監督:Sarah Gavron
脚本:Abi Morgan
制作:Alison Owen, Faye Ward
音楽:Alexandre Desplat
出演:
Carey Mulligan (Maud Watts)
Helena Bonham Carter (Edith Ellyn)
Anne-Marie Duff (Violet Miller)
Natalie Press (Emily Davidson)
Meryl Streep (Emmeline Pankhurst)
Romola Garai (Alice Haughton)
Brendan Gleeson (Steed)
Ben Whishaw (Sonney Watts)
Samuel West (Benedict)
☆☆☆☆☆ / 5
(まだ日本公開前の映画です。これから見ようと思う人は、以下は読まない方が良いかも知れません。日本公開時のタイトルがどうなるかは知りません。)
イギリスにおける第一次世界大戦直前の女性参政権運動の様子を描いた映画。昨年(2015)の10月にイギリスで封切られた。日本でもおそらく今年か来年あたり公開されることと思う。題名の”Suffragette”は女性参政権運動家を表す言葉。昨年のイギリスでの公開前から是非見たいと思っていたが、日本公開を待ちきれず、アマゾンUKでDVDの予約が可能になったので、予約していたら先日発売になり、送られてきた。
私が期待していた通り、大いに楽しめたし、公平に見ても大変良い映画だと思う。歴史的事実を描きつつも、両性の平等と女性の政治参加を応援する、フェミニズムの視点に立つ映画であり、映画の最後には、各国で女性参政権が獲得された年を示し、例えばサウジアラビアのように未だに女性の政治・社会参加が限られている国々もある中、現在と未来へのメッセージを投げかけてもいる。
イギリスにおける婦人参政権運動の最も有名な指導者、エメリン・パンクハーストや、エプソン競馬場で国王ジョージ5世に直訴しようとして命を落としたエミリー・ディヴィッドソンなど実在した人物も出てくるが、基本的な物語は、架空の人物モード・ワッツという20歳代の若い洗濯婦で一児の母親である女性が、職場の同僚ヴァイオレット・ミラーに誘われて、徐々に主体性を持った運動家に育っていくプロセスを描きながら、1912年から13年にかけての婦人参政権運動を描く、この頃、彼女たちは、政界やマスコミ、そして多くの国民の関心を高めるために、投石、放火などの実力行使に訴えたが、そうした流れを史実にかなり忠実に描いているようだ。
イギリスの婦人参政権運動がパンクハースト家のような上流階級、あるいはミドルクラスだけでなく、モードのような女性を多く巻き込んでいたとしたら、この運動には階級闘争的な面もあったということだろうか。劣悪な洗濯工場で、体を壊したり、怪我をしたり、監督の男性の性暴力に苦しんだりしつつ、日々長時間労働を強いられていたモードやヴァイオレットの様子は、まさに囚人の暮らしであり、20世紀になっても、ディケンズの時代とさして変わらない状況が続いていたことがうかがえる。更に、モードは学校にもろくに行っておらず、十代前半から洗濯婦として働き始めていた。彼女の夫ソニーも同じ工場で働いており、2人には男の子がひとりいて、モードにとっては唯一生きる喜びになっていたが、そうしたささやかな幸福も、彼女が運動に加わることで大きな打撃を被ることになる。また、登場する運動家の中には下院議員の妻アリス・ホートン、妻の運動に理解ある夫と共に薬局を営むイーディスなどもいるが、色々な階級の女性たちが、女性の解放の為に協力して立ち上がっている様子を描こうという意図だろう。下院議員の妻であるアリスでさえ、その自由と体は夫の所有物である。伝わってくるメッセージは、参政権の獲得なくしては、あらゆる階層の女性を隷属状態から解放出来ないということだ。
警察の特殊部隊による活動家のリストアップと監視、警察官による暴力、尋問や懐柔策など、リアリティーがあり、今も昔も、そして洋の東西を問わず変わらないなと思った。70年安保前後の、新左翼の活動家達の経験も思い出した。
私はキャリー・マリガンの舞台や映画、テレビ・ドラマなどを見た記憶がなく、多分これが初めてだと思うが、非常に良い印象を持った。監督や制作者の意図もあると思うが、メークをほとんどつけてない(ように見える)顔で、ワーキングクラスの洗濯婦を自然に演じることが出来ていた。成長する運動家のたくましさも、そして、運動のなかで、妻として、母親として悩む様子も上手く演じていた。それ以外の女優陣も豪華。特に、私にとって主役以上に印象的だったのは、ヴァイオレットを演じたアンヌーマリー・ダフ。舞台で何度か見た女優だが、彼女の台詞と表情の雄弁さにはいつも感心する。ヘレナ・ボナム・カーター、ロモラ・ガライなど、脇役の女優陣も演技達者。カメオで、メリル・ストリープがエメリン・パンクハーストを演じたのも、はまり役だったと思う。
衣装、セット、そしてロンドンの通りの様子など、実に良く出来たピリオド・ドラマになっている。スタッフの熱意と徹底したリサーチがうかがえる。スターを目立たせて彼らの人気で客を集めようとする映画ではなく、飽くまで女性参政権運動家達を描きたいという制作者達の意図が感じられた。そうした作品だからこそ、女優達がより一層輝いて魅力的に見えた。
この映画では、戦闘的な女性参政権運動に焦点を当てているが、これ以外にも、ミリセント・フォーセットに率いられたサフラジスト(Suffragists)と呼ばれる穏健なグループもあり、議会へのロビー活動を通じての政治参加への模索も行われていた。自由党、労働党、労働運動や知識人達との関係など、女性参政権運動にも多様な顔があった。そうした点はこの映画では分からないが、2時間に満たない作品に大局的な視点を求めるのは無理な注文だろう。私も知らないことばかりなので、この映画をきっかけにして、もう少し映画の背景を学んで見たいと思った。先進国の中では、両性の平等に関して極めて保守的で、家父長的であり、「フェミニズム」という言葉がしばしば揶揄される日本においてこそ、特に若い女性達にこの映画を広く見て、考えて欲しいと思う。ちなみに、モードの夫役として、日本人女性にかなり人気のあるらしい(?)ベン・ウィショーも出演。彼が出ているという理由だけでこの映画を見る女性にも、映画のメッセージが心に響くと良いが。
なお、この映画に描かれた時代は第一次世界大戦直前。大戦後、戦争中の女性による社会の多様な職域での活躍が評価されて、1918年には人民代表法 (Representation of the People Act〉が制定され、30歳以上の女性の多く(地位や財産に制限あり)に選挙権が認められ、28年には21歳以上の全ての男女に選挙権が認められるようになった。(なお、この1918年に初めて男子普通選挙権も認められた。それまでは、戸主選挙権であったが、すべての21歳以上の成人男子に認められるようになった。)イギリスにおける女性解放の歴史上、暴力を含む実力行使を行ったサフラジェット達がどれだけの役割を果たしたかは議論が分かれそうだが、それを考える上でもこの映画は見る価値がある。忘れてならないのは、投票などの民主主義の最低限の権利は勿論、平和的なデモでさえも弾圧されていた時代だったということだ。つまり、アパルトヘイト時代の南アフリカにおける黒人達やANCの状況と似ている。そういう状態で、女性たちが延々と平和的手段だけで運動を続けることに意味があったのか疑問であり、実力行使は起こるべくして起こったと言える。
写真は、エメリン・パンクハースト(写真の出典はこちら)。
[2016年9月14日追記]
この映画、日本公開が決まったようですが、その邦題が『未来を花束にして』。宣伝方針としては、原作の政治色、フェミニズム色を出来るだけ消して、きれいな女優さんたちが、時代の荒波に揉まれつつも、けなげに頑張る昔の女性を演じました、というところでしょうか。日本社会の家父長的な性格を示すなんとも皮肉な題名となりました。
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