歳の時に自分が男であることに気づく。いや、体は女であるが、心は男以外の何者でもないと自己認識する。つまり性同一性障害者である。この物語の一応の柱になっているのは、彼女が女の子Maryから、男性Martinに変わろうとしていくプロセスである。彼女の父親Sonnyは大変頑固で不器用な農夫。Mary=Martinの真の人格を認めようとせず、娘が女性であるのを拒否していることに気づくと、彼女に大変冷たくあたり、さらには殴るなど虐待する。母親Estelleは感受性の強い、繊細な女性であるが、夫Sonnyと気持ちが通じあえず、また、娘Maryの複雑な人格を受容し、保護するだけの強さも持ち合わせていない。やがて彼女は正気を失い、精神病院に出たり入ったりしてその後の人生を過ごし、自分の家庭に居るよりも、その精神病院の生活に安らぎを感じるようになる。退院している時は、ただひたすら、テレビドラマに逃避する。
Maryは自分の家に居場所がなく、また、21世紀の今ならともなく、1950年代に性同一性障害では、相談する人もおらず、孤立した生活を強いられる。しかし、Swaithleyの町には同様に孤独な人が色々といた。赤ん坊を抱えての一人暮らしで生活に苦労しているIreneと、彼女に夢中になる一人暮らしの老人Edward Harker。彼はクリケットのバットの職人で、日がな一日、地下室でバットを作っている。世間離れした、孤独で「オタク」の肉屋、Walter Loomis。Walterは最初ヨーデルに凝って気が狂ったように練習した挙げ句、喉を壊し、後にカントリー・ミュージックに夢中になって、本場メンフィスに渡り、成功はしないけれどもアマチュア・ミュージシャンとして自分の居場所を見つけ、ささやかな幸せをつかむ。小学生のMaryを教えるが、やがて引退して一人暮らしをしている元教師のMiss McRae。彼女は、Maryが気が狂ったようになったSonnyから逃げるように家出した時に、彼女を暖かく受け入れる。作者は、Mary=Martinの人生だけでなく、これらの人々の暮らしの変化も丹念に描く。小さな田舎町に住む孤独で個性の強い人々という意味で、大昔読んだカーソン・マッカラーズの『心は孤独な旅人』なんかとちょっと似た雰囲気かもしれない。家を出たMaryは、10代の半ばから、母方の祖父のCord(彼も妻を早く亡くして、一人暮らし)やIrene、Walter、そしてMiss McRae達に頼ったり、話し相手になって貰ったりしつつ何とか思春期を生き延び、ロンドンに出て小さな出版社で雑用係をしつつ、性同一性障害について詳しい専門のカウンセラーを探し出して、外科手術も受け、徐々に男性Martinへの道を歩み出す。
Maryの物語を中心に据えながら、その他の小さな物語も紡いだ、短編集の要素もある長編小説という感じの作品。他のTremainの小説でもそうだが、時の経過と共に、人生の今ある状態を素直に受け入れることの大事さを感じさせる。Maryも何度かの性転換手術を受けることになるのだが、そのプロセスを最後まで終えないうちにやめてしまう。彼/彼女は、ある時点で、自分のあるがままの状態と静かに向き合うことが出来たのだろう。彼は、Walterを頼ってメンフィスに渡り、そこでスーパーの店員として働く。職場の同僚が無愛想なことについて、次のように思っている:
I don't mind. I'm not in search of friends and confidences. I'm concentrating on being. I live each hour, one by one. My mind is quiet and still. I'm no longer waiting for time to pass. (p. 340)
(拙訳)私はそんなこと、気にしない。私は友人や打ち明ける相手を捜しているわけじゃない。私は今こうして生きていることに、毎時間、集中している。心は静かで、もう時間が過ぎることを待ってはいない。
これは性転換のプロセスについての文章ではないが、ここでMary=Martinが言おうとしているのは、「こんなはずじゃない、こういう人間になりたい」、と思いつつ生きるのではなく、今そこにある自分を受け入れる、と言うことが出来た満足感と心の静けさだろうか。
私の拙い文章では表現できない芳醇な味わいの小説。一読しただけでは充分味わい尽くせない。繰り返し読んでも、一部を読み返しても楽しめる作品だと思う。
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