2009/12/09

Jewry Lane, Canterbury




中世カンタベリーのユダヤ人街Jewry Lane, Canterbury


何と言うこともない通りですが、名前に惹かれて写真を撮ってきました。何しろ、「ユダヤ人通り」という名前で、珍しいので、昔から気になっていました。この通りは、カンタベリー市街の多くの通り同様、中世からあって、ここに12世紀には既にユダヤ人が住んでいました。その当時、イギリスでも最も豊かなユダヤ人街のひとつだったようです。近代初期の歴史家William Somnerによると20家族ほどが住んでいました。この通りの近くにはユダヤ人の宗教的な集会所であるシナゴーグ(synagogue)もあり、ラビ(rabbi)も居ました。ユダヤ人学校もあったようです。しかしこれらのユダヤ人の住居や学校、シナゴーグの痕跡は、今はまったく無くなり、単なる裏通りという感じです。彼ら中世イングランドのユダヤ人は、国王エドワード1世(在位1272-1307)の時代の1290年にイギリス全土から追放されました。1279年には、貨幣鋳造をめぐる犯罪の疑いをかけられてカンタベリーのユダヤ人全てが城(Norman Castle)に投獄され、6人が絞首刑にされたそうです。その頃のカンタベリーには、反ユダヤ人感情が高まっていたのかも知れません。


なお、ユダヤ人がイングランドに再び入ってくるのは17世紀半ばから後半。共和国時代にユダヤ人商人の財力を利用したいというオリバー・クロムウェルやその後の政府の思惑からであったようです。1655年が、ユダヤ人のイギリス再移住の許された年となっています。しかし、彼らが土地所有を許されたり、国籍を得たりするには長い時間がかかり、18世紀になってからだったようです。その頃には、カンタベリーにも、新たにユダヤ人が住み始めました。1730年には新しいシナゴーグがKing's Streetに出来たとのことです。

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