2009/10/29

"The Sacred Made Real" (The National Gallery, 2009.10.24)



"The Sacred Made Real: Spanish Painting & Sculpture 1600-1700" (The National Gallery, 2009.10.24)

先日、ウエスト・エンドで劇を見た時に時間が大分余ったので、前から関心があったこの展覧会に、行ってみました。17世紀のスペインのキリスト教美術、絵画と彩色彫刻、を30点程度集めています。日本人にも良く知られた画家としてはディエゴ・ベラスケス(Diego Velázquez, 1599-1660)の作品がかなりありました。他の有名な画家では、フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán, 1598-1664)の作品。スルバランにしたって、私は聞いたことありません。ベラスケスの作品は、王女マルガリータの肖像などが有名ですが、こんな敬虔な宗教画もあったのか、と驚きました。しかし、その他の画家、彫刻家は、スペイン国外ではあまり知られた人ではないそうです。というのも、これらは、教会等で今も信仰の対象となっているもので、国外の展覧会などで展示されることや、画集に収められることが少なかったからのようです。例えば、Juan Martínez Montañés(1568-1649)やPedro de Mena(1628-1688)、Juan de Mesa(1583-1627)などの作品が展示されていました。どういう作品があるかは、ガーディアン紙の次のサイトをご覧下さい:
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/gallery/2009/jun/09/spanish-art-national-gallery-exhibition?lightbox=1

本当にRealなんです。生々しい。キリストの受難のシーンなど、正に信者の感覚に直接訴えてくると思います。キリスト教の信者でない私もつくづく見入ってしまいました。顔のしわやしみまでしっかり描かれていたりします。また、スペインの他の絵画でもそうですが、光と陰のコントラストが鮮やかでした。特に新鮮だったのは、彩色彫刻です。木の彫刻に色を塗ったもので、彫る人と画家は別だそうです。もう350年くらい経った作品なのに、驚くほど色鮮やかで、ひび割れなどもありません。直ぐ目の前にキリストやマリア様が立っているようです。解説によると、絵画が木彫に影響されている場合も多いとのこと。つまり、木彫を見て、絵画を描くこともあったそうです。マリアの服のひだなどが、ごわごわした感じになっているのは、直接布を見つつ描いたのではなく、木彫になった服のひだを見て描くからだという言うことです。

私はイギリスにおける中世受難劇を勉強しているので、直接研究のヒントにはならなくとも、大いに刺激にはなりました。2010年1月24日まで開催中です。見ると心が洗われるような気がします。私ももう一度行ってみようと思っています。

2009/10/27

"Endgame" (Duchess Theatre, 2009.10.24)


生の終わりと世界の終わり?
"Endgame"

Complicite公演
観劇日: 2009.10.24 15:00-16:30
劇場: Duchess Theatre (Westend)

☆☆☆☆/5

演出:Simon McBurney
脚本:Samuel Beckett
美術:Tim Hatley
衣装:Christina Chunningham
照明:Paul Anderson
音響:Gareth Fry


出演:
Mark Rylance (Hamm)
Simon McBurney (Clov)
Tom Hickey (Nagg)
Miriam Margolyes (Nell)

カーテンが上がる前から低い不気味な音が劇場を満たしている。やがてカーテンが上がると2つの大きなゴミ箱以外に何も無い荒涼とした地下室らしき部屋。左右の天井近く、人の背丈よりも高い所に、それぞれ1つずつ窓があり、薄明かりが差し込む。ステージ中央に車椅子に座った男、Hamm、が居て、ドアから入ってきたClovとやり取りを始める。

 "Waiting for Godot"でもお馴染みの暴力、依存、愛情の入り交じったような不思議な言葉が2人の間に延々と交わされる。簡単に言えば、車椅子から出られず、また目さえ見えないHammと、その世話をするClov、そしてHammの両親の会話よりなる劇。この両親はステージ右側に置いてあったゴミ箱に入ったまま。最初は蓋がしてある。しかも、母親のNellは途中で死んでしまうらしく、応答が無くなる。父親、Naggもおそらく劇の終わる前に死んでしまう。

HammはNaggに食べ物(ドライ・フルーツ?)をやろうとして、もう無くなってしまったことに気づく。また、彼は決まった時間に痛み止めをClovから貰って飲むことになっているようだが、その時間が来ても、「もう痛み止めは無くなった」とClovから言われる。飢餓や迫り来る死がほのめかされているのだと思う。ゴミ箱の中に入ったままの両親は、返事をしなくなる。Clovも去っていき、Hammだけがステージに残されることに・・・。

タイトルが”Endgame"であることからして、何かの終わりを示す劇だ。少なくとも、Hammの人生は、NellやNaggの人生のように、まもなく終わろうとしているように見える。一体、外の世界はどうなっているのだろうか。このプロダクションの音響や、地下室の様子から、部屋の外も決して明るい平和な世界でないことがうかがわれる。世界戦争の後の荒野? もしかしたらこの部屋が最後の生命が残された場所なのかもしれないなどと、想像させる。

ゴミ箱から突然NaggとNellが顔を出してびっくりしたが、それ以外は特に変わったことが起きるわけでもなく、Compliciteのいつもの、いわゆる「フィジカル」なステージとは言えない。やや退屈して、ぼーっとしていた時もあった。しかし、ClovがHammを残して去ろうとするあたりからは非常な緊張感が漂う。また、それ以上に、見終わった後に強い余韻を残す作品だった。

普通の劇であれば台詞やト書きから如何に観客に納得のいく生き生きしたキャラクターを作るかが、役者の腕の見せ所だろうが、もともとリアリスティックな人物の創造を想定してないベケットの台詞である。「この人物はこういう風にしゃべるだろう」という筋書きをたてられないだろう。演出家と役者は、ひとつひとつの言葉やシーンを積み木のように組み立てていくのだと創造する。私がただ言えるのは、味わいのある演技で、楽しめたと言うこと。

生の終わりと、世界の終わりに向かっているような、終末的な様相を呈し、現代的なプロダクションだった。同様の意味で、先日見た"Mother Courage and Her Children" (National Theatre)を思い出した。

2009/10/20

BBC One "Emma"放送中


以前旧ブログで書いたBBC Oneの"Emma"は第3回まで放送が終わり、あと1回を残すばかりとなりました。毎週日曜日の9時台に放送されています。Romola Garai扮する主人公、ドングリ眼がこぼれ落ちそうで、なかなかおかしくて笑ってしまいます。大変楽しいドラマとなりました。ストーリーは、自分自身については無知のくせに他人の結婚の事にはしきりにお節介を焼いて失敗している主人公が、そうした失敗を経て徐々に自己認識を深め成長するというお話。原作はオースティンの円熟期の作品で、大変良くできているということです。こういうロマンチック・コメディーにはあまり興味のない私にも大変楽しめます。

Michael Gambonがお父さん役で出ているのですが、ほとんどカメオ・アピアランスという程度。役者の中では、主人公とそのパートナー(John Lee Miller)以外では、経済的には苦しい生活だが、いつも陽気でおしゃべりのオールドミスMiss Batesを演じるTamsin Greigがとても印象的。

ひとつ私があらためて感じたのは、18世紀始めの田舎のジェントルマン階級とその家族の世界が如何に窮屈で狭苦しいものであったかということ。集まる時は、3,4家族とその周辺のやや社会的地位が高い人(教区司祭など)、それらの家の家庭教師、など。10数人の人が何かにつけて顔を合わせるわけです。このドラマが正確に当時の状況を反映しているとは思いませんが、閉鎖性は大体似たようなものだったのではないのでしょうか。主人公のEmma自身は、自分の村Highburyから一度も外に出たことがなく、それで充分満足という有様です。しかも、彼らは働いていないわけですから、余暇は有り余るほどです。お茶を飲んでゴシップをしたり、ダンス、散歩、ピアノ演奏、読書、ゲーム・・・、限られたメンバーで時間をつぶすのも大変。勿論周囲には沢山の農民や職人、商人などがいるのですが、階級が違う彼らとは個人として普通のつき合いは出来ないのですから不自由です。

もう一つ面白いと思ったのは、こうしたジェントルマン家族の周辺にいる人達の微妙な立場です。例えば、Miss Batesはずっと昔に亡くなった教区代理司祭の娘です。聖職者の娘ですから階級としてはジェントルマンではないにしても、労働者とは別格なのですが、経済的には非常に苦しい状況です。こういう人達、特に女性は、どこかから遺産が舞い込んでくるか、あるいは若い時に幸運な結婚をするかでなければ、人生の後半は極めて厳しかったことでしょう。親戚の居候として、片身の狭い思いをしつつ生きるか、どこかの家の使用人になり、階級を落としてしまうかでしょうか。Emmaのgovernessであった賢明なAnne Taylorは、幸運にもMr Westonと言うおっちょこちょいのジェントルマンと結婚できました(ジェイン・エアですね)。

BBCの"Emma"の公式ページは:
http://www.bbc.co.uk/programmes/b00n8s6x
但、ページ内のビデオはイギリス国内でしか見られないと思います。

写真はMiss Bates (Tamsin Greig)

2009/10/15

"An Inspector Calls" (2009.10.14 Novello Theatre)


"An Inspector Calls"
観劇日: 2009.10.14 14:30-16:15
劇場: Novello Theatre

☆☆☆/5

演出:Stephen Daldry
脚本:J B Priestley
美術:Ian MacNeil
照明:Rick Fisher
音楽:Stephen Warbeck


出演:
Nicholas Woodeson (Inspector Goole)
Sandra Duncan (Sybil Birling, wife)
David Roper (Arthur Birling, husband)
Marianne Oldham (Sheila Birling, daughter)
Timothy Watson (Gerald Croft, fiancee of Sheila)
Robin Whiting (Eric Birling, son)
Diana Payne-Myers (Edna, a maid of the family)


J P Priestleyのこの戯曲は、半ば現代古典の評価を確立しつつある。高校生の課題図書になるなど、広く読まれ、また繰り返し上演されてきた。日本でも『夜の訪問者』という題名で上演されたそうである。今回のプロダクションは、1992年にNational TheatreでStephen Daldryが上演したプロダクションの再演である。1992年の上演は好評を博し、ウエストエンドにトランスファーしてロングラン。更にブロードウェイにも行ったそうである。私はこのウエストエンドのロングラン中に一度見ている。確か私が始めてイギリスに来た20年くらい前の夏だったと思う。予備知識なく見て、英語が分からない部分もかなりあったが、大いに楽しんだこと、演技や美術のレベルの高さを感じたという想い出が残っている。この劇もひとつのきっかけとなり、イギリスでの観劇が好きになったのだと思う。そう言う意味では、その後の私の人生を変えた劇だ。

ストーリーは、1912年、つまり第一世界大戦直前のイングランドのある夜の数時間に限られる。企業家Birling家では娘Sheilaとその土地の名家の息子Gerald Croftとの間の婚約を祝う内輪のパーティーを行っている。そこに刑事(a police inspector)のGooleが訪ねて来て、色々な質問をする。今夜貧しい若い女性Eva Smithが毒物を飲んで自殺したと刑事は告げる。そしてその女性はかってArthur Birlingの経営する工場の女工だったが、ストライキの指導者の一人であったのでArthurは彼女を解雇していた。それだけではない。話している家に、Birling家の他の者達全員、更にGerald Croftも解雇された後のEva Smithと偶然にも関わり、そして彼女を無惨に見捨てていたことが分かってくる。事実を知らされた彼らの反応は様々。Arthurを始めとして、私には責任はない、普通なら誰でもすることをやっただけ、という者もあれば、娘Sheila Birlingのように強く責任を感じて、自分の生き方を見つめ直そうと思う者もいる。こうしてEva Smithの死へ至る経緯が明らかにされた後、Evaの正体を巡り、思わぬどんでん返しがある・・・。

この劇の主役は、既にしばしば言われているように、Ian MacNeilの素晴らしいセットである。居心地の良い、しかし子供のままごとの家のように狭苦しい家。その家にどう光があてられ、精神的も物理的にもどう変わっていくか、家族の偽りの平和と幸福を象徴しているかが見所である。また、その家を囲んでいるまわりの雰囲気は荒涼としており、Birling家が自分達の幸運に閉じこもり、周囲と調和していないことを示している。また多くの台詞のない群像をしばしば配置することにより、Evaがある一人の女性の悲運だけでなく、彼女の背後にも同様の貧しい庶民が沢山いることを暗示している。

昔この劇で大いに感激した私としては、今回はちょっと拍子抜けした。確かに良くできた劇で、楽しめる。見てない人は是非見て欲しい。しかし、見なおしてみて、非常に図式的に感じた。前回見た時は筋書きも知らず、British Englishに慣れておらず台詞もあまり分からなかったが、今回内容を大体知った上で見ると、物語が小気味よく計算通り進行する良さが感じられる一方で、あまりにも定規で線を引いたような単純さを感じられもした。何度見ても味わいがにじみ出るような劇ではないと思った。

俳優は全員それぞれの役を適切にこなしていたが、特に傑出した印象を受けた人はいない。強いて言えば、Sheilaを演じたMarianne Oldhamは、Sheilaの憎たらしい自己中心的な考えが自省に変わっていく様子を大変上手く演じていたと思う。台詞では、Inspector Gooleはbald and stockyとあったようだ。また、大変威圧的な影響力をBirling家の人々に与えなければいけない役柄である。にもかかわらず、Nicholas Woodesonはミスキャストだと思う。かなり小さな男性で、スーツやコートがだぶついているように見えた。失礼ではあるが、もっと堂々とした体格の人でないとInspector Gooleは演じられない。

ウィークディのウエストエンドのマチネ。しばらく忘れていたが、ひとつ警戒が必要だった。つまり、観客の7,8割は高校生の団体客で、ひそひそしたおしゃべりが絶えることが無かった。また、電話が鳴ったこともあった。違った観客だったら、もっと集中出来て、大分印象が違っていただろう。但、高校生達も、彼らなりの騒々しい反応から見ると、かなり楽しんだようで、この劇の魅力を証明していた。

2009/10/14

Bloggerに移ってきました。

新しくこのBloggerに移ってきました。旧ブログは、
http://playsandbooks.asablo.jp/blog/
です。旧ブログにはイギリスの演劇上演の感想40本以上、洋書の感想20本以上のポストがあります。よろしかったらご参照下さい。

前のブログにしばしばご訪問くださった方にはご不便をおかけし恐縮です。旧ブログはシンプルで使いやすかったのですが、うまく検索が出来ず、書いた自分自身でも以前の文章を捜すのに大変手間がかかりましたので、こちらに移転しました。