2010/08/26

"The Prince of Homburg" (Donmar Warehouse, 2010.8.24)

説得力ある台詞劇、しかし原作とは大いに違う!
"The Prince of Homburg"



The Donmar公演
観劇日:2010.8.24  19:30-21:25
劇場:Donmar Warehouse

演出:Jonathan Munby
翻案:Dennis Kelly
原作:Heinrich von Kleist
セット:Angela Davies
照明:Neil Austin
音響:Christopher Shutt
作曲:Dominic Haslam
ムーブメント:Laila Daillo

出演:
Charlie Cox (The Prince of Homburg)
Ian McDiamid (The Elector)
Siobhan Redmond (The Electress)
Sonya Cassidy (Natalia, Princess of Orania)
David Burke (Colonel Kotwitz)
Harry Hadden-Paton (Count Hohenzollern)
Julian Wadham (Marshall Dörfling)
Simon Coates (Colonel Henning)
William Hoyland (Count Truchss)

☆ / 5

1809-10年に書かれ、1821年に初演されたオーストリアの劇作家、Heinrich von Kleistの近代古典。この劇を見終わってDonmar Warehouseを出た時、今日は良い劇に出会った、と大きな満足感に包まれた。しかし、その後、ガーディアンのMichael Billingtonの評を読んで、今回使われたDennis Kellyの翻案は、結末を大きく変えてしまっていると知り、大いに落胆した。日本でも、シェイクスピアやチェーホフをひどく変えて上演する人達がいて、いつもガッカリさせられる。特にその事を、予めチケットを買う客にはっきりと知らせずに売るのはもってのほかだ。改作した作品を見に来て欲しいのであれば、最初から宣伝文などにはっきりとそう書いて欲しいと思う。また、シェイクスピアやチェーホフの代表的な作品のように、度々上演されているのならばともかく、イギリス人演劇ファンでも10年に一度も見られないような古典を敢えて改作する必要があるだろうか。オリジナリティーを出すのは、衣装とか、時代設定とか、セットや演技の仕方などで工夫して欲しい。

ドイツ選帝候(Elector)に使えるPrince of Homburgは夢見がちな若い貴族。戦争の合間に庭でまどろむ彼は、夢遊病者のような白昼夢を見て、現実と夢を混同しているようである。次の戦の前の打ち合わせでも、気もそぞろで、司令官の命令をよく聞いていない。戦争が始まると、彼は機を見て果敢に相手に攻め入り、見方に大勝利をもたらし、部下や同僚からもてはやされる。しかし、予め、自分の命令を守るように厳しく言い渡していた選帝候は、勝利にもかかわらず、Princeの命令違反に激怒し、軍法会議にかけて、死刑判決を下す。Princeは、最初、選帝候は単に厳しい素振りをしているだけで、実際に処刑などするわけがないと高をくくっているが、選帝候が処刑命令書に署名したと聞き、突然事の重大さに気づき、主君にひざまづいて涙ながらに赦免を請うが、なかなか聞き入れられない。しかし、選帝候の姪で、Princeと恋仲にあるNataliaの懇願により、選帝候は条件をつけて、赦免の可能性を示す。即ち、もしPrinceが、選帝候の決断(命令不服従を罰すること)が真に間違っていた、と信じるならば、彼はPrinceを赦そうと言うのである。それを聞いて、Princeは、選帝候の決断は間違ってはいなかった、と言い、下された判決を受け入れることとする。Princeの部下や同僚は、Princeの助命嘆願の署名を集め、選帝候と会見し、Princeへの赦しを求める。特にColonel Kotwitzは、選帝候の逆鱗に触れつつも、果敢にPrinceを弁護するが・・・。

この上演を見て、私が感じたのは、ロマンチックで軽率、つまり未熟な若者の不注意やナイーブさが、厳しい軍律の為にその若者に致命的な痛手を負わせる結果になるということだ。軍という非人間的な組織の中で、人間的な過ちや弱さが破壊的な結果を生む事を感じさせられた。また、選帝候に示されるファシスト的な冷血は、明らかに後の第3帝国の総統や軍隊の出現を予見させている。Prince of Homburgを演じたCharlie Coxはそうした夢見がちな若者を良く表現できていたし、選帝候を演じたIan McDiamidは自分の決断の重大さやNataliaの懇願、そして部下達の進言に揺れ動きつつも、頑なに心を閉ざす偏狭な君主を、深みある演技で雄弁に演じていた。Princeを弁護し、選帝候の頑なさを糾弾したColonel Kotwitzを演じたDavid Burkeの熱弁も強く印象に残った(彼は、BBCのシャーロック・ホームズでワトソンを演じた人)。

ということで、大いに満足して劇場を出て、☆は4つか5つと思っていたのだが、でもこの公演の結末はKleistの書いた結末とは、180度違っていた事を事後に知ってしまった。それによって、既に書いたような私の印象も大きな影響を受けた。結果良ければ全て良し、という見方も出来るだろうが、私は古典的作品を見たいと思ってチケットを買う客に、「はっきりした断りもなく」このように改作して上演することには絶対に同意できない。日本でも似たような例は時々ある。しかし、ろくに原作を愛してもいないのが歴然。そういう演出家のテキストを軽んじ、新奇さをてらい、自分の個性を売りこもうという傲慢な姿勢には我慢ならない。

この演出家、Jonathan Munbyの公演は2度見ている。Menier Chocolate Factoryでの'The White Devil'、そして、Donmarで去年見た傑作公演、'The Life is a Dream'であり、2度とも大変満足していた。それだけに、今回のこの公演は残念極まりない。今回の出来を見ても才能溢れる演出家のようなので、今後古典の上演については考え直してくれることを望みたい。

なお、結末部分にどのような改作がなされたかは、既に英語版Wikipediaの"The Prince of Homburg"の項の"Adaptations"というセクションで詳しく述べられているので、関心のある方はそちらを見て下さい。


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