2016/02/20

【講演】 杉山博昭 「ルネサンス期イタリアの聖史劇について」 の感想

(日時・会場)2016年2月19日 19-21時 早稲田大学戸山キャンパス
(講師)杉山博昭(早稲田大学高等研究所、助教)
(開催団体)観客発信メディアWL(ダブル)、来たるべき田楽研究会、共催

標記の一般向け講演会に行ってきた。質問時間を除いても100分くらい、様々な面にわたってフィレンツェの聖史劇のお話を堪能した。フランス中世劇については、ある程度本を読んだことがあるが、イタリアの聖史劇については、今まで何一つ知らなかったので、大変勉強になった。講師の杉山先生は修士で美術史を専攻されたそうで、特に、演劇と美術との関連に詳しい講演内容。沢山の絵画、ステージの再現模型の写真、イタリア現地の建築物の写真などを見せていただき、まるで美術史の授業を聞いているようだった。フラ・アンジェリコやボッティチェッリなど、イタリア絵画の巨匠の名作には、演劇の影響がかなりあるらしいと分かった。

講演内容について、講師の許可なしに具体的に詳しく書くのは、マナー違反になりかねないが、折角の貴重な機会だったので、イングランドの聖史劇との比較など、私の感想を中心に特に興味を引かれた点などメモしておきたい。

今回の演題は分かりやすいようにか、「・・・イタリアの・・・」となっているが、イタリアはひとつの独立国家ではなかったので、今回取り上げられたのはフィレンツェの聖史劇。それも15世紀、主に共和制時代に栄えたのだそうだ。というと、最近日本でも展覧会が相次いで開かれているボッティチェッリなど、イタリア・ルネサンス絵画の巨匠が活躍した時代と場所である。そうした絵画で描かれた天使とか聖書の人物や情景の多くが、演劇のシーンと非常に似通った面があるそうだ。美術と聖史劇の関連は、英米の聖史劇でもかなり研究されてきたが、何しろ宗教改革を経たイングランドの教会や大聖堂は白塗りされたり、削られたりして、ほとんど壁画が残っていない。イングランドの演劇と比較する場合、石膏(alabaster)の彫刻や写本の絵、ステンドグラス、そして、大陸諸国に残る絵画などが使われてきたが、イタリアはその点で、教会の壁画などとして圧倒的多数の絵画が残存しており、羨ましい。

フィレンツェでは、聖史劇が、野外だけでなく、聖堂の内部でも行われ、それらの聖堂の一部は今も現存するそうだ。聖堂内の身廊(入り口から中央までの一般信徒が入れる部分)と内陣(中央から、その奥の聖歌隊席や祭壇など、教会関係者のみ入れる部分)を仕切る壁(英語では’screen’とか’rood screen’)の高い部分で、演技が行われたらしい。こうした場所が残っているおかげで、上演の様子も具体的に再構成しやすいようだ。イングランドでは、教会の建物内部では、ラテン語の宗教儀式の一種である典礼劇は行われたが、英語やフランス語など俗語の劇が行われることはなかったようなので、違いに驚いた。

一方、野外の上演では、山車が使われたのは、イングランドと同様である。山車の行列は非常に重要な要素で、人々の人気を集めたスペクタクルだったようだ。これは日本のお祭りの山車とも共通する。但、講演を聴いた限りでは、実際の上演は町の中心部、ベッキオ宮殿の前のシニョリーア広場に山車が集結して並び、そこで行われたらしい。町の色々な場所で個別の山車が上演を行うというような事はなかったのだろうか? 日本のお祭りの山車は(例えば石川県小松市)、一同に集合して芸能を上演することもあるが、町の各所で踊りや歌舞伎を披露したりもする。イングランドのヨークでは、街頭の12の上演カ所(’stations’)が使われた、という15世紀初期の記録がある。山車がどのような形状をしていたと推測されるのか、動かすためにはどうしたのか(馬、人力?)など、聞いてみたかった。

俳優等について興味深かったのは、フィレンツェでも女性は登場しなかったと言うこと。女性役は少年が演じたようだ。この辺は、日本も含め、色々な国で共通する。そうした少年達は、性的な興味の対象にもなったとのこと。これも、イングランドや日本の女役と似た面がある。但、中世イングランドでは、地方では一部に女性が使われたという記述もあり、けして全国的に権力で女性の演技を禁じていたわけではなさそうである。その後、16世紀末から17世紀、商業演劇の時代になると、イングランドでも女性は絶対にステージには登れなくなる。その頃、フランスでは女優が使われていたそうだ。中世から17世紀末あたりまで、女優の存在や、女役の担い手について、西欧各国の事情を時系列でまとめて紹介すると面白そうだ。

フィレンツェの聖史劇は15世紀が最盛期で、その後廃れたようだ。プロテスタントに変わったイングランドよりも早いくらいだ。ギリシャ・ローマの古典劇の再興や活版印刷の隆盛などが関係があるようなことをちょっと言われていたが、時間が許せば廃れた理由も詳しく聞きたかった点。でも一度の講演では何もかもというわけには行かない。

他にも色々と面白い事があったが、上記の様に、あまり詳しく書くのはマナー違反になる怖れがあるので、このくらいにしておこう。杉山先生の研究については、ご自身が早稲田大学高等研究所のウェッブサイトで語っておられるので、関心のある方はそちらを参照してください。

更に詳しくは、若くして既に大冊の研究書を出版しておられるので、そちらを参照:『ルネッサンスの聖史劇』(中央公論新社、2013)

資料、スライド共に良くまとまっており、話も色々な興味深いエピソードを交えてお上手だった。才気煥発を絵に描いたような若手学者で、今後も大いに活躍されることと思う。私も教えられる事ばかりだった。

(追記) 今回、検索して始めて気づいたが、2014年7月に表象文化学会の企画パネルとして、「杉山博昭『ルネッサンスの聖史劇』を読む」という催しがあったそうで、その報告が表象文化学会の"REPRE" 22号に掲載されている。司会はフランス聖史劇研究の黒岩卓先生。学会のパネルであるから、それぞれの発言はかなり専門的で、私にもちょっと難しい。

2016/02/13

「英国の夢、ラファエル前派展」(Bunkamura ザ・ミュージアム)

2月13日、Bunkamura のラファエル前派展に行ってきました。ラファエル前派の展覧会は人気も高いし、日本でもしばしば開かれてきたと思います。今回の特徴は、有名なテー ト・ギャラリーなんかの作品と違い、リバプールの国立美術館からの作品が中心となっていること。従って、私は特にラファエル前派に詳しい訳ではありません が、美術展で見たことがなく、また画集などでも覚えがない絵がほとんどでした。そういう意味では貴重な展覧会だし、行く価値があります。ただ、テートなん かの絵と比べると、小品や、私にはあまり説得力の感じられない絵が多いかも・・・?まあ、日本まで持ってくることが出来る絵というと限られるでしょうからね。

展覧会の最初に、ジョン・エヴァレット・ミレーの絵が何点かあるのですが、私はそれらが一番好きです。美しい!私は、ミレー、好きですね。今回、 自分で特に気づきました(^0^)。ミレーの描く女性や自然の美しさ、何とも言いがたいです。「春(リンゴの花咲く頃)」という作品が特に印象に残っていま す。私が特にミレーが好きなのは、題材が中世だったりしても、描かれているのは19世紀のイギリス人だからですね。ヴィクトリア朝の美人画です。着ている ブラウスなんか、今でもよく見るような花柄だったり。展示の最初に掛けてある絵「いにしえの夢—浅瀬を渡るイサンブラス卿」に描かれた騎士、イサンブラス卿も、顔だけ見るとよく見るような、孫を連れたイギリスの老紳士。その他のミレーの絵も、存分に楽しめました。展示の最初がクライマックス!

その他では、バーン=ジョーンズの「スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)」という、旧約聖書の雅歌から題材を取った大作があり、素晴らしい作品でした。同じく彼の「フラジオレットを吹く天使」はまるでルネサンスのテンペラ画。ボッティチェリみたいで、きれいです。

ウオーターハウスの「デカメロン」、チラシになっている絵ですが、これも物語性が感じられて良いですね。夢中で話に聞き入っている女性達の表情が素敵です。

美術館のサイトに詳しい解説あり

2016/02/10

【テレビ番組】NHK ETV、ハートネットTV 「待ちわびて—袴田巌死刑囚 姉と生きる今—」

ハートネットTV「待ちわびて—袴田巌死刑囚 姉と生きる今—」 2016年2月9日午後8時放送

最近もETVの福祉番組「ハートネットTV」で、良い企画が続いている。2月9日は、死刑囚だが、2014年3月に刑の執行と拘禁が停止されて、釈放された袴田巌(はかまだ いわお)さんのドキュメントだった。30分の番組だし、福祉の番組であるから、冤罪が生まれた経緯などは触れられず、袴田さんが50年近い死刑囚としての拘禁生活の中で、如何に精神をむしばまれてしまったか、今、どうされているか、を淡々と映していた。

番組ホームページ

彼は、いつやって来るともしれぬ死刑におののきながら生きていたが、拘禁生活が20年以上経った頃から、妄想に襲われるようになり、現在に至るまで、支離滅裂な、常識では判断できない言葉を放ちつつ生きておられる。釈放の後、3ヶ月ほど精神病院に入院されたが、その後は自宅で暮らしている。穏やかな人で、お姉さんの暖かい愛情に包まれた、静かな毎日を過ごされているようだ。時々、勝手に出かけて、いつ帰ってくるか分からないところは認知症の人みたいでもあるが、必ず、お姉さんの待つ家に帰ってくる。饅頭や菓子パンが好きらしく、一万円札出して、菓子パンを一度に20個くらい買っているシーンが出てきて、微笑ましかった。そういうことなど、お姉さんは刑務所に入っていた間に出来なかったことを、なるべく彼の思うようにやらせたいと言われている。

このお姉さんが凄い。彼の事を思いつつ亡くなられた母親に代わって、自分が弟の母となって、独身を貫きつつ、彼の冤罪を晴らすために一生を費やし、今は、彼の病んだ心が徐々に快復していくのを待ち続けている。実の母親でもなかなか持てない深い愛情と、強い精神の持ち主である。

それにしても、袴田さんは釈放後も依然として死刑囚である。それは、検察が静岡地裁の判断に不服を唱えて、すぐに即時抗告を行ったからだ。つまり、袴田さんは、理論的には、再度収監され、死刑が執行される可能性させ残されているわけだ。但し、あの高齢で、しかも検察側の論拠は今やずたずたの有様らしいから、まずそういうことは起こらないだろうけれど。検察官達は本当に今でも袴田巌さんが有罪と思っているのだろうか?裁判とは真実を明るみに出して、罪を犯したことが疑いようのない人には罪を償わせ、そうでない人は釈放するべき仕組みであるはず。英語で言うと、"beyond reasonable doubt" ということになるはずだ。ところが、日本の司法では、一旦判断が下されると、検察も裁判所も決して過ちを認めないことが多いように見える。真実が問題ではなく、組織の権威の維持や裁判の勝ち負けを優先しているように見える。その発想は、今になっても、封建時代の「お上」による評定所のようだ。むしろ、捜査や起訴段階での間違いや不十分さを良く検証し、その結果を公開して、今後このようなことが起こらないよう社会の一員として考え努力することこそ、すぐれた組織のすべきことではないだろうか。自浄作用のある組織であると証明することが、市民の尊敬と信頼を生むと思うのだが。

私は近年、中世イングランドの裁判を勉強していて、それが、欠点だらけではあるが、如何に長い歴史と人々の経験の積み重ねから出来た制度か段々分かってきた。イングランドの裁判制度は、基本的に、市民が集まり知恵を出し合って判断するという民主主義の制度の一環として存在し、そのため、陪審員が最も重要な役割を担う。裁判長は法的にわかりにくい点を説明することはあっても、基本的な役割は裁判の司会役にしか過ぎない(その点で、日本の裁判員制度とは大きく異なる)。有罪、無罪を決めるのは別室で相談する市民達である。一方、日本では、長らく市民から遠いところで、職業裁判官、検察官、警察官などの専門家のみによって、犯罪者がベルトコンベヤー式に処理されてきたと言える。日本もやっと裁判員制度が出来て、少しは風通しが良くなることを願いたい。

この番組は、2月16日午後1時5分より再放送があります。

2016/02/06

裁判費用は誰が持つべきか: ディヴィド・ラスバンドさんの死とその裁判

以下、ガーディアン、テレグラフ、BBCなどで読んだ記事の紹介:

2010年に北イングランドのニューカッスル郊外のイースト・デントンで、警察官ディヴィド・ラスバンドさん(David Rathband)は、警察官を狙っている危険な犯罪者ラウール・モート(Raoul Moat}の潜む現場と知らず、銃も所持せずに出動していて、モートに銃で撃たれた。ラスバンドは大怪我を負い、失明した。それ以降、ラスバンドは色々なチャリティ活動などもして立ち直ったかに見えたが、内心は複雑で家庭生活は崩壊していったようで、妻とは別居した。そして、2012年についに自殺。彼の親族は、警察の上司が、そのような危険な現場であることをラスバンドに知らせなかったことで、彼は無警戒でパトカーに座っており、モートから銃撃されるという結果に至ったとして、警察上司の過失(negligence)があったと考え、裁判に訴えた。

昨日2月5日、ニューカッスルの高等法院(The High Court of Justice)は判決を下し、警察には過失がなかったとした。その結果、訴えを起こしたラスバンドの親族は、21日以内に、弁護士料金などの訴訟費用として少なくとも10万ポンド(約1700万円)を警察に賠償することを命じられた。仮払い(interim payment)とあるので、もしかしたら、最終的にはもっと高額になるのかもしれない。

ガーディアンの記事はこれ

ラスバンド巡査の自殺の遠因となった最初の銃撃に関しては、私は詳しいことは分からないが、家族が警察上層部の管理者としての責任を追及するのは無理もないことと思える。しかし、家族が敗訴したからと言って、相手側の1700万円もの訴訟費用をその家族が支払うなんて、夫や兄弟を失った人達にとっては、あまりに酷で、無茶苦茶。それこそ、破産、そして鬱病や自殺さえ引き起こしかねない。まるで中世の裁判だ。実際、これは、中世以来、つまり中世のイギリス王室によって王座裁判所(King's Bench)とか、民事裁判所(The Court of Common Pleas)が成立し機能し始めた13世紀以来続く制度で、訴訟費用の支払いは、負けた側がするという原則に基づいている。一方、日本では、原告も被告も、それぞれが自分達の訴訟費用を払う。アメリカも同じらしい。

イギリスの制度だと、不当な目に遭っている側が勝訴した場合に限れば、訴訟費用も払って貰えるので大変良いが、今回のラスバンドさんの事件のような場合は、傷に塩を塗るようなことになる。お金の無い人は訴訟を諦めさせる仕組みに見えるが、現実には、訴訟費用の多くが、裁判の公的補助(Legal Aidと呼ばれる)、保険金、所属団体の援助(労組など)によって払われているという報告もあり、個人負担が少ない場合が多いようだ。でも今のキャメロン政権は、Legal Aidの予算の大幅削減を予定しており、一般市民の法へのアクセスが大変狭められる、とマスコミでも論議になっている。一方、日本の制度でも、勝っても負けても訴訟費用はかかるので、それはそれで、お金のない一般市民やNGOにとっては訴訟が起こしづらいという問題点は残る。上記のような制度だから、イギリスにおいては、訴訟コストの及ぼす影響が大きな問題になっており、詳細な検討が行われてきたようだ。むしろ日本において、訴訟コストの問題が真剣に討議されていないのが気になる。古いけれど(2003年)、イギリスの訴訟費用支払い制度がはらむ問題に関する日弁連の調査報告書がウェッブで見られる。

私の専門上、大昔の話になるが、中世や近代初期以来、イギリス王室の裁判は、基本的に訴訟に関わった人たちが費用を負担する。当時は、弁護料はもちろん、裁判官や書記の費用までも訴訟を起こした人達から徴収した料金でまかなった。つまり、国家による公的サービスでもあるが、国や地方の領主による営利事業としての一面もある。王室裁判所も色々あるだけでなく、教会や州、荘園も裁判所を持っているので、色々な裁判所が連立し、民事訴訟などを、まるでお客を奪い合う企業のように取り合う面もあった。15世紀の『パストン家書簡集』などを見ていると、同じ訴訟を同時に複数の裁判所で起こすということもしばしば起こった。そういうシステムだから、とにかく資金力を持った人が強い。まあ、これは時代や国を問わず、いつどこでも言えることではあるが。

一方で、今も昔も、小さな犯罪を扱う裁判の多くは、地元の有力者などといった非法律家が、治安判事(magistrate)として審理し、判決を出している(magistrate's courts)。少額の民事訴訟は各地方の州裁判所(county courts)で裁かれ、費用はあまりかからない。また、一般市民も、陪審員としてボランティアで参加している。近代初期くらいまでは、地方の裁判の多くは、謂わば地域の住民集会としても機能してきて、税の徴収とか道路の修理のような行政的な問題も話し合われた。地域の人々が集まって、色々な反社会的行為や、住民間のもめ事を、互いに意見を出し合い、解決する仕組みとも言える。だから、費用も、裁判にかけてもらう側で負担するという発想が出てきた面もある。

裁判というのは、長い歴史をかけて徐々に作られた制度。常識的に見ても色々な問題があり、先進国の間でさえ、国によって大きく違うものだな、とつくづく思う。それにしても、ラスバンドさんの遺族は巨額の訴訟費用を払わされることになるのだろうか。