2011/11/03

『アダム劇』の制作はどこか/中世イングランドの仏語

caminさんのブログ、「フランス中世演劇史のまとめ」に私が付けたコメントを多少修正した上で備忘録としてここにも残しておきます。今回もアングロ・ノルマン(中世フランス語の方言でイングランドで話されていたとされるもの)の劇、『アダム劇』について。

ノルマンディー等、大陸におけるアングロ・ノルマン方言の使用については、私は何も知りませんが、caminさんのおっしゃるとおり、イングランドから戻ってきた写字生がアングロ・ノルマンの方言特徴を持った写本を書いた可能性もあるのだろうと思いました。また写本が残っているのもフランスだそうです。例えばFrancian(パリ付近の方言)で書かれ演じられた劇でも写字生がアングロ・ノルマンの人なら写本はアングロ・ノルマンになることさえあるでしょうから。

ちなみに『アダム劇』がどこで書かれたかについては、どうもこの名作の取り合いの様相もあるようです。英語圏やドイツの学者はアングロ・ノルマンと言い、フランスの学者はノルマンと言っている、とPaul Aebischerは彼のテキスト("Le Mystère d'Adam", TLF, 1964)の序文で書いていました(pp. 18-19)。実際、彼によるとこのテキストでアングロ・ノルマンの方言特徴を示す語は非常に少ないようです。Grace Frank(1954)は、'the author, according to most authorities, was an Anglo-Norman'(p. 76)としています。英訳を出しているRichard AxtonとJohn Stevensによると、'Recent scholars have not yet decided whether the author of "Adam" was Norman or Anglo-Norman; the distinction is perhaps not a valid one to make.' ("Medieval French Plays" [1971], p. xii)。David Bevingtonは彼のアンソロジーの序文で、'quite possibly produced in England'と書いています("Medieval Drama" [1975] p. 78)。皆古い本ばかりなので、最近の見方は分かりませんが。

なお、同じく、ほぼ同時代のアングロ・ノルマン劇、"La Seinte Resureccion"の方は、方言特徴に加え、現存する2つの写本のうち1つはカンタベリーのChrist Church Monastery(カンタベリー大聖堂のこと)で制作されたようだとBevington (p. 122)は書いていて、その写本はイギリスに残っていたようです(今は大英図書館です)。

「アングロ・ノルマン方言の台詞は、アングロ・ノルマンを理解できる人のために書かれたものなので、上演者および聴衆にとって台詞が「外国語」であった、とは考えにくい・・・」(caminさんのブログからの引用)

この点は白か黒かをはっきり分けるのは大変難しいと思います。中世においてもイングランドの圧倒的多数の人々は、フランス語を外国語として学びました。それでも、プランタジネット家の宮廷であればフランス語が第一言語であった人もかなり混じっていたと思われますが、修道院などでは、フランス語は苦労して学ばれ、不完全に使われた「外国語」でしょう。フランス語の使用状況は、宮廷や修道院などでも、分かる人、分からない人、いくらか分かる人などが入り交じった状態であったと思います。勿論、ほとんどの平民はフランス語を使えませんし、フランスにも領地を持つことの多い大貴族とその家族は例外として、時期にもよりますが聖職者や騎士の大多数も仏語は使えなかったか、かなり不完全な使用であったと思います。貴族にしても、彼らが日常的に接する召使いや彼らを育てる乳母、その他の用人のほとんどは英語しかできなかったでしょうし、家族の間では英語を使う人が多かったでしょう。フランス語の訛りのこととか、フランス語でなかなか話が通じないことなどをしるした当時の文章も散見されます。

(私がcaminさんのブログにつけたコメントは以上)

中世イングランドの多言語状況は私にとっても大変興味あるトピックなので、今後も色々と勉強してみたいと思っています。関心のある方、コメントをいただけると幸いです。なお、『アダム劇』については、過去の投稿も見ていただけると幸いです。

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