2015/01/04

NHKアーカイブ「戦後70年 吉永小百合の祈り」

正月4日の日曜の午後、NHKアーカイブ「戦後70年 吉永小百合の祈り」を2時間弱見入ってしまった。 彼女がライフワークとして各地で、そして長崎や広島でも続けてきた老若男女の被爆者の詩の朗読を伝える番組。朗読する吉永さんのことより、彼女の読む詩の重さ、それらの詩の意味するものに打ちのめされる。特に、被爆した子供たちの詩、親や兄弟姉妹を目前で失っていった小さな小学生などの詩には、計り知れない重さがあり、涙が自然とこぼれる。

後半で紹介された詩では、被爆のすぐ後、重傷者のうめき声も響く焼け跡のビルの一室で出産した女性のことがうたわれている。赤ん坊を取り上げた助産婦は、その直前まで痛みでうめいていた重症の女性だった。彼女は新しい命の誕生を見届けたのち、亡くなられたそうだ。

更に2011年の震災以降、吉永さんは、原爆の詩と一緒に福島の被災者の詩も朗読している。平和利用という名のもとに日本人が長崎・広島の惨事とは関係のないものとして受け入れた原子力が、多くの人の故郷を破壊し、彼らを漂浪の民にしてしまった事を忘れてはならない、と彼女は言う。

彼女は団塊の世代の、最も知的なアイドル。街をデモで埋めた同世代の男女が、やがて高度成長の波に飲み込まれ、経済第一のエコノミック・アニマルに甘んじて若い日の理想を失っていく中、「これからもずっと『戦後』であり続けてほしい」、「戦争を忘れないように次世代に粘り強く継承したい」と努力を続ける彼女に敬意を表したい。

彼女の今年の大きな仕事は、山田洋二監督の「母と暮らせば」(松竹映画、2015年12月公開)。原爆投下後3年を経た長崎を舞台に、原爆の残した深い傷を描く作品のようだ。

私も含め、組織の一兵卒になりきり、もみくちゃにされ、景気に一喜一憂し、我を失ってきた戦後の日本人も、少しでも吉永さんを手本にしたい。歳を重ねて人はその人の元の姿に戻るようでもあり、またその人の人生で得てきたものを、良くも悪しくも表に出すようでもある。吉永さんは、姿かたちだけでなく、年輪を経て一層美しい。団塊の世代にとって、今後も素晴らしいアイドルでありつづけるだろうな。

これからもずっと「戦後」であることを意識して生きようと呼びかける吉永さん。一方、「戦後レジームからの脱却」を呼びかける日本の首相、原発とその輸出、武器輸出、ギャンブル振興を国策として推し進めようとする政府・・・。吉永さんはどう思っておられるだろうか。

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