2020/09/21

英文学史の教科書に見る「中世劇」の記述

 秋の学期が近づいたのでふと中世劇に関する英文科や英文学専攻(教員や学生)における一般常識が気になり、手許にある割合新しい文学史の本を開いて見た。一番新しい浦野郁・奥村沙夜香編『よくわかるイギリス文学史』(ミネルヴァ書房、2020、pp.34-35)が良い。割合説明も詳しいし、大きな間違いもない。強いて言えばタウンリー劇を「ウェイクフィールド」の町で行われた劇と考えているところが古いが、これはこの本の参考文献に挙がっていて権威ある松田隆美他『イギリス中世・チューダー朝演劇事典』(慶應義塾大学出版会、1998)が最近の研究からするとやや古くなってきたという問題によるものだろう。なお、英語の文学ではないからか、ラテン典礼劇への言及はなかったが、欲を言えば、ブリテン諸島における中世演劇の始まりとして、やはりラテン典礼劇にもひと言触れて欲しかった。

 白井義昭『読んで愉しむイギリス文学史入門』(2013)は、薄い本だし(170ページ)、近代小説の専門家が1人で書かれた本なので仕方ないが、中世劇への言及はない。シェイクスピアのところに「大学の才人たち」と呼ばれる劇作家への言及があるが(p. 18)、イギリス演劇が突然始まったような感は残る。

 石塚久郎他編『イギリス文学入門』(三修社、2014)では、中世英文学の解説部分には演劇の記述はなく、16世紀で少し言及(pp. 34-35)。聖史劇等については「教会劇に起源を持つイギリス演劇は、やがて道徳劇と古典劇を二つの柱として発展していくことになる」という記述で触れていることになっているのだろう。でもこれだけではちょっと残念だ。そのあと、「そしてその幕間に演じられる短い喜劇も発達し、これらは間狂言(interlude)と呼ばれた」とあるが、この表現は不正確と言わざるを得ない。インタールードは大ざっぱな範疇で、喜劇が多いがそればかりとは限らない。また引用の「その幕間に」は文脈から見て「道徳劇の幕間に」という意味のようだが、道徳劇の間に演じられたわけでもなく、そもそも道徳劇もインタールードに含めて考える専門家も多くて、両者を分けることは出来ない。道徳劇やインタールードの定義が英米の専門家の間でもまちまちで、これらはかなり便宜的な名称である。やや古いが(1976)、Glynne Wickhamによるこのジャンルのアンソロジーは、"English Moral Interludes"という書名となっており、道徳劇とインタールードは重複する事の多い名称であることを示している。

 イギリス演劇史の教科書、一ノ瀬和夫、外岡尚美編『たのしく読める英米演劇』(ミネルヴァ書房、2001)は、演劇に絞った本だけあって、前述の数冊と比べるとかなり詳しく、「典礼劇」、「ミステリー・サイクル」、「道徳劇」、「インタールード」という一連の伝統的な解釈による演劇の変化を記述している(p. 2)。但、細かく言うと、典礼劇が変化してミステリー・プレイになったかのように書いてあり、演劇史観としては50年位前までの常識で、古めかしい。また「インタールードと呼ばれる芝居が宮廷などで上演されるようになり、イギリスの演劇も長い中世のくびきから脱することになった。」とあるのには苦笑いさせられる。また、インタールードは既に書いたように、16世紀の短い劇を総称する非常におおざっぱな括りで、宮廷演劇とは限らない。むしろ、宮廷で上演された可能性のある作品はあっても、大多数はそうとは言えないだろう。

 この本には個別の作品解説の部分に『第二の羊飼い劇』の粗筋や解説もある(pp. 4-5)。この作品の解説者は慶應義塾大学のイギリス演劇専門家、小菅隼人先生で、タウンリー写本とウェイクフィールドの町の事をちゃんと説明してあるなど、この時期の出版としてはなかなか正確である。但、今世紀の研究では、タウンリー写本の劇は、最早「サイクル劇」とは言えず、この写本の形でウェイクフィールドで上演されたということも考えにくい。

 私自身、英文学史やイギリス演劇史の講義を担当してきたが、専門以外では相当にいい加減なことを言ってきた来たと思うので、こういう本を執筆される方々は立派である。総じて希望を書くとすると、中世劇については、典礼劇のこともひと言書いて欲しい。しかし、典礼劇が英語の聖史劇に発展したとは書かないで欲しい。また、中世末期、特に15世紀から16世紀初頭まではイギリス演劇は全国で(つまりロンドン以外でも)もの凄く盛んで、大変洗練された作品も多いことを認識して欲しいと思う。

 更に、英文学史の教科書に含めるのは難しいだろうが、中世のブリテン島にはラテン語の典礼劇に加え、コーンウォール語やウェールズ語などケルト系言語の演劇もかなりあってテキストも少し残っている。また記録だけ残っている英語の劇なら「おびただしい」と言って良いほどあり、各地で上演されていたことが分かっている。

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