4月15日の夜放送されたNHKのドキュメンタリー、BS 1 スペシャル「ブレイブ 勇敢なる者『えん罪弁護士』完全版」を見ました。冤罪事件の弁護に生涯をかけて取り組んできた今村核弁護士を追った番組です。
日本の刑事司法では、有罪率が99.9パーセントだそうです(下に書いているようにシステム自体が違うのですが、西欧や米では70〜80パーセントだそうです)。日本には裁判所は要らない、裁判官は検察と一体、という状況が日本の刑事司法です。被告は国際的にも非難され続けている長期拘留制度(所謂「代用監獄」)で精神的に追い詰められ、やってもない犯罪をやったと自白をします。精神的拷問です。司法がまともに機能していない国には、本当の民主主義はありません。その意味で、日本はまだ形だけの民主国家だと思います。
刑事司法では、リーズナブルな疑いが残るときには有罪判決は出せない、というのが国際的な原則です。ところが日本の裁判では、犯人であるとの疑いが濃いと警察や検察が考える時は、裁判所も有罪判決を出すので、弁護側は、被告が絶対に無罪であることを証明しないといけません。これは本末転倒です。お金も人も専門家もいない被告側弁護士が、そんな証明は出来ません。精々出来るのは情状酌量を求めるくらいです。ですので、日本の刑事裁判は皆有罪判決となり、被告はまずは言われた罪をそのまま認めた上で、お上の情けを歎願するのです。江戸時代と変わりません。
今村弁護士は元々この番組が作られた2016年までで、14件の無罪判決を勝ち取っています。普通の弁護士だと、刑事裁判で無罪を勝ち取るのは、一生涯で1件あるかないかだということで、14件の無罪というのはもの凄い数だそうです。彼がどうやるかというと、現場を再検証し、警察により提出された証拠や証人を再度見直し、新しい専門家を捜し、時には実証試験をして、事件を一から洗い直すのです。ほとんど収入にはなりません。それどころか、カンパを募って何とか賄うわけです。弁護士事務所の同僚からは変人、偏屈と見られ、事務所に収入をもたらさないので困った人と考える同僚もおり、あれでは家族は養えない、という貧乏暮らしなので独身です。でも、本当に正義感と他者への思いやりをそのまま真っ直ぐに実践して生きてきた方です。
映画館で何千円も出して見ても良い程の番組でした。テレビ番組でこれほど考えさせられ、また感銘を受けたことは滅多にありません。私も、博論のための研究で裁判や法のテーマをかじったから尚更でした。
今村さんの仕事への情熱にも胸を打たれましたが、それ以上に、日本の司法の救いようもない闇を見せられて暗澹たる気持ちになりました。日本の場合、有罪か無罪かの実質的な判断を下すのは検察です。検察は各事件を慎重に吟味して、無罪判決になりそうなケースは起訴猶予にします。その慎重さは良いとも言えるのですが、しかし、その陰では無罪判決の可能性が高いと言うことで沢山の犯罪被害者が検察に起訴して貰えずに泣き寝入りしているのではないでしょうか。更に検察は有罪に絶対に自信のあるケースだけを裁判にかけるので、今度は何が何でも有罪判決を勝ち取ることに必死になり、負けると大失態と考えるでしょう。刑事裁判とは、有罪となる証拠証人を検察が提出し、弁護側はそれらの問題を指摘し、裁判官(場合により陪審員も加わり)が公正中立な立場で判断を下す場所でしょう。でも日本では、裁判官よりも検察官が実際上、裁判以前に「判決」を下していると言えるでしょう。つまり国民は「お上」の判断の丸呑みをしているわけです。陪審員制度が出来たときに、普通の国民が司法の判断に加わるなんて難しすぎて出来ない、という人が沢山いましたが、そういう日本国民の考え方、司法は専門家に任せておけば良い、という考えが、いびつな司法を野放しにしていると感じます。
この番組を見て、改めて怖いと思いました。
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