2011/03/16

"Moment" (Bush Theatre, 2011.3.14)

19年ぶりの家族の再会だが・・・
"Moment"

Tall Tales Theatre Company / Solstice Art Centre公演
観劇日:2010.3.14 19:30-21:30
劇場:Bush Theatre, London

演出:David Horan
脚本:Deirdre Kinahan
セット:Maree Kearns
照明:Moyra Darcy
音響:Alun Smyth
振付:Muirne Bloomer
衣装:Elaine Chapman

出演:
Maeve Fitzgerald (Niamh Lynch)
Will Joseph Irvine (Fin White, Niamh's colleague & boyfriend)
Deirdre Donnelly (Teresa Lynch, mother of the Lynch family)
Ronan Leahy (Nial Lynch)
Rebecca O'Mara (Ruth Pigeon, Nial's newly-wed wife, English)
Kate Nic Chonaonaigh (Ciara Blake, Niamh's sister)
Karl Quinn (Dave Blake, Ciara's husband)
Aela O'Flynn (HIlary Kelly, Niamph's former friend)

☆☆☆☆ / 5

地震のもの凄い被害に加え、原発事故は刻々とより困難になっているように見え、ひとときも落ち着いた気分になれないが、私がやきもきして、じっと一日中テレビを見ていても仕方ないので、既に購入しているチケットを持って、フリンジの劇場に出かけた。フリンジだから仕方ないが、狭い長椅子に東京の満員電車のように座らせられて、2時間でえらく肩が凝ってしまった。

(以下、劇の筋書きやディテールを書いているので、これから公演を見たり、テキストを読んだりする方は、それをご了解の上で読み進んでください。 Be warned! )

小さな劇場だが、ロンドン・フリンジを代表する劇場であるBush、しかし今まで行ったことがなかった。今回優れた作品を見られて幸運だった。アイルランドの新進劇作家Deirdre Kinahanによる新作で、新聞の劇評では大変褒めてある。上演しているのもアイルランド東部のCounty Meath(ミース県)の劇団であり、Kinahan自身がArtistic directorである。

ストーリーの枠組みはシンプル。A family reunion、19年ぶりの家族の集まりである。Lynch家は母親 (Teresa) と娘が2人 (Niamh, Ciara)、そして、長く家に寄りつかなかった息子のNialからなる。Nialはイギリス人の女性Ruthと結婚したばかり。成功しつつある画家だ。自分は不本意だったのだが、夫の家族と知り合いになりたいというRuthの懇願に負けて、19年も留守にしていた実家を訪れる。母のTeresaは彼を待ちわびてそわそわしているが、娘2人はかなり複雑だ。Niamhは今更Nialが会いに来ること自体おかしいと思っているし、表面は冷静なCiaraにも色々な思いはありそうだ。Niamhがそれ程の長い間家をあけていたのは、彼が10代の子供の頃、大変重大な犯罪を犯して刑務所に入り、家族も大変苦しみ、父親はその為に死んで(自殺か?)しまったからである。

もう一度息子を受け入れて、家族仲良くひとときを過ごしたい、そして夫の残した遺産も彼に渡したいというTeresa、しかし心身共に弱っているTeresaを長年世話し続けてきた娘達、特にNiamhは、自分達の苦労が母に認められていないこと、母が一方的に息子を許してしまおうとすることにやりきれない気持ちを抱く。

犯罪が絡むシリアスな内容ではあるが、非常にテンポが良く、絶妙のタイミングの会話が続き、かなりの笑いを誘う。日頃からカンパニーとして一体となって演技をしている人達ならではの一糸乱れぬ会話劇で、大変楽しめる。演技も素晴らしい。姉妹と弟、母親の関係に加え、更に配偶者やパートナーが加わって、人間関係の多様さが、もつれた糸を見るような面白さ。アイルランド英語での「渡る世間は鬼ばかり」のような赴きがある。

Niamhが中心人物で、彼女と、母親のTeresa、息子のNialの関係が軸になるが、プラクティカルな性格のCiara、遠慮がちながら何とか皆のわだかまりをやわらげようと奔走するDave、一家に溶け込みたいRuthやFinなど、それぞれがパートナーとの関係の長さや深さに応じて、色々な色合いを持つ態度を示している点が面白い。

会話の絶妙さで魅了してくれたが、ちょっと残念と言えることがあるとすれば、Nialの犯罪自体が、劇全体とそれ程有機的に組み合わさっておらず、やや唐突な気がした。人間関係の面白さに加え、この犯罪が観客をぐっと掴めたら、大変な傑作になっただろうと惜しまれる。しかし、実に上手い劇作家だ。

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2011/03/10

ラティガン公演情報追加("Flare Path"他)

更にラティガンの上演があることが分かった。現在ウエストエンドのTheatre Royal Haymarketでは、彼の戦争の頃を舞台にした劇、"Flare Path"をやっている。これまでpreviiew中で今日10日がプレスナイトなので、明日以降リビューが出る。演出はTrevor Nunn、主演はSienna MillerとSheridan Smith。Millerはハリウッド映画で主に仕事をしてきたイギリス人俳優。この劇は近年ほとんど上演されていなかったようだが、初演時は697回のロングランを記録したとのこと。空軍のパイロットとその妻の女優、そして彼女の元の恋人があるホテルで偶然出会って起こる事件、という三角関係の話らしい。コミカルなシーンも多い、ロマンチックな悲喜劇のようだ。プリビューを見た人のブログでは好評。

"The Deep Blue Sea"は映画化され、今年後半に公開されるとのこと。監督はTerence Davies、主演はRachel WeiszとSimon Russell Beale!

更に、来月、ロンドンのBF1 Southbankではラティガンの映画の特集があるそうだ。

その他、Chichesterでも特集があるらしい。詳しくはEvening StandardのHenry Hitchingsの記事で。こう沢山あると、何もかも見ると言うわけにはいかなくて辛い。


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2011/03/08

ラティガン生誕百年

先週、BBCの文化紹介番組、"Culture Show"を見ていたら、今年はTerence Rattigan (1911-77) 生誕百年とのこと。その為か、ラティガン作品の上演が多くなりそうだ。まず、現在リーズのWest Yorkshire Playhouseで、彼の代表作のひとつ、"The Deep Blue Sea"をやっている(3月12日まで)。愛人を作り、夫を捨てて家を出るHesterという女性を主人公にした、『人形の家』にひねりを効かせた様な作品。Hesterという名前や不倫の問題が、ナサニエル・ホーソンの『緋文字』を連想させるのだが、偶然の一致だろうか? 今回の上演の演出はSarah Esdaile、主演は現在BBC Oneの法廷ドラマ"Silk"でも主演をしているMaxine Peake。とても存在感のある俳優。見られないのが大変残念! これのためだけでもリーズまで行きたいくらいだ。劇評としてはこちらが良い。

この後は、Old Vicで、彼の最後の作品、"Cause Célèbre"。演出は、昨年、やはりラティガンの"After the Dance"の素晴らしい公演を成功させたThea Sharrock、そして主演はNiamh Cusak(ニーブ・キューザックという発音のようだ)とAnne-Marie Duffという豪華な組み合わせ。見逃せない。("After the Dance"の公演についての拙文はこちら。)CusakもDuffも、演ずる人物の性格の微妙な屈折を表現出来る、大変インテリジェンスに溢れた女優だと思う。Niamh CusakはやはりOld Vicでにおける"Dancing at the Lughnasa"での演技が大変印象に残っている。私の感想はこちら。


ラティガンは、「シェイクスピア、チェーホフ、そして私」と言ったというが、その2人に肩を並べる評価が出来るかどうかともかく、彼がイングランドのチェーホフとも言うべき性格の劇作家であることは確かだろう。綿密に作られたプロット、精密な心理的、社会的観察眼、弱者への温かい視線、裕福な階級の文化やモラルとそれに収まりきれないアウトサイダーの生き辛さ、など、チェーホフと共通する面は色々とある。イギリスの劇作家で、シェイクスピアに次いで公演される人というと、誰だろう。ショー、ジョンソン、マーロー、ピンター・・・? ラティガンこそイギリス演劇上演の定番として、シェイクスピアに次いで頻繁に取り上げられて良い、素晴らしい作家だ。


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2011/03/06

"Becky Shaw" (Almeida Theatre, 2011.3.5)

コメディーの難しさを感じさせた劇
"Becky Shaw"

Almeida Theatre公演
観劇日:2010.03.05  15:00-17:10
劇場:Almeida Theatre

演出:Peter DuBois
脚本:Gina Gionfriddo
セット:Jonathan Fensom
照明:Tim Mitchell
音響:John Leonard

出演:
David Wison Barnes (Max)
Haydn Gwynne (Susan)
Daisy Haggard (Becky)
Anna Madeley (Suzanna)
Vincent Montuel (Andrew)

☆☆ / 5

(以下、劇の筋書きやディテールを書いているので、これから公演を見たり、テキストを読んだりする方は、それをご了解の上、読み進んでください。 )

現代アメリカのコメディ。オフ・ブロードウェイで好評を博した作品だそうである。こちらの批評もブログの感想も絶賛。TelegraphもGuardianも4つ星をつけている。劇場での観客の反応も良く、笑いも頻繁にわき上がり、拍手も大きかった。しかし私には面白くない。やはりコメディーにおける言葉のハンディキャップを感じざるを得ないが、それだけでもない気がする。

MaxはSusanと兄妹として育ったが、血は繋がっていない。Maxの父親が亡くなった時に、Susanの父親がMaxを育てることにしたようである(その父親も最近亡くなった)。ふたりの間には、兄妹的な意識と共に、男女としての意識があるようで複雑だ。Susanの母親SuzannaはMD (Mascular Dystrophy)を患っていて、身体が段々不自由になっている。Maxはファイナンシャル・アドバイザーをして、大変成功している。また、少なくとも表面上は極めて冷酷で、愛想のない人物。

Susanは親切で好人物のAndrewと結婚している。この夫婦は、Andrewの勤務先にやってきた派遣社員のBecky(35歳)と、独身のMaxの間を取り持てないかと、2人を自宅に招く。ところが、善意で始めたこのキューピッド役により、MaxとSusanの関係、AndrewとSusanの夫婦関係をも大きく揺り動かし、またBeckyとMaxのふたりも、これまでの人生の澱を見つめさせる。

というような設定の話であり、特別な大事件は起こらない。舞台裏で、MaxとBeckyがデートをした後に強盗に脅かされて金を盗まれるという事件はあるが、それはステージでは演じられず、2人の性格を際立たせ、摩擦を起こさせるきっかけとして使われているのみである。劇の眼目は、Maxの極端に冷たい、切って捨てるような台詞とか、Beckyの子供っぽさや自己憐憫からくる可笑しさ、AndrewがBeckyに対してする行きすぎたお節介などから生まれるシチュエーション・コメディーである。Susanは割合常識的な感覚を示す人物として設定されていると思う。しかし、彼女があとの3人の極端さに振り回されるところもミソである。更に、歳も取っており、難病を抱えているSuzannaが、若い4人(皆、30歳代だろう)をやや距離を置いて見て、観客に覚めた視点を提供する。各キャラクターの性格付けがはっきりしており、morality play風の劇と見ることも出来る。

Beckyは、貧しい派遣社員で、健康保険にも入っておらず、肉親とは決定的に仲違いしてつき合いがなく、ボーイフレンドはおろか、親しい女友達もいない。社会から取り残された失敗者、アメリカ人が良く使う言葉で言うと、"loser"である。一方、Maxはその他の事はBeckyとは同じような状況なのだが、ただひとつ、彼は金持ちであり、従って、アメリカ社会における成功者なのである。従って、この劇のユーモアの背後にはかなり苦く、複雑な臭いもある。アメリカ社会では、経済的成功と失敗が、他の文化以上にその人の社会的価値を決める、大げさに言えば、ほとんど道徳的、宗教的な価値を付与される面があると思う(成功を与えるのは神の業、つまりプロテスタント的倫理観か?)。ただ、そういうアメリカ社会の、成功者を讃え、"loser"を置き去りにする面を、MaxとBeckyを通じてもっと突っ込んで描くことも出来たと思うが、そうはっきりと批判する訳でもなく、その点で、この劇は物足りない。

テレビ・ドラマのコメディーでもそうなのだが、私がこういう劇を「難しい」と感じる理由のひとつは、まず細部の言葉が理解しにくい事により笑いづらいためだろう。しかし、それでも可笑しい作品、見て楽しい作品がないでもない。どうも言葉の理解に加えて超えがたい要素がある気がする。それは、家族とか親しい友人の間で摩擦が起きた時の会話の激しさが、英米人の観客にとってはユーモアを感じさせるのに対し、私から見ると、極端に非現実的で、白けるのである。笑う時には、まずある程度の共感がないといけないと思うが、そもそも共感できないのだ。日本人だったら、どうやったってあんな口喧嘩にはならない、というレベルだから。

また、この劇の場合、Suzannaを除く人物の、感情的な自己中心さにも呆れる。「私は、僕は、こう感じる、こう思う」と言う台詞をひたすら互いにぶつけ合うのを聞いていると、これもまた、どこか別世界の出来事となり、共感できない。これは、現代アメリカのミドルクラスの人々が抱えるself-obsessionをベースにしたコメディーであり、そもそもアメリカ人ほどには"self-obsessed"していない(と願いたいね)平均的な日本人にとっては、「ふーん、そうなのねえ」という受け取り方になるのではないか。骨太な、社会や政治の問題を扱った劇と違い、大変良く出来てはいても、小粒で内向きの、culture-specificな作品と感じる。ちなみに、今回見た時には、白人の観客以外の人はほとんど見かけなかった。イギリス人でも、アフロ・カリビアンやインド系の観客には大してアピールしないのではないだろうか。

俳優はとても上手かったと思う。Beckyを演じたDaisy Haggardは、台詞を言うだけで何となく可笑しさがにじみ出る、所謂「天然」というタイプのとぼけた味がある。Max役のDavid Wilson Barnesは唯一のアメリカ人俳優だが、冷たい表面の裏に潜む複雑さを垣間見せる陰影ある演技。Rory Kinnearを思わせる俳優。

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2011/03/04

Peter HallとNicholas Hytnerの対談(NTオンライン)

今年の1月21日にナショナルで行われたPeter HallとNichokas Hytnerの対談のビデオが、ナショナルのウェッブサイトにオンラインで掲載されている。5つのパートに分けて載せられており、観客との質疑応答も含めて、かなり長い時間が視聴出来る。素晴らしいビデオなので、英語がそこそこ聞き取れる方には是非お勧めしたい。

前のポストでも書いたように、Peter Hallは80歳の米寿にして、未だにイギリス演劇の最前線で活躍し続けている巨人。彼の力がなければ、イギリスのsubsidised theatreは無かったかもしれず、まさに20世紀イギリス演劇の隆盛を作り上げた最大の功労者だ。80歳だから、少し耳も遠いようだし、会話もスローで、途中で話しが途切れたりもして、Hytnerが適宜繕ったりしている。しかし、彼の演劇に対する情熱は、全く衰えておらず、それだけで非常に感激した。また、Hytnerの捕捉したことも含め、ふたりが言うことには、教えられることも多い。

"Twelfth Night"に関して、Festeについて、Hallが私にはなるほどと思わせることを言っていた。フールの多くは、聖職者になり損ねた浮浪者(tramp)の様な者が多かった、というのである。確かに、初期の芸人は広い意味での学僧(clerks)が母体であり、その身分は卑しい河原乞食だった。しかし、特にフールと学僧を結びつけたことは無かったが、これは大いに頷かせられた。テキストを読み返して検討する価値がありそうだ。

Hallは大変謙虚な人との印象を受けた。とりわけ演劇や俳優に対しては、自分を押しつけず、作品や役者の意見を尊重するようだ。彼は、"concept theatre"が大嫌い、と言う。つまり、最初から演出家がアイデアを持ってきて、こうやれ、と役者やスタッフに命じるようなやり方は是としない。話し合いつつ、カンパニーとして公演を作っていくことを楽しみにしているようだ。それに関連して、オペラの演出と演劇の演出の違いにも触れている。一般的なオペラ歌手は、こう演じてくれ、というと素直にそれをやろうと努力するそうである。歌手達は、演技には素人という意識があるのだろうか。一方、俳優は色々な意見を言って、うるさいそうである。下手すると台本を書き直せ、とまで言う(これはHytnerが言ったことかもしれない)。しかし、Hallはそういう風にディスカッションをしつつ公演を作るのが大好きなようだ。また、今の彼は、演出家としての彼自身の個性など出なくても良い、あくまで劇の良さが出ていれば良い、と思っているようだ。それは"Twelfth Night"でも充分感じた。

ふたりとも言っていたのは、今のイギリス演劇界はスターによって動かされている(star-driven)、ということ。勿論、これはいつの時代もかなりそうなのだろうが、今のウエストエンドの商業劇場は、テレビやハリウッドスターの出演による集客で成り立っている。かっては、ウエストエンドの劇場特有のスターが居たものだが、とHallは言う。今はウエストエンドの商業劇場を中心にコンスタントに出演するスターはまずいない。Hytnerは、Claire HIgginsやSimon Russell Bealeの名前を挙げて、ナショナルなどsubsidised theatreでのみ活躍する演劇のスターがいることを指摘していた。subsidised theatreが増えた今、演劇界独自のスターは、商業劇場から、subsidised theatreに移ったわけだろう。また、俳優は演劇で経験を重ねることでのみプロの俳優としての実力を得られる、という意味の事をHallは言っていたと思う。

Hytnerは、昨今のドラマ・スクールの授業料の高騰を嘆いていた。授業料が高いために、金持ちの若者だけがドラマ・スクールに行くことになり、俳優の層が薄くなるというのだ。2人とも、文化に対して、金銭的な見返りを要求する世相(政府?)を批判している。

イギリス演劇ファンにはたまらない対談。オンラインで無料で見られるとは贅沢極まりない。

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"Twelfth Night" (National Theatre, 2010.2.26)

Peter Hallの米寿記念公演
"Twelfth Night"

National Theatre公演
観劇日:2010.02.26  19:30-22:30
劇場:Cottesloe, National Theatre

演出:Peter Hall
脚本:William Shakespere
セット:Anthony Ward
照明:Peter Mumford
音響:Gregory Clarke
音楽:Mick Sands
衣装:Yvonne Milnes

出演:
Marton Csokas (Orsino)
Rebecca Hall (Viola)
Simon Callow (Sir Toby Belch)
Finty Williams (Maria)
Charles Edwards (Sir Andrew Aguecheek)
Charles Edwards (Feste)
Amanda Drew (Olivia)
Simon Paisley Day (Malvolio)
James Clyde (Antonio)
Ben Mansfield (Sebastian)
Samuel James (Fabian)

☆☆☆☆ / 5

Peter Hall、なんと80歳だそうである。RSCを作り、Nationalを長らく率い、その後も、Peter Hall Companyを作って、引退することを知らず、まっしぐら。その息つく事を知らない疾走ぶりは蜷川幸雄を思い出させるが、蜷川のように円熟するのを拒否したような片意地はったところは無く、今のHallは、古典をオーソドックスに磨き上げるのを好んでいるように見える。イギリスの演劇界、特に公的補助のある公演では、何か新機軸を打ち出す事を期待され、単に伝統的にしっかりした公演をするだけでは許されない雰囲気があるが、Hallはあまりにも大御所であるので、余裕を持って好きなように作れるのではないだろうか。保守的と言われたって痛くも痒くもないし、批評家もさすがに彼に厳しい言葉を使わない気がする。この公演も、4つ星をつけて賞賛している批評家が多い。確かに見て損の無い、良い公演だが、いささか点が甘い?(私は最初3つ星にし、しばらくしてから4つ星に書き直した。まあどちらでも良い感じである。)

ということで、伝統的なスタイルの公演。色々と細工の出来る柔軟な空間のCottesloeだが、ウエストエンドの商業劇場の様に、ひとつの面だけを額縁舞台の様に使う(やや勿体ない感じ)。道具は、ステージの大半をおおうような大きな天蓋の布を垂らしたり、引っ張り上げたりする他は、大したものはない。伝統的なコスチュームと音楽。そして、何よりも丁寧な台詞の発話により、台詞を詩として楽しむように気が配られている。シェイクスピアなどのルネサンス劇を見ていると、詩をたたき壊すような台詞の言い方をする俳優が必ずと言って良いほどいて、イライラさせられるものだが、そういう人は全く居ない。観客によっては、退屈な台詞回し、と思うかも知れないが、私はこれが一番。

Peter Hallの娘、Rebecca HallのViolaは、ストレートな、とても美しい主人公。但、人形のようで、内面に隠された熱い想いはそれ程伝わらず、やや物足りない。その点では、貫禄たっぷりで、肉感的なところもあるAmanda DrewのOliviaは良い。Simon CallowのTobyは申し分なし。ちょっと目立ちすぎて、Malvolioを食ってしまった。しかし、そのSimon Paisley DayのMalvolioも、シャープな、ピューリタン的冷たさが良く出ていて、私は大いに気に入った。Charles EdwardsのSir Andrewも、なよなよした雰囲気が上手い。

この公演の一番の特色と感じたのが、David Ryall演じるFeste。この俳優さん、1935年生まれであるから、76歳!声も良く通って、元気さに感嘆。しかし、とにかくお年寄りなのである。80歳のPeter Hallは、この劇の狂言回し役であるFesteに76歳の俳優を当てて、自分の思いを託したのだろうか。人生という大騒ぎを達観して眺めるかのような、静かな、淡々としたFesteだった。このFesteの造形を始め、全体として、陽気な騒動や祝祭的な雰囲気よりも、メランコリーが勝った公演だった。

見終わって、大きな満足感と共に劇場を後にできる公演。新しさを追いかける公演が多い中、シェイクスピアを見慣れていない人に是非見て欲しいトラディショナルな演出と演技だ。でも強いて言えば、今ひとつ特徴に乏しい点が物足りない(無いものねだりとは思います)。とは言え、帰省中に見た串田和美版の、台詞を破壊してしまった無惨な『十二夜』を思い出すと、ストレートにやることを恐れないHallの貫禄を感じ、この公演の素晴らしさにあらためて気づかせられる。

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2011/03/01

Sara Paretsky, "Hardball" (2009; Hodder & Stoughton, 2010)

Sara Paretsky, "Hardball"
(2009; Hodder & Stoughton, 2010)  446 pages.

☆☆☆☆☆ / 5

私がいつも新しいペーパーバックの出版を待っている唯一の作家と言っても良いのがSara Paretsky。彼女の小説にはガッカリしたことがないが、今回も同じ。いや、むしろ今までの作品以上に良かったと思える。

Paretsky作品の主人公、女性私立探偵のV. I. Warshawski (V. I. ないし、Vicと呼ばれる) は、脳卒中を起こし死の床についている黒人の老人女性から、彼女の愛する甥 Lamont Gadsdenの捜索を頼まれる。そのLamontは、40年も前、シカゴで人種紛争があり、Dr Martin Luther King Jr. が公民権運動の行進を行った後に行方不明になっていた。Lamontの周辺には、シカゴの黒人の若者達のギャングがいて、V. I.はそこからもつれた糸をたどっていくが、そうするうちに、ギャングの抗争が口実に使われた裏で、シカゴ政界の大物や警察官の腐敗が絡む殺人事件のもみ消しがあったのではないかとの疑いが浮上する。V. I.が事件の本質に近づくにつれて、彼女が理想的な警官であり父として愛してやまなかった亡くなった父親のTony、叔父のPeter、Peterの娘のPetraなどが、この事件と関わってきて、彼女は自分の家族の、きれいとは言えない過去を掘り起こすこととなり、悩み苦しむ。更に、事件の重要な証人となり得る人々が襲われ、彼女自身もひどい怪我をしつつ、潜伏せざるを得ない。父の思い出やいとこの安全を守りつつ、プロフェッショナルの探偵として、殺されたり失踪したりした人々についての真実を明らかにしたいと格闘する。

Martin Luther King Jr.が実際にシカゴの白人街で行進をし、その際、それに反発した白人達が騒動を起こし、物が投げられてKing牧師にもレンガが当たった、というところは実際にあったことだそうである。この公民権運動の歴史の一幕、そして昔から悪名を馳せているシカゴ政界の暗部、さらに警察内部の汚職と言った、現実を背景としたフィクションの要素を、V. I.自身の家族の問題と合わせて密に織りあげたところがこの小説の読みどころだと思った。Paretskyのリベラリズムと公民権運動の時代を生きた者の自負が、この作品に平凡なミステリにはない厚みを与えている。

Paretskyの小説の大きな魅力のひとつは、主人公以外にも魅力的なキャラクターが多いこと。軽薄でナイーブ、自分勝手だが、素直で愛すべきいとこのPetraや、V. I.を助ける理想主義の女性牧師Karen、難民救済の活動に従事するSister Frankieなどの修道女達、浮浪者のElton、悪名高いギャングのJohnny Merton、口先のなめらかなセキュリティー会社の経営者だが、実は悪魔の化身のようなDornick等々、この作品においてもParetzkyが印象的なキャラクターを作ることに長けているのはつくづく感心する。KarenやSister Frankieは謂わばV. I.の分身であり、宗派や職業の違いを超えた一種のsisterhoodを感じさせる。

かなり込み入った小説であり、途中、全く中だるみが無いとは言えないが、それも迫力ある結末に向けての準備段階だろう。例によって、終盤彼女が追っ手から逃げたり、隠れたりしつつ捜査をするシーンは息をつく間もない緊張感を作り出し、Paretskyの探偵小説作家としての実力を存分に発揮している。結末は、娯楽小説の最後とは思えない程感動的だ。

Paretzkyは1947年生まれの63歳とのこと。日本で言うところの団塊の世代、学生運動、反ベトナム戦争の運動、そして公民権運動の時代を生きた世代であり、また最初のフェミニスト世代だろう。若い頃の理想を失わず、ミステリというメディアにありながら、多くの読者にアメリカのリベラリズムへの希望を与え続けている。まだ活躍できる! これからもV. I. Warshawskiシリーズでも、その他の小説でも長く創作活動を続けることを祈りたい。

このブログではもう一冊彼女の本、"Bleeding Kansas"、の感想を書いています。また旧ブログでは、V. I. シリーズの一作、"Fire Sale"の感想もあります。


(3月2日追記)大阪地検特捜部の証拠ねつ造により冤罪を背負うことになった厚労省局長の村木厚子さんを取り上げたドラマ「私は屈しない」(TBS)を帰国中に見た。この中で、村木さんが、勾留中に読んで大変勇気を与えられた小説として、Paretskyの『サマータイム・ブルース』があげられていた。村木さんがParetskyを読んでいたことは事実のようである。ドラマでは、裁判において被告が次の言葉に言及している:

「あなたが何をしたって、あるいはあなたに何の罪もなくたって、生きていれば、多くのことが降りかかってくるわ。だけど、それらの出来事をどういうかたちで人生の一部に加えるかはあなたが決めること」(こちらのページから引用させていただきました。)


ロンドンにお住まいのParetzkyファンへ・・・このブログの読者には居ないかな(^_^)

3月16日午後7時より、PicaddilyのWaterstone'sにおいて彼女のトークがあります。彼女の新作、"Body Work"について語るとのこと。チケットは£3。この新作は既にハードカバーとキンドル版は発売されているが、ペーパーバックはまだ。




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