2014/11/21

「ヨーロッパ 台頭するポピュリズム」(NHK BS世界のドキュメンタリー)

標記のドキュメンタリーの再放送を録画して見た。フランスのRoche Productionが今年作った番組。

イタリア、フランス、オランダ、ハンガリーにおける右翼民族主義政党のめざましい台頭を1時間弱で俯瞰してくれる。ひとつひとつの国の状況については、色々と説明不足の点があると思うが、ヨーロッパ全体に共通する問題として民族主義を捉え、そしてオランダやハンガリーなど、日本ではほとんど報道されない国の様子を教えてくれる番組として、大変貴重で、勉強になった。 先日同じシリーズで見た「左折禁止 社会民主主義は退潮しているか」(ドイツTaglicht Media, 2014)とは別の国の別の放送局の制作だが、ふたつが相互補完的になり、大変興味深かった。

こうした事が起こる大きな背景としては、グローバル化と経済不振による生活レベルの低下や失業者の増大がある。そうしたことへの不満が、分かりやすく身近なスケーブゴートとして、移民とEUへの反発に向かっている。更に中東情勢の不安定さから、反イスラム、反アラブへ結びつく。しかし、一旦他民族他文化排除の誘惑に屈した人々は、容易に反ユダヤ、反ロマなどの伝統的な差別も 受け入れるようになる。日本で言う「反日」の論理だ。番組のナレーターが言っているように、反――と唱えることで結びつく逆説のアイデンティティーがそこにはある。「イスラムではない私達の文化と歴史」というわけだ。だからといって、今のヨーロッパ人、とりわけワーキングクラスの人々が特に熱心なキリスト教徒なわけでも、自国・自民族の歴史や文化に深い知識や関心があるわけでも無い。むしろ教会は(少なくともイギリスでは)ガラガラであり、学校では実利的な科目が幅をきかせて、歴史や文学、芸術は二の次にされている国が多いだろう。それまで多数派で自分のアイデンティティーを深く考えることがなかった人々が、EUという国を超えた組織の成立やグローバル化された経済活動で自信を無くしたり、職を脅かされたりして、古い近代的民族国家の枠組に守って貰いたいと思っているようだ。

一方で、伝統的なリベラルで高学歴のミドルクラスの人々も、教育が行き届いてその数が増え、数少ないエリートでは無くなったことや、アジアを含めたグローバル競争の中で、仕事の取り合いになり、生活も苦しく、「ホワイトカラー・ワーキングクラス」という状況に陥っている。従来は、リベラル・ミドル・クラスは、東西の国々で、左翼政党の理論的支柱であり、根強い支持基盤であった。例えば、イギリス労働党の成立にはフェビアン協会が大きな役割を果たしている。しかし今、ホワイトカラー労働者の多くは組合組織の乏しいサービス業に属してミドルクラスから転落しており、ワーキングクラスと共に左翼運動や社会民主主義を支えるという物質的、精神的ゆとりがなくなっている。彼らは急速に左翼を離れ、経済第一主義で大企業の影響下にある政党(イギリスの保守党のような。日本では自民党)や民族主義政党を支持するようになった。

危険なのは、こういう民族主義政党の台頭に影響されて、政権を取っている保守系政党までが政策を変えたり、保守と民族主義の政党が連立したりすること。

興味深く、また恐ろしくもあるのは、民族主義政党は世界で同時に台頭するということ。今のEU諸国や日本もそうだが、第2次大戦前もまさにそうだった。各国で剥き出しの民族主義が敵を求めて徘徊し始めると、戦争の危険が増大する。怖い。

2014/09/21

ヴィクトリア朝イングランドの劇場: Morecambe Winter Gardens

Guardianオンライン版の演劇セクションを見ていたら、イギリスの地方演劇に詳しいリン・ガードナーが、”See Breeze”(「浜風」とでも訳すべきか)という演目について紹介していた。

これは通常の演劇公演では無く、ランカスター近郊の町、Morecambeに残るWinter Gardensという古くてあまり使われていない劇場(より正確には、ミュージック・ホール)に生気を吹き込むために企画され、ライティング・ショーと音楽と演劇の混在したような総合的で公演場所を特定された (site-specific) エンタテインメントのようである。その予告編で内容の一端が分かる。

私はランカスター州に行った事も無いし、劇場の名前も今まで聞いたことがなかったが、今回初めてこの劇場について知って、ヴィクトリア朝演劇が如何に華やかに栄えていたか、あらためて驚いた。この町、Morecambe、は町議会に運営されていると同時に、ランカスター市議会管轄の行政区域に入るそうで、ランカスター市の一部のようだ。ヴィクトリア朝に多数の観光客を集めた海辺の保養地とのことだ。北部の工業地帯の労働者など、庶民が集っていたのだろう。

凄いのは席数で、2000席以上。劇場ならぬ、野球場かサッカー場のような規模。日本の劇場で匹敵する大きさというと東京の大きな商業劇場だろうが、帝劇でも1880席程度である。新国立劇場の中劇場が約1000席、オペラ劇場が約1800席。巨大と思いがちなナショナルのオリヴィエ・シアターが1180席だから、地方の劇場で2000席という数が如何に凄いか想像出来る。

この劇場にはホームページがあり、この劇場の歴史と現在の様子を紹介したビデオがある。

リン・ガードナーも書いているが、この劇場の魅力は、ビクトリア朝の雰囲気を伝える歴史価値だけでなく、かっての栄華を偲ばせつつ、今、時代に取り残され、徐々に寂れて朽ちつつあるという、その巨大なアンティークのような性格、滅びつつあるものの美しさ、が人々を惹きつけるようだ。また、こういう古い地方劇場が、Royal Shakespeare Theatreのような高尚な演劇の殿堂ではなく、大衆的なミュージック・ホールとして誕生し、そうした昔の派手で庶民的な雰囲気を感じさせることも、魅力のひとつではなかろうか。

Morecambeというと、私が思い出したのは、20世紀中盤、イギリスで最も良く知られた2人組コメディアン、Morecambe and Wiseのひとり、Eric Morecambeだ。彼は、自分の芸名を彼が生まれたこのランカスターの町の名前から取ったそうである。

これに関連したことで、もうひとつ、Guardianの劇評で、マンチェスターのVictoria Bathsという施設で行われた”Romeo and Juliet”の公演のAlfred Hicklingによる劇評があった。

Victoria Bathsという施設は、ヴィクトリア朝にできた室内プール施設で、近年、修復が進められ、往年の美しさを取り戻しつつあるようだ。現在修復途中で、日頃はプールとしては使われてはいない模様であり、そこでこの劇が演じられた。将来は更に修復を進めて、プールを使えるようにするらしい。この美しいアールデコ調の施設の写真がDaiily Mailのウェッブ・ページにあった。

この2つの施設の維持と修復には、地元の人々のボランティア活動や沢山の人々の寄付が大きな役割を果たしている。かっての国力を失い、経済的に苦しい地域も多いにもかかわらず、こういう古い施設を何とか保存しようとするイギリス人の熱意には大変感心する。

2014/09/05

“Wolf Hall” / “Bring Up the Bodies” (The Aldwych Theatre, 2014.8.28 / 8.29)



後半、特に見応えがあった

劇場:The Aldwich Theatre, West End
“Wolf Hall” 2014.8.28  19:30-22:15 (含む、1 interval)
“Bring Up the Bodies” 2014.8.29 19:30-22:10 (含む、1 interval)

劇団:The Royal Shakespeare Company
原作:Hilary Mantel
脚本:Mike Poulton
演出:Jeremy Herrin
セット&コスチューム・デザイン:Christopher Oram
照明:Paule Constable (“Wolf Hall”) / David Plater (“Bring Up the Bodies”)
音楽:Stephen Warbeck
音響:Nick Powell
衣装:Stephanie Arditti

配役:
Thomas Cromwell: Ben Miles
King Henry VIII: Nathaniel Parker
Katherine of Aragon: Lucy Briers
Princess Mary / Jane Seymour: Leah Brotherhead
Anne Boleyn: Lydia Leonard
Mary Boleyn (Anne’s sister): Olivia Darnley
Thomas Howard, Duke of Norfolk & Anne’s uncle: Nicholas Day
Charles Brandon, Duke of Suffolk: Nicholas Boulton
Thomas Wyatt: a gentleman and poet: Jay Taylor
Harry Percy, Earl of Northumberland: Nicholas Shaw
Thomas Wolsey: Paul Jesson
Stephen Gardiner, Wolsey’s secretary: Matthew Pidgeon
Thomas Cranmer: Giles Taylor
Thomas More: John Ramm

☆☆☆☆ / 5

RSCがストラットフォードのスワン劇場で昨年の12月から初演し、ロンドンのウエストエンドに持ってきて、上演している。原作はブッカー賞を取ったベストセラー小説で、チューダー朝の冷徹な官僚、Thomas Cromwellの生涯を描く3部作のうちの最初の2作品。クロムウェルの失墜が描かれるであろう第3部にあたる作品はまだ出版されていない。脚本を担当したのは、古典の脚色で実績のあるMike Poulton。

ウエストエンドの劇場であるからストラットフォードよりもチケットも高額になっており、前半の”Wolf Hall”だけ見る人も多いだろう。”Wolf Hall”だけでも充分楽しめるが、しかし後半の”Bring Up the Bodies”の方が緊迫感があり、より面白い。

第1部のタイトル、”Wolf Hall”は、Henryの3番目の妻、Jane Seymourの実家であるシーモア家の屋敷の名前だそうだ。一方、第2部のタイトルは、原作の邦訳では『罪人を召し出せ』と訳されているそうで、王がAnneとその取り巻きを裁判にかけ、処刑していく様を示しているのだろう。第1部では王が妻Catherine of Aragonから徐々に離れ、Anne Boleynを妻に迎えられるような環境を作って行く、つまり、ローマ・カトリック教会と断絶し、国教会を作る過程を、当時の宮廷の最高権力者Wolseyと、Wolseyの秘書官として辣腕をふるうThomas Cromwellの活動を通して描く。第2部では、王とAnneの結婚が破綻し、王がJaneと結婚しようと思い始め、Cromwellが王の命令を実現するためにJaneと彼女の取り巻き達を裁判にかけ、死刑を宣告する様子を描く。この時、既にWolseyはこの世になく、宮廷の最高権力者はThomasであり、彼の活動が劇の中心となる。第1部では、多くの人物が出て来て、歴史におけるそれぞれの役どころを説明していくような印象となり、個人の内面まで描き切れているとは言いがたい気がし、やや平板に感じた。しかし、この第1部で描かれた人間模様を土台として、第2部ではThomasに強く焦点が当たり、彼の内面が掘り下げられている。また、Anne Boleynと彼女の取り巻き達への尋問や裁判は、大変緊迫感に満ちて、見応えがあった。

Cromwellという人物は、傭兵、官僚、法律家と色々な経歴を持つ。もともと慎ましい平民の出身であるが、明晰な頭脳と知識、そしてWolseyやHenryの庇護を利用してのし上がる。第1部ではひたすら個性を押し殺し、貴族達の軽蔑にも堪え、優秀な官僚としてWolseyや王の勤勉な手足となっているが、第2部では大きな権力を得て、時として、冷酷にその権力を行使する。Anneの取り巻きの裁判では、かって彼を苦しめた人々に復讐しながら、詩人のWyattだけは無理をしても助ける。また、第2部では、彼の脳裏に現れるWolseyが何度も登場して、Cromwellの人生にとって、彼を引き立ててくれたWolseyが如何に重要な恩人であったかをうかがわせる。

第1部で一番目だった人物はHenryだったかもしれない。Nathaniel Parker演じるHenryは私が抱いている巨漢の怪物的な人物像よりもずっと普通の人として演じられていた。男子の世継ぎが生まれないことが彼を苦しめ、妻を取り替え、そしてローマと縁を切って教会を支配下に置くことへと繋がる。しかし、Cromwellらが王の意思を実行に移す過程で、彼が思っていた以上に残虐な政策を行う羽目になり、戸惑っているように見えた。Thomas Moreは名作映画『我が命つきるとも』(A Man for All Seasons, 1966)で理想化された姿が記憶に残っているが、それにはほど遠い頑固で偏狭な老人として描かれている。また、Archbishop Cranmerも王やCromwellから色々と命じられるままにあたふたしている小人物のようだ。

官僚、聖職者、宮廷人などの男達と違い、CatherineとAnneの力強さ、個性の豊かさが際立っていると感じたのは、女性作家ならではか。王を挟んで敵対した二人だが、それぞれが自分の生き方を貫いた、いさぎよい人物として描かれている。カトリックの神への堅い信仰と自分の出自への誇りに支えられたCatherine、王の寵愛への自信と強い性格を持ち、更に頭脳明晰で新しい信仰への信念も備えるあの時代を代表する女、Anne。CromwellやCranmerを始め、宮廷の男達はこの強い女性二人に振り回されてもがく。

コスチュームはチューダー朝のものに忠実に作ってあると思うが、それ以外には、あまりセットを使わず、照明の変化を生かしたシンプルな舞台だった。但、第2部でのマスクのシーンは面白かった。20世紀始めに作られたThe Aldwych Theatreも決して悪くはないが、きっとスワンだと、チューダー朝の雰囲気がもっと良く出ただろうな、といささか残念。

Ben MilesのCromwellは大変抑制の効いた演技。この意思が強く、頭の切れる官僚の特性を良く出していた。一方、Nathaniel ParkerのHenryは私が抱いていたこの王のイメージよりはいささか小粒だったが、原作がそうなのかもしれない。既に書いたとおり、Lucy Briers演じるCatherine、Lydia Leonard演じるAnneが特に印象的。

まだ読んでないが、マンテルの原作を読みたくなる舞台だった。

(この2本が、今回の渡英で最後の観劇でした。その後、1日に帰国しました。)

2014/08/28

"Henry IV, Part II" (The Royal Shakespeare Theatre, 2014.8.23)

名優を活かしたオーソドックスな演出で楽しめた

劇場:The Royal Shakespeare Theatre
2014.8.23  19:15-22:25 (含む, 1 interval)

脚本:William Shakespeare
演出:Gregory Doran
デザイン:Stephen Brimson Lewis
照明:Tim Mitchell
音楽:Paul Englishby
音響:Martin Slavin
衣装:Laura Hunt

配役:
King Henry IV: Jasper Britton
Prince Hal, Duke of Lancaster: Alex Hassel
Prince John, Lord of Lancaster: Elliot Barnes-Worrell
Duke of Gloucester, the king’s son: Leigh Quinn
Duke of Clarence, Gloucester’s son: Martin Bassindale
Earl of Westmorland: Youssef Kerkour
Earl of Warwick: Jonny Glynn
Earl of Northumberland, Henry Percy: Sean Chapman
Archbishop of York: Keith Osborn
Lord Hastings: Nicholas Gerard-Martin
Sir John Folstaff: Antony Sher
Mistress Quickly, tavern landlady: Paola Dionisotti
Bardolph: Joshua Richards
Doll Tearsheet: Mia Gwynne
Pistol: Antony Byrne
Justice Shallow: Oliver Ford-Davis
Justice Silence: Jim Hooper

この劇を見た日は、朝からあちこち動きまわった。午前中にはストラットフォード観光でこの日はHoly Trinity Churchをじっくり見た。午後は20年以上お付き合いのある老婦人とお食事とお茶、その後、また別の、妻が親しくしているイギリス人カップルにお会いして旧交を暖めた。充実した一日だったが、この劇を見る頃にはすっかり疲れ果てていて、劇の間中、うとうと・・・。もちろん目覚めていた間の方が長いけれど、残念ながらまともに鑑賞したとは言い難いので、☆はつけていません。

ほとんどは歴史的なセットとコスチュームによるオーセンティックな舞台作りで、Gregory Doranらしい公演。こういう奇をてらわない演出をするほうが、今のNTやRSCではかえって勇気がいるのではないか。Antony Sherを中心として、俳優の演技力と見事なアンサンブルで楽しませてくれる。Sherはやや年齢と哀愁を感じさせるFalstaff。大変スローな台詞回しと動きで、吉田剛太郎フォルスタッフとは対照的。そのSherといいコンビを見せるのが、Oliver Ford Davis演じる、これまた大ボケのJustice Shallow。ほとんど何も言わず、ぼーっとして座っているJustice Silenceとともに、楽しい老人トリオだった。SherとFord Davisは間の取り方が絶妙。たとえば『ゴドーを待ちながら』のMcKellenとStewartを思い出させる、年を取った俳優だけが出せる味わいがあった。また、イーストチープの酒場のシーンでは、Mistress Quicklyもかなり年配の配役で、Sherの役作りに合っていた。Pistolだけは、突拍子もないぶっ飛びぶりではあった。

この二人の治安判事が出てきて兵隊を募集するシーンは、コミカルな色眼鏡を通して描かれてはいるが、薔薇戦争の時代、中世の封建制が崩壊して騎士を中心とした戦いが終わり、戦争が起こる度に金で雇われる兵隊が軍隊の主流になったいたことをうかがわせ、興味深い。

メインプロットの王家の変転の方では、王とPrince Halの間の疎遠さがかなり強調されていた気がした。歴史上は、この時期、BolingbrokeはHalの反乱さえ恐れる程、親子の中は悪かったと何かの本で読んだ。シェイクスピアのテキストではそこまでは強調されていないと思うが、しかし、ふたりの間に相互不信があったことを示唆する演出だったと思う。

Halを演じたAlex Hassellは癖がない明るい2枚目の演技。父のBolinbrokeのJasper Brittonは不安と権威や自負が入り混じった陰影のある人物になっていたような(でもうつらうつらだった私の印象は当てにならないが)。

私としては、Antony Sherのフォルスタッフに加えて、Oliver Ford Davisのボケっぷりが堪能できたのが大きな収穫だった。

"The White Devil" (The Swan Theatre, RSC, 2014.8.22)

とてもモダンで刺激的なプロダクション

劇場:The Swan Theatre, The Royal Shakespeare Company
2014.8.22  19:30-22:30 (含む, 1 interval)

脚本:John Webster
演出:Maria Aberg
デザイン:Naomi Dawson
照明:James Farncombe
音楽と音響:David MaClean & Tommy Grace
音響:Tom Gibbons
衣装:Ed Parry

配役:
Vittoria Corombona: Kirsty Bushell
Camillo (Vittoria’s husband): Keir Charles
Flaminio (Vittoria’s sister & servant of Bracciano): Laura Elphinstone
Marcello (Vittoria’s brother & Francisco’s attendant): Peter Bray
Cornelia (the mother of Vittoria, Flaminio & Marcello): Liz Crowther
Bracciano (Isabella’s husband & Vittoria’s lover): Davi Sturzaker
Isabella (Bracciano’s wife): Faye Castelow
Francisco (Isabella’s brother, Duke of Florence): Simon Scardifield
Cardinal Monticelso: David Rintoul
Lodovico (a disgraced & banished nobleman): Joseph Arkiley
Dr Julio: Michael Moreland

☆☆☆☆☆/5

私はウェブスターが大好き。この濃密さ、男女の死闘が生む刺激がたまりません!彼の作品の大きな柱は、家父長的男性中心社会の孕む矛盾。シェイクスピアではオブラートに包まれてその残虐さが目立たないが、ウェブスターは容赦なくそれを利用してセンセーショナルなドラマに仕立てあげる。しかし、現代の作家と違い、作家の道徳的な視点から構成されているわけではなく、男も女もアモラルな闘争に明け暮れて、復讐の連鎖のうちに自滅していくという陰惨なドラマ。今回の上演は現代のセットとコスチュームで、退廃と残虐さを一層際立たせたが、いつの時代にセットしても、ウェブスターの基本的な面白さに変わりはないと思う。

(物語)Lodovico伯爵は汚職や殺人の罪でローマから追放されている。Bracciano公爵はIsabellaという妻を持ちながら、Camilloの妻のVittoria Corombonaと密通している。Vittoriaの姉妹で、Braccianoの使用人であるFlaminioはこの二人の密会を手伝っていて(チョーサーのパンダルスの役割)、一種の女衒(英語で”pander”)の役割を果たす。彼らは二人の恋路の邪魔になるIsabellaとCamilloの二人の邪魔者を殺害する計画を立てる。
 Isabellaがローマの宮廷にやってくる。彼女の兄弟FranciscoとMonticelso枢機卿はVittoriaとBranccianoの不貞の噂を聞きつけて激怒する。しかし、Isabellaは自分と夫の結婚の失敗の責任を引き受けて、宮廷を去る。FlaminioとBraccianoは医者のDr Julioを使ってIsabellaを毒殺する。また、酔ったうえでの喧嘩を利用して、FlaminioはCamilloを殺害させる。
 Vittoriaは夫を殺害した濡れ衣で裁判にかけられ、Monticelso枢機卿に激しく糾弾される。彼女は、売春婦を収容する施設に送られる。BraccianoとFlaminioはパデュアに逃れ、そこでVittoriaと落ち合って結婚する計画だ。追放されていたLodovicoがローマにもどってきて、Franciscoに亡くなったIsabellaを愛していたことを告白する。ふたりは、Isabellaの死の復讐を誓う。
 Monticelsoは教皇に選ばれ、BranccianoとVittoriaの破門宣告を下す。そのふたりはパデュアに逃れるがLodovicoが彼らを追っていく・・・。(英語のプログラムより)

この劇の前日に見た“The Roaring Girl”同様、ジェンダーを強く意識した演出。また、男装のMoll Cutpurseを思い出させるかのように、Flaminioは原作の男性ではなく、女性に変えられていた。Vittoriaは夫を裏切る妻ではあるが、彼女の裁判での反論や殺される前の台詞はたいへん力強い居直りぶりで、女の底力を見せつける。彼女のアモラルな強さを強調したKirsty Bushellの演技が素晴らしい。また、マリアのように貞淑で、夫の罪まで引き受けるIsabellaも毒を盛られて殺害される前には、やさしいだけではない芯の強さを見せる。逆に言うと、彼らを辱め、苦しめる男たちの家父長的な女性への偏見、女嫌い(ミソジニー)の激しさもくっきりと描かれる。とりわけ、キリスト教会の権威的で教条的な男性中心主義と保守的倫理観はMonticelso枢機卿によく体現されている。こういうところは非常に現代的であり、むしろ南アジアやイスラム諸国、そして現代の日本にぴったり当てはまる。Monticelsoみたいな化け物、今でも日本の男の中にも結構いる。彼とVittoriaが対決する裁判のシーンはこの劇の白眉であり、帰国したらまたテキストでじっくり読み返したい。

Monticelso枢機卿(のちに教皇)が宗教裁判所で姦婦Vittoriaを裁くので分かるように、非常にキリスト教的な伏線が濃い劇だ。Vittoriaはいわば旧約聖書のイブを象徴しているとも見れるだろう。夫の姦通まで自分の責任とする貞淑なIsabellaは生身のマリア。ふたりは家父長的男性社会が女性に与えた二つのイメージであり、現実の生身の女性とは離れた男性の罪の意識、願望/欲望の化身でもある。Monticelsoに典型的に示される家父長的モラルの男性達は、女性が自らの肉体や欲望を蔑み、自らを男性の支配に従順に従うだけの存在におとしめることを要求しているかのようである。

原作では男の女衒的な役であるFlaminioを、Vittoriaの「妹」に変えてしまったのは、どういう意図なんだろうか?男たちが寄ってたかって、Isabellaを苦しめる、それも兄弟に至るまで、という構図は、Flaminioを女にすることで、文字通り一役分薄められた。しかし、同じ女同士までも家父長的な権力構造に組み込まれて動かされる、という新しい視点は感じる。女も、Flaminioみたいに仕事をしていれば、自分のジェンダーを押し隠し、同性も犠牲にせざるを得ない、という構図の極端な形かもしれない。Flaminioの台詞には、せっかく大学を出て貴族Braccianoの家中に就職したが、全く何の財も築けず(キャリアにならず)、貧乏なままだ、というような嘆きがあったが、彼女の上昇志向が、姉妹さえ売り飛ばすという行為に走らせたとも言えるだろう。キャリア志向の女性が他の女性を貶めたり、蹴落とすことを強いられるという構図か。更に演出家はもうひとひねりを加える。即ち、このFlaminioを演じる長身で短髪のLaura Elphinstoneは、男装した女性として宝塚のスマートな男役のようにこの役を演じ、また原作にはないことだが、Flaminioには女性の恋人がいるように演じられているので、レズビアンということだろう。ジェンダーの境界を限りなくあいまいにした配役と役作りである。女衒という役回りに、そういう中性的、あるいはその時に応じて男にも女にもカメレオンのように変化できる人物を充てるのは上手いアイデアだ。

FlaminioはVittoriaとBraccianoという主人公たちを罪に陥れる悪魔の手先である。だとすると、演出家は、背が高く、くねくねとした肢体を持ち、黒い衣装に身を包んだElphinstoneを、アダムとイブをそそのかした蛇のイメージに重ねているのかもしれない。中世の絵画における蛇は、時に男、時に女の顔を持って描かれ、ジェンダーが定まらないのも、Flaminioと共通する。

この劇のステージを黒々とした色調の陰鬱なデザインでまとめることもできるだろうが、Naomi Dawsonのデザインはその逆で、基本的にまぶしいばかりの白々とした光線とシンプルな背景が特徴だ。まさに、The WHITE Devilである。地獄に落ちる前のルシファーと家来の堕天使達がまぶしい黄金の光に包まれていたことを思い出させる。ローマ・カトリック教会の本山、金色の僧服や装飾に輝くキリスト教の中心から、まさに地獄に転げ落ちようとしている人々のドラマ。

最後にこの劇を象徴するような印象的なFlaminioの台詞を一行:

“Of all deaths, the violent death is best.” (Act V, Scene II)

2014/08/27

"The Roaring Girl" (The Swan Theatre, RSC, 2014.8.21)

英語がむつかしくて、ちんぷんかんぷん

劇場:The Swan Theatre, The Royal Shakespeare Company
2014.8.21  19:30-22:30 (含む, 1 interval)

脚本:Thomas Middleton & Thomas Dekker
演出:Jo Davies
デザイン:Naomi Dawson
照明:Anna Watson
音楽と音響:Simon Baker
衣装:Janet Bench

配役:
Mol Cutpurse (the Roaring Girl): Lisa Dillon
Laxton: Keir Charles
Mary Fitzallard : Faye Castelow
Mr Gallipot: Timothy Speyer
Mistress Gallipot: Lizzie Hopley
Sir Alexander Wengrave: David Rintoul
Jack Dapper: Ian Bonar
Sebastian Wengrave: Joe Bannister
Mistress Tiltyard: Liz Crowther
Geoffrey Greshwater: Ralph Trapdoor

今回、ストラットフォードに行ったのは、20年来お付き合いのある老婦人にお会いするためであったが、せっかくだからとRSCで3本の劇を見ることにした。特に2本はジェイムズ朝の劇であまり見られないということもあり、切符を購入した。しかし、ストラットフォードに行く前から疲れがひどく溜まっていて、劇の間中うとうとしてしまい、特にこの”The Roaring Girl”は期待していたのに、セリフがわからず、ちんぷんかんぷんのまま3時間終わってしまった。したがってまともに感想も書けない。但、見た記録として、パンフレットに沿って、配役や粗筋は書いておくこととした。シェイクスピアだと、日本語で見たり読んだりしているので、大筋は理解できるのだが、私の英語力では、初めて接する古い劇の場合、出発前に、せめて日本語ででもテキストを読んでおかないといけない、と大いに反省している。わかっているのだけどねえ・・・。

(粗筋)Sebastian WengraveはMary Fitzallardと結婚しようと目論んでいるが、彼の父のSi Alexanderは大反対。そこで、Sebastianは一計をめぐらせる。つまり、悪名高き男装の女スリ、Moll Cutpurseと恋仲になったと父親に思わせて、父が「それならMary Fitzallardのほうがずっとまし」と思うように仕向けようという企みだ。
 一方、Sebastianの伊達男の遊び仲間達(The Gallants)は、現代の能天気のプレイボーイみたいに、盛り場の店に集まり、最新流行の服を試したり、店主を冷やかしたり、お店の奥さんをからかったりしている。中でも、この軽薄な若者たちのひとりのLaxtonは、タバコ屋の奥さんのMrs Gallipotを誘惑してお金をせしめようと企んでいる。しかし、その裏で、彼はMollに魅力を感じて近づこうとする。MollはLaxtonが女性を売春婦みたいに軽く見ていることに憤り、彼と激しく敵対する。
 Sebastianの計画通り、Sir Alexanderは息子が女スリと結婚したら大変、と大慌て。そうなるのを防ぐためにRalph Trapdoorというチンピラを雇って、Mollに近づかせて彼女の様子を彼に報告させようとする。Ralph Trapdoorの報告に基づいて、Sir AlexanderはMollの目の前に高価なダイヤモンドの指輪や腕時計を盗みやすいように置いておき、彼女がそれらを盗もうとしたところを現行犯で捕まえる、という作戦を考える。
 しかし、MollはTrapdoorの様子がおかしいと疑惑を持つようになり、Sir Alexの計略は彼が思うようには進まない・・・。

というようなストーリー。この大筋はパンフレットで読んでいたのだが、これはコメディーで結構笑えるシーンが多いようなのに、英語がむつかしくてちっとも笑えない。それからSebastianとSir Alexの行動は大体フォローできたが、Laxtonの行動や台詞はさっぱりで、彼が何を言ったりしたりしているのかは、さっぱりわからずじまいだった。劇場が笑いに包まれているときに、ちんぷんかんぷんで苦笑いは、一層悔しいな。

モダンなプロダクションになっているが、現代ではなく、ビクトリア朝のセットとコスチュームらしい。Mollはたいへんたくましい男装の女性として描かれるだけでなく、「女は根は皆売春婦」と言わんばかりの男達の偏見にさらされることをひどく憤っているようだ。よくわからないながらも、テキストにある以上に、Mollの強さ、たくましさ、そして女性としての誇りを強調した演出のように感じたがどうだろうか。そうした演出意図にLisa Dillonは精一杯答えていたが、いささか小柄な俳優で、一生懸命肩をいからせている感じはした。Mistress Gallipot、Mary Fitzallardなど、他の女性たちも活き活きと演じられていて、女性のたくましさを称賛する劇という感じは出ていた。

商店のシーンはとても明るくて、ビクトリア朝のショッピングモールみたいな感じだった。私の好みとしては、滅多に上演されない(おそらく私は2度とステージでは見られない)劇だから、やはりジェイムズ朝劇らしいオーセンティックなコスチュームとセットで演じてもらって、17世紀初めのロンドンの猥雑な雰囲気を嗅いで見たかったな。

2014/08/18

“Holy Warriors” (Shakespeare’s Globe, 2014.8.17)

劇場:Shakespeare’s Globe
2014.8.16  19:30-21:50 (1 interval)

☆☆☆/5

演出:James Dacre
脚本:David Eldridge
デザイン:Mike Britton
作曲:Elena Langer

配役:
King Richard the Lion-heart: John Hopkins
Eleanor of Aquitaine: Geraldine Alexander
King Philip of France / Lawrence & other roles: Jolyon Coy
Saladin / Begin: Alexander Siddig
Hugh of Burgundy / Blair & other roles: Philip Correia
Reynald of Chatillon / Carter & other roles: Ignatius Anthony
Conrad of Montferrat & other roles: Peter Bankolé
Reymond of Tripoli / Bush & other roles: Paul Hamilton
Gerald of Ridefort / Napoleon & other roles: Sean Jackson
Balian / Ben Grion & other roles: Sean Murray
King Guy of Jerusalem / Weizmann & other roles: Daniel Rabin
Queen Sibylla / Berengaria of Navarre / Golda Meir: Sirine Saba
Az-Zahir / Faisal & other roles: Satya Bhabha
Imad al-Din  & other roles: Kammy Darweish
Al-Afdal / Sadat: Jonathan Bonnici

第3次十字軍を描いたディヴィッド・エルドリッジのオリジナル歴史劇。十字軍と20世紀の中東紛争を絡ませて、中世と現代の二つの時代を比較して西欧と中東イスラム世界の関係の共通点を考えさせようとしている。極めて意欲的で、スケールの大きな作品。中世史に興味のある私には参考になったし面白かったが、演劇としては、歴史の大きな流れを何とか辿るだけで精一杯で、演劇作品としての緊張感や盛り上がりには欠けていた。また、ナショナルのオリヴィエ・シアターなどならもっと面白くできたと思うが、グローブ座という劇場が持つ物理的な制限も大きい。

第3次十字軍は、英仏の王侯貴族が中心になって行われ、イングランドからはリチャード獅子心王が参加した。エルサレムは第1次十字軍によりキリスト教徒の手に下ったが、この時までにはイスラムの英雄サラディンによって奪回されていた。第3次は、そのエルサレムを再度西ヨーロッパのキリスト教徒が奪い取ることをもくろんだ遠征だった。西側は、アクレ(Acre)などパレスチナの重要拠点を落としていくが、フランスやバーガンディーの貴族が徐々に退却し、リチャード王は結局エルサレム攻略を諦め、サラディンと講和を結んで帰国の途に就く。しかし、その帰国の途上、フランスで病死する。劇の前半では、この第3次十字軍の顛末を描く。後半では亡くなったリチャードの魂が遠征を振り返る。その間に挟まれるのは、20世紀の中東紛争の流れ。シオニストのパレスチナ移住からイスラエルの建国、繰り返されるパレスチナ紛争などを、ロレンス、ワイツマン、ベン・グリオン、ビギン、サダト、カーター、ブッシュ、ブレア―、その他数多くの主要人物とともに辿りつつ、それを十字軍と重ね合わせる。これだけのことを2時間ちょっとの劇に収めるのだから、意欲は素晴らしいが、かなり駆け足になり、無理があった。一種の年代記劇としての意義を感じるが、特定の戦いなり事件なりに焦点を合わせて、中世と現代の通底音を探ってみてはどうかと思った。あるいは、前半のストレートな歴史劇を、もっと人物を掘り下げて2時間以上で描けたのではないだろうか。

題材を考えると、男ばかりの戦記ものになっても不思議ではないのだが、男たちの戦いに翻弄される王侯貴族の女性たちに、セリフを多く割り当ててあったのには好感が持てる。特に西欧の中世史においてもっとも重要な人物であるアキテーヌのアリエノールはリチャードに大きな影響を与えた人物として、たくさんの台詞が振られていた。

内面をじっくり掘り下げるような台詞やシーンに乏しくて、残念ながら俳優の実力を十分に発揮できる場面は少ないと思った。シーンによっては、ドラマティック・リーディングみたいな感じになっていた。シェイクスピア時代の作品みたいに韻文であったなら、まったく違った印象になっただろうけれど・・・。

セットはグローブ座であるから工夫はむつかしいのだが、それでもできるだけの事をやっていた。張り出しステージの上にさらに一段高くなった大きな円形のステージを作って、主にその上で演技が行われる。中世劇で時折見られる円形舞台を意識しているのだろうか。ステージ上方の張り出し屋根からは巨大な香炉が下がり、そこから劇場中にお香の香りが流れていたのは雰囲気を作るうえで効果的だった。また、劇の始まりでは、数多くの蝋燭がステージに置かれ、まるでラテン典礼劇のように、修道士の衣装を着た人々が賛美歌らしき歌を歌いつつ行進(procession)をして、劇のトーンを定める。やはり天井からは、大聖堂のように巨大な十字架がロープ(チェーン?)で吊るされていて、ステージで描かれる事件に応じて垂直に近く起こされたり、逆に横に寝かされたりしているのも面白い。細かく注意していなかったが、十字軍の戦況の良し悪しを表しているのだろうか。こうしてみると、少なくともデザイン担当のMike Brittonは中世演劇、特に教会内で行われた典礼劇の上演空間を念頭に置いているように思えた。但、そうだとすれば、演技や台詞の発話も儀式的というか、様式的にすると面白かったと思う。

登場人物と言及される歴史的事件が多いので、中東紛争や十字軍の知識が乏しい人(私もそうだが)には劇の大体の流れを追うのさえ困難と思う。私は脚本を買っておいたので、それを時々のぞいて、その時にしゃべっているのは誰か大体確認できただけも随分助かった。でなければ、全くちんぷんかんぷんのまま終わったかもしれない。

私は、十字軍については、中世史のひとつの事件として、通史の本の記述で読んだくらいなので、ちゃんとした専門家による『十字軍の歴史』みたいな本を一冊ちゃんと読まなきゃと思った。