2011/04/14

"Terminus" (Maria Theatre, Young Vic, 2011.4.13)

難しい内容でさっぱり・・・
"Terminus"

Abby Theatre公演
観劇日:2011.4.13  14:45より
劇場:Young Vic

演出:Mark O'Rowe
脚本:Mark O'Rowe
セット:Jon Bausor
照明:Philip Gladwell

出演:
Olwen Fouérè  ( A )
Catherine Walker  ( B )
Declan Conlon  ( C )

☆☆ / 5

アイルランドの国立劇場、Abbey Theareの制作による、現代アイルランド演劇作品。私は、マクドナー、マクファーソンなど、幾つか見たアイルランドの劇は大いにたのしんで来たので、期待したが、今回は空振り。

登場人物は単に、A, B, Cと呼ばれている。最初に登場するA(女性)はNGO、Samaritansのボランティアで、日本の「命の電話」のような電話相談をしている。その電話相談に電話してきたのがHelenという望まない妊娠をしている若い女性で、Aが教師をしていた時の生徒。彼女はHelenが苦しんでいるのを聞いて、彼女の家に出かけ、救おうとする。Aには自分と上手く行っていない娘がいて、その娘との影をHelenに投影しているようなのだ。Bは、20歳代の若い、孤独な女性で、友人夫婦とパブに出かけるが、この夫婦がとんでもない連中で、Bをトラブルに巻き込む。Cは30歳代の男性で、恋人を捜しているが、その為に、悪魔とファウスト的な契約を結び、やがて彼自身の悪魔的正体を表し、殺人鬼と化す。3人の関連の無さそうな人物が、行ったことや夢想していることを順番に独白する。彼らの話が徐々に関連を持って全体が繋がって来るようなのだが、そのあたりが全く理解出来ない。

この劇はアイルランドのプロダクションなので、おそらく台詞は聞き取りにくいだろうと思い、予めテキストを買い、ざっとではあるが終わりまで読んでいったのだが、テキスト自体が読んでみても何が起こっているのか良く分からない。例えると、いささかジョイスのユリシーズみたいな感じの作品。セットもアクションもなく、それどころかダイアローグもなく、3人の俳優が交代で10-15分くらいずつひたすらモノローグを言う形式の劇で、現実と夢想が渾然となった内容。ネイティブは分かるのだろうが私にはハードルが高すぎる。俳優の演技は素晴らしかった。同じ分からなくても、本で読むよりは、彼らの語りを効いている方が説得力を感じた。その点では、AlmeidaがKing's Crossに在った時に見たブライアン・フリールの"Faith Healer" (2001) においてのKen Stottの名演を思い出した。Abbey Theatreの製作で、エジンバラ芸術祭で賞もとっているし、2007年初演以来、これが3回目のリバイバルだそうなので、見る人が見れば良い作品なんだろう・・・。残念!

音楽はなく、音響効果もほとんど使われず、ひたすら独白だけ。劇場はYoung Vicのメインハウスではなく、2階にあるMaria Theatre。ステージ全体が、割れた鏡の形をしており、プロセニアム・アーチは、鏡の枠になっている。

更に、この日は朝から体調が悪く、観劇の途中からひどい腹痛に見舞われて、最悪の一日だった。また、台詞にあまりにもfour-letter wordsが多いのには、かなりうんざりした。

写真はこの日のYoung Vic前。


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2011/04/11

"Rocket to the Moon" (National Theatre, 2011.4.9)

一体何が言いたいのか分からない劇
"Rocket to the Moon"

National Theatre公演
観劇日:2010.4.9  14:15-16:50
劇場:Lyttelton, National Theatre

演出:Angus Jackson
脚本:Clifford Odets
セット:Anthony Ward
照明:Mark Henderson
音響:John Leonard
音楽:Murray Gold
衣装:Rebecca Elson

出演:
Joseph Millson (Ben Stark, dentist)
Keeley Hawes (Belle Stark, Ben's wife)
Jessica Reine (Cleo Singer, Ben's secretary)
Nicholas Woodeson (Mr Prince, Belle's father)
Peter Sullivan (Phil Cooper)

☆☆ / 5

アメリカの1938年初演の劇。作者のClifford Odetsは、当時の新しいアメリカ演劇をリードしていたThe Group Theatreというカンパニーのメンバーだそうだ。プログラムによると、この劇団にはLee Strasbergも入っていて、Method Actingを定着させた重要なカンパニーでもあるらしい。Odetsは共産党のメンバーだった時も数ヶ月あり、労働運動を支援するような社会主義の劇も書いているようだ(そういうのを見たかった)。しかし、この劇は、男女関係を扱った個人的な作品。これからの人生に夢を持てず、妻に支配され、毎日のルーチンに縛られた平凡な歯科医が、20歳くらいの歯科助手の女性に夢中になって何とか自分の殻から抜け出そうともがくが、やはり元の鞘に戻らざるを得ない、と言う話。人間的には愛すべき人物で、教養も豊かだが、どうしようも無く保守的で臆病な男と、社会の因習に縛られた女性達の話。女性の描き方がとても保守的で、古めかしい感じがし、説得力無かった。まあそういう時代ではあったんだろうが、今見ると古色蒼然だ。大まかに言うと、家を守る主婦(Belle)とセクシュアリティー満開のマリリン・モンロー風の若い女(Cleo)、マリアとイブ、というパターン化されたキャラクター。当時としては革新的な作品だったんだろうけど、今やってもねえ、と思う。ただ、俳優の演技や堂々とした、お金のかかったセットは素晴らしかったので、そうした点では十分に楽しめて、見て良かったとは思う。口うるさい奥さん役でKeeley Hawesが出ていたが、出番はそう長くなく、脇役。テレビばかり出て来た彼女にとってはこれが始めての舞台。主役は歯科医を演じたJoseph Millsonと歯科助手のJessica Raine。Raineは良い俳優だ。色んな役が出来る。少し前、"Inspector Calls"で見たNicholas Woodesonが歯科医の義父の役で出ていた。

台本は読んでなくて、最初の3分の1くらいはちんぷんかんぷんでうとうとしていた。全く内容を知らない作品は難しい。イギリス人俳優が無理にアメリカ訛りの英語を話しているから、尚更英語が難しくなる。もっとよくわかると多少面白かったかも知れないけど、でもどうも何が言いたいのがはっきりしない、力のない劇だとおもう。

2011/04/10

"Mogadishu" (Lyric Hammersmith, 2011.4.2)

無政府状態の戦場と化した学校
"Mogadishu"

A Royal Exchange Theatre (Manchester) Production
観劇日:2011.04.02. 16:30より
劇場:Lyric Hammersmith

演出:Matthew Dunster
脚本:Vivienne Franzmann
セット:Tom Scutt
照明:Philio Gladwell
音響:Ian Dickinson

出演:
Malachi Kirby (Jason, the pupil who accuses the teacher)
Julia Ford (Amanda, the teacher who is accused)
Ian Bartholemew (Chris, the head teacher)
Tara Hodge (Chloe)
Farshid Rokey (Saif)
Tendayi Jembere (Chuggs)
Michael Karim (Firat, a Turkish pupil)
Savannah Gordon-Liburd (Dee, Jason's girlfriend)
Shannon Tarbet (Becky, Julia's daughter)
Fraser Jame (Ben, Jason's father)
Christain Dixon (Peter, Julia's black husband)

☆☆☆☆ / 5

今回の劇、"Mogadishu"は、その名前とは違い、イギリスの荒れた学校を舞台にした劇。ある問題の多い黒人の男の子(Jason、15歳位の設定か)がトルコ人の優等生Firatをいじめており、それを止めに入った女性教師、Juliaを突き飛ばすが、それで自分が処分され、除籍処分になるのを恐れ、まわりにいた子達に嘘の証言をさせて、その女性教師が彼に人種的な暴言を使い、彼に暴力をふるったという話しをでっち上げる。ところが女性教師の方は、子供の内面の良心を信じようとして、校長に彼を処分しないよう、穏便に済ませようとする。そうして女教師がうかうかしている間に、男の子の側は、強面の父親を巻き込んで教師を処分させようとして、役人(children's service)や警察を巻き込む。彼女は仕事を失い、刑事訴追の対象にされ、さらに子供を育てるには不適格な人間との疑いをかけられて、役所から娘の養育権までも奪われかねない事態に発展する。母の働く学校に通う娘にも影響は甚大で、リストカットを繰り返す。ところがこの男の子には幼い頃母親の自殺という悲惨な過去があり、父親との意思の疎通も全く上手く行っていない。結局、口裏を合わせてくれた悪童達とも上手く行かなくなり、彼らは最初の証言を翻す。最後は、教師は学校を辞める事を校長に次げ、また、男の子の自殺で終わる。

非常に面白い劇だった。Mogadishuというのは、ソマリアの首都だが、ソマリアは常時内戦が続き、無政府状態の国。海賊が跋扈する国としても知られいる。つまり、この舞台になっている学校はそういうところなのである。イギリスの一部の教室の酷さがうかがえる。また、教条的なPolitical correctnessが一旦一人歩きをし出すと、一人の良心的な教師を組織としてどんどん追い込んでいる様子が迫力を持って描かれていた。

円形のステージは金網で囲まれ、学校が牢獄であり、またローマの円形競技場のような戦闘の舞台でもあると連想させる。

ハイティーンと思われる(でもそれぞれかなりプロとしての経験があるようなので、実際は20歳以上になっているかも)若い俳優達が大変リアリティーある演技で素晴らしかった。強いて言えば、トルコ人の男の子がステレオタイプ化されていたか。まわりの客も、インターミッションの時、盛んに、面白いと言っていた。それに、テーマがこういうものなので、若い観客が多く、また黒人を中心に非白人の観客も割合いた。黒人やアジア人を主人公に据え、彼らが中心となる劇を打てば、それなりに観客層が広がると実感した。もっとこのような、若い人、有色人種の人が興味を持てる劇が必要だと感じた。

作家のFranzmannは12年間、教師をした経験を持つとのことであり、劇にリアリティーがあるのも分かる。

このLyric Hammersmithは多分2回目に来た。もう10年以上昔、多分ウェブスターの劇を見たような気がする。

(追記)そういえば思い出したことがある。2,3日前、イギリスのある中高等学校で先生たちが何十人か終日ストをした。その原因が、生徒の教室での問題行動(上手い言い方を見つけられない)とそれに対する校長等管理職側の先生へのサポートの乏しさだったと記憶している。もちろん、そういう問題で困っている学校ばかりでもないだろうし、日本でも同様の問題はたくさんあるが、イギリスではかなり大変のようである。日本にやってきているイギリス人の先生の中には、母国の中高校で教師をしていて、ストレスで辞めてしまい、日本に職を求めた人も結構多い、と聞いたことあり。どこの国でも、いつの時代でも、ティーンの子達を教えるのは大変だ。たとえ教え方の上手下手はあったとしても、あの仕事を何十年もやっている先生達には感心する。

2011/03/25

"The Knot of the Heart" (Almeida Theatre, 2011.3.23)

麻薬中毒の問題と母娘の依存関係
"The Knot of the Heart"

Almeida Theatre公演
観劇日:2010.3.23  19:30-22:00
劇場:Almeida Theatre

演出:Michael Attenborough
脚本:David Eldridge
セット:Peter McKintosh
照明:Tim Mitchell
音響、音楽:Dan Jones
衣装:Yvonne Milnes

出演:
Lisa Dillon (Lucy)
Margot Leicester (Barbara, Lucy's mother)
Abigail Cruttenden (Angela, Lucy's elder sister)
Sohie Stanton (Marina, a counsellor at a drug rehabilitation centre)
Kieran Bew (a nurse, psychiatrist, a TV producer, and other roles of men)

☆☆☆ / 5

主人公Lucyの麻薬中毒、いや麻薬依存を、母親Barbaraとの密接すぎる依存関係と重ね合わせて描く。人間の内なる弱さ、それによって結びつく親子関係を鋭く抉った佳作。俳優の白熱の演技にも注目した。

(以下、劇の筋書きやディテールを書いているので、これから公演を見たり、テキストを読んだりする方は、それをご了解の上で読み進んでください。)

Lucyは20歳代終わりの魅力的な女性で、元はBBCの子供向け番組のプレゼンター(司会者)だった。しかし、3年弱くらい(?)前に麻薬を使っているところを見つかり、解雇された。その後も彼女の麻薬中毒は良くならず、どんどん深みにはまっている。ぼろぼろになっていく娘を、母親のBarbaraは自宅で、必死で世話する。しかし、自分ではどうしても麻薬を買いに行ってしまうLucyは、母から離れてリハビリ施設に入り、中毒から徐々に回復し始め、3週間後には、すっかり生まれ変わったようになって、実家に戻っていく。しかし、母の元に戻ると、また麻薬に手を出すようになり、更には、母親に薬を買ってくるように頼むまでになる。母の干渉が自分にとって良くない結果になっているとは知りつつも、麻薬の奴隷と化している彼女には、母が焼いてくれる世話から逃れられない。

母親のBarbaraは手取り足取りで娘の世話を焼いているが、観客は次第に、彼女の異常なまでの愛情が娘の中毒からの脱出を妨げているのに気づかせられる。才能があり、未来ある娘だが、1人では放っておけないLucyを世話することに、Barbaraは自分自身の存在意義を見いだしている。一方、子供の時から自立心に富み、弁護士として成功を修めている長女のAngelaとは、Barbaraは冷え切った関係で、お互いにほとんど連絡もしない。更にBarbara自身にもアルコール中毒の問題があった・・・。

人間の色々な弱さ、例えば、身体や精神の病気とか障害、麻薬やアルコール、ギャンブルなどの中毒といったものは、家族をひどく苦しめる一方で、特に親子関係において、非常に強固な「絆」の原因ともなり得るだろう。それが病気とか中毒を治す方向に働くこともあるが、場合によっては、相互依存の関係、悪しき甘えの構造を固定化することもあるのではないか。多くの親は、子供が自立して行く時には寂しい思いをし、子供への世話を必要としなくなったことで自分の何か大切な部分を奪われた気がするかもしれない。寂しいだけなら良いが、子供が自立しないように、意識的にか無意識にか、弱いままの状態に置いておこうとする親もいるだろう。この劇のBarbaraは、Lucyの快復を願っているようで、実は自立して自分の元を去っていくのが怖いのである。LucyもBarbaraも、ミドルクラスのプライドが邪魔して、自分達の弱さや中毒の現実を正直に見つめ、自分と向き合うことが出来ないために、Lucyは中毒から脱出できず、Barbaraは娘も自分も救えない。

Lucyを演じたLisa Dillonの麻薬中毒の表現は非常に鬼気迫るものであった。また、Lucyに対し、息の詰まる世話を焼き続けるBarbaraを演じたMargot Leicesterも、見ていてため息をつきたくなる迫力があった。イギリスのミドルクラスの家庭にとっては、かなり陥りやすい落とし穴であり、Almeida Theatreに来る観客には共感を呼ぶ作品だろう。しかし、多くの日本人には、それほど切実には感じられない気がする。

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2011/03/24

"The Holy Rosenbergs" (Cottesloe, National Theatre, 2011.3.22)

パレスティナ紛争がイギリスのユダヤ人家庭に落とす影
"The Holy Rosenbergs"

National Theatre公演
観劇日:2010.3.22  19:30-22:00
劇場:Cottesloe, National Theatre

演出:Laurie Sansom
脚本:Ryan Craig
セット:Jessica Curtis
照明:Oliver Fenwick
音響:Mike Winship
音楽:Jon Nicholls

出演:
Henry Goodman (David Rosenberg)
Tilly Tremayne (Lesley Rosenberg, David's wife)
Susannah Wise (Ruth Robsenberg, David's daughter & a human rights lawyer)
Alex Waldmann (Jonny Rosenberg, David's second son)
Stephen Boxer (Stephen, a human rights lawyer, working for UN)
Philip Arditti (Simon, a local rabbi)
Paul Freeman (Saul, David's friend and a medical doctor)

☆☆☆☆ / 5

(以下、劇の筋書きやディテールを書いているので、これから公演を見たり、テキストを読んだりする方は、それをご了解の上、読み進んでください。また、テキストを読んでないので、筋書きについて間違った理解があるかも知れません。)

ロンドンのEdgewareという地域に伝統的にあるユダヤ人コミュニティーに住むRosenberg一家。父親のDavidはcaterer(仕出し業者)。プログラムの説明を読むと、多くのユダヤ人にとっては、宗教上決められた食餌の戒律が厳しいので、catererは、作る料理のおいしさだけでなく、大変専門的な知識を要する仕事のようだ。Davidの長男Dannyはイスラエル軍の軍人としてガザ侵攻に出征し、戦死した。劇はその葬儀の前日のRosenberg家の居間を舞台にしている。

Davidは地域でも尊敬されてきたビジネスマンだと思われるが、近年食中毒の問題が起こって(このあたり、英語力不足で良く理解出来なかった)商売が傾き、やむを得ず、ミニキャブ(安いタクシーの一種)の運転手のアルバイトもしているという窮状にある。彼はイスラエルのために戦死した長男をとても誇りに思っているが、次男のJonnyは家業に興味を示さず、オンライン・ギャンブルのビジネスを始めようと計画しており、父親とは折り合いが悪い。また、彼は自分がいつもDannyの影に隠れ、父の期待を裏切ってきたことに複雑な感情を抱いている。更に、優秀で、正義感が強い娘のRuthは、人権問題を扱う弁護士として、国連のガザ占領問題の調査の仕事をしており、上役のStephen(演じているのも偶然だろうが、Stephen Boxer)と共に、イスラエル軍の人権侵害を明らかにする調査報告書を書きつつある。Ruthの活動は地域のユダヤ人にとっては大変苛立たしいことで、Davidを悩ませている。この夜、医者で、Davidの子供の頃からの友人のPaulが食事にやってくるが、Ruthの仕事をめぐり、ユダヤ人・コミュニティーの意見を代表するPaulは、Ruthの仕事を激しく批判し、彼女をDannyの葬儀に出席させるな、とDavidに迫る。Paulは自分の娘の結婚披露宴の食事をDavidに任せるはずになっており、Paulとの対立は一層の経済的な困難も意味する・・・。

幾つか劇評を読んでみたが、皆指摘しているのは、Arthur Millerの影響である。確かに主人公のDavidには、"All My Sons"のJoe Kellerや"Death of a Salesman"のWilly Romanの影が濃い。伝統的な家父長的家庭観、一家を背負って頑張るという意識、自分の失敗を子供達に話せずにいるところ、地域の人々との関係、彼らの評判を非常に気にするところなど、Millerの主人公に似ている。妻のLesleyも、典型的な母親像を体現しており、けなげに夫をサポートし、ついには心労で倒れてしまう。この一家はマイノリティーのコミュニティーで生活し、近隣の住民を顧客にして自営業を経営しているので、Miller作品以上に周囲の人々との関係を大事にせざるを得ない立場にある。更に、ユダヤ人・コミュニティーなので、宗教上のしがらみ、そしてイスラエルが行っていることをどう考え、サポートするかということにも密接に関わってくる。上記のようなRuthの仕事は、一家にとって大きな試練なのである。しかし、Davidは娘の仕事を押さえ込むようなことは言わない。彼はMillerの描くWillyやJoeのようないかがわしさや自己欺瞞はない。Davidに性格的な問題があるとしたら、家長としての自負にこだわって、率直に自分の置かれた弱い立場を直視し、家族とのコミュニケーションをはかることができなかったことだろう。その意味で、WillyやJoeのような性格破綻者の悲劇とはかなり違った印象を持った。この劇の眼目は、現代において、特に現代のイギリスにおいてのユダヤ人であることの意味、イギリスなど欧米の国に住むユダヤ人のイスラエルへの視点の難しさだと、私は感じた。その点で、この劇の感想は、見る人により大きく別れるのではないか。パレスティナの問題に関心の無い人にはまったく興味を持てないかも知れず、また、作者Ryan Craigの視点がかなりRuthのような人と重ねられている感じなので、教条的なリベラリズム、英語で言うところの"political correctness"に傾いた劇と見られるかも知れない。Guardianのビリントンが4つ星をつけているのに対し、Daily Telegraphのスペンサーが酷評して2つ星というのも、そういう要素も関係していると思う。

前半は、私の体調が悪いせいもあり、うとうとしてなかなか集中出来なかったが、後半にかけて、Paulが食事に招かれて、DavidとPaul、そしてRuthや彼女の上司のStephenも加わっての白熱した議論になってからは、最後まで舞台に釘付けになった。Davidを演じるHenry Goodmanを始め、俳優がそれぞれのキャラクターの持ち味を十二分に表現出来ていた。ただ、キャラクターがかなり「タイプ」になっていて(家父長らしいDavid、さっそうとした、正義感の強い人権派弁護士のRuth、心配性のお母さんらしいLesley、出来損ないのprodigal sonタイプのJonny等々) いささか変化や驚きに乏しい感じがした。また、お葬式の前日にこんな大騒ぎをする気力があるのだろうかとか、Stephenが、亡くなったDannyの精神状態に関する大事な書類を、偶然この晩に持ってやってくるところなど、ドラマティックにするためのご都合主義とも見える。

Arthur Millerの劇のような、国や文化を超えてのユニバーサルな魅力があるとは言えないだろう。しかし、パレスチナ問題を、在英ユダヤ人の視点から、身近な家庭劇の枠組みで考えさせてくれた作品として、意義あるものであり、また素晴らしい演技に支えられ、私には大変説得力のある公演だった。

見終わった後、在日韓国朝鮮人のコミュニティーにとっての朝鮮半島問題と共通する点もあると感じ、『焼肉ドラゴン』も思い出した。

Cottesloeではユダヤ人虐殺を扱った劇、"Our Class"を2009年に見ていました。

監督Laurie Sansomと脚本作家Ryan Craigのインタビューがありました(a facebook page)。

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2011/03/20

"Fen" (Finborough Theatre, 2011.3.19)

心の沼地(fen)を描くCaryl Churchillの異色作
"Fen"

Iron Shoes公演
観劇日:2010.3.19  15:00-16:30
劇場:Finborough Theatre

演出:Ria Parry
脚本:Caryl Churchill
セット:James Button
照明:David W Kidd
音響、音楽:Dave Price

出演:
Alex Beckett, Katharine Burford, Elicia Daly, Nicola Harrison, Wendy Nottingham, Rosie Thomson

☆☆☆ / 5

"Top Girls"などの作品で著名なCaryl Churchillの、公演されることの珍しい作品とのことである。大変地味な素材であり、大衆的アピールは無いし、観客の安易な感情移入を拒絶するような作風だが、そこがかえって面白い。

(以下、劇の筋書きやディテールを書いているので、これから公演を見たり、テキストを読んだりする方は、それをご了解の上で読み進んでください。)

'fen'と言う単語は沼地、湿地などを表し、"Fens"という複数形では、イングランド東部のリンカーンからケンブリッジにかけての、かって沼沢地が多かった地域を指す。この地域は17世紀頃より運河などを通して排水が進み、現在では豊かな農業地帯になっているところが多い。別の言葉では、East AngliaとかNorfolkと呼ばれる地域とかなり重なる地域だろう。ロンドンに比較的近いのだが、それでいて大都市が少なく、経済や文化では、豊かな南東部の後背地という感じのある、日本で言うと北関東みたいな面があると思う。

50〜60人程度しか収容できないFinboroughの空間をふたつに分け、真ん中に長方形のステージを設置し、それを2辺から観客席が挟む形にしている。土間と同じ高さのステージには砂が敷き詰められて、劇が始まる時にはそこにジャガイモがたくさん置いてあって、劇が始まってしばらくすると登場人物がグループでそれを収穫する。最初に出てくるのは、カメラを首にかけた日本人のビジネスマン。時は1980年代、日本経済の生み出した財力が世界の資産を買いあさっていた時代。このビジネスマンも、イングランドの農業会社に投資し、この地域の農家を半ば所有している。サッチャー政権の自由化により、イングランドの農地が企業所有に集約され、それが外資に買われる。農民は、大地や地域に生やしていた根を奪われて、その日その時の手間賃を稼ぐ農業労働者となり、人々の心はすさび、地域の人間関係や家族の絆が破壊されつつある。また、農村の古めかしい倫理観と新しい時代の生き方、保守的な年長者と自由を求める世代、などの行き違いもある。リアリスティックで感動的なドラマに仕上げることもできるだろうが、作者はそういう手法は選ばず、1人3役とか4役を前提に、20人以上の人が登場し、90分の劇に21ものシーンを詰め込んで短いスケッチを積み重ねることで、個人の生き方と社会のあり方を複眼的に考えるように観客に求めていると思われる。

とは言え、中心になるのはVal (Katherine Burford) という幼い子供を2人抱えた女性。夫を捨ててFrank (Alex Beckett) という農業労働者の男性と一緒になりたいと思っているが、子供を捨てることは出来ず、経済的にもFrankの収入だけでは生きていけない。結局母Shirleyに世話になりつつ、宙ぶらりんの生活をしている。Frankは雇い主のMr Tewsonに、このままではやっていけないから賃上げしてくれ、と頼むが、仕事があるだけでもありがたいと思ってくれ、とはねつけられる。Valのけなげな子供達ふたり、DebとShonaも母親の不安を感じ、それを映し出す。ValとFrankは徐々に追い詰められていく。

荒涼とした風景、断片的なシーン、感情を上手く表現出来ない、素朴だがインテリジェンスのない人々・・・ValとFrankの物語以上に、こうした荒れ果てた心象風景全体が作品の意味であろうと思う。基本的にフェミニズムの劇である。フェミニズムの文学というと、性差別によりキャリアを阻まれた女性の問題など都市のミドルクラスの女性が取り上げられることが多いかと思うが、ここではそういう陽のあたりやすいところにいる女性達ではなく、農村の、謂わば時代から取り残された女性達のあり方を敢えてドラマチックな語りを排して映し出している。

俳優の演技は一流だったが、1人何役もやっているので(女性が男性をやることさえある)、私には、時々、誰が誰なのか分からなくなった。もっと観客をぐいぐい掴んで欲しいと思いつつ、それはおそらく作者の意図ではないんだろうとも思った。かなり戸惑わせる劇ではあるが、見て損のない作品だ。

写真はFinborough Theatre。前にある木のおかげで、何だがお化け屋敷みたいですね(笑)。1階はカフェ。入ると何か注文しないと悪いみたいな感じです。




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2011/03/17

サラ・パレツキーの講演 (Warterstone's, 2011.3.16 19:00)


日本でもほとんど全ての作品の翻訳が出ていて大変人気の高いクライム・ノベルの作家、サラ・パレツキーの講演がピカデリー・サーカス前の書店Waterstone'sであり、行って来ました。この春ハード・カバー版が出版されたばかりの新作、"Body Work" (Hodder & Stoughton) のプロモーション・イベントです。これも震災が起こる前に切符を買っておいたのですが、良かったと思いました。震災の後にこのイベントを知ったのだったら、とても切符を買う気分にはならなかったでしょう。でも、こういう時こそ、パレツキーのファンとしては、Vic (V. I.) の必死の頑張りを読みなおして、希望を貰いたいですね。

司会の人との対談形式でした。相手の名前は聞き取れなかったのですが、大変手慣れた司会ぶりであったので、批評家かしらと思いました。その対談が45分くらいで、その後15分くらい、パレツキーが会場からの質問に答えてくれました。

パレツキーは以前にBBCのモーニング・ショーに出演したのを見ていたので、どういう感じの人かは知っていました。大変ウィットに富んだ、爽やかな雰囲気を持つ人。彼女は地方政治家の時代から、シカゴを地盤にして活動してきたオバマ大統領に大変親しいことも知られています。そういう話も出ました。オバマさんは静かで地味な人柄で、昔は、親しい人達の間では、奥さんのほうが政治家に向いていると言われていたそうです。そういうパレツキーは、作品を読んだだけでも大変リベラルな人だと分かります。最近は歳をとり、怪我をしたりしてなかなか出来ないでいる、と言っていましたが、社会的な活動もしているようです。

司会者が指摘して話題になったのですが、ヒロインのVicって孤独な人なんですね。大体において、ハメット、チャンドラー、マクドナルドなどの描く古典的なハードボイルドの主人公は皆大変孤独な人物です。また、私立探偵でなくても、警察小説でも、P D ジェイムスのアダム・ダルグリッシュやスーザン・ヒルのSimon Seraillerなどもそうでしょう。社会や組織におさまりきれない正義感とか、強い個性の持ち主だから、読者を魅了します。しかし、Vicの場合、その時々、個性豊かな恋人が出て来ます。更にコントレラスさんというお節介の塊のような隣人が事実上の父親。2匹の犬も家族みたいなもの。そして、親友で、Vicの姉と母を兼ねたようなロッティとロッティの夫のマックスというもうひとつの家庭もあります。

コントレラスさんについては、以前、書いていてこのせわしなくお節介なキャラクターに作者ながらうんざりしてきて、もう退場させようと思ったことがあったそうです。そうしたら、パレツキーの旦那さんが猛烈に反対して(^_^)、その案は没になったとのこと。良かったですね。

彼女の第一作、"Indemnity Only" が出たのが1982年。従ってもう30年間このシリーズを書いているわけです。私は多分15年以上彼女の作品を読み続けています。P D ジェイムスのアダム・ダルグリッシュ・シリーズもかなり好きなのですが、何と言ってもこのVicのシリーズが最高です。パレツキーも認めていましたが、近作では、Vicも段々年齢を感じ、孤独の影も濃くなっています。恋人達とも長続きせず、自分に何か根本的な性格上の問題があるのだろうか、と自問しています。経済的にも自転車操業で不安を抱え、いつまでこういう生活をやれるだろうか、と疑問を感じてきています。イラク・アフガニスタンの戦争やアメリカの超保守派の脅威の影も忍び寄ってきて、初期の、がむしゃらで、もの凄くエネルギッシュなVicとは大分違ってきています。アメリカの、筋金入りのフェミニスト・リベラルのパレツキーの思いを反映しているのでしょう。そういう変化も、ある意味で大変興味深く、また今後Vicがどう変わっていくのか、是非見届けたいと思います。

とっても楽しい夕べで、身を乗り出して聞いていて、1時間があっと言う間に過ぎました。

私が一番最近読んだ彼女の作品は、"Hard Ball"で、ブログに感想も書いております。

(付記)オバマ大統領暗殺の脅威

オバマ大統領と親しいパレツキーが、アメリカの保守化、いや過激化の象徴的な証拠として言っていましたが、彼は、これまでの大統領に比べ、暗殺するという脅しなどを5倍も受けているそうです。既に英語版ウィキベディアでまとめられて「オバマ暗殺の脅迫」という項目まで出来ているほどです。

更に今年2月には、ジョージア州の都市Athensで開かれた共和党の下院議員Paul Brounのタウン・ミーティングで、聴衆の1人が、"Who is going to shoot Obama?"(誰がオバマを[銃で]撃ってくれるのか?)というとんでもない質問をしたそうです。それに対し、その下院議員ブラウンは何と、単に"The thing is, I know there's a lot of frustration with this president"(この大統領に不満を持っている人は沢山いるのは知っていますよ)と軽く答えて、次の話題に移ったそうです。国会議員がですよ! まるで、暗殺を半ば是認していると取ることさえ出来るではありませんか。オバマ大統領支持とか不支持とかを超えて、アメリカという国の恐るべき病巣を見た思いです。この件ではこちらのサイトなど参照。


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