2016/04/20

“The Curious Incident of the Dog in the Night-Time“ NT Live (「夜中に犬に起こった奇妙な事件」ナショナル・シアター・ライブ)

観劇日:2016.4.19 (171分、休憩1回)
劇場:吉祥寺オデオン

演出:マリアンヌ・エリオット
原作:マーク・ハッドン
脚本:サイモン・スティーブンス
セット:バニー・クリスティー
照明:ポール・コンスタブル
音響:イアン・ディッキンソン
音楽:エイドリアン・サットン
映像:フィン・ロス

出演:
ルーク・トレッダウェイ (クリストファー)
ニコラ・ウォーカー (ジュディ、母親)
ユーナ・スタッブス (ミセス・アレクサンダー、近所の老婦人)
ニーブ・キューザック (シボーン、特殊学級の先生)
ポ−ル・リッター (エド、父親)

☆☆☆☆☆/ 5

NT Liveの映像を通してだけれど、久しぶりにイギリスの舞台を見た。工夫に満ちた舞台で、非常に楽しめた。2012年の制作だが、初演ではオリヴィエ賞など多くの演劇賞を獲得し、2016年の今になってもロンドンではギールグッド劇場でロングランしており、また全世界で NT Liveを通じて上映され続けているのもうなずける傑作だ。

物語は、マーク・ハッドンの小説を原作としており、自閉症スペクトラムの15歳の少年、クリストファーを主人公に、彼の父母、そして特殊学級の先生を中心に描く。

クリストファーは2年前に母親を心臓発作で失い、今は父親と地方の小都市スウィンドンで暮らしている。自閉症で日常の社会生活では色々な困難はあるが、数学では人並み外れた能力を持っている。ある日彼は庭で隣人のシアーズさんの犬が、熊手(干し草かきに使う大きなやつ)で無惨に刺し殺されているのを見つけ、非常にショックを受ける。彼は、その「殺犬」の犯人を捜そうとして近所の家を戸別訪問して話を聞こうとするが、自閉症の彼には到底理解出来ない複雑な事情を聞いて混乱する。犬の死に端を発した彼の冒険は、彼をロンドンへ向かわせるが、旅は困難を極める・・・。

自閉症の少年の心を描きながら、しかし、観客は父や母、先生など健常者の大人の視点も理解しなければいけない。脚本のスティーブンスと演出のエリオットは、そういう2つの視野を絡み合わせつつ、巧みに舞台を構成している。そして、それを実現させたデザイン、照明、音響担当等のスタッフの力も非常に大きい。例えば、クリストファーの書く「本」(実は日記)を彼自身に読ませたり、先生のシボーンに読ませたりして、視点をずらしつつ、彼の内面を照射する。ある意味、デジタルの世界のように整然と構成されているクリストファーの思考形態は、照明による四角い線で格子状に区切られた舞台と、その世界を飛び交う数字や記号で表される。一方、父母など、彼のまわりの人間達の心や行動はあまりにもぐちゃぐちゃで、クリストファーには到底、シャーローク・ホームズのようにはきれいに解読できない。キャパシティーを越えてあふれ出す情報を前にして、クリストファーは混乱し、パニックを起こす。

障害を持った人を健常者の子供と比べるのは不正確とは思うが、見終わった後、私は自分の子供の頃の気持ちを思いだした。大人の言っている言葉が分からない、彼らの言う正しい事、間違った事、しなければならない、してはならない事の意味が分からない、そういう気持ち。大人の世界が無限の謎解きパズルのようで、不思議なことばかりだった。喜ばれると思ったことが大人を困らせたり、いけないことと思ったのに褒められたり。そして、同じ日本語なのに、大人同士の会話は、何が何だか分からなくて、暗号が飛び交う空間のようだった。

常々感じていることだけど、人と人を結びつける感情のコード、言語とかジェスチャーとかそれらのタイミングとか組み合わせとか強弱とか、そういうものは、人それぞれ違っていて、誰が正しいとか、何が正常とか言いがたい。ただし、大多数の人々を結びつけるコードの共通項によって世界は動いているので、そういうマジョリティーのコードとは違ったシステムを持っている人は、この大人の世界では上手く機能できない。子供達もそうだが、自閉症スペクトラムの人達も、ダウン症の人達もそうだ。でも彼らは彼らの世界においては首尾一貫して機能しているとも言える。それどころか、クリストファーのように、通常のコードで動く人々には理解出来ない世界を持っていたりするのだろう。クリストファーが数学に取り組んだり、天空を見上げたりするとき、彼の想像力は私達の思いもよらないパラレル・ワールドで無限大にはじけ、私達には見えない世界を見ている。クリストファーのように、整然とした世界で上手く機能し、それを越えるとパンクするというある意味分かりやすい宇宙に生きている人と視線を重ねて見ると、彼の父母やシアーズ夫妻のような人々は何と不完全で混乱していることか。劇を見終わる頃には、彼らこそ、不可解な衝動にがんじがらめの、救いようのない「障害者」に見えてきたから不思議だ。

クリストファーを演じたルーク・トレッダウェイは、15歳の少年にしては歳取りすぎて見えるが、これは映像によるクローズアップで見た為もあり、舞台ではそう目立たないだろうと思う。それ以外は完璧。自閉症の少年になりきった演技は入念な準備を要したことだろう。彼の細部まで行き届いた演技は、映画「博士と彼女のセオリー」でALS患者となったホーキンズ博士を演じたエディー・レドメインを彷彿とさせた。母親を演じたニコラ・ウォーカー、父親役のポール・リッターもクリストファーに振り回される大人を上手に、陰影を感じさせつつ演じている。そして、クリストファーの世界と大人達の世界の仲立ちをし、少し離れたり、内側に入ったりしつつクリストファーを見続けるシボーン先生の役柄と、それを演じたニーブ・キューザックが大変印象的だ。

普通の映画を見るよりは大分高価だが(3000円)、十二分にお釣りの来る満足感を得られた。私は社会の問題を描く劇や、シェイクスピアやイプセンなどの西洋古典が好きなので、この劇にはあまり期待せずに出かけたが、予想が良い意味で完全にはずれて良かった。

0 件のコメント:

コメントを投稿