2014/03/03

'Caister'という語で思い出したこと(前回の記事に続いて)

前回の記事で、-chester, -cester, -casterという、ラテン語のcastrum, -raから出た3つの地名について書いたが、もう一つこのラテン語から出た面白い綴りがあった。それが、”caister”。これは地名の一部と言うより、単独の地名で、Caisterという町が東部ノーフォークの海に面した場所にある。なぜこれを思い出したかというと、今論文の勉強の一部として”The Paston Letters”(『パストン家書簡集』)の2,3の手紙を読んでいるから。これは15世紀イングランド(主としてノーフォーク)に住んでいたパストン家の人々の手紙集であるが、このパストン家の人々と深い繋がりにあったのが、同じくノーフォークのジェントリー(騎士階層)、サー・ジョン・ファストルフ(Sir John Fastolf)。ファストルフは、現代の我々にとっては、シェイクスピアの『ヘンリー4世』の人気者、フォルスタッフ(Sir John Falstaf)の名前の元になった人として有名。みて分かるとおり、ファストルフの綴りを入れ替えて作った名前だ。(但、フォルスタッフという架空の人物の創造にあたっては、もうひとりの実在の人物、ヘンリー5世の友人、サー・ジョン・オールドキャッスル(Sir John Old Castle)に負うところがより大きいらしいが。)さて、このファストルフが所有していた、当時は優美な居城(今は廃墟)が今のWest Caisterという小さな町にあるCaister Castleなのである。

The Paston Letters の多くはこの城の所有に関して関係者の間で書かれている。サー・ジョン・ファストルフは子供がおらず、また正式の遺言書を残さずに亡くなった。彼の死が迫った頃、弁護士だったジョン・パストン1世は彼と長い時間を過ごし、また、妻のマーガレットを通じて彼と姻戚であったので、ファストルフの遺産、とりわけそのもっとも貴重な部分であるCaister Castleを相続すると宣言した。しかし、ノーフォークの大貴族、John Mowbray, 4th Duke of Norfolk、及び、パストンと同様、ジェントリーにして法律家だったWilliam Yelverton、その他も相続権を主張し、非常に長い間、極めて複雑な争いとなり、彼らは、法廷で、そして武力を行使して、この城の取り合いを繰り広げた。

ところで、地名に戻ると、Caisterは現在「ケイスター」と発音するようだが、中世末からそうだったのだろうか。また、だとすると、この /i/ は如何なる理由で入ったのだろう?ノーフォークという地域は独自の方言特徴を持つ地域なので、ちゃんとした理由が付けられるのかも知れない。

パストン家とその書簡集については、講談社学術文庫より、ジョセフ & フランシス・ギースによる平易な解説書が出ている。

社本時子『中世イギリスに生きたパストン家の女性たち―同家書簡集から』は、女性や恋愛・結婚に的を絞ってこの書簡集を読み解いている。物語のように読みやすく、大変楽しい本。ジェントリーであるジョン・パストン1世の娘、マージョリーと、平民で、パストン家の使用人のリチャード・コールの身分違いの恋、そして親兄弟の激しい怒りと反対にもかかわらず、2人がその恋を貫き通して結婚するに至るという事実など、実に面白い。

英語では、原典は中世の英語であり、膨大な量があるが、Norman Davis編のモダン・スペリングによるOxford Classics版が、興味深い手紙を集めていて手軽に読める。

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